306.神の国
テッドは、ダンジョンに行ける年齢になった。パドマならうぇーい! とダンジョンに通いつめるところなのに、テッドは今日は白蓮華の執務室で書類仕事をしていた。サボると、どんどん書類がたまるらしく、自由に遊べないらしい。まだ子どもなのに、うちの弟どうなってるの? と思いつつ、パドマはテッドの仕事の手伝いをしていた。
パドマが手伝っているのは、書類仕事ではない。味見の仕事だ。今度、テッドは赤ちゃん向けお菓子の販売を始めるらしい。まともな感想を言える幼児の知り合いが他にいないからと、テッド直々に頼まれた、パドマにしかできない仕事である。皆に、赤ちゃんは寝てろだの、何もできないだろだのと言われて爪弾きにされていたパドマは、パドマにしかできない仕事と言われて喜んだ。テッド自身が、赤ちゃんのお菓子なんてパドマくらいしか買わないだろう、などと思っていることに気付きもしないで、張り切って取り組んだ。
パドマの前に並べられたお菓子は、3種類。煎餅とボーロとクッキーだ。どれもこれも口に入れただけで溶けるような頼りない菓子だった。大人の味に飢えているパドマには物足りないが、これはパドマ向けのお菓子ではなく、赤ちゃんのお菓子だ。その目線を忘れてはいけないと気を引き締めた。
「優しい甘さでいいと思うんだけど、ボーロがちょっと粉っぽいかな。口の中の水分が、全部持ってかれる。あとさ、赤ちゃんのお菓子って、何食べても同じ色だから、赤とか青とか、もっとカラフルだったら、可愛いし、楽しいと思う。季節によるけど、ニンジンとか、ほうれん草とか、すり入れたら、色付くよね」
パドマの後ろで、ソファに座って編み物をしている師匠を見たら、またそっぽをむかれた。食べ物に色をつけるのは大好きなくせに、話にのってくれない。最近の師匠は、くっついてくるのは変わらないが、目を合わせてくれなくなった。パドマは、それが寂しくて仕方がないが、文句を言うほど悪いことでもないから、何も言えずにいた。
「確かに、見映えは大事だな」
テッドも、書類から顔を上げない。手の動きが速いから、忙しいのはわかるのだが、それも寂しい。パドマは、じわじわとブルーノの側に寄って行った。
ブルーノは、テッドが部下に採用しようかと考えている白蓮華の子どもの1人である。ブルーノは入りたてで、できる仕事がほぼない。今は見学しているだけで、暇そうに見えるから、遊んでくれないかな、とパドマは狙いを付けた。それに気付き、テッドはため息を吐いた。
「お姉ちゃん、ちょっと頼みたいことがあるんだけど、こっちに来てくれる?」
「うん。何かな。ウチにも、わかればいいんだけど」
パドマは、書類の手伝いに呼ばれたのかと、意気揚々とテッドのところに行くと、抱かれてひざの上に乗せられた。
残念ながら、ひざの上に乗せられても、書類が見えない。なんということだと嘆いていたら、
「寒くて書類が捗らないから、しばらく湯たんぽになってて」
とテッドが言い出し、パドマは嬉しくなって、ぎゅっと抱きついた。
「うん。がんばる」
それを見た師匠は、衝撃を覚えた。何その仕事!
「テッドは、今何の仕事してるの?」
「あー、うん。兄ちゃんがバラしやがったから、いっか。実はさ、胡椒の試験栽培は成功したんだ。だけど、増産するには育てる場所が足りなくてさ。流通に乗せる量を作るほどには、ルーファスさんの温室も借りれねぇだろ? どうすっかなーって、あちこち交渉してんだよ。でもさ、白蓮華のダイニングの観葉植物にしたくらいじゃ、戦力になんないからさー。売ったら絶対儲かるのに、初期資金を出すにも限度があるし。いや、ごめん。わかんなくていい。悩むな」
「うん。そういうのが得意な人を知ってるんだけど」
パドマはまた、師匠に視線をやると、パドマをガン見していた師匠は、顔を背けた。テッドの手伝いなんて、誰がするかと思っている。
「あー、できないみたい。無理を言っちゃダメだよね。ダンジョンで育てられないか、お兄ちゃんに聞いてこようかな」
「ダンジョンは日当たりが悪いし、置いといて食われたら困る」
パドマが即諦めたことで、師匠がぶち切れた。その程度のことを解決できない私ではない! 青筋を立てて、蝋板を削っていく。
『土地が欲しければ、作ればいい。元はアーデルバードも大した街じゃなかった』
師匠は蝋板に書き込むと、テッドの執務机に置いた。
「作れって、言われてもさー。それができないから、困ってんだよ」
『パドマに作らせればいい。パドマの国を作ってやる』
師匠は、テッドのひざの上から、パドマを取り上げた。
「パドマ、行きますよ。土地を作りましょう」
「ひいっ。師匠さんが喋った。キャラが違うんだけど、何で?」
ダンジョンでの遺言は口頭だった。だから、喋れることは知っていたのに、喋らないことに慣れすぎているから、違和感しかなかった。蝋板に書かれる口調とも違うから、脳が拒否する。元がダンジョンマスターと同一だと言うから、こちらが地なのはわかるが、受け入れられない。見た目年齢が違うし、服装が違う。顔は似てるなというくらいだが、声は同じなのだ。
嫌そうな顔をするパドマに、師匠は機嫌を損ねて、テッドの質問は全て無視して部屋を出た。
師匠は、久しく使っていなかった雨宿り豚亭にチェックインし、パドマをベッドの上に置いた。自分はイスに腰掛け、懐中から取り出した筆記用具をテーブルに並べる。
「それでは、国造りを始めましょう。胡椒の栽培以外の要望を言って下さい。それに合わせて、設計致します」
「いや、急にそんなことを言われても。なんで蝋板と口調が違うの?」
「手間なので、文字数をカットしておりました。
土地があったら、何かやりたいことはありませんか?」
「やりたいこと? あ、皆に家をプレゼントするとか? あとはね、野菜が足りないんでしょ? そうだ。コンドーくんたちを広いところに放ってあげたいし、ヤギとイレさんも飼いたい。あと、アーデルバードに足りないものって、何かあったっけ?」
パドマは次々と要望を出したが、どれもこれも人から聞いた話だろう。パドマはワガママだが、ワガママを言わない。師匠の妹のように、私と結婚しろだの、10年前のイベントに連れて行けだの、子どもを産んで欲しいだのと言って甘えてきても、パドマなら怒らないのに! 師匠はそう思っているのに、パドマの口から出て来たのは、パドマの要望ばかりではなかった。人間が丸かった時代は、枯れ木に花を咲かせたり、カラスをピンクにしてみたり、妹のために骨を折ったこともあった。パドマに信頼されてないのかと、心配になった。
「大きくなったら、どのように暮らしたいですか」
「暮らし? 別に、今のままでいいけど。適当にダンジョン潜って、皆で宴会して、たまにはお兄ちゃんを冷やかしに行って。でもね、その前に、大人になりたくないかな。
ちっさい頃はね、早く大人になりたかった。大人になって力をつけて、嫌なことから逃げ出したかったの。だけどね、大人になったら、急に息苦しくなって、子どものままだったら良かったのに、って思ってた。
だから、こんな身体になって、別に嫌じゃないの。小さすぎて不便だけど、悪くないなって思ってる。大きくならないとダメかな」
師匠は、はらはらと涙をこぼした。チーズを作ろうね、芋掘りをしようねと、明るい未来について話し合いたかったのに、パドマの話はいちいち重くなりがちで、フォローに本当に気を遣う。しゃべらなければ良かったと後悔してしまう。
「なりたくなければ、ならなくても構いません。私は、その手段を持っています。大きくなるのは、いつでもできます。ですが、ハチミツを食べられるくらいには、大きくなって欲しいと思います」
「ハチミツは何歳から?」
「4歳からと聞いていますが、安全をとって5歳から提供しようかと考えております」
「うん。流石に、そのくらいは大きくなるよ。赤ちゃん扱いは嫌だから」
「もちを食べるならば、更に1歳年をとっていただきたいです」
「じゃあ、6歳以上だね。パドマと同じくらい? やだなぁ。可愛くなっちゃうね」
「パドマは、何歳でも可愛いですよ」
師匠が、いつもよりも蕩けたような微笑みを向けている気がして、パドマは全身を朱に染めた。蝋板に書く手間が減ったからだろう。いつもよりも口数が多く、余計なことをしゃべる。口調もなれないが、思っていたのと性格も違うのかもと、パドマは戸惑ってしまう。
「は?」
パドマの口から出たのは、それだけだった。師匠は不満に思って、ぶすくれた。
「顔だけは」
「ああ、そうか。そうだね」
顔の造作が一般的に、そっちよりだと言うのは、残念だがパドマも理解している。安心した。きっと揶揄われていただけだ。
そう思ったパドマは、お返し質問をした。
「何が必要だと思う?」
パドマの顔は、面倒臭いから全てを丸投げしてしまおうと、雄弁に語っている。師匠はため息を吐いて、大きな紙を広げた。それにフリーハンドで、ざっくりと地図を書き込んでいく。適当に書いているが線は真っ直ぐで、清書のように整っている。
「街の中心には、劇場を置きましょう。国民がパドマの歌と踊りが見れるように」
「なんで? そんなのいらないよね」
実際は、役所と書き込んでいるが、パドマは青くなった。
「パドマに不敬を働いた者を収容する牢獄は、どこに設置致しましょう。土地がもったいないので、城壁に吊るしておけば良いでしょうか」
「やー! 怖いことしないで!!」
師匠は、城壁の形を決めた。砲門の位置を記載していく。
「ご不満でしたら、真面目に考えましょうね。設計が肝要ですよ」
「はい」
パドマは、脳が沸騰するほど真剣に考えて、考えて考えて、力尽きてお昼寝した。お昼寝に逃げられる幼児で良かったと思った。
次回、やきもちカイレン、