273.婚約式列席
パドマが目を覚ますと右にリブが、左にニナが寝ていた。一緒にミラもいたハズなのに、いない。パドマは上衣を羽織ると部屋を出た。
美味しそうな匂いに誘われて、辿り歩くと、ヴァーノンがいた。そして、ミラもいた。パドマは、こともあろうに食欲の赴くままに移動して、恋人たちのお邪魔虫になってしまったのである。盛大に落ち込んで、寝室に戻ろうとしたところで、ヴァーノンに肩をつかまれた。
「行くな。俺はパドマの朝ごはんを持ってきただけだから」
「なんで?」
「普通の家には、朝ごはんがない。耐えられないだろうと思ったから、配達に来た。食え。そうだな。お前が食べてくれたら、その間、ミラさんと雑談ができる。だから、大人しく食べてくれないか」
「ううう」
パドマは、渋々という顔をしてイスに座り、鍋のフタを開けた。こともあろうにヴァーノンは、朝ごはんを鍋ごと持ってきていた。単純に詰め替えるのが面倒だったのかもしれないが、中身は大量に入っていた。大食いなのがバレるじゃん! とパドマは悲しくなったが、昨日の夕飯は1人前で我慢したから、お腹はぺこぺこだった。だから、入っていたポリッジをぐびぐびと飲み干した。2つ目の鍋には角煮が入っていた。これは流石に飲めないな、と諦めてフォークで刺した瞬間、パドマの瞳が輝いた。匂いだけではわからなかった、角煮の製作者が判明したのだ。
「ありがとう、マスター」
幸せそうに顔を蕩けさせてもぐもぐと食べるパドマを、幸せそうな顔でヴァーノンは眺めている。それをミラは驚き顔で見ていた。
「随分と食べるんですね」
「時々ね。そういう病気にかかるらしいのです。いつもではないですよ」
「でも、食べてるパドマは可愛いから、いいですね」
「ミラさんも、そう思いますか? ああ、でも笑うパドマも泣くパドマも、駄々をこねるパドマも可愛いんですよ」
「そうですね。わたしは、寝てるパドマも怒るパドマも可愛いと思いますよ」
「同感です!」
食事をする真横で、甘い空気を醸しながら変な話をしている兄と友だちに、辞めて! と言いたいのだが、仲良しを邪魔するのは本意ではない。パドマは複雑な気持ちで、食事の終了を急いだ。
角煮を食べても、まだ鍋がある。食べ物が沢山あるのは嬉しいのに、困ってしまった。
食べ終わると、ヴァーノンは鍋を抱えて帰って行った。ここからは、女子時間だからだ。
今日は、ヴァーノンとミラの婚約式がある。それを理由に、パドマはミラの家にお泊まりしたのだ。未婚女性を泊めるのだからと、家から追い出されていたミラ父には申し訳ないことをしたが、寝るまでずっとおしゃべりができて、パドマは幸せだった。
そして朝となったから、婚約式の準備を始める。
婚約式は、特別に決められた服装規定はないようなので、パドマが勝手に服を持って来た。ミラ母、ミラ、リブ、ニナ、パドマの5人が、同じ服を着る。母と主役のミラの服は色を変えたが、デザインはほぼ同じだ。パドマでも着れる町娘風の衣装を、テッドが用意してくれたものだ。
生成色のコットの上に、ジレのようなデザインのシュールコーを着る。布地はリネンでできているようだが、袖は長袖な上に袖口がびらびらと広がっている。貴族のような装いになった。それに冠を付けて出かけた。
会場は、中央集会所である。本来なら、ミラが住んでいる地域の集会所で行うのだが、ヴァーノンの婚約式となれば、紅蓮華が黙ってはいない。遠さを理由に断れば、ミニ馬車が出てくるだけだった。
女同士できゃっきゃと着付け、化粧をし、身支度を終えると、ミラ父と合流し、ミニ馬車に乗って、パドマの護衛に取り囲まれて、会場に向かう。
広い道しか通行できないので、遠回りして海側の道を行くと、波も穏やかでゆったりとした景色が広がっていた。
途中で、やはりパドマの護衛に取り囲まれたヴァーノンとマスターとママさんと合流し、中央集会所に行くと、入り口に紅蓮華会頭が立っていた。
婚約式の誓約の監視人は誰でもいいのだが、ヴァーノンの就職先である紅蓮華の長であり、街議会議員である会頭は、考えうる限り最上の立ち会い人だと、ゴリ押しされたのである。本当の就職先である唄う黄熊亭のマスターは父として参加するし、マスターの親戚にこれから頼むのも手間なだけだから、ヴァーノンは了承した。変な人間関係は作りたくないが、紅蓮華の会頭を引っ張って来れれば、ミラ父への面目も立つからだ。
会頭は、真面目に婚約式を執り行う気持ちがあるようだった。白のアルバとカズラと金のストラを身につけていた。あまりの似合わなさに、パドマは笑ってしまいそうになるが、折角会頭が真面目な顔をしているのだから、必死で堪えた。
「紅蓮華のヴァーノンと、東区の機織工ジムの娘ミラで間違いありませんか?」
「はい。迷宮区唄う黄熊亭のヴァーノンです」
「はいっ。間違いありません。ミラです」
笑顔で火花を散らし合うヴァーノンと会頭に、ミラ一家全員が驚いたようだが、本人確認が済んだので、建物の中に入った。
全員が中に入りきると、会頭に促され、マスターとミラ父によって、結婚の契約内容が明かされる。
ヴァーノンが正式に唄う黄熊亭の跡取りであり、将来的に相続する予定であることや、結婚後は暫くそのまま実家に住み別居することや、同居することになっても当分は唄う黄熊亭には住まないことなどが、ずらずらと挙げられていく。話し合いは済んでいるので、何故どうしてなどという問答はない。聞いたことのない変な条項の羅列に、何故だとツッコミを入れたい人間は、パドマだけだった。結婚後の契約内容に、やたらと弟妹という単語が出てきた。彼らの弟妹はパドマだけではないから何とも言えないが、内容が変だったことは間違いない。
長い長い契約内容の確認を終えると、会頭に内容について問われ、誓約をし、ヴァーノンとミラは指輪の交換をした。
なんの面白味もない金属の輪っかである。それを見せられたパドマは昨日抗議をしたのだが、高価な指輪をつけたらミラが強盗に狙われると説得されて、渋々認めた物だ。高価でなくとも、何かあるだろう! と普段からキラキラ飾り付けられているパドマは思ったが、ミラにまで仕事の邪魔になるのは嫌だと言われて、撃沈した。今度、師匠に飾られたら、仕事の邪魔だって言おうと拗ねた。
そこまで済むと、また外に出る。集会所の横手に回り、婚約者名簿の欄にヴァーノンとミラの名前を刻んだ。ミラは字が書けないので、まとめてヴァーノンが書き、それを会頭が確認して、婚約の成立を宣言したら、婚約式は終了である。
婚約式には殴り合いはない。その婚約は無効だ! とジュールあたりが騒ぎ出すと、婚約が壊れる可能性を秘めているので、まだ人々の記憶に刻み込む必要がないからだ。基本的に婚約も破棄はできないが、結婚以上に抜け道はいろいろある。
婚約式は終了して、本来なら家に帰るだけなのだが、紅蓮華会頭まで引っ張り出したのだから、これでは終わらない。引っ張りだしたのではなく、勝手に向こうから飛び出てきただけなのだが、そんなまともな会話が通じる相手ではない。
そのまま紅蓮華系列のレストランに雪崩れ込み、婚約パーティが始まった。半分はテラス席である。ヴァーノンを見世物にして、どんちゃん騒ぎをするのだ。
パーティ会場には、テッドやパドマやミラ父の親戚も招待されていたが、ほとんどが紅蓮華幹部だった。ヴァーノンすら、薄っすらとしか記憶があるかないかの、誰だか知らないおっさんたちばかりである。
妹パドマの横には、ルーファスがいるから問題ない。そう見てとって、絡まれたくないパドマは護衛たちを引き連れて、テラス席で飲み騒いだ。衆目を集めるのは得意だから、それを引き受けたのだ。ヴァーノンはゆっくりとミラの親戚や紅蓮華の誰かと親交を深めれば良い。
可愛い町娘スタイルのパドマが、自分たちと同じ酒を飲んでいる。そんな貴重な機会に、護衛たちはテンションを上げ、大いに盛り上がった。ハメを外して飲み、護衛が務められなくなれば、いつの間にか交代要員に代わる。呼んでないのに、レストラン外に護衛の待機列ができていた。だから、何の心配もなくパドマは部下の杯に酒を注ぎ、自らもあおった。
部下たちは、相変わらず見た目が凶悪だが、パドマも少しは慣れてきている。震えは止まらないが、涙はこぼれなくなった。
酔っ払った風情で蕩けていたら、しれっとルイが護衛に混ざっていたので、条件付きで和解してやると言った。すると、あの日あの場所にいたバカ野郎たちが沢山集まってきて、パドマに謝罪した。それを受けて、パドマは、女性は全て神だと思えと説教をして、ルイと同じ条件を提示した。師匠は女性ではないのだが、今のパドマは酔っ払いだから、それで良かった。酔っ払いは大嫌いだったのに、それも好きになりかけていた。
次回、そろそろダンジョンに行きます。