291.そして、いなくなった
パドマはクマの国の平和を守れなかったことをクマに詫びながら、下階に下る。クマは、パドマ好みのイケメンなので、すぐにパドマを許してくれた。パドマが操っているのだから、パドマの都合のいいことを言うのは不思議でも何でもないのに、クマのイケメン具合にパドマはメロメロになっている。
訳の分からない愛の囁きをクマに向かって連呼するパドマに、ダンジョンマスターは目眩がした。どんどん変な子に育っていく。育児放棄をしていたので文句は言えないのだが、したくてしていたのではない。怖がられて受け入れてもらえなくなったから、やむを得ず、そうしていたのだ。ようやくパドマも落ちついたようだから、招待することに決めたが、遅かっただろうかと不安になった。
「クマの次は、わんちゃんの国か」
96階層に着くと、あちらこちらにオオカミの群れが点在していた。ひと群れにつき、2から8頭くらいで纏まっていることが多い。クマよりも間引きされ、ひとフロアの個体数は多くない。階段までの距離も比較的近いので、楽勝だな、とパドマは思った。外でも出会ったことはないが、出会った時の対処法は聞いたことがある。その方法がダンジョン内でも有効なら、戦闘はしなくて済む。
ダンジョンのオオカミの大きさはまちまちで、小さいものは、パドマが四つ足になった程度。大きいものは、師匠を四つ足にした程度。中には、イレを四つ足にしたようなものもいるが、それはほぼいない。野生味のあるイヌを少し大型にしたような存在だった。
毛色は灰色のものが多く、褐色や白色や黒色のものもいる。薄色のものは、しっぽの付け根近くに黒いスミレ腺模様が付いている。
「わんちゃんは美味しいって聞いたことあるけど、それはコロコロ犬の話なんだろな。ここのは、筋張ってそうだもんなー」
パドマは、階段出口の壁にもたれながら、オオカミを見た。
「もふりたいけど、あの吊り目具合じゃ、受け入れてくれないだろうし。ダンジョンのもふもふは、愛想が悪すぎるんだよね」
パドマは、またクマを抱いて戯れだした。
「オオカミの群れに妹を放り込むなんて、兄のすることだと思う? 絶対に、お兄ちゃんならやらないよ。兄どころか、人の所業じゃないよねー」
パドマは今、休息を取っている。オオカミ相手に弱味を見せられないから、呼吸を整えているのだ。暇だから、見ているかもしれない兄への悪口を言っているにすぎない。
パドマがフロアに降りると、近くにいたオオカミが吠えた。「ううううう」というような、長く引きずるような声だった。その声は周囲に伝播するように広がって、「あおーん」「きゅいんきゅいん」という声が重なっていく。それに合わせて、パドマも鳴いた。腹の底からしぼり出し、これ以上は考えられない声量を出した。
「ううううううおーーんうううう」
すると、オオカミの輪唱も、更に大きくなった。パドマはオオカミ語を習得していないので、返事の内容は理解しなかったが、階層中のオオカミがパドマに応えた。
その様子にパドマは満足し、ナイフを投げた。投げては回収し、また投げる。急いで投げるために、それほどの精度は求めなかったが、ナイフが届く範囲にいたオオカミの顔に全弾ヒットし、怯ませることに成功した。とパドマは思った。近くにいたものは、自ら去って行ったのだ。ダンジョンモンスターとしては、珍しい行動だった。
パドマは、もう一度「ぐわぁおぅ」と吠え、剣を上段に構えた。実践的な構えではない。片手持ちだ。ただの自分を大きく見せるアピールである。その姿勢のまま、ゆっくりゆっくり前に進んでいく。周囲の警戒はするが、景色に照準を合わせ、けしてオオカミ単体に注目してはならない。オオカミを過度に追い込むことなく、階段に近付く。
パドマから逃げることを逡巡しているものがいれば、少し待ってやる。早く行けよと、内心イラついているが、戦えばもっと時間がかかるだろうし、被害も出るかもしれないから、じりじりと待つ。武器を持っているし、負ける気はしていないが、数に屈する可能性は否定できない。立ち去ってくれれば、また前に進む。たまに後方に回り込んで、トコトコとついてくるものもいるが、見なくてもわかるので、振り返らない。進行方向を急に変えて、やり過ごす。あまりにもしつこくて、イライラが募ったら、吠えて気を鎮めた。
その姿を見たダンジョンマスターは、完全に顔を強張らせている。顔だけはこの上なく可愛い妹が、野獣になっていた。演技という領域を越えて、野生児でももう少し大人しいのではないかと思うほどの、がなり声を上げて歩いているのだ。昔話の悪鬼のような姿に、妹として愛せるかどうか、不安になってきた。出会った頃は、あんな子じゃなかったのに。なんで、どうして、何があったの!
「あ、やっちゃった」
クマだけは気配を追えないので、チラリと見たら、隣の部屋のオオカミと目があった。目が合えば、戦闘開始である。今更視線を外せば襲われるし、見続けていれば、戦いを挑まれる。ならばと、パドマは高圧的に睨みつけた。もうオオカミが兄だと思って、憂さ晴らしをするしか道はない。オオカミがダンジョンマスターの支配下にあるのなら、大筋は間違っていないだろう。
「その反抗的な目は、何だ。お兄ちゃんを騙るくせに、とうとう本性を現しちゃったね」
パドマは上段に上げていた腕を下げた。身体を捻った状態で、なおも階段に近付いていく。
目があったオオカミは群れごと後方からパドマを追ってきた。群れの数は6頭。だが、4頭はパドマを囲むだけで、牙をむいているのは2頭だけだった。パドマが目があったのは、その2頭のうちの大きな方だった。
「そっか。君はボスか。そりゃあ、引けないよね。仮令怖くても、引いちゃダメなんだ。わかるよー。大変だよね。引退したくなるよね。ああ、やだやだ」
パドマは一気に親近感が湧いたが、オオカミの態度は変わらなかった。距離を詰めて、同時に飛びかかってきたものを、パドマはその場で一気に回転し、後ろから来たものを逆袈裟に斬り上げて、前から来たものは腹につま先を入れた。
最初の2頭は、キャインと子犬のような声を上げ、横倒しになった。そのまますべり進み、ボスは穴に落ちてしまったので、パドマは縮み上がり、バランスを崩して転けた。「ごめん!」と謝ったが、返事はなく、残りの4頭が飛びかかってきただけだった。
転ぶと思った時には、次撃がくるのはわかっていたので、パドマは止まらずに転がって避けた。少し余裕があったので、1頭腹を裂いたくらいである。返り血を浴びそうになった際はしまったと思ったが、危惧したほどの被害はなかった。
転がり立つと、残りは8頭。何故か増えていた。近くの群れが合流したのだろう。
増えてしまったが、元々戦っていたオオカミがどれなのか、パドマにはもうわからなかった。オオカミが援軍として現れたのか、三つ巴になっているのかも謎だった。確かなことは、「面倒臭ぁ」ということである。大した数ではないと見積もったが、全滅させないと進めないと言われると、とてもやる気を失う事態だ。いくら倒してもダンジョンセンターに売却に行けないのだから、無駄な労働でしかないのに。
パドマがゲンナリしていると、一際大きい白いオオカミがやってきて、パドマの横に並んだ。白オオカミは「うぉー」と吠えると、人型になって、パドマを見つめた。
綺羅星ペンギンに入れたくなるようなガタイのいい長身男だ。なかなか整ったワイルドな顔をして、ニヤリと笑っている。完全な人型にはなれないのか、耳としっぽは出ているし、色はオオカミの時のままだった。白い長髪と黄色い目が、顔立ちに似合わない。服を着ていたので、ひとまずパドマは斬りつけなかった。
パドマが呆気に取られていると、人型はオオカミに殴る蹴るの暴行を加え、圧倒していった。
「ふぅん。強いんだねぇ。すごいすごい」
突然現れた殺狼人狼に感心すると、パドマは階段を下った。どちらが勝っても知ったことではないし、頂上決戦を申し込まれたくもなかったのだ。オオカミ戦が面倒になったところだったので、ちょうど良かった。
人狼は周囲のオオカミを殲滅すると、仲間を探した。やったよ、勝ったよと振っていたしっぽは、やがてへしょんと垂れ下がった。パドマを人狼仲間と勘違いして、姿を晒したのだ。それなのに、人狼仲間どころか、オオカミ仲間もいなくなってしまった。
次回、ぶんぶんぶん。