333.串焼きの思い出〈後編〉
味覚のおかしな2人の間に割って入るには、激不味串焼きを食べなければならない。師匠は震える手で串焼きを持って、思い切って口に入れた。口いっぱいに広がる生臭さに耐えて、歯を立てたが、噛みきれなかった。噛めば噛むほど、臭さが口に充満する。自然と目に涙が浮かんだ。飲み込めないし、噛みきれない。師匠は、窮地に陥った。いつまでもこんな不味い物を口に入れておくのも耐えられないし、口に入れたものを出すなんて、お行儀が悪い。半べそでいや〜と悩んでいたら、アダムが助けてくれた。隠れてこっそり出せるように、皿をくれて、隣の部屋に入れてくれたのだ。ああ、良かったと始末して皆のところに戻ったら、口直しにミカンをくれた。アダムは、親切な人だった。師匠は、肉の狩り方が最悪、使えないバカという脳内情報を少し書き変えることにした。
「あんな不味い肉を食える方が、おかしいんだ。あんたは間違ってない。大丈夫だ。あの2人は気が合うようだから、くそ不味い肉はあいつらにくれてやって、俺たちゃ別に美味いもんを作ろうぜ」
何故か、アダムが師匠の両手をつかんでいる。これでは料理も作れない。何がしたいのだろうと考えていたら、アダムの顔が師匠の顔に近付いてきた。
「やめてください!」
と言ってみたが、師匠の声はアダムには届かない。蝋板を見せても伝わらないだろう。師匠は、レイラーニの名を呼び、アダムを張り倒した。
「何やってるの、師匠さん。ダメでしょ。こんなにクソ不味い肉を焼けるのは、この人しかいないかもしれないんだよ。大事にして。レシピはわかったけど、肉がもったいないから真似したくないしさ」
「助けてください。この人に、私は男だと伝えてください」
師匠は、レイラーニの後ろに隠れた。
「困ってるなら、パット様になればいいのに」
「貴女に嫌われたくないから、なれません!」
「ウチは、別にあの顔が嫌なんじゃないけど。嫌いなのは中身。パット様も師匠さんも同一人物なんだから、中身は一緒だよね」
レイラーニは冷たい目でそう返すと、師匠は助けてと出していた手を引っ込めた。口を真一文字に引き、拳を握って視線を地に這わせた。
「すみませんでした。私も無体に耐えてきます」
そう言って、アダムの方へ戻った。アダムは、人前では恥ずかしいですよねと、はにかんで師匠の手を取った。
「アダム。師匠さんが何の師匠なのか、まだ教えてなかったんだけどさ。その人、女装の師匠なの。中身は50歳オーバーのおっさんだから、もう少し敬ってあげて」
とレイラーニが言うと、すかさずカイレンも言った。
「師匠は、おじさんじゃないよ。おじいちゃんだよ。だからもう萎れて枯れてるから、恋愛はしないんだ」
「妖精っていうか、妖怪だよね」
師匠が恋愛をしてくれないなら、レイラーニも助かる。もう誰かを妬いて、ドロドロとした気持ちを抱かずに済む。だから、カイレンの意見は否定しなかった。
「女装? これが? ウソだろ?」
アダムは、師匠の両肩をつかんで、まじまじと見つめた。
可愛らしい少女の見た目にしては、少し背が高いなと思っていた。だが、アダムより拳2つ分は低いし、背の高い女性はこれくらいの人もいる。許容範囲だと思っていた。胸元は寂しそうだが、アダムは巨乳にこだわりはない。なくても良い。肩は、女にしてはしっかりしている気はするが、男にしては華奢だ。どっちつかずの、なんとも言えない見目を持つのが、師匠だった。
口で伝えられないなら、身体で伝えれば良いと、師匠はアダムに身体を寄せた。男性だとわかる部分を押し付けてやる。「あ」と言ったので、気付いただろう。これで一安心だと、師匠は思った。
「そっか。あんた男だったんだな。気付かなくて、悪かった。しょうがねぇよな。望んでなくても、男に生まれちまったんだもんな。よし、わかった。俺も男だ。あんたをそのまま愛してやんよ」
アダムは、くっついている師匠を抱きしめた。「うわぁ」と言って、カイレンの服をつかんで何かに耐えているレイラーニをカイレンはデレデレと見つめた。師匠は毛を逆立ててアダムを引っぺがし、投げ捨てて、外に逃げて行った。
レイラーニは、イノシシ1頭とハト1羽を食べ切ると、帰ることにした。
「ウチがさばいたイノシシ肉、3日経ったら急に氷がなくなると思うから、食べてみて。それはメスだから、今の時期でも美味しいよ。じゃあ、もう行くね。ありがとう。また来たら、よろしくね」
レイラーニは、代金を置いて、帰ることにした。このくらいもらえたら嬉しいな、と思っていた額の10倍の金額がしれっと渡されて、アダムは驚いた。
「多すぎだろ」
「だって、世界で唯一、ウチの思い出料理が出てくる串焼き屋さんだもん。他の誰が認めなくても、ウチにとっては価値があるの。本当は有り金全部あげたいところなんだけど、旅が始まったところで一文無しになる訳にもいかないから、これだけなの」
レイラーニが幸せそうに笑っているのを見て、カイレンも温かい気持ちになった。
「そういうことなら、お兄さんも」
カイレンも、レイラーニと同じ額を横に並べた。
「お揃いだね」
「そうだね」
レイラーニとカイレンは、笑いあって、仲良さそうに帰って行った。
「なんだ。あの2人は、兄妹だったのか」
てっきりカップルなのかと思っていたが、そう思えば、あのイケメンにデレられて、まったく動じないレイラーニの姿に納得がいく。可愛い見目の妹を溺愛している兄だったのだ。どんなに顔がキレイでも、兄じゃ相手にしないだろう。あれだけキレイな顔が3つも揃うなんて、普通はない。3人兄弟だったのかと思い至った。
弟を兄姉が師匠と呼ぶ家庭環境が想像できないが、もしかしたらあの巨大な兄が女だったり、小柄な姉が男だったりするのかもしれない。以前、レイラーニは女の服を着ていなかったし、髪型も違った。あの巨体で女だったら、生きづらいかもしれないと、アダムは思った。イケメン死ね、などと密かに思っていた自分が、恥ずかしくなった。頑張って生きろよ! と、見送った方向を眺めて、家に戻った。
もう怖いだの気持ち悪いだの言わないで、レイラーニの言った通りに狩りをしようと、心に決めた。生きていくだけなら、畑仕事だけで充分なのだが、思い付きで始めた串焼き屋が繁盛してくれても構わない。
レイラーニたちが馬車に戻ると、毛布に包まった師匠が積み荷と一体化していた。乗っているならいいかと、放置して馬車を走らせ始めると、のろのろと師匠が這い出てきた。レイラーニの席の後ろに座って、しょぼんとしている。
「すみませんでした。私には耐えられませんでした。パドマは強いですね」
「ウチは強くないよ。強いのは師匠さんでしょ。師匠さんが強すぎるから、ウチは逃げられなかったし、アダムは取り逃したんだよ」
レイラーニは、振り返らずに答えた。代金が多すぎるからと、もらったキウイを食べているのだ。ナイフもないが、キウイなら、手でむけるし、最悪、皮ごと食べて、皮を吐き出せばいい。
「逃げ、られない?」
昔過ぎて覚えていないが、パドマはあの時、嫌がって逃げようとしていたかもしれない。面倒臭いなと、適当に押さえつけたような気もする。多分、あの時には既にパドマが好きだったのだろうと、赤面した後で、無理強いする男は最低だなと、蒼白になった。
かつて、師匠に言い寄ってきた人間は、星の数ほどいた。最初は、逃げていた。数ヶ月家出する勢いで逃げて、見なかったことにしていた。その後、冷たくあしらった。嫌われてしまえば害はなくなる、と思ったからだ。それでも諦めない相手は、実力行使で切り捨てた。法律の許す範囲であれば、殴る蹴るも厭わずに、情け容赦なく排除した。だが、どうにもならない相手がいた。妹だ。
血のつながらない妹が、親に決められた婚約者だった。最初から、それを知っていたら違ったかもしれないが、妻と出会い、末を誓った後に知らされたから、どうにもならなかった。妻は、その時にはもう自分なしには生きられない環境にいた。妹は何不自由なく暮らしていたし、結婚適齢期も大分先なのだから、親の言い付けなど放って自由に生きたらいいと思った。それなのに、妹は諦めなかった。妹は、師匠の母に心酔しているなんて馬鹿げた理由で、いつまでも諦めなかったのだ。
妹相手に、無体は働けない。単純に兄としてというのもあるが、妹の方が賢い上に、身体能力も高くて、何をしても勝てないし、逃げることもできなかった。事あるごとに、いつも追い詰められて、死ぬような思いをさせられたり、殺されたりしていた。そんな風にされていたら、妹だって怖い。結婚なんて考えられない。だから、妻がいなくなって、絶望したのだ。単純な喪失感も耐え難かったが、妹から守ってくれた妻がいなくなっては、未来に希望はない。
程度の違いはあるかもしれないが、パドマにとって、自分は妹のような存在なのかと思って、師匠は震えた。
「申し訳御座いませんでした」
そう言って、また後ろに戻り、荷物の1つになった。今度は頭まで毛布を被り、存在を消すよう努めた。パドマの側を離れたくはないが、師匠が妹にして欲しかったことをしなくてはならない。
レイラーニはそんな師匠を見て、眠くなっちゃったのかな、と放っておくことにした。自分もお腹が満たされて眠いから、その気持ちはわかる。
串焼きの村を出て、次に見つけた町で宿をとることになった。町に宿屋はなかったので、師匠があれがいいと言った家に泊まることになった。この町の中では、一番裕福そうな家である。小さい家に行っても3人も寝る場所がないかもしれないから、間違った判断ではない。師匠が顔を出し、家人に許可を取ったから、カイレンは馬を馬車から外して、休ませた。師匠にかかれば宿泊も断られないし、馬も逃げない。天性の美貌に魅了魔法を掛け合わせて、好き放題やっているのだ。
「パドマー。そろそろ起きなよ。宿が決まったよ。起きないなら、お兄さんが抱っこで運んじゃうよ。大変だよ」
レイラーニは、キウイを食べている途中で、転がって寝始めた。以来、ずっと寝ている。師匠も寄り付かなかったし、カイレンに優しい道行だった。だが、そろそろ夕飯の時間だ。起こさないと、後で除け者にしたと怒り出すかもしれない。
何を言っても突いても起きる気配がなかったので、カイレンは嘆息をして、レイラーニを抱き上げた。
「起きないパドマが悪いんだよ。しょうがないよね。怒らないでね」
と言い訳する口が、によによと笑っている。握手すら嫌がる想い人とのふれあいに、喜んでいるのだ。そのまま借りた部屋に行こうとすると、師匠が出てきて、ドアを開けた。
「ありがと」
とカイレンが通り過ぎようとすると、師匠はレイラーニを奪い取った。
「なっ」
カイレンはレイラーニを奪い返そうとしたが、避けられた。レイラーニを傷付けたくないから、全力を出せないカイレンの方が分が悪い。
「お前は、パドマだけでなく、フェリシティまで殺す気ですか? そんなことは、絶対に許さない!」
カイレンは師匠が何を言っているのかわからなかったが、師匠が本気で怒っているのはわかったし、ヤキモチなんて言葉では言い表せない必死さが出ていた。
カイレンが動きを止めると、師匠はレイラーニを抱いてうずくまった。そして、蝋板に何かを書き付け、カイレンに渡した。
『フェリシティは、魔力切れで死にかけている。私の魔力で、繋ぎ止める。私の意識がなくなっても、フェリシティにふれるな。お前がフェリシティの魔力を奪っている。さわれば死ぬと思え』
次回、パドマの死因。