312.北西のダンジョン
パドマは、ヴァーノンに連れられて、唄う黄熊亭に帰ることになった。パドマを追いかけてきた面々も、それについていく。
「あのさ、姐さん。あんた、誰だ? 今、どういうことになってる?」
ハワードは、ヴァーノンのことしか考えないパドマをずっと嫌だと思っていたが、ヴァーノンを兄じゃないと言うパドマはパドマとは思えなくて、とうとう聞いてしまった。
「にーちゃは、にーちゃ」
パドマは、いつも通り答えをくれたが、理解できたのは、ヴァーノンだけだった。
「いや、もう兄ちゃんの話はいいからさ」
「この時期のパドマは、パドマ自身も兄ちゃんなんです」
「じゃあ、やっぱり姐さんじゃねぇってことかよ」
ハワードは、石壁を拳で叩いた。遠慮なく殴った結果、指に血がにじんだが、更に殴り続けるので、パドマは顔をしかめた。
「しょーがないよ。この身体は、ウチのだけど、ウチじゃないんだから」
「姐さん?」
「ごめんね。あのウチは、もー死んだと思って。記憶はあるけど、無理だから。この頭には難しすぎて、わかんないから。わからないから、覚えてもいられない、かも。もう赤ちゃんでいさせて」
パドマは、ヴァーノンに顔をうずめた。
震えている。泣いているかもしれない。いつも通りのパドマの様子に、ハワードは喜びを覚えたが、同時に絶望を受け入れなければならなくなった。
「そっか。わかった。しょーちだ。だけど、最後に礼を言わせてくれ。助かった。楽しかった。ありがとな」
「うん。ウチも、ハワードちゃんに救われてたみたい。ありがと」
パドマは、えぐえぐと泣き出した。ああ、これはもう自分たちの知るパドマじゃないなと突き付けられて、皆、複雑な気持ちになった。
唄う黄熊亭に着く頃には、パドマは泣ききって、寝てしまった。しばらく起きないだろうと、グラントたちは、護衛に後を任せて帰った。護衛は店舗周辺に散開し、ヴァーノンは師匠に戸を開けてもらい、帰宅した。
ヴァーノンはパドマを寝かせるために部屋に行ったが、師匠はそこまでの戸を開ける任務を終えると、店舗のテーブルに紙を広げた。
紙は、照明の点いていない店内でも、キラキラと光を反射させていた。水色や桃色、銀色などの様々な大きさの多色ラメが内包された特殊紙に、師匠の血が混ぜられた特殊インクで図面を描いていく。いつものようにフリーハンドだが、どんな機械を使って描くよりも正確で緻密で複雑な紋様が、急速に描かれていった。師匠はすべてのテーブルを占拠し、カウンターまで使ってインクを乾かしながら、次々と図面を仕上げていった。
その作業を終えた師匠は、店の厨房で粥を炊き、肉を焼いた。パドマが起きる直前に部屋を覗き、兄を探すパドマを抱いてあやしながら階段を降り、厨房の卓で食事を取らせた。中身が変われども、パドマには違いない。食事にありつけば、兄のことも忘れ、機嫌を直した。
食事を終えたら、図面を片付け、パドマを抱えて出掛ける。パドマの国の城壁の北西の門付近に、師匠はやってきた。まだ何もない原っぱであり、アーデルバードの城門から最も遠いため、将来的にも田舎になる予定の地域である。
ここに、最初のダンジョンを作ることに決めた。
師匠は、パドマの左手の人差し指と右手の小指に指輪をはめた。師匠の愛の証である、茶色の石を付けた指輪だ。
「可愛くない。や」
と、パドマは嫌がったが、家に帰ったら可愛いのを作ってあげますよ、と懐柔して左手をつかんだ。優しく抱きしめて、髪をなでながら、そっと呪文を口にする。
「深淵より異次元の門を開きし者よ。神秘の叡智を以て、空間を曲げ、時空を歪めよ。虚空に渦巻く光を封じ、地の底に迷宮を創り出せ」
橙と緑と紫の光が舞い、師匠の前の空気が歪んで、口を開けた。その光の口に向けて、師匠は大量の図面を放り込むと、光は形を変えて、巨大に膨れ上がり、白い石造りの建築物に変わった。城門を背に、ゴシック建築風の教会のような建物が出来上がった。辺境であっても、パドマの神威を見せつけるために、装飾過多な建築物であることに、師匠はこだわったのだ。高さは、アーデルバードの城壁並み、奥行きはその倍はあり、幅は半分程度である。実用的には、ほぼ倉庫として利用するにも関わらず、無駄に華美にした。
「ヴァーノンを呼んでください」
師匠は、パドマの指から指輪を回収して言った。
「にーちゃ?」
「はい」
「にーちゃぁああぁ!」
パドマは首を傾げつつも、言われるままにヴァーノンを呼んだ。ヴァーノンは、パドマが作った城壁を飛び越えて、圧倒的なスピードで駆け付けた。もう師匠では追いつけない領域に、到達していた。
『ようこそ、パドマのダンジョンへ』
「ダンジョン?」
アーデルバードのダンジョンセンターとは、建築様式がまったく違う。だから、ダンジョンとは思えず、ヴァーノンは呆けて建物を見上げた。つい最近まで、この辺りは何もなかった。綺羅星ペンギンの男たちは工事をしていなかったから、これも魔法で作ったのか、とパドマを見ると、顔色はいつも通りだった。
師匠は、ヴァーノンの反応に構わず建物の入り口に向かったので、慌てて扉を引っ張り開けた。開けた先にも、すぐそこに扉がある。それも開けねばと、建物に踏み入れると、違和感を感じた。全身の穴という穴から指を差し込まれ、内臓をこねくり回されるような不快感を得た。耳や鼻から入ったものは脳をかき回し、口から入ったものは心臓をつついているような感覚を覚えた。毛穴からも、他の穴からも何かが入ってきて、かき回す。無論、気の所為だ。そんなに細い長い指はない。
ヴァーノンは、しばらく口を押さえて不快感と戦っていたが、ふいに解放されて身体から力を抜くと、師匠はにたりと笑っていた。ヴァーノンの背に、寒気が走った。
かつて師匠が味わった思いをヴァーノンに体験させて、大変満足し、師匠は建物の奥に進んだ。扉など、パドマを片手抱きすれば、苦もなく開けられる。
師匠は、内装も手は抜かなかった。
身廊の脇には、整然と美しい形の太い柱が等間隔に並び、高い天井は、リブヴォールト構造のアーチ天井になっている。総石造りだが、柔らかな曲線が描かれているのに、ヴァーノンは驚いた。下を見れば床も繊細なモザイクで飾られており、ところどころに配された彫刻は、本物と見紛うばかりだった。
建物の最奥には、ステンドグラスがあった。最上位にパドマがいて、沢山の実りがあり、料理があり、最下層に民衆と動物がいる。師匠が作ろうとしている新しい国の正しい在り方なのだろう。パドマは慈愛の心に満ちており、人と動物は等しく幸せを享受していた。この絵が城門を入ってすぐに見えるように配されたのは、たまたまではない。ヴァーノンは、その威容に圧倒された。
そこには装飾過多な下り階段があり、それを下ると外に出た。正確には、ダンジョン内だが、部屋の中が外にしか見えない仕様になっている。空は青く果てはなく、地は黒々として、やはり果てはないように見えた。太陽は白く光り輝き、風もある。上り階段と下り階段があるのが、違和感があるが、外にいるのと変わらない。
「パドマ」
そこに立っていたみすぼらしい少年が、パドマに気付いて駆け寄ってきた。師匠がパドマを地に下ろすと、パドマもよたよたと少年を求めて進む。少年、在りし日のヴァーノンの写し身は、パドマを抱えてクルクルと走り回り、パドマはケタケタと笑った。
それを見たヴァーノンは、目を丸くして呆けた。師匠は謝罪蝋板を出したが、ヴァーノンは怒れない。師匠は、チビヴァーノンを作り出すために、騙し討ちでヴァーノンの情報を抜き取ったが、ヴァーノンはパドマのためであれば、直接頼まれても断らなかった。万が一断られることも想定して許可を取らなかったのだろうが、その気持ちは理解できた。パドマの障害を除きたい気持ちは、ヴァーノンの方が強い。幼少期の自分がそこにいるというのは変な気分だし、パドマを取られてしまって寂しい気持ちもあるが、ヴァーノンが叶えようと思っていたパドマの夢を、師匠が代わりに叶えただけのことだ。
「ありがとうございました」
ヴァーノンは、心から礼を言った。それを見た師匠は、膨れっ面になった。ヴァーノンには兄力で負け、モンスターヴァーノンにはパドマを取られてしまったからだ。師匠が同じように生態情報を抜き取られた時は、もっと無様を晒してしまったのに。だが、寂しそうにするパドマを放ってはおけなかった。負けるのは承知の上で、師匠はヴァーノンを作ったのだ。
因みに、このヴァーノンは大量生産できる。パドマの国に敵がやってきた時は、大人サイズのヴァーノンの集団が、敵を殲滅すべく外に飛び出して戦う仕様になっている。ヴァーノンはなかなか厄介な攻撃を繰り出すが、相手が大量破壊兵器でまるっと退治しても、パドマ側は人的被害はなく、ただパドマの怒りが増大するだけというのが、ミソだ。
普通にしていれば、モンスターヴァーノンが適当に敵を蹴散らすだろうが、無理であれば、パドマが怒りとともに増産した魔力を使って、敵を消し炭に変える魔法を使う予定でいる。このダンジョンも、パドマの魔力を無断使用し、作成したのだ。
パドマの魔力量は膨大なのだが、どうやら効率の悪い運用をしているらしい。だから、城壁を作った程度で倒れた。魔力の使い方は、完全に感覚的なものなので、一朝一夕には教えられない。だから、代わりに師匠が魔法を使うことにした。魔力だけあって使いこなせないパドマと、魔法知識だけあって大した魔力を持たない師匠。考え方によっては、悪くない。相性の良い相手だ。師匠は、他人の魔力を吸い上げて、自分の魔力のように使うことができる。切っても切れない関係になれそうだ。
それを心の支えにして、師匠はパドマを見つめた。
次回、ダンジョンの続き。