308.冬の遠足
唄う黄熊亭は、開店準備中だった。ヴァーノンもマスターもママさんも、忙しい時間帯だ。だから、ペンギン席に行って、護衛を待機させて、開店を待つことにした。
開店を待っていたはずなのだが、いつの間にやら、寝てしまったらしい。パドマは目を覚ますと、子ども部屋にいた。ベッドから身を起こすと、ヴァーノンも護衛もいなかった。ヤマイタチはいるが、クマちゃんもいない。パドマは寂しくてさびしくて、布団を頭まで被って、静かに泣いた。
ドタバタと物音を響かせて、ヴァーノンが子ども部屋にやってきた。パドマの窮地を察して、慌てて来たのだろう。手には布巾を持っている。
「パドマ、どうした? 腹が減ったか?」
ヴァーノンが聞いても、反応はなかった。ヴァーノンは、静かにそっと布団をめくると、思った通りの格好で、パドマは泣いていた。
「1人にして悪かった。まだ起きないと思って油断していた。もう離れないから、泣くな」
ヴァーノンは、そう言って、パドマを抱き上げた。小さいパドマを抱くと、昔のことを思い出してしまう。
「固いパンを少し食べてみるか? 今なら、ジャムも乗せてやれるぞ」
昔は手に入る食料は、選べなかった。だから、パドマを優先させて、パドマが食べれるものをパドマに食べさせ、無理なものをヴァーノンが食べていた。だが、パドマは意地悪でもらえないだけで、ヴァーノンが食べる硬いパンの方が美味しいに違いないと、言い張って欲しがったことがあった。日持ちだけを考えた、味も素っ気もない石のように硬いパンなのに。浸すスープもない口の水分を持っていかれるだけのパンなのに。パドマの可愛いおねだりに抗えず、パドマにパンを渡してしまったのだが、パンをかじったパドマの反応は、また可愛かった。
ヴァーノンはそれを思い出し、ほっこりとした気持ちになっていると、パドマに下せと、ぽこぽこと叩かれた。
「もうにーちゃは、にーちゃじゃなーの!」
泣きながらそんなことを言われて、ヴァーノンは真っ青になった。婚約式をしたのは、早計だったのか。パドマは、お兄ちゃんは卒業して、ミラにあげると言っていた。あれは絶縁状だったのか。
「ウチね。今、3つなの。大人の気持ちもあるけど、本当は3つなの。にーちゃがにーちゃなのは、知ってるよ。でも、ウチのにーちゃは、もっとちーさいの。ウチのにーちゃに会えないのが、寂しーの。どーしたらいい?」
パドマは、べそべそと泣く姿も可愛い。ヴァーノンは、優しく優しくパドマを撫でた。
「お前は、ダンジョンマスターの魔法で小さくなったんだよな。ちょっと待ってろ。俺も魔法をかけてくれるよう、頼んでくるから」
「できないよ。どっか行っちゃったし、もーまほーは使えないって言ってた」
「そうか。それなら、自分で魔法を使えるようにならないとな。兄ちゃんは大きくなったから、小さい兄ちゃんよりスゴイからな。すぐ小さくなってやるから、泣くな」
「ダメ。にーちゃがちっさくなったら、おっきーウチが寂しくなっちゃうの」
「わかった。じゃあ、2人に増えた上で、片方だけ小さくしよう。それならいいな。どちらもパドマなら、2人とも俺の妹だ。心配するな。だけど、少し時間をくれ。頑張るから」
「やだ。今寂しーんだもん」
「それは、困ったな」
困った困った大変だと楽しそうに言いながら、ヴァーノンは店にパドマを連れて行った。
店に連れて来られたら、もう泣けない。パドマは、ヴァーノンが持ってきたごはんを大人しく食べた。ワンプレートに、黄色いクマのオムライスと、型抜きした茹で野菜とハンバーグとケーキが乗っていた。ケーキは、クリームチーズケーキだろう。チーズを解禁してくれるなんてと、パドマは切ない気持ちになった。
ペンギン席で、イスの上に立って食べていたが、食べている途中で師匠が来店し、パドマを強制的にひざの上に乗せた。フォークを奪い、食べさせ始めたのを、パドマは受け入れた。
更にカイレンが来店すると、師匠とパドマの取り合いを始めたが、パドマは師匠を選んだ。子守りなら、師匠の方が腕が上だ。
「ごめんね。きょーはもー疲れちゃったから、ししょーさんで楽したい」
とカイレンを拒否した。ヒゲのないカイレンは傷付いた顔をしていて、パドマもしまったと思ったが、もう気を遣う気力がなかったから、目を逸らした。
マスターのスープも、ママさんがむいてくれたキウイも食べて、パドマは目を閉じた。眠ったパドマは、にーちゃに会いたいと泣いていた。居合わせた全員がヴァーノンを見たが、ヴァーノンは首を振るだけだった。
パドマが起きたら、テッドに抱かれていた。びっくりして逃げると、パドマにぶつかった。部屋の隅には、ヴァーノンと師匠もいた。白蓮華の兄弟部屋かと、状況を察したところで、パドマは身体を起こされ、着替えをさせられた。上に尋常ではないほど服を着せられ、もこもこに膨れた。その状態で、馬車に乗せられた。
パドマは、テッドのひざに乗せられ、パドマにおにぎりを食べさせられている。馬車には、白蓮華の子どもたちが乗せられて、御者は護衛だった。その馬車が数台あったから、そこそこの人数で移動している。ヴァーノンも師匠も、姿が見えなかった。パドマは不安になった。
「にーちゃは?」
「スタッフ運びをしてる。終わったら、すぐに戻ってくる。俺たちと待ってよう。この馬車も、兄ちゃんたちのいる方に向かってるから。すぐに会えるさ」
「うん」
テッドは兄みたいだが、弟であることをパドマは知っていた。だから、それ以上のことは言えず、パドマは朝ごはんを食べた。馬車の上なのにごはんが温かくて、自分の手が小さくて、泣くのを堪えるのが大変だった。
パドマを迎えに来たのは、ヴァーノンではなく、師匠だった。師匠は、片手にパドマを抱えたテッド、片手にパドマを抱えて、走る。
師匠の足が早いから、肌に触れる空気が冷たくて痛い。それに耐えていると、テッドがパドマの風除けになった。だからパドマの目には景色の変化は映らなかったのだが、少しずつ白いものが混じり、雪深くなって行った。師匠の足音がザクザクという音に変わり、なんだろうなと思い始めたところで、師匠はテッドとパドマを下ろして去って行った。他の子どもたちを迎えに行くのだ。馬車だけでは幾日もかかる道を師匠とヴァーノンが人を運ぶことで、時間短縮をしている。馬車は、少し仕事を楽にするだけのものだ。
そこは、空が青いだけの白の世界が広がっていた。地面には雪が積もり、樹々には霧氷が覆って氷の葉を茂らせていた。
そこに沢山の氷像が立っていた。師匠クオリティの師匠は2度と作らない約束をした人物像だった。パドマは笑った。
「似てない!」
在りし日のヴァーノン像だった。彫像を作る腕があっても、師匠は当時のヴァーノンを知らない。1つひとつの像は、全て微妙に顔や髪型が違った。ヴァーノン本人に聞いても、わからなかったのだろう。くすくす笑って見ていくと、正解のヴァーノンを見つけた。全身真っ青のヴァーノンが、パドマに向かって笑っている。パドマの大好きなヴァーノンだ。
「にーちゃ」
パドマがヴァーノン像にくっつくと、凍傷になりそうなくらい冷たくて、石のように硬いというか、石だった。やっぱりヴァーノンはもういないんだなぁ、と思った。
急に雪山に連れて来られて、何がなんだかわからなかったのだが、今日は白蓮華冬の遠足雪遊びの日だったらしい。子どもたちは、ドボガンそりや巨大ドーナッツに乗って坂をすべり下りたり、雪像を作ったりして遊んでいる。
パドマもスノーシューを履かされたり、1人用のソリに乗せられたりしたが、寒さに負けて、すぐに音を上げた。寒い中、雪で遊ばねばならない意味がわからなかった。パドマは、常春のダンジョンの方が好きだ。
何をさせても、まったく楽しそうにしないパドマに見切りをつけて、師匠はパドマをかまくらの中に入れた。かまくらの中の焚き火に、鍋がセットされている。
師匠はパドマをイスに座らせ、鍋をよそってやった。今日用意したのは、ごま豆乳鍋だ。パドマの好きそうなエビやカニも投入したから、それに気付いたパドマの目は光り輝いている。
パドマに身長を伸ばしてやるなどと豪語したものの、師匠はパドマのこの顔が見たくて、結局、パドマの好きそうなものしか作れない身体になっていた。このままでは後ほど怒られるのはわかっているので、焦る気持ちはあるのに、止められない。一通り食べさせたら坦々味にして、最終的にチーズリゾットにした。チーズは露骨すぎたか、ヴァーノンにじろりと見られて、師匠は自分の単純さに恥ずかしくなった。
「師匠さんは、いずれパドマが師匠さんより年上になることを、どう思われますか?」
『パドマは私の親族だから、時を止めることはできる。パドマが望まなければ、私の時を進めることもできる。いずれにしても、私は不死身だから、パドマを後に残すことはない。どんな姿であっても、嫌われても、傍らに有り続けることを望む』
師匠は、ヴァーノンに蝋板を渡した。フタを開いたヴァーノンは、口角を上げた。
「その望みが叶うことを望みます」
師匠は、強力な味方を得た。仏のように後光がさしている——背面にかまくらの入り口があるだけだが——ヴァーノンの手を取って、かたく握った。
「あれって、浮気かな。ミラに言った方がいいかな。言ったら傷付けちゃうから、言わないでいた方がいい?」
妹に相談しているパドマを見つけて、ヴァーノンは慌てた。
「生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、パドマを共に愛で続けようと、誓い合いました。我らは、ともにパドマの兄である。そう約束しただけですよ」
師匠がそう言うと、パドマは、意味わかんない。ミラには言うのをやめよーっと、と言ったので、ヴァーノンは胸を撫で下ろした。
次回、城壁作成。