340.洞窟
師匠が袋の中に籠って出て来なくなったのを幸いに、カイレンは故郷に向けて真っ直ぐに進路を取った。今なら、近付いても気付かれないに違いない。レイラーニに美味しい物の情報をちらつかせて近付けと、名産品や郷土料理情報を叩き込まれてきたが、必要なくなった。行きがけの駄賃に、また串カツ屋に寄って、オヤツを仕入れてきたので、レイラーニは大人しくしている。
師匠の串カツに影響されたのか、高額の売り上げ金が手に入ったからか、継ぎ足し継ぎ足しで使っていた奇跡のクソ不味油が一新されていた。パドマの母の味が、なんてことない普通の串カツになってしまったので、レイラーニはガッカリして静かにもきゅもきゅと串カツを噛み締めていた。またあれが食べたいとレイラーニが言い出さないように、カイレンは気を付けて道を選ぶ。美味しいと言われる名物ならいくつか思い付くが、レイラーニが求めるものは、それではない。琴線に触れる物が何かわからないので、頭を悩ませながら道を考えた結果、気にせず真っ直ぐ行くことにしたのだ。
町中の人が火神信徒になって、火が扱えなくなったら、串カツ屋も廃業してしまうので、レイラーニは心配して見に行ったら、普通に営業していた。朝早過ぎて、そんなに沢山仕込みが終わってないと言われたが、ありったけの串カツを買って、町の変化を聞いた。
町中で多く見られるようになった赤ローブの人間は、元々隠れ火神信徒だった者で、新たに火神信徒が増えた様子はないそうだ。だから、串カツ屋に影響はないらしい。火神信徒だった者が、本来の火神信徒のスタイルに倣って、赤ローブに身を包み、火を恐れ敬い、自らの私欲のために火を扱わなくなっただけの変化らしい。火を使わずに生活するなんて大変なことだと思うが、本人がやりたいというなら、やむを得ないことである。そんなことをしても現火神のカイレンは何も喜ばないが、過去にそれを望んだ神もいたのかもしれない。本来はなかった生贄の儀式をやめ、放火もやめ、古来から行われていた礼拝を儀式として採用した。また、過去に正しい火神信徒に悖る行為をしたものは、懺悔して、自ら出頭したそうだ。犯罪行為であれば、法に準じて刑の執行を検討するのだが、法律にまったく触れない宗教的タブーをおかした者までまとめて集まったので、自警団が忙しくなったと話していた。
そんな話を皮切りに、昨日、カイレンが寝ていた間に起きた話をして、馬車は進んでいく。師匠袋は時折跳ねるが、それ以外の変化はなく、目的地に向けて進んで行く。
段々と街道が荒れ、草が道を侵食した辺りで、カイレンは馬車を停めた。もう空は茜色を過ぎ、暗くなり始めている。
どうやら次の町にたどり着くことなく夜を迎えてしまったから、野宿の準備をするようだ。カイレンは馬を外して、洞窟の中へ連れて行った。レイラーニは生きている方のアルラウネ袋を持って降りた。霜がおりないならば土に戻してやった方がいいのだが、霜にやられたら死んでしまうかもしれない。最悪、実が出来ているから死なせても問題ないと言われているが、死なせたら可哀想だから、どうしようと悩んだ。
レイラーニが悩んでオロオロとしていたら、カイレンに洞窟の中で埋めてやれと言われた。夜間なら、どうせ光合成はできない。日当たりは関係ないなら、確かにどこでもいい。カイレンが柔らかい土を取って、洞窟の中に入れたので、レイラーニはそこにアルラウネを持って行って解放してやった。アルラウネは、半分くらい土に埋まった。
馬車を洞窟前に移動させ、カイレンは師匠袋を抱えて洞窟の中に入った。入り口近くはまだ近くは見えていたのだが、奥は暗闇に目を慣らしても見えなかった。それなのに、カイレンは迷いなく先に進んで行く。レイラーニはカイレンの裾をつかんでついて行った。少し歩くと、天然の洞窟ではないことを悟らずにはいられなかった。中に階段があったのだ。暗闇でも、カイレンはスタスタと降りれるくらいに、踏み板と蹴込板のサイズが均一だった。迷いなく進んでいることからいっても、カイレンが知る場所なのだろう。
カイレンは、ドアの前に立ち、ドアノッカーを鳴らした。「お届け物でーす」と、よくわからない言葉を叫んで、これといった許可もないままに、ドアを開けた。ドアの中は仄かな灯りが点いていた。
カイレンは更に先に進み、次のドアは手で直接ノックして、やはり許可を取らずに開けた。今度の部屋は、蝋燭の灯りが沢山燈っていた。
「あら、カイレン、いらっしゃい。久しぶりね。元気だった?」
部屋の中は、洞窟の奥とは思えないほど広く、洞窟の中とは思えないほど普通の家具が並べられた普通の部屋になっていた。唄う黄熊亭と同じような木目むきだしのテーブルやイスやチェストなどがあり、レイラーニは親しみを感じた。
そこに、レイラーニと背丈が変わらない、美しい女性が座っていた。部屋は薄暗いのに、何か裁縫をしていたようで、その片付けをしている。師匠袋が、バタバタと暴れた。
「うん。先ぶれもなく来て、ごめんね。たまたま近くに来たからさ。紹介したい人を連れて来たの。お土産も持って来たんだけど、急に暴れ出したから、魔法で縛ってくれないかな」
「縛ったりしたら、可哀想よ」
部屋の住人は、人形のような人だった。黒い髪はひたすら真っ直ぐと長く、後ろ髪は直線に切り揃えられている。結っていないのに、唐突に花飾りが付いているのも、違和感を感じさせる。肌は曇りなく、シミひとつない。陶器よりも温もりを見せない単色だった。漆黒の瞳も作り物のように透き通っている。口は動くが、表情は変わらない。笑いもしないし、怒りもしない。瞳は大きく、鼻筋も通って、美しい造形だから、より作り物にしか見えなかった。
女性は、可哀想よと言いながら魔法を使い、緑の光をキラキラと散らせたら、師匠袋の動きが小さくなった。レイラーニは不安になって、袋の口を広げて師匠を出すと、師匠は白い顔をして震えていた。レイラーニが「怖いの?」と尋ねると、師匠は「私の全てを貴女に譲ります」と、縁起でもないことを口にした。顔に絶望を浮かべ、全てを諦めている。
「え? 遺言? なんで?」
「私の心は、貴女だけのものです。今後、何が起きても、それだけは信じて下さい」
「いやいや、これっぽっちも話がわからないよ?」
レイラーニは、師匠の話も、カイレンたちの話も要領を得ずに、困り果てた。すると、黒髪美人がカイレンを叱る。
「そろそろ、わたしを紹介してくれないかしら。困らせてはダメよ。このリシアにそっくりなお嬢様は、どなた?」
「リシア? 全然似てないよね。でも似てるって、お兄ちゃんも言ってた。だからね、義妹にしたいんだって、気に入っちゃってさ。お兄ちゃんの男兄弟といったら、私しかいないでしょう。それで、結婚してって頼まれたの。ああ、誤解はしないで。私もね、大好きだから。大大大好きで、誰にも譲りたくないって、口説いてるところなんだ。この子もね、前向きに検討してくれてるんだよ。名前は、パドマって言うの。よろしくね。
パドマ、この人はね、うちのお母さんの1人。みんなママって、呼んでるの。お兄さんたちの実母ではないんだけど、師匠の乳母はママなんだよ。お兄さんも、時々遊んでもらったんだ。怒ると鬼より怖いけど、悪いことをしなければ怒らないから、心配しないで」
震えて丸まる師匠を傍らに、カイレンがとんでもない紹介をしてくれたから、レイラーニの身体は硬直させ、ママはそっとおでこに手を当てた。何でわざわざ怖がらせるようなことを言うのかしら、とママは嘆いているが、レイラーニも初対面の母親になんてことを言ってくれるんだと、困った。
「はじめまして。レイラーニ、です。イレさ、カイレンさんの飲み友だち! で、師匠? カイレンさんのお兄さんの娘です。よろしくお願いします」
レイラーニは、慌てて自己紹介をして、礼をした。礼はアーデルバード流なので、正しいかどうかは知らないが、父親の名前を知らないよりはマトモだろうから、気にしないことにした。
「名前も間違っているなんて。おかしな子で、ごめんなさいね。好きだってところは間違っていないと思うから、仲良くしてやって下さいね。
カイレン。本当に好きなら、女の子の話はちゃんと聞かないといけません。名前から間違うなんて、話にもなりません。そろそろしっかりしなさい。でないと、嫌われてしまいますよ」
「見たこともないのに、なんでバレたかな。好かれてないけど、私が2人分好きだからいいの。これが最後の恋なの。絶対に絶対に、2人を死が別つまで一緒にいるって決めてるの。ママも応援してね。怖いお姑さんだって思われないように、くれぐれも気をつけてね」
最後の恋をしている最中で、想い人の名前を間違えた悪い子カイレンは、大した叱責を受けなかった。だから鬼よりは怖くないかな、と思いたいのだが、レイラーニはママが怖かった。師匠が遺言を残したのも納得するほど、恐怖している。動かない表情が怖い。刺すような視線が痛い。
「そうね。優しいお姑さんなら、ゆっくり休めるように、お部屋を用意しないといけないかしら。それとも、お夕飯が先? もう食べてきたの?」
「いいええ、お構いなく! ウチは人間じゃないから、ご飯はいらないの。だから、もう帰るね」
レイラーニはそれじゃあと、帰る足を踏み出したら、入って来たドアがなくなっていた。この現象には心当たりがあった。きっとここはダンジョンで、ママはダンジョンマスターなのだろう。だから、こんなところに住んでいるに違いない。
「遠慮しないで。ご飯の支度をするのは、貴女のお父様だから。コハク、ゴフンで食事の支度をなさい。カイレンは、休む部屋の支度をしてね。端の客間を使っていいわ」
ママは拘束魔法を解いた結果、師匠が動き始めた。師匠もこの家の構造を理解しているので、まっすぐと右手のドアに歩いていく。師匠の足取りはふらふらとしているが、カイレンは「まーかせて!」と陽気に出て行った。怖くて怖くてたまらないのに、レイラーニは取り残されてしまった。
次回、乳母の恋心。