284.イケメンくまと、にやけグマ
パドマはクマを抱えて、パイを食べながら階段を降りた。次の階層に何がいるかは、大体わかる。変な色のミミズでなければ、巨大化していく火蜥蜴だ。どちらであってもまったく安心できない相手だが、行くしかないならどうしようもなかった。相棒のクマちゃんだけは無傷で帰したいから、頑張らねばならない。
90階層の火蜥蜴は、完全に亜人間だった。80階層の火蜥蜴は、膝が曲がって少々腰が低かったが、ここの火蜥蜴は直立二足歩行をしている。更に、それだけでなく、服を着ているし、武器も持っていた。金属棒や刃が欠けた剣など、あまりいい装備ではなさそうだが、その分リーチが伸びると思えば、持つ持たないの差は大きい。服も装飾ではなく、防具かもしれない。黒地に黄色の斑がある身体はぬらぬらと湿っているように見えるだけで、柔らかかったのだが、胸当てや膝当て、腰巻きなど、思いおもいの何かを身に付けている。背中はワニのようにゴツゴツに変わったので、自前でも強度を上げたかもしれない。
「いやー。あんなに育ったら、武器なんていらないよね。何食べて大きくなったんだよ。身長分けてよ」
大男のイレ並に大きい火蜥蜴人間を見て、パドマは毒づいた。
90階層に近付いた時点で、クマちゃんはぷるぷる震えて、腕にくっついて離れなくなったので、師匠に預けて、パドマは赤の剣を抜いた。そのまま何も言わずに走り出て、最寄りの火蜥蜴人間の腹部を横薙ぎに払って撤退した。一撃入れることには成功したが、火蜥蜴人間の反応も早くて、近くにいた2体に両脇から偃月刀と短剣で殴られてしまった。反射でフライパンで受けることはできたのだが、吹き飛ばされた。階段側に吹き飛ばされたので、中に逃げ込むことはできた。転ぶことなく、戻ることができて、幸いだった。
斬られた火蜥蜴人間は、浅手なのか深手なのか、よくわからなかった。顔に表情は出ないし、傷口は手で覆われて見えない。仲間に付き添われて部屋の隅に連れて行かれ、座らされている。仲間思いの感情を持つ相手を斬ってしまった罪悪感を得ただけで、戦線に復帰できる程度の傷かどうかの判断は、観察しても得られなかった。
「もう二刀流無理! 攻撃が重い。今度、ちゃんとした防具を作ってもらおう」
防具屋の店主の話を無視してきたことを、初めて後悔したが、師匠の同意なく帰れない場所にいる今、改善することはできない。
パドマがどうやって戦おうかなと悩む間に、火蜥蜴人間は他の部屋からも続々と集まってきて、階段に向けて陣形を組み始めた。盾役と槍役と剣役に分かれて、きれいに整列している。前列に盾役を並べ、後ろ上方から槍で刺し、突破されたら剣で仕留める予定なのだろう。階層中から集まってきて、数が沢山いるから、その順で横列に並び、部屋に入りきれない者を含め、何層も作っている。全個体が炎の遠隔攻撃も飛ばしてくるのだ。これは圧倒的な力量差でもなければ、通れないのではなかろうか。そう思ったので、パドマは通れそうな人にお伺いを立てた。
「これ、どうしたらいいと思う?」
パドマの問いに、師匠は答えを返した。黄色いクマのぬいぐるみを投げたのだ。
ぬいぐるみの割には少し重いおかげか、よく飛んで、クマは一部屋向こうに落ちた。そして、いつものように立ち上がり、そっとパドマのいる方向を一瞥すると、反対方向に走って逃げた。
「クマちゃん?!」
それを見たパドマは、剣とフライパンを落とし、ギッと師匠を睨みつけた。
「なんで、そんなひどいことができるの? 信じられない!」
そう言い捨てて、クマを追いかけてしまった。
黄色クマの方が火蜥蜴人間よりも足が速いから、捕まる心配がない。火蜥蜴人間を階段から引き離すのに丁度良いと、師匠は放ったのに、パドマが出てしまえば意味がない。剣を持った火蜥蜴人間と、槍を持った火蜥蜴人間のいくらかは、クマを追いかけて部屋を去ったが、まだほとんどの火蜥蜴人間が密集したままである。
パドマは無手のまま、つっこんだ。火蜥蜴人間は皆、クマを気にして、クマがいる方向を向いていた。だから、パドマが近付いてもすぐには槍は出てこなかった。まっすぐ前の盾役を飛び越し様に踏み付けて更に飛び、槍役を飛び越えると剣役の股を抜いて、クマを追いかけた。次の盾役に近付くと、仲間ごと焼き尽くすような炎の息がパドマを襲ったが、パドマは気合いのグーパンチで跳ね除けた。
「邪魔だ!」
まさかの防御方法に、火蜥蜴人間は驚いた。浮き足だったところを、パドマはまた跳んで越えた。槍役や剣役は攻撃モーションに移らなかったので、そのまま脇をすり抜けて行った。炎を跳ね飛ばすところを見た火蜥蜴人間は足を止め、両膝を折ると、斜め前方へ手の甲を掲げ、その上方を仰ぎ見た。直接パドマの様子を見なかった個体も、それを見て倣った。膝をつく火蜥蜴人間の大量発生に、師匠は引きながら、パドマの忘れ物を拾った。
走る速さは、火蜥蜴人間よりパドマの方が速かった。だから、クマを追いかけていた火蜥蜴人間も、パドマに追い抜かれた。パドマが近付いたタイミングで、火蜥蜴人間は標的をパドマに変えたが、パドマはそれらをするりと避けて、クマを追った。
パドマよりクマの方が足が速く、スタミナ切れも起こさないので、追いつけないままにクマは下り階段に突入して行った。
パドマが下り階段に辿り着くと、クマは踊り場で転がっていた。ダンジョンの中では、いつだって直立しているクマが倒れていた。パドマは段を無視して飛び降りて、腰を落として、クマを拾って抱いた。
「クマちゃん、ごめん。怖かったよね」
抱いて撫でても、クマが立ち上がらなかったから、パドマは泣いた。
それを階上から、師匠は呆れた目で見ていた。表情はいつもの微笑みだが、目だけはパドマを小馬鹿にしていた。ぬいぐるみ相手に何やってんだか、と思っている。自分が同じ目にあっても、同じようにしてもらえる気がしないから、余計に冷たい評価をしているのだが、それについては気付いていない。
カツカツと、わざと足音を立てて近付くと、パドマはクマを背中の後ろに隠した。隠してもクマの頭の方が大きいから、まったく隠れてもいない。
師匠がクマに向けて手を伸ばすと、パドマは下階に逃げようとするので、襟首をつかんだ。
『クマの方が速いから』
誤解を解くために、師匠は蝋板を見せたら、蝋板はパドマの拳で粉砕された。師匠は、目を丸くした。
「だから、どうした。仮令、クマちゃんの方が圧倒的に強くて、何の心配もない対戦カードだったとしたって、クマちゃんは火蜥蜴が大嫌いなのに。怖くて怯えてたのに。それを知ってて投げ込むなんて、人のすることじゃない。万一引火したら、灰になって、布地は傷薬じゃ回復しないんだよ。師匠さんなんかを信じたウチが、バカだった」
もう離さないからねと、ぬいぐるみを労るパドマを見て、師匠はむくれた。ずっとパドマに遠慮して、大人しくしていたのに、まったく報われなかった。本当なら、ぬいぐるみではなく、パドマを投げれば良かったのだ。そこをぬいぐるみで勘弁してやったのに。他にも、倒せそうにないものをスキップさせてやったのに。師匠は踊り場の端に丸まって、ガリガリと壁を削っていじけたが、パドマは階段を下り始めたから、あっさりと作業をやめてパドマを追った。
師匠が後ろについても、パドマは振り向かないから、かばっと抱きついた。それでも苦情も言わずに足を動かし続けるから、師匠はパドマを持ち上げた。足が空を蹴って、師匠の足を蹴飛ばして、暴れても振り解けないのを確認したら、パドマは口を開いた。
「離して」
ここで離したら、逃げられる。もう簡単には捕獲できない。そう思ったから、師匠は蝋板を見せた。
『ごめんなさい』
暴れていたパドマの足が、動きを止めた。師匠はやっと、パドマの足鎧の突起がスネに刺さる痛みから解放された。ごめんね、ではない師匠の謝罪をどう受け止めようか、パドマは考えた。ごめんねよりはマシになったのかもしれないが、まだ軽い。だが、赦すのはパドマの役割ではない。そう思ったので、口を開いた。
「クマちゃんが、動かなくなっちゃったの」
パドマは、泣きながら師匠にクマを見せた。師匠はパドマを下に置き、クマに手を伸ばすと、パドマは身を捻ってかわした。
「ダメ。もうさわらないで」
パドマに拒絶されて、師匠は総毛立った。そして、ぬいぐるみに嫉妬した。ずっと大事な友だちだと思っていたのに、ぬいぐるみの分際で、パドマに好かれるなんて、100年早い。そんなに優しくしてもらえるなら、兄ではなく、ぬいぐるみになれば良かった!
どす黒い気持ちを抑えて、師匠は懐中から紫色の石が付いたネックレスを出して、パドマに差し出した。クマを指差し、首にかけるジェスチャーをして見せる。
パドマは、ネックレスを受け取ったが、胡散臭そうな眼差しをそれに向けている。自分の腕に巻いてみたり、指で擦ってみたり、パドマなりの検閲を通過した後に、クマの首につけた。クマは自立した。
師匠は、ダンジョンの中でクマが動く仕組みを知っていた。動くぬいぐるみには、とある紫色の石が中に仕込まれているのだ。それをキーにして、ダンジョンの魔法が作用している。
クマが立ったら、パドマは飛び上がって喜んだのだが、すぐに顔を曇らせた。
「クマちゃんが、別クマになった。ウチのクマちゃんは、イケメンなのに! こんなにニヤニヤ笑ったりしないし!」
師匠は何も悪いことはしていないのに、パドマは睨んだ。クマは、ただ立ち上がっただけである。すり替えてもいないし、笑ってもいない。とんだいいがかりなのだが、師匠は不満を飲み込んだ。100%善意でやったことではあるが、別クマだと言い張る理由に、心当たりはなくもなかった。
師匠は踊り場まで戻り、床に這いつくばった。その姿勢のまま、階段を上がっていく。その似合わない姿勢に、パドマは驚いた。
師匠は、舐め回すように丹念にゆかを見て回り、階段の入り口近くで、米粒の半分くらいの大きさの紫の石を見つけた。懐中から香袋を取り出し、石を中に入れると、香袋に紐を付けた。そして、パドマのもとに戻り、香袋を差し出した。
パドマも、師匠に悪気はないことに気付いた。だが、懸命にパドマの要望を叶えてくれようとしてくれている割に、師匠はむくれてそっぽを向いていた。
パドマは香袋を受け取って、ネックレスと取り替えた。すると、クマが元のパドマのクマちゃんの顔をした。元の立ち姿勢になった。
「クマちゃん!」
パドマは泣いて喜んでいたが、師匠の目にはクマの姿は何も変わっていない。パドマが正解を引き当てて怒っていたことは理解したが、それを知った師匠の闇は、より薄暗いものに変化した。そんなものがわかるくらいに、想いを寄せているのか。
その思いを乗せて、パドマをじとりと見ていたからか、パドマは師匠の方を向いた。
「クマちゃんをなおしてくれて、ありがとう」
パドマが感謝の言葉とともに幸せそうに笑ったから、師匠の中のドス黒い感情は、一気に霧散した。よろよろと、パドマに合わせて身を屈めて近付くと、
「感謝はするけど、クマちゃんを投げたことは、一生許さない」
と睨まれて、崩れ落ちた。
くまのくせに。くまのくせに。くまのくせに。師匠が怨みとともに壁に刻んだ文字は、時間の経過で自然と修復されて消えた。
次回、ステーキに憧れる。