295.別離
ダンジョンの他の階層と同じように部屋は沢山あるが、それぞれの部屋がドアで区切られている。食事をとった部屋は石レンガの床と壁だったが、1つドアをくぐると、漆喰壁に変わった。壁や天井に緻密な鏝絵の意匠がある。パドマが寝ていた部屋と同じような壁だった。あれはここに招待されていたのだと、パドマは確信を持った。
「パドマ、よく来て下さいました。お待ちしておりましたよ」
思ったとおり黒茶の兄はいたが、予想外の対面になった。兄はパンケーキサイズのガラス板の中にいた。厚みは、パドマの拳ほどしかなかった。とても人が入れる入れ物ではなかったし、兄は大分小さくなっていた。そこから兄の声は聞こえているし、手を振っている。ただの絵ではないし、絵の裏に人は隠れていなかった。
「パドマの言うお兄ちゃんって、この人?」
「うん。顔と声は同じ。でも、お兄ちゃんは、こんな薄っぺらでも小さくもないの」
「申し訳ありません。いつも通りに迎える予定でおりましたが、エネルギー切れを起こしておりまして、このような姿で失礼します。少々、パドマと遊びすぎたようです」
兄は爽やかな笑顔を向けているが、パドマには違和感しかなかった。そんな顔を見たことがなかったからである。
「逃げたな」
とパドマが言えば、
「そんなことはありませんよ」
と肩を揺らしたから、多分、パドマの八つ当たりから逃げたのだろう。
「この人はね、ダンジョンマスター。このダンジョンを作った魔法使いが、師匠をトレースして作ったダンジョンの管理人。なんで、パドマと知り合いなの?」
カイレンは不審な顔で、2人を見比べた。
「悪人だから。ずっと騙されてたの。いい人だって、優しい人だって、信じてたのに。大好きだったのに! ウチを売るために、育ててたんだよ。
ここまでだって、何の苦労もなく連れてくることだって出来るのに、何度も死ぬような体験をさせられたんだから。本当に嫌な人なの。大っ嫌い!」
「え? パドマを売る? 何やってるの、お兄ちゃん」
「違います。誤解です。気晴らしに散歩をしていて、見つけたパドマが本当に可愛いと思ったから、側に置きたかっただけです。ここまで遊びに来れるようになるのを、願っていただけです。弟は人だったので白羽の矢をたてましたが、カイレンなどどうでも良かった。それは、ついでです。それが本題ではありません」
「どういうこと?」
「パドマがカイレンにプロポーズしたのは、私の働きのおかげだということですよ」
「そうだったんだ。ありがとう、お兄ちゃん」
カイレンは、ダンジョンマスターとパドマが知り合いだと知り、疑惑の目を向けていたのに、すっかり絆されてにこにことした。ああ、この人も信頼できないと、パドマに見られているのに。
「つまり、師匠さんとグルだって、認めるってことだね」
「少し違いますね。仲間ではありません。そそのかして、便利に使っただけですよ」
ダンジョンマスターは、封印された師匠を解き放ち、パドマを妹にして愛でようと誘っただけだった。少々洗脳も施したし、行動を誘導した覚えもあるが、仲間になった覚えはなかった。オリジナルであり、半身だと思っているが、そこにはそれほどの情はない。
「使った? 使い捨て? え? 師匠さんは、今どうしているの?」
「知りません」
「!!」
パドマは、その場に崩折れた。師匠と別れた時の胸の痛みが襲ってきて、息が詰まった。苦しくて苦しくて、身体を丸めて耐える。
「パドマ? 大丈夫だよ。師匠は、死んでも死なないから。ぜーったい生きてるから。約束するから」
カイレンは、それを保証できた。師匠を死なせるには、かなりの努力が必要とされる。かつて師匠本人に頼まれて殺したことのあるカイレンは、その困難さを知っている。殺しても殺しても、すぐに復活してしまう師匠を、分割して封印して復活してと繰り返し、どうしたら殺せるのか、師匠と共に悩んだことがあるのだ。簡単に死んでくれたら、あの心がえぐられる苦労はいらなかった。
「師匠さんに会いたい。もう一度会いたいよ」
「わかった。最速で会うなら、こっち」
カイレンは道を指したが、パドマは丸まったまま動かなかった。
「ああ、もう。本当に師匠はズルい。パドマは、お兄さんのものになることになったのに!」
カイレンは、パドマを抱えて走った。ドアを何度も通り過ぎ、壁を殴って蹴りつけて、階段を掘り出して下った。
「ほら、パドマ、師匠を見つけたよ」
カイレンの言葉にパドマが前を向くと、無表情の人がスタスタと歩いていた。漆黒の髪を持つ全身黒ずくめの美しい男の人。豪奢で豊かな金色に輝く髪を持つ華やかな女の人。パドマと同じ髪色を持つ愛らしい少女。そういった人が部屋に出たり入ったりを繰り返している。
「嘘吐き」
パドマは、カイレンを蹴飛ばして降りた。ついて来ていたクマを抱き寄せ、バリケード代わりにした。
「嘘なんて言ってないよ。あれが師匠だよ。子どもの頃の師匠。地毛は、あんな色なの。パドマの師匠愛も、大したことないな」
滝のような涙を流し続けるパドマに、カイレンは困りながら、ショートボブの可愛らしい5歳くらいの女の子を指差した。女の子はパドマと同じ髪の色と瞳の色を持っていた。それが見慣れなくて、マジマジと見た。
「あれは女の子じゃ、、、ああ、師匠さんは、昔からああなのか。確かに面影はある。すごいな」
パドマは、師匠だと言われた子どもを見て、嗚咽を漏らした。あれは師匠を元に作られているだけで、師匠ではない。ダンジョンモンスターだ。会えても結局師匠ではないし、今度はそれと戦わせられるかと思うと、辛かった。やはり師匠にはもう会えないのかと思って、仕方なく諦めた。
「師匠さん、今までありがとう」
パドマが小さくこぼすと、無表情で歩いていた子どもの師匠は、微笑みを浮かべてパドマに優しく手を振った。
「どういうこと? 魔法の壁のこちら側は認知しないんだよ」
イレは寂しさに耐えられず、何度も100階層に降りては攻撃されて、逃げ帰っていた。ここの誰かが、攻撃以外の反応をしたことはなかった。だから驚いて、何度もパドマと師匠を見た。
「師匠さん」
パドマがフロアに降りようとしているのを感じて、イレは阻んだ。
「ここだけは、ダメ。一瞬で消炭にされるから。師匠だけなら大したことないから助けられるかもしれないけど、あの黒い人と金の人にはどうあがいても勝てないから」
「それでもいいよ」
パドマは笑った。痛々しいその顔を見て、カイレンはくちびるを噛んだ。
「パドマが良くても、お兄さんが嫌だ。あの2人に勝つには、お兄さんと師匠を同時に相手して勝っても、まだ足りないし、ここにはもっと強い人も出るから、絶対にダメ!」
カイレンが、パドマを助けられるならいい。格好良く助けたら、今の関係が変わるかもしれない。だが、実際は、助けられない上に自分も死ぬだろう。そんなところに行かれたら、困る。
「そんなに強いの?」
「師匠は黒い人の劣化版で、お兄さんは金の人の劣化版だから。金の人は、最強の戦闘王。片手間で龍退治ができるの。黒い人は、史上最低最恐の魔法使いだよ。最強の神すら手玉にとられてたんだから。あー、もう本当にダメ。お母様が来ちゃった。お母様とお父様のコンボは被害甚大だから、絶対に出ないで」
カイレンは、いやー、無理ー、と顔を手で覆った。珍しい反応に、パドマは驚いたが、それ以上に気になる発言があった。お母様というのは、母親の呼称の1つだ。一般的に、母親はダンジョンモンスターではない。師匠はここで育ったのだろうかと、不思議に思った。
「お母様? お父様? え?」
「ここは、魔法使いが作った在りし日の我が家。幸せだけだった頃の記憶で作られてるから、攻撃なんてしたら、絶対に許してもらえないからね。イチミリも入っちゃダメだよ」
「あの黒い人が師匠さんのお父さんで、金色の人が師匠さんのお母さんで、あの黒茶色の人がイレさんのお母さんなの?」
親がああなら、師匠が可愛いのは、納得である。きっと、もう少し歳を重ねたら、絶世の美女になるに違いない。男だが。
「違うよ。お兄さんと師匠は異父兄弟だから。母親は、そこの黒い人に纏わりつかれてる人。養父が黒い人。お兄さんの父親は、その金の人。めちゃくちゃ格好良い人だから、魔法使いの嫌がらせで女の人みたいにさせられてるの」
「嫌がらせ?」
「お兄さんのお父さんの方が、格好良い上に強いから。お母様を取り合ってる状態だからさ。ヤキモチ。本当に、子どもっぽい人でね。でも、仲間はずれにはしないでくれたから、女装でも顔を見れるだけ有り難い、と思うようにしてるんだ」
「そうなんだ。師匠さんは誰にも似てないね」
「お兄さんも師匠も、父親似だからね」
「でも」
「あの人は養父だから。実父も今はこの部屋にはいないけど、どこかにいるよ。、、、パドマは、師匠のことしか興味ないんだね。ちっちゃいお兄さんもいるのに」
「え? どこに? 師匠さんとお父さんとお父さんとお母さんしかいないよね。今部屋を出て行った人も、あのお父さんと同じ人でしょう?」
「師匠の背中!」
「背中?」
こっち向きでいる師匠ではわからないので、右の部屋から入ってきた師匠を見ると、背中にリュックを背負っていた。そのリュックからはみ出ているものが、赤ちゃんの手足だと気付いて、パドマはうわぁと思った。頭頂部が見えるか見えないかくらいで、顔は隠されているし、手足も手袋と靴下で隠れていて肌の露出部分はないから、師匠の服の飾りのように馴染んでいた。いや、モンスターとはいえ、師匠のやることである。馴染むようなデザインの服を、選んで着せているのだろう。
「いや、あれはわからないよ。顔も見えないし、可愛いね、ってウソでも言い難いよ」
「しょうがないの。単独でリポップしても、すぐ師匠に拾われて、ああなっちゃうから」
「リポップするの?」
タイミングが合えば、同じ部屋に師匠が3人いたりする。だから、そんなこともあるかもしれないが、見た目が人だけに、得心できない。
「殺せば増えるよ。ある程度、数は調整されてるみたいだけど」
「殺すの? みんな家族なんでしょ?」
パドマは、カイレンから離れて、壁にくっついた。何度かここで師匠を殺した経験があるカイレンは、慌てて言い訳をした。
「お兄さんは殺さないよ。だけど、たまに夫婦喧嘩が勃発して、お兄さんなんかは巻き添えになって死んじゃうんだよ。師匠とか師匠の実父も、すぐ死んじゃうの。激弱だから。お姉ちゃん辺りだと、しれっと逃げてるけど。パパとお父様とお母様とママとお姉様が暴れ出すと、誰にも止められないんだ。天災級だから」
「ええぇ。ダンジョンモンスターだって言っても、家族なんでしょ? 嫌だな。気持ち悪い」
パドマは、両手で上腕を擦った。自分の家族も大概だと思っていたが、上には上がいるものだ。師匠が疎んでいた呪いは、この家族と暮らす上では必須技能だったのではないかと思いながら、師匠を見つめた。
「ここを抜けて、最奥に行くのがお兄さんの夢なんだけど、皆強すぎてさあ」
「そうだね。最奥は行ってみたいけど、師匠さんの家族とは戦いたくないな」
「お兄さんの家族!」
「違うでしょ。魔法使いが師匠さんのお父さんなら、このダンジョンは、師匠さんのために作ったんじゃないの? だから、ダンジョンマスターが師匠さんの顔なんじゃないの?」
「、、、よくわかったね。師匠本人すらわからずに、変なもの作るなって怒ってたのに。ここは、師匠の好きなものを詰め込んだダンジョンなんだよ。師匠の好きな生き物が絶滅しても、また見れるように。師匠の家族が死んでも、またここで会えるように。
魔法使いの頭がちょっとおかしかったから、いちいち攻撃されるんだけど」
「だって、シャルルマーニュの魔法使いが師匠さんのお父さんなんでしょ? 師匠さんのこと可愛いって言って、プレゼントをくれたって聞いたの。恋人か何かかと思ってたんだけど、親子だったんだね。小さい頃、お父さんとキスしてたのも聞いたし、仲良しだったんでしょ?」
「うーん。そういう言い方をすると、違うって言いたいかな。大筋はその通りなんだけど、真相を知ってると、否定したくなっちゃうな。嫌がらせだとしか思えない、偏執な愛情だったんだよ。あの人、お母様と師匠だけを愛して、実子は放置でさ。まあ、実子の人数が多すぎて、可愛がりきれない気持ちは、わからないでもないんだけど。師匠が死んでも、しばらくは生きてたんだけど、師匠がいない世界なんてつまらないから、もういいっていなくなっちゃったんだ。
そもそもシャルルって、お母様の名前らしいんだけど、お父様以外は誰もそんな名前で呼んでなくてさ。お母様を神と崇める国を作ってみたけど、お母様に怒られたから、師匠に押し付けたんだよ」
「あれ? ちょっと待って。シャルルマーニュって、そんなに新しい国なの? アーデルバードのダンジョンだって、古いよね。いにしえのって言うくらいだもんね。師匠さんのお父さんって、何歳? あれ? その時点で、師匠さんも生まれてた?」
パドマの動きが、はたと止まって、難しい顔に変わった。
いつまでも可愛いままで、まったく年を取る気配のない師匠だ。ああ見えて、実は50歳くらいかもしれないと思っていたが、50年前くらいをいにしえとは呼ぶまいと思う。
「そう。ざっと千年は昔だよ。もしかしたら千五百年は経ってるかもね。だから、師匠はおじいちゃんなんだ。パドマの恋愛対象から外れてるよね」
「千五百年? 大概、おじいちゃんだとは思ってたけど、れんれんは仙人だったの? うわあ」
それだけ生きていて、この落ち着きのない性格か、とパドマは残念に思った。それが表情にあらわれているから、カイレンも嫌そうな顔になった。階段のステップをべしべしと叩きながら、主張する。
「お兄さんは、師匠よりだいーぶ年下だから! 見てよ、あのサイズ感。師匠の方が、倍以上大きいでしょう」
「ダンジョンにれんれんがいる時点で、当時からいたんでしょう。千五百歳違いも、千五百十歳違いも変わりないと思うよ」
「そんなことないよ。お兄さんは18歳だし、ぴちぴちだからね!」
「そのくだりは、もういいよ。ぴちぴちの意味がわからないし。それ、いつの時代の言葉なの?」
「最新の流行り言葉だよ。知らないの?」
「はいはい。流行にすぐ流されそうだもんね」
パドマは嘆息して、前を見た。
「お兄さんを無視して、師匠を目で追うのやめて!」
「違うよ。赤ちゃんを見てるんだよ。可愛いのかなぁって」
「あの当時のお兄さんは、あんまり可愛くないから、見なくていい。用が済んだら、上に戻ろう。師匠師匠って、もう耐えられない」
パドマは私の婚約者なのに、という言葉をカイレンは、飲み込んだ。思いきり抱きしめて、わからせてやりたい衝動も抑えた。結婚の約束をしても、結局何かが変わった気もせず、より虚しい気持ちになった。
パドマは、ずっとカイレンのヤキモチに気付いていた。とても面倒臭いと思っている。カイレンだけをヨイショして生きていかねばならないとしたら、早まったし、失敗したと思わざるを得ない。嫌だなぁと思う度に、口からうわあ嫌だと、飛び出しそうになる。
「うわあ。あの年頃で、可愛くない子はいないと思うけど」
「師匠が可愛がりすぎて大量にミルクを飲ませたから、ぷくぷくなの。自力で座れないくらいぷくぷくだったの。だから、見なくていい」
「そんなに怒らなくていいのに。師匠さんが育ててくれたから、そんなに大きく育ったんでしょ。格好良く育って良かったじゃん。羨ましいよ。身長分けて欲しいよ」
「ちっちゃくても、パドマは可愛いよ」
カイレンがイケメンスマイルを大盤振る舞いしても、パドマには刺さりもかすりもしなかった。
「だから、そういうところが、ムカつくんだよ」
格好良いと褒められて、気分を良くしたカイレンは、パドマを褒めたら嫌われた。何が悪いかわからず、凹んだ。
パドマは上階に戻ることにした。師匠を見て、小さく別れの言葉を呟くと、さっきとは別のチビ師匠が手を振った。パドマが階段を上ると、カイレンは拳を握って後に続いた。
次回、やっぱり約束を守れないレンレン。