348.変わらない人
フェーリシティに戻ってから、レイラーニは部屋から出て来なくなったし、誰も南のダンジョン内に入れてくれなくなった。北西のダンジョンにも、食べ物をもらいに来なくなった。モンスターヴァーノンたちも取りに来ない。彼らは、ただパドマと遊び、収穫の手伝いをして、酒造りをするだけだ。レイラーニは飲み食いしなくても支障はない存在だが、心配になるほど食い意地が張っていたのだから、急に食べなくなったのを、皆が心配した。
師匠も、綺羅星ペンギン従業員も、白蓮華の子も、ヴァーノンも、パドマも中に入れてもらえなかった。師匠は窓越しに栗ケーキを見せてみたのに、中に入れてもらえなくて、消沈した。食べ物で釣れねば、他の手立てが思い付かない。
入れてもらえないだけなら、まだ良かった。毎日窓辺に遊びに来る師匠を鬱陶しく思ったのか、レイラーニは引っ越してしまった。地階へ行ってしまったのか、灯りがともる部屋も、姿を垣間見れる瞬間もなくなってしまい、師匠はしつこくしたことを後悔した。
師匠の仕事は、沢山ある。国造りは始めたばかりだ。まだ住民はジョージ一家しかいないし、インフラも公共施設も足りていない。公民館を建てても、街路樹を植えても、一緒に見たい人がいなかった。テッドの胡椒温室を建てても、褒めて欲しい人がいなかった。師匠も、すっかりやる気を失った。
そうしてかなりの時間が経過し、アーデルバードでもフェーリシティの噂が下火になった頃、星のフライパン本店にレイラーニが現れた。全身黒ずくめで顔は半分隠れているし、羽根は生えていないが、どう見てもレイラーニである。パドマと付き合いが長い店主は、気付かずにはいられない。パドマの顔の最大の特徴は大きな目である。ありふれた色の目で特徴的だと思わせるのだから、騙されようがない。それを見ただけで、特定できる。
「パドマに納品し損ねた剣を、1本譲って」
レイラーニは、ごとりと大金貨を置いた。久しぶりの大金貨の輝きに、驚き慌てる店主に、レイラーニは手を出して制した。
「他の客に作った品を横取りする迷惑料。今まで付き合ってくれた対価。理由はなんでもいいから、受け取って。お釣りはいらないから。持ち合わせが、これしかないの」
「そいつぁ、すげぇ、出世したな」
店主は一気に脱力し、呆れた。数年前から年齢にそぐわない金を持っていたが、とうとう常識の範疇から逸脱してしまったらしい。パドマにくっついているだけにしか見えない謎生物も大金貨をポロポロくれたし、それに囲われているらしいレイラーニが大金貨を持っているのは、当然のことかもしれないが。
「これさ、使い勝手が悪いから、ここぞとばかりに押し付け合うお金なんじゃない? わざわざ大金貨の額になるまで、ウチのところに入金されないの。悪いけど、押し付けられてね」
「おう。カミさんと山分けしとくから、あっちでも好き放題食ってけよ」
「ありがと」
店主が剣帯付きで出してきた寸胴剣を、腰に帯び、レイラーニは店を出た。
レイラーニは、ダンジョンに入場した。周囲は、パドマだ英雄様だ神が降臨したと心中騒がしくなっているが、レイラーニに近寄ってくる者はいない。もしも見かけることがあっても、変装していたら気付かないフリをしろと、パドマが指示したからである。これ以上引きこもりが進行したら、もう出て来なくなるかもしれないぞと脅された結果、今のところ寄っていく人間はいないし、寄って行こうとするそぶりを見せた人間は、パドマの配下にそっと捕まえられている。
レイラーニは、トリバガまみれになって転び、火蜥蜴に焦がされて、ミミズトカゲに吹っ飛ばされた。
しばらくダンジョンを離れていたこと、なんでも人任せで自力で戦わなかったこと、ずっと引きこもっていたこと、日常動作に魔法を使うのをやめたことで、十全に動くことができなくなっていた。通りすがった風を装っている者は、レイラーニを助けたくて歯がゆい思いをしているが、気付かないフリと念仏を唱えて耐えた。
「むう。ミミズの分際で、生意気な。乳母さん、切り刻んで」
友だちになった風龍に魔法のおねだりをしたところ、風の刃が縦横無尽に荒れ狂い、レイラーニを吹っ飛ばしたミミズトカゲを言葉通りに細切れに切り刻んだ。レイラーニが斬りつけて、しくじって、勝手に飛んで行っただけなのに、ミミズトカゲは割りに合わない処分を受けた。その上、レイラーニはミミズトカゲの木っ端微塵さに、恐れ慄いた。
たまたま魔法を見かけた者たちも、すっかりびびり倒している。この世の千歳以下の人間で、まともに魔法を使う者はいない。未知の力であり、強大な力だった。レイラーニは、パドマと違って戦えない女の子なのだと思って見守っていたので、頬を引き攣らせた。うっかり助けに入れば、タイミングをしくじると大変危険である。
「こわ。強力過ぎて、危ないな。人を巻き込んだら死ぬし、ミンチ肉じゃ、素材が取れないじゃん。特技だって言えば、肉屋で雇ってもらえるかな? いや、店ごとミンチになるかもしれないから、やめよう」
レイラーニは、今日は、ダンジョンに稼ぎに来たのではない。倒すのは諦めて、全ての敵を無視して走りぬけて、18階層で足を止めた。
「こんな浅階層の、どうでもいい敵に負けるなんて」
床の上をニョロニョロと歩くアシナシイモリを前にして、レイラーニは膝を折った。
レイラーニは、顔の下半分を隠していたマフラーを外して、頭全てをぐるぐる巻きにしようと画策していたら、頭上から声が振ってきた。
「そこの不審なマミー野郎。困ってるなら、手を貸すぞ」
「まぁ、なんて親切なヒヨコさんでしょう」
声をかけてきたのは、ハワードである。レイラーニが現れたという通報を受けて、駆けつけて来たのだ。綺羅星ペンギンでは唯一の、パドマたちに失礼を働いても、機嫌を損ねても拗れない男なので、グラントに重宝されている。そんなのズルい、徹底的に嫌われてしまえ! という理由で、投入されてはいないとことになっている。
アシナシイモリなんて、ただ歩いて通り過ぎればいいだけなのに、やたらと引っかかるパドマを知っているので、見るにみかねて声をかけた。戦闘でぶちのめされて助けに入るのは面子を潰すかもしれないが、パドマのミミズ嫌いはもうバレている。ヴァーノンにおんぶされて通り抜けたりしていたのである。助けに入っても構わないと判断して声をかけた。他の連れは、嫌われないように、いつでも逃げれるように、遠くから見守っている。
「誰がヒヨコだ。見捨てるぞ」
「ヒヨコじゃないなら、用はない」
「俺は、妹なんじゃなかったのかよ」
「ヒヨコじゃないなら、失せろ」
「マジか。、、、親切なヒヨコだよ。どうしたピヨ」
「今日の狩場は?」
「そんなもんないピヨ。ヒヨコは、ナンパしに来ただけピヨ」
「え? ナンパ?」
レイラーニは、通りすがりの探索者に目を止めた。体脂肪率1桁の、ゴリマッチョを通り越してゴリラかもしれない男が歩いていたのだ。
「そっか。あれが好みなら、結婚相談所の登録を抹消したがるのも、納得だ」
「いい加減にしろよ。そこまでは乗ってやらねぇからな。ヒヨコは、あんたみてぇな顔の見えないのが好きなんだよ。好きな顔を、頭ん中で適当に当てはめて話すんだよ。間違いないだろ?」
「とんだクソ変態だな。頼み事し辛いこと言わないでくれない?」
レイラーニは背中を壁にくっつけて、全身で気持ち悪い寄るなと意思表示した。ぷるぷる震えているのは演技ではない。
「だったら、ヒヨコどうのこうの言ってねぇで、先に用を言え」
「うん。ごめんね。80階層か90階層に連れて行って欲しいの。報酬は、今は持ち合わせがないから、後払いになっちゃうんだけど」
「ああ、今をときめくダンジョンマスター様だからな。こないだみたいなお泊まり酒盛りでも、新酒の試飲会でも、なんでもいいぞ」
パドマであれば、上司なので、報酬はいらなかった。必要な場合も、役員報酬から天引きしてもらえばいいだけだったが、レイラーニは違う。働けないパドマから収入を奪う気もない。ハワードたちは、趣味で来ているだけだから、無償で構わないが、有償の方がレイラーニの気分がいいことはわかっているし、レイラーニはくそ金持ちになることが決定しているので、遠慮なくもらえる。
「そっか。なんでもいいなら、リンゴで払うね。リンゴ30年分とかで、どう?」
「嫌がらせなのか、スケールがでかいのか、わかんねぇよ」
「そうだね。普通にお金で払うよ。ごめんね」
「いや、俺の分は、リンゴでいい。だけど、他のやつらは、金にしてやれよ」
けたけた笑うハワードに、うつむいていたレイラーニが顔を上げた。
「本気?」
「ああ。可能な限り、毎日取りに行ってやるよ」
「ありがと」
ハワードは、パドマのミミズ嫌いも寂しがりも知っていた。先日、ダンジョンに遊びに来たのを追い返した時点で、もう来てくれないものだと思っていたレイラーニは、ホッとしてハワードの裾をつかんだ。
いつメンの真珠の皆に連れられて、レイラーニは下階に下ることになった。断りもなく、ハワードの背中によじよじと上って、背中に顔を隠した。
「今日は、あんまり戦闘に参加できないんだけど、いい?」
「ああ、見てた。あれに巻き込まれたくない。何もしなくていい。報酬ももらいにくくなるからな」
ハワードは、レイラーニの足を抱えて、サクサクと進んで行く。
「我らがボスの魂の双子をお守りするのに、否やは御座いません。ご遠慮なく我らをお使い下さい」
ルイも同意した。他の3人は、レイラーニの視界になるべく不快なものが入らないようにと掃除しているが、レイラーニの頭はマフラーが巻きつけられた上に、ハワードの背中に押しつけられているので、何も見えない。
「うーん、でも、本当は自分でやりたいんだよ。だから、剣も新調してきたのにー」
「そもそも、なんで剣を使えなくなったんだ? 前に一緒にダンジョンに行った時は、普通に殺ってたろ。何が変わった?」
「何も変わってないよ。ここ最近、ずっと引きこもってたからかな。ダンジョンマスターの身体は、成長も退化もしないんだって。だから、筋力が落ちたりもしないと思うんだけど、身体の使い方を忘れちゃったのかな。前と同じようにやってるつもりなんだけど」
「見たところでは、明らかに腕力不足でした。筋力が減っていないなりに、力の込め具合が変わったように見受けられます」
「えぇえ、そうなの? わりと全力で、、、あぁ、わかったかも。ウチ、もう探索者を引退しなきゃ。きっと、魔法で無意識に筋力を底上げするのをやめたからだ。パドマなら問題ないけど、ウチはそれをやり過ぎると死ぬから。ああ、嫌だな。これが最後のダンジョンか」
ルイの指摘で、ようやくレイラーニも原因を理解した。パドマもレイラーニも、日頃自分では何もしていなかったから、英雄様と呼ばれながらも、そんじょそこらのお嬢さんにも敵わないほど非力なのだ。筋力を底上げする方法はわかるのだが、セーブして魔法を使うのは苦手だし、戦闘を行いながらセーブすることは、今のところできない。ダンジョン内で意識を失えば、まあ死ぬだろうし、レイラーニの場合は瀕死ではなく、即死するかもしれない。
「なんでだよ。来たけりゃ、いくらでも付き合うぞ。レイラーニなら、いくらでも報酬払えるだろ。それが嫌なら、真珠拾いについてきて、荷物持ちでもしてりゃいい。別に、俺と同じだけ持てとは言わねぇし」
「甘やかさないで」
甘やかすなと言いつつも、ハワードにしがみつく手に力が入っているし、震えている。姐さんたちは本当にわかりやすいなぁと、ハワードは思った。
「別にいいじゃねぇか。レイラーニとは、直接の主従関係はないんだ。酒も酌み交わしたし、俺たちゃ、ダチだろうよ」
「いいの?」
「いいんじゃねぇ? 他のヤツらまでは知らんが、俺ぁそれでいい。楽しいからな」
「ありがと。りんごの他に、梨も持って行っていいからね」
「マジか。そんな細けぇ許可制だったのかよ。皆好きな物、勝手に取って食ってんのに」
「ふふふ。別に食べたからって大して怒らないけど、許可を取ってからにしてね」
「くっそ。煩わしくなるくらい許可申請出してやる」
「うん。待ってる」
レイラーニが抱きついてきたので、ハワードは胸を高鳴らせたが、ルイは、こちらは寝言は言わないんだな、と見ていた。
肉の焼ける美味しそうな匂いに釣られて、レイラーニは目を覚ました。頭に巻かれたマフラーを取ると、周囲に見たことがある男たちが沢山いるのに気付いた。レイラーニにとっては懐かしい、綺羅星ペンギンダンジョンバーベキューの準備がされている。前は、ウザくて嫌だったが、今は愛おしく思えて仕方がない。
「レイラーニ、マジごめん。まだ50階層までしか来れてない。身体は大丈夫か? 一度戻って、再チャレンジさせてもらえないか」
「なんで? このまま行けば、よくない? ああ、明日は用事があるのか。だったら、ここからは1人で行くからいいよ。折角、連れてきてもらったんだもん。このまま行くね。ありがと」
レイラーニは、ハワードの背中からずりずりと降りた。細い腕を振り上げ、行けるよ、と主張する。
「何言ってんだ。俺の用事なんてねぇし。お前が長くあっちのダンジョンを離れると、倒れるんだろが。看病するのは構わねぇが、死なれちゃたまらねぇだろうよ」
「ああ、それか。それなら、まだ大丈夫だよ。前回は張り切って、沢山魔法を使ったから倒れたの。でも今回はミミズも倒せないくらいに魔法を使わなかったでしょ。しかも、うっかり寝てたから、まだ大丈夫。それにね、薬になるお茶も持ってきたの。劇物だから、あんまり飲みたくないんだけど、大丈夫だから、安心して」
レイラーニは、背中に背負った小さいリュックを見せた。いくらも荷物が入らない用途不明なリュックだが、お茶運び用にモンスター師匠が作ったと気付いて背負ってきたのだ。
「劇物?」
「うん。材料が毒草なの。草のくせに土から出てきて、根っこの足で歩き回る変な不気味草なの。毒と薬は紙一重なんだって。で、薬になったのをもらってきたの」
ハワードは頬を引き攣らせた。パドマは、毒物を気にせずに食べていた。ハワードも腹を壊す程度の毒物なら、空腹に勝てず不承不承食べていた時期がある。だから、レイラーニが躊躇する毒というだけで、威力は想像がついた。失敗すると死ぬのだろう。延命処置の薬が致死毒とは、笑えない。
「それは、万一の時だけにしてくれ。本当に問題ないなら連れてくが、無理そうなら早めに言えよ。俺には無理だが、ギデオンなら人を抱えて地上まで走るくらい、わけねぇからな」
「うん。ごめんね。ウインナーが終わったら歩くつもりだったんだけど、寝ちゃって。この身体は寝なくても生きていけるらしいんだけど、寝ないと眠くなるんだよね」
レイラーニは目を泳がせて、乾いた笑いを漏らした。寝不足でダンジョンとは、感心できない。ハワードはジト目になった。
「寝てないのか?」
「ちょっと夢見が悪くてね。今から心配したって仕方ないことなんだけどさ。皆とお別れするの寂しいなって思って」
レイラーニは、全身を赤に染めて、照れながらボソボソと話している。バーベキューをしている面々も、視線を向けないように気をつけながら、ほっこりとした気持ちで耳を傾けていた。
「何の心配だよ。別に、別れる必要ないよな。友だちだって言ったろ。あのヤキモチ焼きのヒゲじじいに、何か言われてんのか」
「ヤキモチ焼きのヒゲじじいは、師匠さんしか妬かないからいいんだけど。そうじゃなくてね、ウチは、長生きなんだよ。事故で死ななければ、千年経ってもこのままなんだって。皆に死ぬなって命令しても無理でしょ。今から別れが寂しくて、ウツウツとしてるの」
「マジか。そりゃあ気が早ぇえし、確かに千年は付き合う自信がねぇな。姐さんは百年は余裕っつってたけど、こっちは千年か。そうだな。俺は嬉しいけど、逆は確かに嫌か。十年くらい長生きとは、訳が違うもんな」
「ひたすら別ればっかりの人生だったら、イレさんに友だちがいない理由も、少し察しちゃうんだ。友だちは、同じペースで年取る人がいいよね」
「あー、それで? そうだなぁ。じゃあ、あれはどうだ。ダンジョンに無駄に沢山いるお兄ちゃんと、師匠さん。俺たちも皆アレにしたら、そいつらは生き残ったりしないか?」
「ダメだよ。そういうのはダメなの。見た目は一緒だよ。性格もね、それっぽいよ。だけど、全員、ウチには絶対服従だから。絶対、口答えとかしてくれないの。そんな人がいくらいたって、満たされないの。だって、別人だもん」
レイラーニの瞳に、涙が浮かんでいる。こんな時まで抱きしめたらダメなのかよと思いつつ、ハワードは口答えしてやった。
「俺たちのこと、なんだと思ってんだよ。俺は、いつだって、あんたらに逆らったことなんてねぇだろ。だから、俺たちなら、変わんねぇんじゃねぇの?」
「そうかな。もしかしたら、そうかもね。なんだ、そっか。そしたら、寂しくなくなるかな」
レイラーニは、ようやく差し入れられたラムラックのローストにかぶりついた。そう言われても結局、所詮は偽者だとしか思えない結果になるのはわかっているが、どうしようもない。自分の悩みを聞いてくれて、バカにせず一緒に悩んでくれる仲間がいるのに安心して、ついつい酒も進んだ。
次回、2軒目にはしご酒