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ダンジョンマスターの贈り物  作者: 穂村満月
第8章.18歳
276/463

276.子守唄

 パドマは痛む足を引きずることもなく、痩せ我慢だけで82階層にやってきた。

 師匠は、パドマの顔色を伺うような様子でついて歩いているが、ただのフリだとパドマは思っている。その証拠に、パドマの足が血だらけでも後ろからついて来るだけだ。師匠なら、抱えてくれればパドマを歩かせる必要はないし、戦闘も手伝おうという気配も見せない。イレが心配だと連れてきただけで、もう心配するフリすらしていない。ただ真珠と寸胴鍋拾いの生活に、納得していなかっただけなのだろう。何も祭の最中に、足を痛めたタイミングで連れて来なくても良かっただろうに。

 そう思ったからには、師匠は敵だ。なんならパドマを連れて来るためだけに、イレを何処かに足止めしているのではないかという疑惑すらある。師匠の普段のイレの扱いを思えば、それくらいのことはあり得る。イレはイレで強いから、そんな扱いをされても妨害されていることすら気付かず、へらへらと生きていて、別にいいんだけどと言うような気もするが。

 そうだとするなら、パドマが今頑張っていることは、ただの道化だ。だから、腹を立てている。師匠に囚われたイレを救うなら頑張る価値もあるが、イレは放っておいても、そのうち自力で出てくるに違いない。



 82階層には、2種類の敵がいた。黒地に茶褐色の模様が入る敵と、黒地に灰色の背を持つ四つ足の動物である。茶褐色の方はクズリと呼ばれ、灰色の方はラーテルと呼ばれている。

 大きさは、クズリの方が大きい。体長はパドマの半分から3分の2程度。体重は半分にも満たない。それ故に、油断して通り過ぎたいところなのだが、今までのどの階層よりも、同士討ちが激しかった。背に跳び乗り、地に引き倒し、これでもかと噛み振り回す。やられた方も、転げ回って牙をむいている。勝者になっても油断をすれば、獲物は奪われ襲われる。床上でも天井近くの竿竹の上でも、熾烈な争いが行われていた。

 2種の動物が互いに縄張り争いをしているのではなく、種にこだわりなく争っていた。あるものは、同種の幼獣の喉笛を食いちぎっている。その成獣の子ではなく、リポップしただけの縁もゆかりもない関係なのかもしれないが、見ていて気持ちのいいものではなかった。ただでさえ機嫌の悪いパドマは、更に怒りを爆発させた。

 足の痛みも、腕の怠さもないと自己催眠して、走り出た。


 パドマは剣を抜いていない。両手でフライパンを構えフルスイングでラーテルを殴り飛ばし、クズリを踏み付け、蹴飛ばして進む。

 今まで、身内だけで争っていたのに、パドマが階段から出た途端に全ての目がパドマに向けられたが、パドマは臆さなかった。パドマがやっているのは敵の殲滅ではない。ただのストレス発散だった。師匠への怒りを、通りすがりのモンスターにぶつけているだけである。暴れれば暴れるだけ、腕も足も痛みが増し、更に怒りが倍化する。そのうち力尽きて無になる瞬間が訪れるかもしれないが、怒りが尽きるまでは、動ける。

「腹黒!」

「性悪!」

「エセ笑顔!」

 パドマは、殴る度、蹴る度に悪口を言った。師匠のことなど、ちらりとも見ない。だから、師匠もパドマの活躍を微笑ましく見守っていたのだが、段々と何を言っているか、気付かされた。

「キス魔!」

「女男!」

XXX(ピーッ)野郎!」

 伏字の台詞は、決定的だった。別荘に行った折に、パドマが師匠に放った爆弾発言と同じ言葉だったのだ。パドマの周囲は男だらけだが、そんなことを言われる可能性がある付き合いをしているのは、ヴァーノンか師匠くらいだろう。どうしてか、ヴァーノンはそうはならないと言っていたから、間違いなくパドマがネタにしているのは、師匠だと思われる。今までの悪口も、これからの悪口も、全部パドマの中の師匠の印象に相違ない。師匠は震えながら固まった。

「外面仮面!」

「人でなし!」

「男ったらし!」

 パドマは、ばこんばこんとまとめて数匹殴り飛ばしているが、殴ったくらいでは相手は死なないし、どんどん囲まれて形勢が悪くなっている。それなのに気にせず、走り回ってラーテルを踏みつけながら、クズリを殴り続けた。

「人の後ろ首ばっかり狙ってきやがって。そういうところが、ムカつくんだよ!」

 竿竹から落ちてきて、パドマの延髄を狙ったクズリは、ノールックの後ろ回し蹴りで吹き飛ばされた。今度こそはクズリへの文句だと思うのに、師匠はダメージを受けて、胸を抑えた。そして、耐えきれずに逃げ出した。パドマを置き去りにして、上階へと走って消えた。


「こんなところに、置き去りにしやがって」

 パドマは、剣を抜いた。斬り飛ばし、踏みつけながら階段を目指して走ったが、段々と数が増えてきた。適当に剣を振っているだけだが、クズリは2回に1回は殺れているのに、ラーテルは剣を当てても高確率で再起しているように見えた。見た目が違う似たようなものだと処理していたが、そうではなかったのかもしれない。囲まれすぎて、今更、細かい対処などできないが。

 もうダメだと思った瞬間、パドマは跳躍して穴を飛び越えた。部屋から部屋への跳躍は無理だが、頑張って通路から部屋に飛び移ったのである。

 パドマが跳んだ距離は大したものでもなかったが、急なことで対応仕切れなかったのか、後続から押されたか、いくらかの成獣は落ちたのと、距離を稼げたので、止まらず走って階段に到達した。


 今度こそ、疲れ果てた。無駄に走り回るものではなかった。怒ったにしても、少しは自分を労わるべきだった。パドマは、少し反省した。

 息は乱れて、足の激痛は収まらない。こんな状態では寝ようと思ってもなかなか寝られるものではないと思うのに、視界は霞み、まぶたが重くなってきた。この程度のことで、いちいち制御を失う生っちょろい己れの身体に腹が立ったが、パドマは抗わずに目を閉じた。結果、誰かの命がまた失われるかもしれないが、しーらない。次に、あの人の顔を見る機会があったら、そう言おうと思いながら。



眠れねむれ我が最愛の

眠れねむれ良い子よ

我が袖のうちで眠るるる

我は幸せの夢を結ぶ


眠れねむれ天が遣わした

眠れねむれ龍の子よ

汝が欣喜の夢見るるる

我は麗しの花を咲かす


親愛なる黄金龍よ。気高く美々しい偉大なる友よ。我が愛し子に祝福を。健やかなる血肉を与え給え。代償は、栄誉也。我が愛し子の糧となる喜びを与えん。



 美しい面差しの青年が、扉をノックして問いかけた。

「お兄ちゃん、そろそろ帰ってもいいかな」

 部屋の中からは、甘やかな歌声が漏れていたのだが、青年の呼びかけでそれがピタリと止まった。もう少し聞いていたい気もした、ご機嫌な声色だった。青年は、邪魔をして悪いことをしたと反省したが、もう遅い。衣擦れの音がしばし響き、間を置いてから扉が動いた。静かに薄く扉を開けて出てきたのは、甘い面差しの年嵩の青年だった。

「そんな寂しいことを言わないで下さい。明日も明後日も、ここにいてくださいませんか。私の寂しさも紛れますし、お前の夢も叶うのですよ。とびきりの贈り物を用意しているので、少し待っては頂けませんか」

 甘い面差しの青年は、声も甘やかだった。媚薬を乗せたような声に、年少の青年も困り顔になった。

「明日また来るからさ。一度帰らないと、そろそろ怒られちゃうと思うんだ」

「あと少し。もう少しなんです。もう少しで、私の宿願が叶う。お前の夢も叶う。ともに幸せになれるのに、どうして邪魔をするのでしょう」

「邪魔? 邪魔なんてしないよ。ずっとお兄ちゃんの言うことを聞いてきたよ。良い子にしてたよ」

 年少の青年は、年嵩の青年から視線を外し、ぶすくれた。そんな顔をしても、年嵩の青年は自分の気持ちに寄り添ってくれることはないのはわかっているのに、感情を抑えることはできなかった。ついつい幼い頃、兄にそうしていたように行動してしまう。

「そうですね。君は良い子です、カイレン。良い子だから、私の部屋に近付いてはなりませんよ。約束しましたよね。もう遅いから、おやすみなさい。また明日、遊びましょう」

「おやすみなさい。お兄ちゃん」

 兄の現し身のような無機質な白亜の廊下を辿り、年少の青年カイレンは、自室として与えられた部屋に戻った。

 部屋は快適だった。快適な室温に快適な寝具。何もしていないのに、魔法の力で常に清潔に保たれ、腹が減ることもなかった。だが、そこにはそれしかなかった。

 ずっと求めていた優しい人も、愛しく思っている可愛い人も、気安く話せる友も、誰もいない。その寂しさを紛らわしてくれる酒もない。布団に包まれれば温かいが、求めていたものはそれではなかった。

 大切なあの人を手にかけてから、ずっと渇いているのに、得られたものは寂しさと虚しさだけだった。やる前からわかりきっていたことだったが、大恩あるあの人の願いを聞き入れない選択肢はなかった。寂しくていられないから、今日も幻影に依存している。その無意味さを知っているのに、すがるのをやめることはできなかった。



 パドマは、温かい何かにくるまれて、子守唄を聞いていた。少々薄気味悪く、意味も通じない、文法も壊れた歌だった。るるる、るるると続くのが、やけに耳についた。初めて聞いたのに、懐かしい気持ちになった。


 嗅ぎ慣れた石鹸の香りに誘われて、目を覚ますと師匠がいた。いつものダンジョンお泊まりほどの不快感はなかったが、またパドマは師匠の膝の上に乗せられていた。その上で、薄手の毛布に包まれており、更に身体の上に蝋板が積まれていた。蝋板は、何枚あるのか数えたくなくなるほどにうず高く積まれているが、それら全てが金色の光に包まれていた。

 1つつかんで見てみると、師匠が時々持っている古代魔法遺産(アーティファクト)の蝋板だった。『痛いの痛いの治っちゃえ』と書いてある。2つ目も3つ目も同じことが書いてあった。持っているのは知っていたが、こんなに沢山持っていると、有り難みもないんだろうな、と床に散乱した光る蝋板を見て思った。あれらは放置しておけば、そのうちダンジョンに食われてなくなってしまうだろう。それを知らないということもないだろうに、師匠はそれらを気にかけることなく、パドマを見つめていた。

 パドマが目を冷ました時、師匠はパドマを見下ろして、痛そうな表情を浮かべていた。すぐには意識を手放す前の師匠とのやりとりを思い出せなかったパドマは、頭の中にハテナが飛び交ったが、思い出す前に師匠に抱きしめられて、それどころではなくなった。

 積まれていた蝋板が落ちて散らばったが、それはまぁいい。パドマの物ではないから、どうでも良かった。それよりも、ぎゅうぎゅうと抱きしめられて、胸が痛い。恋心ではない。押さえつけられて、物理的に痛い。口もふさがって、息もできない。助けを求めるつもりで手を動かしていたら開放されたが、師匠は怪訝な顔をした。パドマは呼吸を整えると、師匠の胸ぐらをつかんで起き上がり、立ち上がろうとして、素足でいることを知った。素足な上に、ペトペトする感触がある。毛布をめくると、パドマの足は油を塗ったようにテカテカとしていた。

「師匠さんのバカ! 変態! 漁色家!」

 パドマは、慌てて毛布を戻し、師匠をなじった。足鎧が外されているのには気付いていたが、ボトムスまでなくなっているとは思わなかったのだ。上衣は長くて膝上まで隠れていたが、それだけでは心許ないし、脱がすという行為そのものが信じられなかった。何も思っていない顔でやるのもムカつくし、何か思っていたなら、死ねよと言っただろう。

 師匠は、パドマが質の悪い傷薬の存在に固執するので取りに行ってきて、ご所望通りパドマの足に塗ってやっただけだった。鎧が鬱陶しかったから、ぺぺぺいと外してしまったが、あんなものを付けたまま上から塗ったのでは、いよいよ効果は得られないだろう。素足でも寒くないように、毛布は巻いたし、質の悪い傷薬を補完しようと蝋板も積んだ。床に倒れるパドマを見つけて、血相を変えて可能な限り急いで処置をした。今の師匠には、これ以上のことはできない。そう自信を持って言える。倒れた理由は想像しかできないから、足りないかもしれないと心配したが、最善は尽くした。それでもまだ悪口の続きを言われるなんて、心外だった。だから、膨れてそっぽを向いた。

 パドマは手でぐいぐいと更にそっぽを向かせて、近くに投げられていたボトムスを拾って履いた。ガチャガチャと足鎧と格闘したが、上半身は鎧をつけたままなのだから、うまくいかない。ボトムスだって、手で履いたのではなかった。いつまでも支度が仕上がらずに床を転げていたら、師匠が少しきつめに着付けてくれた。

 それには、不承不承という面持ちではあるが、パドマも礼を言った。平静を取り戻し、パドマは足が痛くないことに気付き、何度か足踏みして確かめた。

 そこであのべたべたは傷薬だったかと思い付き、改めて礼を言い直したのだが。べたべたするのは足だけだったのに、腕の痛みも消えていた。パドマは、首を傾げつつも、下階に降りて行った。

次回、師匠の脂身の使い方。

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