277.役立つ肉だった
傷も治り、身も軽く階段を下り、パドマは83階層に到着した。83階層には、ツツボヤがいた。
植物のように床や壁にくっついたまま歩かない管状の何かである。単体で存在するもの、群体で存在するものといろいろいるが、共通でダンジョン仕様で巨大化されていた。物によっては、100倍以上に拡大されている。
小さいままなら可愛かったかもしれない。キレイだったかもしれない。クラゲのように透明なボディに、白や青や紫色の模様が入ったツツボヤがいる。橙に白水玉のツツボヤがいる。拡大率が10倍程度なら楽しく見てられたのに、師匠に匹敵するくらいに大きくされたツツボヤは不気味だった。白い線模様は人骨にしか見えないし、水玉模様と入水孔のコラボレーションは、人の顔のように見えなくもない。朧げな幽霊の顔だとするならば、及第点の出来だと思う。
ただでさえ、ちょっとミミズっぽいなと腰がひけているところに、お化けをかぶせられては堪らない。パドマは、特別お化け嫌いではないが、お化け好きでもないのだ。うわー、やだなー、近寄りたくないな、くらいは思うのだ。イレがピンチだと言うならばそんな気持ちは無視して通るが、イレのために通ってくれと頼まれれば、即断るくらいには進みたくなかった。
だから、暴言を吐きまくっていた師匠の袖の先をそっとつかんでいるし、階段から出ない。
「うふふ、キレイね」
なんてキャラに似合わない台詞をほざきつつ、階段に座り込んで動かない。
師匠は、待った。
パドマは、クラゲ鑑賞が好きだった。パドマは、ウミウシ鑑賞が好きだった。ツツボヤも似たような感覚で、眺めているのかもしれない。師匠はツツボヤが好きだから、美しいと思うから、鑑賞したくなる気持ちはよくわかった。バカ弟子のピンチを救いに行くよりも、ツツボヤを見ていたいと思う気持ちは、共感できた。
もしかしたら、ツツボヤなんて見たことがないから、脳内で戦いのシミュレーションをしているのかもしれない。
そう思い、しばし待った。
だが、成体は移動をしないのである。見ていても何の変化も感じられない。オタマジャクシのような幼生は泳いでいるが、別に、どうということもない。あれは、ただ動いているだけだ。
なのに、パドマは動かなかった。よくわからない話を絶え間なくくっちゃべっているのだが、とうとうそれが先程とまったく同じ順で語られる2ループ目に突入した。それで、ようやく、行きたくないだけだな、と師匠は確信を得た。
「うふふ、キレイね」
とうとう3ループ目に突入した。師匠は、大丈夫だよという気持ちを込めてパドマの頭をナデナデし、自分の袖からパドマの手をそっと外すと、向かいあって両手をつかんだ。パドマが安心できるよう優しく微笑みかけて、次の瞬間、勢いよくぶん投げた。目測は過たず、3部屋先の部屋にパドマが落ちた。それを追いかけて、師匠も跳んだ。
「バレたか」
鳴りを潜めつつあったが、元々師匠はパドマをダンジョンの部屋に蹴り入れる習性があった。蹴るとケガをしそう。ケガをしたら、皆に悪く言われるし、看病が面倒くさいし、食費がかさむ。それが嫌だからやらなかっただけで、師匠の本質は変わっていなかったのだろう。パドマのケガに対する配慮は自己都合で、パドマの気持ちその他は検討に値しないものなのだ。
「こんなことして、穴から落ちたら、どうしてくれる」
パドマは、師匠を睨みながら立ち上がった。
下り階段とは逆方向に投げられてしまったのはムカつくが、ここにはニョロニョロとおたまじゃくししかいない。毒の有無がわからないから、剣でべしべしとおたまじゃくしを避けつつ、歩いて行けば良い。幸い、足はもう痛くないのだから。
そう思い、パドマは寸胴剣を持って、歩き始めた。
だが、いくらも歩かないうちに、予定が変わった。何もしてないのに、パドマの身体が浮かんだのだ。そして、行く予定のない方角に進んでいく。
「これが噂の英雄様の空中散歩?」
パドマの意思とは関係なく浮かんで進むのでは、目的地に行くのは難しい。どうしたものかと悩んでいたら、ツツボヤの入水孔入り口に到着した。パドマはなるほどと思い、剣を振るった。単体でいたガイコツパンダボヤは、プツンと斬れた。
あっけなく退治が終わると、パドマは落下した。ガイコツパンダボヤは、部屋の角にいたので、パドマは穴に向かって落ちていく。
「きぃあぁ!」
師匠は、慌ててナイフを投げたが遅かった。ナイフは届かなかった。パドマは、また有らぬ方向にすっ飛んで行った。
パドマは、ウルトラマンボヤの入水孔に誘われた。そして、そのままするんと中に収まった。命を救ってくれたことを感謝したのではない。穴に落ちるくらいなら、ツツボヤの中でいいや、と投げやりになったのだ。入ってみたら、臭くはなかったので不満はない。身体を丸めてじっとしていたら、恐ろしい微笑みを浮かべる師匠に助け出されてしまい、パドマは落胆した。師匠がナイフを刺したから、ツツボヤは弾けてしまった。
「鬼畜兄から匿ってくれただけなのに、ごめんね」
パドマが悲壮な顔で群体をなしていた別のツツボヤに抱きつくと、そのツツボヤはつぶれてしまった。
「ああ、師匠さんの陰謀で!」
今度こそパドマの所為だと師匠は思ったのに、また師匠の所為ににされ、師匠もブチギレた。
「! !! !!!」
師匠はパドマを怒鳴りつけているようだったが、何も聞こえなかった。パドマはてっきり、師匠はしゃべれるのを隠しているものだと思っていたのだが、もしかしたら昔はしゃべれたけど、病気かケガで声を失ったのかもしれない。何かを喚いているのに、何も音が出ない光景を見ると、そのように思われた。
「でも捕まるところもないし、穴に落ちるし、ツツボヤの中にいた方が安全じゃない?」
パドマが真顔でそう言えば、師匠は怒鳴りつけるのをやめて、首を振った。
『消化液で、服を溶かされる』
師匠の蝋板を見て、パドマの顔は凍った。慌てて自分の服を確認すると、そばにいたツツボヤを全部斬り払った。ツツボヤには、そんな機能はないのに。今度こそ、師匠の陰謀でツツボヤは殺された。
ツツボヤを退治していると、パドマの身体はまた宙に浮いた。入水孔に吸い寄せられているのだろう。入水孔の入り口に連れて行かれても、中に入ってしまっても、武器なしで倒せるくらいにツツボヤは弱かったが、地面に穴が空いているのが曲者だった。うっかりすると奈落に落ちてしまうし、落ちなくても上を通過するのは怖い。その上、いろんな方向に吸い寄せられてしまうので、なかなか階段にたどり着けない。
穴に落ちてしまいそうになった時、奇妙なことに気が付いた。
つかまれるところが何処にもないから、師匠に向けてナイフを飛ばし、糸をひっかけて難を逃れた。なんて便利な師匠さんと思ったのだが、浮かんで飛んでいるのは、パドマだけだった。師匠の袖をつかんでいるパドマはぷらんぷらんと浮かんでいるのに、師匠は普通に立っている。
「ああ、師匠さんは、下っ腹が重いから」
頭に過ったことを素直に口に出したら、師匠は怒って袖を取り上げた。パドマは、またミドリトウメイボヤのところに飛んでいった。
「全然ゴールに辿り着けないし!」
怒ったパドマはナイフを乱射して、ツツボヤを倒し始めた。クロスジツツボヤも、デストロイヤーボヤもキレイだが、つぶした。パドマは命がけで遊びたいと思えるほど、ツツボヤ好きではない。
階段方向とは逆方向のツツボヤを殲滅し、階段方面のツツボヤに吸い誘われつつ、たまに穴に落ちかけて、師匠の贅肉に助けられながら、見事に下り階段前に到着した。
ここまで連れて来てくれたコバルトツツボヤを潰してから、パドマは階段を下った。
次回、男の浪漫。