327.しもやけた
そろそろ春も近いのに、フェーリシティに雪が降った。アーデルバードも近い。同じくらい降っているだろう。それ程積もっていないが、馬車を走らせるのは危ないから、今日は誰も仕事に来ない。レイラーニは1人だ。
しんしんと静かに降る雪を窓辺で見ていても、寒いだけで面白くない。レイラーニは外に出た。
アーデルバードは温暖な地域なのか、滅多に雪は降らない。雨もそう降らないが、雪は年に一度も降らない。今までは、天気がどうであろうとダンジョンに行く生活をしていたから、どうでも良かった。だが、こうなってしまうと、レイラーニは暇だった。
南のダンジョンは、アーデルバードのダンジョンに似ている。だから、遊びに行ってもいいのだが、自分がダンジョンマスターだから、なんでもできてしまうし、そもそも難易度の高いモンスターもいない。買取をしてくれる店もないし、面白くなかった。
暇だから、拾ってきたカニを焼いてみたが、カラが割れなかった。割ろうと思えば割れるが、手が痛いし、魔法を使ったら弾け飛んだ。あっという間に飽きた。
外に出たら、寒かった。雪は冷たかった。だが、誰も歩いていないから、キレイな雪は沢山あった。レイラーニは、小さい雪像をつくることにした。
スズメ、フクロウ、ペンギン、サシバ、カンムリクマタカ、ヒクイドリ。レイラーニの友だちになってくれそうな羽仲間を作っていく。それらしい大きさに雪を丸め、目の部分に石をくっつけたりするだけだ。何か違うと、頭に葉っぱを突き刺しても、何かが違う気がする。ヒクイドリは足代わりに突き刺した枝が上手くいかず、倒れて割れた。
「まだ首の枝も選んでないのに」
レイラーニがショックを受けていたら、笑い声が聞こえた。師匠だった。レイラーニは、馬車がなくても、簡単に行き来ができる人間の存在を忘れていた。
レイラーニがギッと睨むと、師匠の腰が引けた。
「いや、そのどうにもならない造形力を笑ったのではありませんよ。雪遊びをしているのが、可愛らしいと思っただけで」
「どうにもならなくて悪かったな! 初めてやったんだから、しょうがないでしょ。上手いか下手かも、今知ったところだよ」
レイラーニは睨み付けながら吐き捨てるように言うと、ふんっと顔を逸らした。出会い頭でご機嫌を氷点下まで落としてしまった師匠は、慌ててゴマスリを始めた。
「は、初めてなら、もっと簡単なモチーフを選ばないといけません。いきなり難易度が高いものを作ろうとするから、そんなことになるのです。ほら、ここを丸くして、お耳を付けたらキヌゲネズミ。クチバシとフリッパーを付けたら、ペンギンさん。お耳がまぁるいタヌキさん。尻尾がシマシマタレ目のレッサーパンダ。重心の低い黄色いクマさん。白いですが。うん、ちょっと直したら見違えましたから、筋は悪くないですよ」
師匠は、レイラーニの雪像をちょちょいと触って、本物そっくりの雪像を作り上げた。かなり雑な手捌きで、目も口も作り込んでいないが、ハツカネズミでもモルモットでもなく、キヌゲネズミに見える出来だった。レイラーニは、へそを曲げた。
「キヌゲネズミなんて作ってないし! 出来る男なんて嫌いだ! 帰れ!!」
「な、今来たところですよ。遊びに行きたい、風邪を引くからダメだという兄妹ゲンカに巻き込まれ、やっと結論が出て、こちらに来たところなのに?」
「いて欲しかった瞬間にいなかった時点で、もういらないの」
「申し訳御座いません。求められていたのに、気付けませんでした」
師匠は訳もわからず怒られて戸惑っていたが、寂しさの裏返しかと思って、照れた。寒さにやられた冬の赤ほっぺが可愛いと思っていたところに可愛い仕草まで追加され、レイラーニは目を逸らせた。
「カニをむいたら、手が痛くなっちゃってさ」
「、、、そんなものは、私の影にやらせればいいのでは」
とうとうレイラーニが師匠なしにはいられないようになったと喜んだら、いつも通りのただの小間使いだった。そんな用件なら、師匠でなくとも事足りる。師匠のテンションは一気に下がった。
「ダメだよ。師匠さんたちは酒造りが忙しいし、お兄ちゃんたちはパドマのおもちゃを作ってるし、そんなつまらない用事で呼べないよ」
「カニをむくのなんて、すぐに終わりますよね? なんで、そんなところにこだわりを?! いつから雪遊びをしていたのですか。それとも、これはカニの仕業ですか。治療をしますよ。それとも、風呂が先ですか」
師匠は、レイラーニの手を見て驚いた。真っ赤に腫れ上がっている上、切り傷もあった。沢山ある雪像の一部の目が赤いのは赤い実ではなかったのかと、震えた。
「別にいいよ。ダンジョンマスターは風邪なんて引かないでしょ」
「引く時は引きますよ。何の我慢大会をしているのですか。いい場所を作りましたから、治るまで静養させますよ!」
師匠がレイラーニを抱き上げると、モンスター師匠が現れて、師匠からレイラーニを強奪して蹴り飛ばした。モンスター師匠の靴から刃が生えていた。師匠はその対処に盾を出したから、完全にレイラーニを奪われた。次々と新しくモンスター師匠が現れて、師匠の周りを取り囲んだ。
「酒造りは、どうなったのですか?」
「全量芋仕込みの酒に挑戦中なのですが、どうにも上手くいかず、困っています。ご意見を頂けないでしょうか」
「私と貴方たちの知識は、同量同質です。見え透いたウソはおやめください」
師匠たちが争いを始めて、またレイラーニは取り残されてしまった。1人寂しく師匠たちの見苦しい言い合いを見ていたら、南の城門の通用口が開いたのが、目に入った。見慣れた顔が覗いた。レイラーニは喜んで、その胸に飛び込んでいった。
「いらっしゃい」
真珠拾いの皆(セスを除く)が、フェーリシティに徒歩で遊びに来てくれたのだ。喜んだレイラーニは、師匠の言ういいところに皆で遊びに行くことにした。遊びに行く前に治療だと怒られたが、レイラーニは気にしない。いいところに連れて行ってくれないなら、治ってもまたケガしてやると宣言して、移動を優先した。「早く治療するために、希望に添いましょう」というギデオンの提案に、皆が渋々従って、移動した先には、宿泊施設があった。
師匠が作ったのは、一棟貸しの温泉付き貸し別荘だ。数棟あるが、距離が離れているのと、周囲に植えた木々のおかげでお互いの存在は知れない。それぞれの建物にシェフやメイドを付ける予定でいたのだが、ちょうどいいと、モンスター師匠を採用した。
ああああ、レイラーニと2人、またはパドマと3人で遊びに来る予定だったのに! と腐る師匠に先導させて、建物の前までやってきた。新しい建物なのに、周囲の植栽に溶け込んだ不思議な建築様式の建物で、レイラーニは息を飲んだ。木で作って、木がむき出しになっている建物を初めて見たのだ。これ大丈夫? 壊れない?? とても心配になった。
中身はもっと心配なつくりだった。草を編んだ床に土の壁、紙のドアでできている。立っているだけで床が抜けないか不安だし、ドアは触っただけで壊れそうだと思った。開け閉めする自信がない。
誰も手をぱんぱんに腫らしているレイラーニにドアの開閉をさせようとはしないが、レイラーニはずっとヤバい家に来たと思っていた。
だが、不思議と建物の中は暖かかった。師匠の島の家と同様に一部壁がないのに、不思議なものである。風も吹き込んで来ないし、床もぽかぽかと温かい。レイラーニは気に入って、玄関先で座っていたら、師匠に部屋の中に連れて行かれ、モンスター師匠に手を洗われた。ぬるま湯で洗われたので、気を遣ってもらえたのだと思うが、レイラーニは痛くて絶叫を上げた。師匠の特製薬で切り傷はすぐに回復したが、レイラーニが今困っているのは、それではなかった。
「早急に、お風呂に入って温まりついでに手以外に異常がないか、確認して来て下さい」
「お風呂? この手で? 無理だよ」
「それは、私に風呂に入れて欲しいという、おねだりですね」
「違うよ。それは、最終手段だよ。羽根が大変なことになるんだよ」
「口付けのおねだりですね」
「違うってば」
「風呂の介助は、妹に頼めばよろしいでしょう。当宿自慢の風呂場を、入らなくても良いので見てきてください。きっと気に入りますよ」
「ここで魔法を使ってもいいの?」
「管理下には置いていませんが、支配下にはおいています。問題ありませんよ」
「そうなんだ。じゃあ、行ってくるね」
レイラーニは、護衛気分でいるギデオンに送ってもらって、厨房で何かを作っている皆にも声をかけて、風呂場に行った。脱衣所に着くと、お手伝いさんを呼ぶから大丈夫とギデオンを部屋に帰し、モンスターパドマを呼んだ。モンスターパドマは、すぐに現れた。
「お姉様、呼んだ?」
「うーん。やっぱり全部違うんだよなぁ」
会う度に口調を修正していたのだが、どうしたことか、どんどん本物からかけ離れていく。本物は、年の割には落ち着いているのだが、こちらはかなり軽い。ベースが悪いと言われているみたいだから、直したいのに直せなくて、レイラーニはイガイガしている。
「まぁ、いいや。そこのドアを開けてくれる?」
レイラーニは、師匠自慢の風呂を見学することにした。浴室も全面木で作られていた。1度に10人は入れそうなほどに、洗い場も浴槽も広い。だが、師匠が言っただろう自慢はそれではない。
モンスターパドマにドアを開けてもらうと、風呂場も一部の壁がなかった。雪の葉を茂らせた美しい木立が一望できる。壁はないが、他の部屋から覗けるということもないだろう。師匠の家の風呂に入っている時に、周囲が竹壁で風情がないと言ったのを覚えていてくれたのかもしれない。
レイラーニは、湯船と窓の隙間にある細い通路ではないだろう通路を通ってみた。窓ガラスがあるべき場所を触ると、何の手応えもなく手が通り抜けた。
「さむ!」
慌てて手を引っ込めると、暖かな湯煙の空気に包まれた。
「なんてバカなものを!」
いにしえの魔法使いが発明したガラスを使えば、窓は光を通す。だが、景色は美しく見えない。だから、師匠はダンジョンの階段と部屋を仕切るモンスターを外に出さないための魔法の透明壁をこの家の窓に採用したのだ。防犯システムがどうなっているのか恐ろしいが、そこまでして視界のクリアさにこだわったのだろう。壁がないのに温かい理由はわかった。
もうしょうがないなぁと、レイラーニはパドマとお風呂に入った。風邪を引きそうなくらい浴槽のお湯はぬるかったが、不思議と身体はポカポカとした。
レイラーニは、半べそをかいて、風呂から出てきた。パドマが用意した着替えが、ホットパンツだったのである。ダンジョンマスター権限を振りかざした上で、長い靴下しか出してもらえなかった。
その上、羽根がびしょぬれで、拭いてもやっぱり乾かなかった。自分の髪の毛も乾かせないヘタレなレイラーニだからいけないのだと思ったが、パドマの手を借りても乾かなくて、いつまでも脱衣所にいるのが寂しかったから、出てきてしまったのだ。師匠の趣味で用意したモコモコパジャマは、羽根の水分量に負けて無惨にぬれていた。
レイラーニに相談された師匠は、羽根は撥水するよね、と思っていたのだが、見事にずぶ濡れになっていた。身体をふるわせて水を飛ばす機能がないからかもしれないし、羽根を畳んだ上で下羽根が外気に晒されている所為かもしれない。モンスター師匠たちと協力して頭と羽根をタオルドライしつつ、魔法で温風を当ててみたが、なかなか乾かない。髪も異常に乾かない髪質だが、羽根はそれ以上の強敵だった。
「この際ですから、誰でもいいから口付けしてくれませんか」
世話好きの師匠が、想い人をどこかの男との口付けを許したくなるくらいに、羽根が乾かなかった。髪ならば多少乱雑に扱われても何も言わないレイラーニだが、羽を逆立てると怒るのだ。羽根のない師匠は、それがどの程度嫌なことなのかがわからないし、羽の下にタオルを入れられなければ、乾かないのも当然だった。だから、匙を投げたのだが、モンスター師匠は、甲斐甲斐しくレイラーニの言い付けを守って拭いていた。師匠は、より面白くなくなった。
「手以外に異常はありませんでしたか」
「ん? ああ、足の指も似た感じになってた。だから、すっごい靴下が不愉快」
「だったら履かねばいいでしょう」
師匠は、レイラーニの靴下に手を伸ばしたから、ギデオンが殴り飛ばした。幸いにも窓ガラスがなかったので、建物に損傷はなかった。
羽根が半乾きになったので、レイラーニは着替えに行った。結局、またモンスターパドマは同じ服しか用意してくれなかったが、モンスター師匠がレッグウォーマーを編んでくれたから、靴下をそれに取り換えた。長くしてねとお願いして、足が全部隠れるようになったから、レイラーニは満足した。
モンスター師匠は、患部にクリームを塗った後、締め付けのゆるい手袋と足袋をかぶせ、レイラーニを転がして、全身のマッサージをした。
そんなことをしていたら、綺羅星ペンギンチームがハジカミイオフルコースで吸い物、煮凝り、茶碗蒸し、焼き物、唐揚げと牡蠣とチヌイの土手鍋、サングリアをテーブルに並べて、モンスター師匠チームがカニフルコースでコンソメスープ、アボガドのタルタル、ビスクロワイヤル、グリエ、タイルフィッシュのスフレ、テリーヌのチーズかけとムフロンのステーキ、みかん酒を並べた。
「お兄ちゃんが、会ってみたいって言ってたぞ」
ハジカミイオは美味しいが、美味しく食べる下処理の方法は、一般には出回っていない。これを準備したのはヴァーノンだぞ、とハワードに示されて、レイラーニは苦笑した。
「うん。キスしたい人ができたら、遊びに行くよ」
「キスは関係ないな?」
「ハワードちゃんが言ったんだよ。この羽根が目立つって。どこかの変態が、キスしたらなくなるようにしてくれたから、しないとアーデルバードの門をくぐれないんだ。迂闊に近付くと、フェーリシティに移住したいって人に追いかけられるんでしょ?」
「我らがお守り致します」
「うん。ギデオンは信頼できるけどね、ケガ人も出したくないからさ」
「難しい話は、乾杯の後に致しましょう」
「そうだね。飲もうのもう!」
レイラーニは昔を思い出して、楽しく酒盛りをした。飲めば酔っ払い風味に変わるのは以前と同様なので、体質が変わったことは誰にも気付かれなかった。手足が腫れているのを言い訳に、自力で歩かないし、フォークも持たなかったからかもしれないが。
そのまま連泊で酒盛りを楽しんでいるうちに、手足の腫れも幾らか引いたので、馬車を仕立てて、皆を送り返すことにした。レイラーニも、荷馬車の荷物に隠れてついていく。御者は、ヘクターである。御者初体験だそうだが、ゲームで負けたのだから、仕方がない。
「あーあ、みんな帰っちゃうとか、つまんないな」
「俺たちゃ、いつまでいても良かったのに、帰れっつったの、レイラーニだろ」
「だって、皆は、パドマに必要な人材だから、引っこ抜けないもん」
「わたしたちは、人数が多いことだけが取り柄です。我ら4人が抜けても、誰も困らないどころか、グラントは助かると思いますよ」
「だーめ。皆だけは、ダメなの。寂しくなっちゃうから」
「そうは言っても、姐さんは、お兄ちゃんしか見てねぇぞ? お兄ちゃんがいないレイラーニの方が、大変だろ?」
「ウチは、もう大人だからいいの」
そんなことを言いつつ、レイラーニはギデオンの腕とルイのマフラーをつかんで離さない。重症だと皆が思っている。
「信頼されているのは、有り難いことです」
ギデオンは、身動きできないまま馬車に揺られて、身体が痛かった。
アーデルバードについたら、レイラーニはカイレンに誘拐された。師匠は置いてきたので、誰にも対抗できなかった。
慌てて追いかけたものの、振り切られ、次に見たレイラーニは羽根がなくなっていた。怒っている形跡もなかった。全綺羅星ペンギン従業員が震えた。
次回、レイラーニとアデルバード