318.カイレンの成長
いつものように、小パドマをモンスターヴァーノンに預け、師匠が大パドマに会いに行くと、ダンジョンからレイラーニがいなくなっていた。
特に閉じ込めてはいないので、簡単に外に出れる。アーデルバードのダンジョンマスターが、街を散歩していることをレイラーニは知っている。だから、出て行ったのだろうが、昨日渡した弁当が手付かずで残っていた。食い意地の張ったレイラーニが手も付けないなんて、師匠弁当は飽きられてしまった可能性が高い。食べ物以外に釣るあてのない師匠は、蒼白になり打ち震えた。
レイラーニは帰って来ると、弁当が変わっていることに気付いた。
「しまった。昨日のごはんを食べるのを忘れた」
久しぶりにダンジョンに行って、ちょっと浮かれていたらしい。作ってもらったごはんを食べないなんて、最上級の犯罪を犯してしまった。命を使われたものたちにも、作ってくれた人々に対しても、申し訳ない行為である。師匠のごはんは美味しいが、やはり皆と食べる方が良かったのだ。だが、レイラーニは反省した。弁当も持って行って食べるべきだった。
「イレさん、ちょっと大変。ごはんに付き合って」
「いいけど、今、パドマと師匠はどういう関係なの?」
レイラーニは、カイレンを誘って食卓についた。3食分あるから、カイレンの分も賄える。1人が嫌なら、誰かを誘えばいいだけだ。アーデルバードとここは、馬車であれば余裕で半日で往復できる距離である。カイレンなら、すぐに帰れる。
「よくはわからない。1回死んで、ウチはいなくなったのに、気付いたら小さいウチの中にいたの。1人の中に2人がいるのは無理だったのかな。ウチの方が我が強いから、放っておいたら小さいウチが消えそうになったから、遠慮することにしたの。どう考えても、ウチの方が邪魔だから。あれは小さいウチの身体でしょ。
そしたら、師匠さんがこの器を用意して、ウチらを押し込んだの。身体が2つになって、それぞれの身体に2人とも入ってるの。こっちにも小さいウチがいるんだけど、嫌がって出て来ないから、ウチが動かしてるんだ。
で、イラっとしたから、師匠さんはダンジョンマスター権限でここから追い出してみたんだけど、ごはんを持ってきたから、ごはんだけ受け入れてたの。
ここはカニとエビしかいないし、暇だし、つまらないから、ごはんを食べてたの。昨日、やっと服を手に入れたから、外に出たんだけど、、、出るのが怖くなっちゃったよ」
レイラーニは、寂しそうに笑った。
1度死んだことは受け入れた。皆に再会できて、嬉しかったのも事実だが、自分だとはいえ、他の誰かを押し除けてまで生きようと思うほど、やりたいこともなかったのだ。だから、このままフェイドアウトしても構わなかった。急展開にレイラーニもついていけていない。
「そっか。また大きいパドマに会えて嬉しかったけど、パドマにとっては、嬉しいことでもなさそうだね」
「うん。ずっと悩んでたから。どうやって生きていったらいいんだろうって。ウチ、ずるいからさ。結婚するのは嫌で、だけど1人になるのが嫌で。なのに、大人になっちゃうし、釣書が来たって言われるし。師匠さんとお兄ちゃんに引導を渡されるし、イレさんがびっくりするようなこと言うし。しょうがないから覚悟を決めたら、死んじゃって。嫌だったけど、助かったんだ。なのに、小さくなって記憶が戻るし、イレさんでいいやって思ってたら、ダンジョンマスターになっちゃうし。もうついていけないの」
レイラーニは、本音を漏らした。カイレンにはどうせ理解できないだろうから、どうでもいいやと思っている。
「気持ちを押し付けて、ごめんね」
「別に、いいよ。もう。でも、次は100年待ってあげてね。あの子はまだ人間嫌いになってないし、格好良くて優しいイレさんを普通に好きになるかもしれないし、そんな長い時間はいらないかもしれないけど。そのうち、お兄ちゃんを卒業したら、イレさんのことを真剣に考えるから。あの身体にも、ウチの記憶があるからさ」
「うん。待つよ。あっちのパドマも、こっちのパドマも、両方待つ。2人一緒でもいいよ、って言ってくれる日がくるのを待つ。パドマ以外はいらないから。パドマだけは2人でも3人でも、許してもらえるような男になる努力をするよ」
「普通に、あっちだけでいいのに」
「どっちもパドマだから。本当はね、こっちの大きいパドマこそ、ずっと好きだったパドマの本体かと思ったんだよ。でもさ、そっくりさんってレベルじゃなく、あっちのパドマもパドマだよね。パドマ以外の何者でもないパドマだからさ。最低だって怒られても、どっちか選ばないことにしたよ。お兄さんはスーパーイケメンだから、パドマになんとかしてもらうのは卒業して、自力でなんとかしてみせるよ。頑張るね」
「やっぱり、、だ」
「はっきり言ってくれていいよ。そういうところが好きだから。バカ? 阿呆? なんとでも言えばいい」
「ちょっと格好良く見えた」
レイラーニが微笑んだら、カイレンは絶叫した。
「絶対に、嘘だ!」
それが面白くて、レイラーニはケタケタ笑った。
師匠は、なけなしの自前の魔力を使って、土地の区画整理をしていた。目分量で測量し、建設予定地をあけたまま、道路と上下水道を作っていく。役所、学校、公民館、図書館、博物館、歌劇場、闘技場、公園、宿泊施設、アパート、ごみ処理場、浄水場の場所は確定したが、それ以外は決めていない。農地はダンジョン内に集約したが、牧場を作る場所は早めに決めなければならないのだが。
牧場を作ったら許してくれないかなと、師匠は南のダンジョンを見ていたら、カイレンが出てきた。レイラーニもともにいる。髪色が変わっているが、あんなに綺麗に光り輝いて見える人間は、他にはいない。容姿は師匠の某妹と似ているので、然程でもないと思っているが、そういうことではなく、存在が飛び抜けているから、すぐに目に付くのだ。
師匠は、すぐにダンジョン前まで飛んでいって、カイレンを睨み付けた。
「師匠、何やってるの? ちゃんとパドマに現状の説明をしてあげなよ。パドマは何もわかってないみたいだよ。死にかけてたからね。ふざけんなよ」
カイレンはそう言うと、パドマを抱いて走り去った。カイレンが抱えても、パドマは嫌がらなかった。師匠は、それが信じられずに、立ち尽くした。
「パドマ、大丈夫だった? 辛くない? 痛いところはない?」
アーデルバードのダンジョン前に着くと、カイレンは1度パドマを地に下ろして聞いた。ダンジョンマスターにダンジョンマスターについて聞きに行こうかと思って連れてきたのだが、パドマの顔色が悪い気がしたのだ。
「大丈夫。だけど、中に入る勇気がない。また身体が動かなくなったら、嫌だ。怖い。死んでも構わないのに、死ぬのが怖い」
「そっか。じゃあ、他に行きたいところはある? 唄う黄熊亭に行ってパドマ兄に会って、チーズを買って帰る?」
「イレさんちに行っていい? お風呂に入りたい。前みたいにダラダラしないで、即帰るから、いい?」
「わかった。沸かすよ。お兄ちゃんに長期外出する方法を聞いたら、泊まりに来ても怒らないからね。2人まとめて来ればいい」
カイレンの家に単独で行くのはダメだと言っていた、張本人の見事な手のひら返しに、レイラーニは不審者を見るような視線を向けて、後退った。
「、、、、、」
「いや、そういうんじゃないよ。でも、もう世間体とかを気にしなくていいでしょ。未来の奥さんだもの。それだけだよ。ちゃんと約束は守るから」
「うん。もう綺羅星ペンギンには甘えられないから。あいつらを、小さいウチから取り上げたくないんだ。それに、こんな姿をお兄ちゃんに見せたくないの。だから、甘えていい? いや、ダメだな。帰ろう。別に風呂なんてなくても、あそこにいれば不足はないんだ」
パドマが飛んで帰ろうとするのを、カイレンが止めた。
「飛ぶのは、止めた方がいい。多分、ダンジョン外で魔法を使うのが良くないんだと思うよ。ダンジョンマスターは、ダンジョン内では強権を持ってるけど、外ではそれほど力を振るえないんだよ」
「え?」
「小さい方のパドマは魔法使いだけど、大きいパドマは自由に魔法を使わない方がいいんだと思う」
「でも、昨日はダンジョンでしか、魔法を使ってないよ」
「自分のテリトリーのダンジョン以外は、ダメってこと。アーデルバードのダンジョンは、お兄ちゃんのダンジョンだから」
「そっかー。じゃあ、アーデルバードにも自由に来れないんだね。師匠さんめ!」
「望むだけ送迎してあげるし、嫌なら馬を飼えばいい。ただそれだけだよ。多分、相談すれば、パドマに会いたいお兄ちゃんが、どうにかしてくれるよ。だから、大丈夫」
カイレンは、笑顔でゴーサインを出した。それをレイラーニが、咎める顔で見る。
「イレさんが何とかするとは、言ってくれないんだね」
「抱っこで毎日送迎するのは、楽しそうだからね」
「それは大概、申し訳ないから、今日だけにする」
毎日抱っこできたら幸せなのになぁ、というカイレンを、レイラーニは気持ち悪いと切り捨てた。
「魔法を使っちゃダメなら、腕力で戦わなきゃいけないのか。この身体に慣れないといけないね。羽根が何のためについてるのか、わからないんだけど。これの所為でさ、仰向けに寝られないんだよ。かなり邪魔なんだけど、切り落としたら痛いよね」
「師匠の趣味なんだろうね。似合うけど、邪魔じゃ困るね」
カイレンは、自宅で風呂を沸かした後、パドマを置き去りにし、唄う黄熊亭の料理盛り合わせと、リコリスのお菓子とホールチーズを持ち切れるだけ持って帰ったら、イレさんの分際でと大絶賛された。少しだけカイレンも、パドマたちとの付き合い方を会得したらしい。
次回、ヤギ。