324.繋がらない想い
師匠は、アーデルバードのダンジョンに行き、特大マグロを発生させて仕留め、レイラーニのもとに戻ってきた。食べ物があれば、レイラーニはダンジョンから師匠を追い出さない。
師匠は直様厨房へ行き、マグロをかっさばき、大トロ中トロ赤身中落ちと刺身を盛り付けて、梅酒とともにレイラーニの前に出した。レイラーニは食べたがっていたマグロではなく、酒にときめいていた。とろりと輝く黄金色の液体に、瞳を釘付けにしている。師匠は、酒を瓶ごと提供し、漬けや西京漬け粕漬け生姜焼きを仕込んだ。
マグロには辛口の酒が合うらしいとは、飲めない師匠も聞き知ってはいるが、パドマは甘い飲み物を好む。だから、梅酒もあえての甘口を提供したのだが、レイラーニにヒットしたらしい。嬉しそうに、グラスを揺らしている。
「蒸留酒ができたら、これを作る予定です」
師匠がそう言うと、ふにゃあぁあと、謎の悲鳴を上げて、レイラーニは倒れた。
「どうなさいましたか?」
師匠がびくびくと逃げ腰で訊ねると、モンスターヴァーノンに起こされたレイラーニは、笑っていた。
「貴様、やりやがったな。やりやがったな?」
「何もしていません」
何を責められているのか、心当たりのない師匠は、ふるふると首を振って否定するのに、レイラーニは師匠の胸ぐらを掴んで締め上げた。師匠は、包丁を持っている上に、火のそばにいる。殺されても構わないが、レイラーニを傷付けたくないから逃げるのに、レイラーニは瞬間移動で迫ってくるから、逃げ切れなかった。
「この身体、酒に弱いじゃんか!」
師匠は、ぱちーんと頬を平手打ちされた。まったく痛くはないが、怒られているのか喜んでいるのかわからないレイラーニの様子に戸惑いを隠せない。
レイラーニのハイテンションは、いつもの酒を飲んだパドマとそう変わらないから、師匠には違いがわからないが、酒に弱いらしい。
「先日も、酒盛りをしてましたよね」
「皆と一緒だから、楽しくて仕方がないんだと思ってたんだよ」
ふふーと笑いながら、今度はレイラーニが師匠に抱きついてきた。まったく予期していない展開になったが、師匠にとっては嬉しいハプニングである。包丁さえなければ力一杯抱きしめ返したいところだが、それをすれば流石に嫌われるかもしれないので、手を上げて耐え忍んだ。火から守る名目で片手はレイラーニに触れているが、今のところは気付かれていないのか、嫌がられていない。
「すみません。そんなことになるとは思いませんでした」
「一度、本物の酔っ払いになってみたかったんだよ。でかした! この身体に生まれて良かった」
パドマは喜んでいるようだが、師匠は違いがわからなかった。顔色は変わらないし、呂律も回っている。むしろ、酔っていないパドマの方がへべれけになっていたので、違いに気付くのは難しい。
「ええと、酒に強い身体に改造する必要はないのですね」
「うん。師匠さん、これ焼いて」
レイラーニは、師匠がしこんだばかりの漬けを狙っていた。
「ダメですよ。まだ下味をつけ始めたところですよ? アボカドサラダに卵黄を追加してあげますから、こちらを食べて下さい」
「だから、いっつも言ってるけど、そんなことしてたら、腐るから。勿体ないから、早く食べた方が良いんだよ」
レイラーニは、ネギトロサラダを受け取って食べ、「うまとろ!」と気に入ったが、まだ漬けを食べるのを諦めてはいない。
「腐りません。私は料理の神ですから。魔法で食材を保管するのは、造作もありません」
師匠は残念そうな顔で、生姜焼きを焼き始めた。
「この世界には、7柱の神龍がいます。魔法の力を持つ精霊を束ねる王様のような存在です。地龍水龍火龍風龍光龍闇龍無龍の7柱です。私は、それから外れたよくわからない神龍になりました。パドマは闇龍に会ったことがありますし、水龍と火龍は倒したことがあります。養父に水龍を始末され、暫定的に継がせたペットの魚と、後継育成待ちの死にかけ老龍でしたが、倒したことに違いはありません。神龍を倒すと、倒した者に精霊が従うので、神龍を受け継ぐことになります。ですから、パドマは一時期ニ龍だったのですが、今はバカ弟子がニ龍になっています。何があったのですか?」
師匠は、生姜焼きを皿に盛り、レイラーニに差し出しながら目を真っ直ぐに見つめた。レイラーニは、師匠の可愛い顔に動揺して、更に話の内容を考えて、赤面した。確かに死んでいるのだから、パドマはカイレンに倒されていた。
だが、そんな話はできない。戦って負けた話ならできるが、そんなことはしていない。笑い話にできるほど昔話でもないし、師匠はパドマの想い人であり、カイレンの兄だ。だから、絶対に言いたくない。
「師匠さんが悪いんじゃん! ことあるごとに、イレさんと結婚させようとして。もう放っておいてよ。あの子は、そのうちイレさんと結婚するよ。ウチだって、イレさん以外は無理になっちゃったって、わかってるよ。もう何も言わないで。聞きたくないの」
レイラーニが頬を紅潮させて、瞳を潤ませて、師匠から目を逸らした。師匠は、固まった。レイラーニが可愛い。カイレンについて考えているレイラーニが可愛いのは、許せない。
「バカ弟子の何がいいのですか。あんな男と一緒になっても、幸せにはなれませんよ」
師匠は瞳孔を開かせ、掠れた声で、なんとか言い切った。レイラーニもカイレンも、この世の全てを引き裂いてやりたい気持ちを抑えている。師匠にとって大切な2人だ。愛しい人と、師匠を殺し尽くしてくれる男。どちらも失えないのに、どちらも気に入らない。
「いいも悪いも、師匠さんが結婚しろって言ったんだよ。イレさんは話も通じないし、約束も全部忘れちゃうし、困ったところだらけだよ。だけど、しょうがないよね。もうイレさんくらいしか、ウチのことなんて相手にしてくれないから」
レイラーニは、逸らした目を吊り上げて、師匠を睨んだ。あの時、覚悟を決めたのは、師匠の遺言の所為だ。それで死んで、ダンジョンマスターにさせられるという意味のわからない状況になっているのも、師匠の仕業である。師匠だけには、文句を言われたくないし、レイラーニが不満をぶつける立場だと常々思っていた。酒の力も借りているのに、黙ってはいられない。
不満をぶつけられた師匠は安堵した。レイラーニがカイレンに惚れていないなら、どうでもいい。
「貴女のことを好きになる男がいないと、諦めているだけでしたか。それならば、心配いりません。パドマのことを好きな男は、星の数ほどいますよ。沢山いすぎて、いらないくらいです」
「そんなの、いくらいたってダメなの。もうウチが、イレさんじゃなきゃダメなの」
「わかりました。カイレンを殺しましょう。そうしてニ龍を取り戻せばいい。あれに与えておいても、龍の力は使えませんから。そうすれば、元通りですよ」
師匠は、にっこりと笑った。レイラーニと幸せな家庭を築いたら、死ぬ必要はなくなる。事故がなければ、レイラーニは、半永久に生かすことができる。事故があれば、復活させるまでだ。そうなると、カイレンはいらない。大切な弟だったが、千年生きれば大概寿命は尽きるものだ。諦めることはできる。
「元通り? そっか、そうだね。子どもに戻ったり、ダンジョンマスターになったりしてるから、身体は。そっか。だから、お兄ちゃんは、小さくしたのかな。でもな、あんなくそ恥ずかしいの、やっぱりイレさんくらいしか、無理じゃない? うん。だから、いいよ。イレさんで。師匠さんの弟だし、イケメンで金持ちで騙されやすいんだから、まぁ、いい男だよ。好きにならなくていいって言うんだから、問題ないよ。あの子がイレさんと結婚すれば、皆が丸く収まるんだから、大丈夫」
「私は、収まりません!」
「うるさいな! 元を糺せば全部師匠さんの所為だよ。師匠さんは一生、マグロを焼いていればいい!!」
師匠は、転移魔法で外に追い出されてしまった。マグロを焼くのは、モンスター師匠の仕事なのだろうか。
「味噌漬けは、3日は漬けて下さいね!」
師匠はダンジョンに向けて叫んだが、返事はなかった。
言わずとも、モンスター師匠はわかると思うが、レイラーニの命令をどの程度受け付けるのかが、わからなかった。レイラーニが命令すれば絶対服従なのに、モンスターヴァーノンもモンスター師匠も、割と勝手に動いていた。
師匠は、いいな、羨ましいなと自分の影を羨みながら、北西のダンジョンに向かった。
次回、コットンリンターの隠れ蓑と、羽根を消す魔法。