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ダンジョンマスターの贈り物  作者: 穂村満月
第8章.18歳
287/463

287.兄と妹

 誰かが、パドマの頭を撫でている。


 パドマが熱を出すと、いつもヴァーノンは、そうしていた。布団はいくらもないし、食べるものもない。医者にかかる金もないから、ただ見ているだけしかできなかったからだ。でも、ヴァーノンは、もうミラのものになった。

 パドマが寂しい気持ちを抱いていると、師匠もそうしてくれた。兄になりたいのだと、意味のわからないことを言って、ヴァーノンの真似をしてくれたのだ。美味しいものをたくさんくれて、夢を見せてくれた人。大好きだったのに、ずっと微笑んでいて欲しかったのに、いなくなってしまった。こんなことになるのなら、殺された方がマシだった。抱きつかれた時に、抱きしめ返せば良かった。好きだと言って、嫌われたら良かった。後悔しても、時間は戻らない。


「師匠さん、ごめんなさい」

 パドマは頭に乗せられた手をつかんで、目を開いた。頭を撫でていたのは、兄だった。名前を知らない黒茶の髪の兄だ。またパドマは、夢の部屋に来ていた。兄の顔の後ろに豪華なシャンデリアとベッドの天蓋が見える。無駄に贅沢な白い部屋で、パドマは寝ていた。

「大丈夫ですか。痛いところはありますか?」

 兄はタオルを持って、パドマを見下ろしていた。涙を拭いてくれたのだろう。耳の後ろがズブ濡れで、気持ち悪かった。どれだけ泣いていたのだろうか。

「うん。大丈夫。問題ない。もう死ぬから、どうでもいい」

 パドマは、ついと横を向いた。言えば反対されるから、秘密にしておくべきなのだろうが、どうせここは、パドマの夢の世界だ。そうでなかったとしても、もうどうでも良かった。

「何故ですか? ダメですよ。そんなことをしてはいけません。だって、ええと、とにかくダメです。ダメなので」

 兄は慌て始めた。大恩ある兄だが、忘れ去っていた上に、最近はあまり付き合いのない人だから、パドマは心揺さぶられることはなかった。

「大切な人が死んじゃったの。ウチの所為で。いつかそんなことが起きるかもしれないのは、わかってたのに、とうとう事件が起きちゃった。その人だけじゃないの。きっとこのままウチが生きてたら、他の人も巻き込んで、皆死んじゃう。それが身に染みて、よくわかった。ウチは、ここらで死んだ方がいい。いや、そんなことはどうでもいいな。もう嫌になったの。だから、あの穴に落ちて、死のうと思う」

 パドマは涙を流しているわりに、しっかりとした口ぶりで、きっぱりと言い切った。これは絶対にやる。そう思って、兄はより慌てた。

「ダメですよ。パドマが死んだりしたら、その人は無駄死にになってしまいますよ。申し訳ないと思いませんか。それに、それに、その人がやり残したことはないでしょうか。パドマが代わりに跡を継ぐのは如何ですか? 残された人に償ったり、他に何か、そう、遺言などはありませんでしたか? まだやるべきことが残っています。だから、死んではいけないので、死んではいけませんよ」

 パドマは、薄く笑った。

「そうだね。あったよ、遺言。最低なの。知るかっつーの。いいじゃん、無駄死に。ウチなんか助けなければ良かったって後悔してくれるなら、死んでやるよ。ざまあみろだよ」

 涙は止まらないのに、パドマはふふふと笑っている。ズタボロだった身体の傷は大方治したのだが、心の傷はどうしたら治るのだろうかと、兄は悩んだ。パドマは、精神的に未熟なのは気付いていたが、荒れることは想像していなかった。

「ええと、遺言はどのようなものだったのでしょう。いや、どうせ死ぬのであれば、それを何とかした後でもいいのではないでしょうか。ああ、それと! 死は、きちんと確認したのでしょうか。もしかして、勘違いということはありませんか? あとは、虫の息だけどギリギリ生きていて、パドマの助けを待っているということは、ありませんか? だとしたら、死ぬのはまだ早いでしょう。文句の1つも言わねば、収まりませんよね!」

 名案を思いついたと、兄は繰り返し「ね?」と言い続けた。

 パドマはそんなことはしたいと思っていないのに、夢の兄はいやに熱心に勧めてくるものだと不思議に思った。パドマの夢なのだから、もう少しパドマに賛同してくれてもいいだろうに。

「そうだね。もう一度会えるなら、生きてなくてもいいから、直接顔を見てお礼を言いたいかな。ちっちゃい頃からさ、いっぱい世話になったんだ。何か知らないけど、大事な仕事を任される話もしたんだよ。まだ何も返せてないのに。あんなの、ズルいよね。頼んでないのにさ。それとも、助けてって顔してたかな。だったら、ウチの方がズルいのか。甘え過ぎてたもんね。

 だけどさ、死んだのがダンジョンだから、もう会えないの。今から下に行って探しても、間に合わないの。ダンジョンに喰われちゃうから」

 パドマは、今度こそ本当に泣いた。もう本当に会えないのだと実感してしまったから、布団を引き寄せて、顔を隠して、声を張り上げて泣いた。もういじめられても、どうでも良かった。死んだら会えるなら、死にたかった。だけど、もう何をしても会えないのだ。同じ穴に落ちてみても、死出の旅路についても、会うことはない。夢ですら、出てくるのは兄だった。もうあの顔は、見れないのだ。


 ぐすぐすとみっともなく泣いて、少し冷静になるまで、兄はずっと側にいて、涙を拭いてくれていた。もう放っておいて欲しいのに、師匠みたいにキレイな顔で、師匠みたいにいつまでも付き合ってくれた。一瞬でも師匠のことが忘れられないからやめて欲しいのに、優しい人にそんなことは言えない。

「パドマ、パドマが会いたいと願うなら、また会えますよ」

「適当なことを言わないで。死体の始末に丁度いいって教えてくれたのは、お兄ちゃんでしょ」

 頭に乗った手を、パドマはぺいっと投げた。でれでれに懐いていた記憶しか持たない兄は、驚いた。

「私は、そんなことは言いませんよ」

「シラフなら言わないかもしれないけど、酔っ払うとおしゃべりになるんだよ」

「妹と酒を酌み交わすのが夢だったのですが、酔い止めが必要なようですね。では、酔っ払いの助言をもうひとつ教えて差し上げましょう。

 ダンジョンに喰われたものは、消えてなくなりません。ダンジョンマスターの部屋に転送されるだけですよ。だから、急げば回収できると思います。ダンジョンマスターは、貴女のことが大好きだから、貴女の願いは最大限叶えてくれるでしょう」

「ダンジョンマスターも、この顔が好きなのか。最悪だな。でも、それが本当なら、急いで戻らないと。お兄ちゃん、刃物を貸して。胸を一突きしたら、すぐに戻れるよね」

 死への憧れは消え去ったらしい。パドマの目は力を取り戻したのに、物騒なことを口にすることに兄は困り果てた。

「傷は治しましたが、ホコリっぽいです。歯を磨いて、お風呂に入って、食事をしてから戻るといいでしょう」

「そんな暢気な」

「可愛くないパドマの頼みなんて、ダンジョンマスターは聞き入れませんよ」

 兄は指でパドマの口をふさぎ、怒り顔になったので、パドマも引き下がった。

「わかったよ。急いで風呂に入ってくる」

 ダンジョンマスターに交渉できるものが、この顔しかないならば、兄の言うことも最もかもしれない。そもそも眉唾にすがるのだ。出来ることなら何でもしよう。全て捨ててやろうと、覚悟を決めた。


 風呂には入ったが、食事は断った。食べる気になれなかったのだ。兄は強要することなく、受け入れた。

 そして、前に着ていた鎧は壊れたからと、新しい鎧を着付けてくれた。金持ちよりも貴族よりも金持ちの兄は、とんでもない豪奢な鎧を提供してくれた。パドマサイズの鎧なんて、断っても他の用途もないだろうから、遠慮なくもらった。

「お兄ちゃん、ありがとう。大好き」

 後悔したくないから、パドマは素直にそう伝えた。

「はい。私も愛していますよ。いつも見守っています。頑張って」

 抱き合って別れることになった。

次回もダンジョン。もう出たい。

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