32.ハジカミイオ
そんな方法で良いのかどうかは意見が分かれるところだろうが、18階層を自力で抜けることができるようになった。パドマは、大きな顔で階段を下った。そして後悔した。いつか同じ感想を抱いた記憶が蘇る。
「ダンジョンマスターとは、一生分かり合える気がしない!」
反射的に後ろを向いて、うずくまって泣いた。
「あれもダメなんだ。でも、ここは目隠しで通り抜けるのは、オススメしないよ。もしかしたら、パドマならいけるのかもしれないと、思わないでもないけどさ」
19階層に下ると、パドマと変わらないくらいの大きさのトカゲらしきものがウロウロと歩いていた。赤や黄色や青、黒、白など、色とりどりのトカゲが、ぬらぬらと光っている。形だけならば、10階層の火蜥蜴と大差はない。だから、何がパドマを嫌がらせているのか、イレにはまったくわからなかった。
「あれは、ハジカミイオだよ。歯と爪に注意かな。お兄さんは、踏ん付けて通るだけだけど。じゃあ、お先。師匠、よろしくね〜」
イレは宣言通り、踏みつけながら先に進んで行った。
パドマのダンジョンルールは、自力で行ける場所にしか行かない、である。何らかの理由で、帰れなくなったら困るからだ。
クマを連れてきたり、師匠にお願いすれば、簡単に通れるだろうが、通ったら通ったで、また20階層で嫌な生き物に出会うだけなら、意味がない。アシナシシリーズのように、今後も続くのであれば、どこかで慣れなくてはいけない。大嫌いだったミミズトカゲは、どうやって克服したのだろうか。日々あれこれありすぎて、パドマは思い出せなかった。
「師匠さん、あれ、ウチでも倒せると思う?」
師匠を見ると、今まで見た師匠史上最大級に輝いていた。最近の師匠は、外にいる間は、瞳を潤ませて頬を染めて、うっとりとイレを見つめていたものだが、それとは比較にならないくらいに、可愛かった。喜びを弾けさせている。目からビームを飛ばしそうな熱量を感じる。話しかけているのに、まったくこちらを見ずに、ハジカミイオに釘付けになっている。
「ああ、あれもおやつなのか」
ミミズは大変美味であった。近頃では、パドマも自分で薄く輪切りにして、火蜥蜴で炙って食べるくらいである。もう師匠のゲテモノ食いの偏見は、以前ほどではない。
そこまで考えて、また気分が悪くなった。ミミズトカゲとアシナシイモリは、形が似ている。脳内再生映像にすると、サイズの違いもなくなる。ほぼ同じ物だ。あまり詳細を思い浮かべてはいけない。
パドマは、ため息をひとつ漏らすと、剣を引き抜きフロアに降りた。
ハジカミイオは、パドマを見つけると、のそのそと歩き近寄ってきた。最寄りのハジカミイオは、口を開けている。スピードこそ大したことがないが、アゴの力が強いかどうかは、わからない。足を犠牲にして確かめる訳にはいかなかった。
「ハジカミイオは、火蜥蜴の仲間!」
掛け声とともに手近にいた赤い個体を切ってみると、何ごともなく、あっさりと切れた。拍子抜けである。このダンジョンは、深階に向けて段々と敵が強くなるような決まりは、特にない。18階層と同じく、弱い部類の敵なのかもしれないな、と思ったところで、様子が変わった。
黒目がちな目が、刺し貫くように全てパドマに向けられた。そうパドマが思った瞬間、ハジカミイオは、飛んできたと錯覚するような速さで、パドマを取り囲み、噛みつき始めた。剣で払って、フライパンで殴り飛ばしてと応戦したが、どうにも払いきれない。切り捨てたハズなのに、終わらなかった。
師匠を振り返ってみると、まだハジカミイオに見惚れているようだ。両の手のひらを口に当てて、悶えている。役に立たないのか、まだ自分は危険ではないのか、判断がつかない。
師匠を見た視界の端に、気味の悪い物体を見つけた。少し前にパドマが切った黒いハジカミイオが、左右にぐらぐらと動いていた。浅く切りつけた個体ではなかった。胴の下の方で真っ二つに切れているのに、動いていた。切ったばかりの最後のあがきではない。絶命してしかるべきだと思うのに、切り口のところから新しい頭が生え始めていた。とても生々しく、目を逸らしたい状態の個体が、そこら中に転がっていることに気付いた。なんとなく増えているような気はしていたが、増える理由を確認した。半分に切ると2匹に、もう1ヶ所斬ると、3匹に増えるらしい。
切ってはいけない相手かと、切るのはやめたが、それはそれで、倒せる気がしなかった。足で頭を踏みつけても何も変わらないし、フライパンで殴りつけても数秒動きが止まる程度で復活する。何をどうしたらいいのだろう。
途方に暮れ始めたところで、師匠が飛び出してきた。師匠は、両手に幅広剣を生やして、片っ端からハジカミイオを斬り飛ばし始めた。
「ちょっ、ダメだよ。やめてよ。見てなかったの? 増えちゃうよ!」
動いていた個体は、全て師匠に斬られてしまった。攻めたてられていたパドマは、ある意味では助かったのだが、部屋の中は大変グロテスクな状況になっている。切り刻まれた肉塊は、それぞれピクピクと動きながら、欠損部分を復活させていた。
パドマは、階段に撤退したが、師匠はまだハジカミイオを斬りつけている。ひょっとしたら、何匹か増やした後に斬れば倒せるのか。ある一定サイズ以下に小さく斬れば倒せるのか、と見学していたら、師匠は、首後ろから、大太刀を引っ張り出した。師匠の身の丈よりは多少短く見えるが、どう考えても服の中に収まりきるとは思われない長さの太刀だった。あれを仕込んでいるから、姿勢が良かったのか、と思う一方で、あんな物を差していたら、イスに座れるハズもない、と気付いた。
「そんなの、どうやって入れてたんだよ。絶対、嘘だ!」
師匠のやることに、いちいち何かを言うだけ無駄だとわかっているつもりだったのに、つい口から出てしまった。師匠は、こちらを向くこともなく、鞘を抜いて、鞘をまた背中に収納した。
最初に斬られた個体は、大体、元の形に近付いていた。完全復活したら、また襲いかかってくるだろう。しかし、師匠は、それを待たずに大太刀で、次々と頭を串刺しにした。
1本出てきただけでおかしかった大太刀は、更に増えて、ハジカミイオの串刺しは4本仕上がった。師匠は、とても上機嫌で、パドマを放置して帰り始めたので、パドマも後ろを追いかけて帰った。
いつもだったら、イレの家の庭に放り投げて、イレの帰りを待つところなのに、師匠はまっすぐ唄う黄熊亭に行き、マスターにハジカミイオを押し付けた。
マスターは抵抗するのを放棄して、すんなり受け取ってくれたので、更に師匠は、木切れをフトコロから引っ張りだして、押し付けた。マスターに聞いたところ、ハジカミイオの師匠好みのレシピが書かれているらしい。
師匠は、文字が書けない。そんな物まで用意していたということは、パドマに何が起ころうと、ハジカミイオのお持ち帰りだけは決まっていたのだろう。思えば師匠は、ミミズからスタートし、ずっと食い気一辺倒だった気もする。
師匠は、パドマの師匠ではないし、保護者でもないのだから、問題行動とは言えない。いつの間にか、それに不満を覚えるようになったパドマの方がおかしいのである。
その後、イレの家で風呂に入ったら、路面店でおやつを購入し、唄う黄熊亭に戻った。パドマがいるから、中に入れないことはない。しかし、まだ開店前である。
普段の開店準備だけでも終わらない時間であるのに、さっき急に増やされたハジカミイオの仕込みまであるのだから、マスターはとても忙しい。
手伝いを申し出てみたが、師匠を見ていて欲しいと言われた。普段から手伝っている訳でもないパドマは邪魔になるだけなのかと思い、大人しく引いた。師匠を席に座らせて、一緒におやつを食べることにした。今日のおやつは、スイートポテトだ。
以前、師匠と一緒に作ったスイートポテトは、黄色だったが、今日買ったお店のスイートポテトは、カラフルである。前に作ったのとは、芋の種類が違ったり、お茶や果物が練り込まれているそうだ。師匠が一目惚れして、布袋いっぱい買ってきた。2人で食べ切れるだろうか。
師匠は、恋する乙女のような顔を、ずっとマスターに向けている。十中八九、ハジカミイオを想っているのだろうが、他の人に見られて誤解されないといいな、と思う。開店前に食べさせないといけないような気がした。
「あ、これ、うま」
パドマは、茶色の紅茶入りのスイートポテトを次々食べた。好みが師匠とかぶるといけないので、師匠の手元を確認すると、黄色いノーマルのスイートポテトばかり食べていた。
色付きだから買ってきたのだと思っていたので、なんでだよ、と思ったが、意味がわからないのはいつものことなので、スルーした。
パドマと同じく、マスターも師匠の顔に危機感を覚えていたのかもしれない。開店前に、ハジカミイオ料理が出てきた。他の料理は、もう少し時間がかかるから待って欲しい、とマスターが置いていったのは、刺身と謎の赤い液体だった。元を知っているパドマは、食べる気にはなれなくて、刺身を2皿とも師匠の前に並べて、カップを手に取った。
顔に近付けてみると、日頃よく嗅ぐあの匂いの中に、果実水が潜んでいるように感じられた。飲み物なのだろうことを理解して、師匠の前にそっと置いた。師匠の分は既になくなっているので、もう一杯増えても困らないだろう。
お店が開店すると、一見客の常連さんになっている人たちが、なだれこんできた。この人たちは、どのタイミングで席に案内するお客様にしたらいいのだろう、というのが、パドマの最近の悩みの1つだ。酒や料理を楽しんで、そこそこのタイミングで帰ってくれる人ならいいのだが、師匠を眺めていつまでも帰らない人だと邪魔臭いし、邪魔臭い人より新参の人を座らせて邪魔臭い人に色々言われても、面倒臭い。開店早々で席はいくらでも空いていたが、全員立ち飲みスペースに案内した。
「新作料理が食べたい」
と口々に言われるのだが、そんな物はない。視線を辿れば、何を求められているかはわかるが、仕込みもロクに終わっていない物の注文をとる訳にもいかない。マスターが、可哀想すぎる。
困っていたら、師匠がこちらに歩いてきて、お客様の前で首を横に振ってみせた。手には、小魚の甘露煮と野菜の酢漬けの瓶を持っていた。それを1人ひとりの目前に突きつけ、それが食べたいな、と言わせていた。そんなことはしてはいけないと思うが、立ち飲み客は、ほぼ全員師匠目当ての客である。師匠との触れ合いに喜びを浮かべている人は、それでいいだろうと、パドマは皿とフォークを沢山持って来て、師匠に盛りつけを頼んで、客に配った。酒の注文は取るが、後は師匠任せにすることに決めた。マスターのハジカミイオ料理を中断させないためならば、師匠は何でもしてくれそうだ。絶対、自分じゃ食べないようなツマミを選んできたところからも、それが伺えた。沢山ある常備菜でも食ってやがれ、という副音声が、パドマにはしっかり聞こえた。
開店待ちをしていた客への品出しを終えたら、パドマはサスマタに引っ張られ、師匠と席をともにさせられた。串焼きと唐揚げが、テーブルに乗っていた。唐揚げは、揚げてあるのでわからないが、串焼きは、何種類かあるようだ。ハジカミイオは、部位によって肉質の違う生き物だったのか。それとも、内臓だろうか。一見客には羨まれているが、パドマはハジカミイオなんて食べたくない。
「お、早速、食べてるねー」
イレが横に座ったので、
「エールを持ってくるね」
と逃げようとしたが、サスマタは離してくれなかった。1度壊してしまったからか、最近のサスマタは金属製なので、逃げることはできなくなった。
そんなことをしている間に、どんどんハジカミイオ料理がテーブルに増えていく。野菜と煮た鍋料理まではいい。ゼリーやプリンにしか見えない物まで出てきたのが、恐ろしい。あのヌメヌメは、デザートにまで変貌するのか。お腹いっぱいだからフルーツだけでやめとく、という手もふさがれた。
師匠は、串焼きを持って、パドマを睨んでいる。あと数秒で、口に無理矢理放り込まれそうだ。
「イレさん、どれがオススメ?」
「今は、酒の方が好きだけど、子どもの頃は、茶碗蒸しとか、唐揚げが好きだったかなぁ」
と言いながら、イレは、パドマが拒否した赤い液体を飲んでいた。
「よく飲めるね。それ、血でしょう?」
「原液飲まされた子どもの時は、嫌いだったけど、これはブドウ酒割りだからね。問題ないよ。味がどうかって言うより、薬みたいな物だし」
「子どもの時から? 薬? 大丈夫なの?」
「お兄さんを育てたのは、師匠なんだよ。師匠は、自分の好物を優先的に弟子に分け与える優しい人だったんだ。元気になるから、飲めって。逃げると次は倍に増やされるから、有難く飲んでたよ」
「わかったよ。食べるよ。茶碗って、どれ?」
プリンだと思っていた物を前に置かれて、パドマは微妙な気持ちになったが、そのものズバリの肉を食べるよりは難易度が低いかもしれないと思い直した。プリンの中に、ハジカミイオの肉が潜んでいるのかと思うが、大体は卵である可能性もある。唐揚げよりは、ハジカミイオ率が低いに違いない。諦めて、匙ですくって食べてみた。
「!!」
「美味しいでしょう? 師匠は見てくれはどうあれ、不味い物は食わない」
匙ですくったのは、卵だけだったのに、異常な旨味を感じた。プリンの砂糖のように、何かが混ざっているのだろう。血の匂いはしないのに、何を混ぜたのか。肉が混ざっていないことは、食感でわかるのだが。
そのまま食べ進めると、白っぽいハジカミイオの肉ではないかと思われる物が出てきた。小さいから大丈夫と、恐るおそる口に入れた。
「これだ」
肉は混ざっていなかったのだが、さっきの卵の中に潜んでいたのと、同じ味がした。一緒に入れたことで、味がうつったのかもしれない。
鳥のような味でいて、白身魚のような食感だった。パドマの好きなカドに、舌触りがよく似ている。ふわふわと微笑む師匠に、負けた気がして腹が立った。
師匠の前に並んでいた串焼きを、片っ端から食べてやった。カドは、身が柔らかすぎて、串打ちなどできない。ハジカミイオは、口の中では同じように溶けるのに、身がしっかりとしていた。負けた気持ちになった。
満腹になって、もう食べれないと言うところで、パスタ粥が出てきた。もう食べれないのに、するっと胃袋に入った。ハジカミイオは、恐ろしいモンスターであった。
次回、武器屋との出会い