272.サプライズパーティー
ずっと寝て過ごしていたが、ケガは治っていた。骨が無事だったかどうかは不明だが、背中いっぱいに広がっていたアザは消えたと聞いた。だから、寝て過ごす必要は実はない。良い子の妹を装っていただけだった。
「師匠さんお兄ちゃん、ちょっとダンジョンに遊びに行ってもいい? 危ないことはしないから」
そうおねだりすると、師匠は笑みを深めた。パドマは心臓が止まりそうな衝撃を覚えつつも、無視した。許可が出たなら、それで良い。気が変わる前に剣帯を装着し、表に飛び出した。生憎の雨模様だったが、ダンジョンに天気は関係ない。頭を冷やすのに丁度良いと、師匠が差し掛ける傘を振り切るように走った。結果、濡れネズミになったが、そのうち乾くだろうと放置した。頭だけは、師匠が拭いてくれた。だから、風邪なんて引かない。気にしない。
走れば乾くという理論をぶち上げて、パドマはいつものようにダンジョンを走り下った。久しぶりに剣を振るのが楽しくて、ついつい斬る必要のない敵まで、後ろとびひねり前方2回宙返り1回ひねり斬りをしながら、先に進む。
68階層まで行って、ヤシガニから寸胴鍋を引っぺがして、62階層まで戻って、赤の剣で身をジュウジュウと焼いたものをつまみながら貝の殻むきをして、見つけた真珠をケースにしまった物をヤマイタチに持たせ、さらに寸胴鍋にガラガラと貝を詰め込んで帰った。
お小遣い稼ぎではなく、兄の結婚式準備だ。兄の結婚式の準備を手伝うのではなく、兄の結婚式にパドマがやりたいことを準備するのだ。いつ婚約式をするのか聞いていないが、婚約式の1年後に結婚式を挙げると聞いたので、それまでにまた真珠と寸胴鍋を集めるつもりでいる。ヴァーノンが真珠を寄越せと困り果てても、無視してパドマは真珠を集めるつもりでいる。どうせヴァーノンは、パドマを頼らない。爪弾きにされるのであれば、パドマはパドマで勝手をするだけだ。新郎を越すサプライズを用意して、ミラを驚かせるのが目標である。
だから、師匠に先を促されても、それどころではなかった。
そろそろ誕生日祭の準備もしなければならないが、全部人任せにしようと思っている。イギーとルーファスとグラントが協力してなんとかするだろう。空を飛べだの、タランテラを踊れだのと言われないのであれば、特に不満もない。誕生日祭を廃止にできないのであれば、言いたい不満はない。
衣装も、師匠とルーファスとグラントが相談して、用意してくれると思う。パドマはここ数年、さしたる成長をしていないから、数年前にあつらえた服でも問題なく着れる。新調しなくても着る服はある。祭としての面白味に欠けるかもしれないが、変な服を用意されたら、以前の服を着れば良い。服に興味があるのでもないのに、話し合うのに飽きたのだ。露出を求められないならば、なんでも良い。
だが、衣装の試作品を見て、失敗だと悟った。グラントはいい。去年のテイストを踏襲した無難なデザインの服を用意した。色が変わって、やたらとレースがひらひらしている狩衣だった。好みではないが、着てもいい。我慢できる範囲内だ。問題は、残りの2人だ。
ルーファスは、肩丸出しのドレスを何着も用意した。中には、スカート丈が短くて、膝下がむきだしのものもあった。1回着たんだから良いだろうと言われても、パドマは良いとは思えない。そんな辱めを受けるくらいなら、誕生日なんて祝ってくれなくていい。誕生日祝いなんてしてるのは、アーデルバードではパドマだけだ。こんなものは全てやめて、皆と同じ新年に誕生を祝えばいいと思う。
更に意味がわからないのは、師匠の衣装だ。すごいクオリティの鳥の翼を作ってきた。人間サイズの鳥の翼である。これを使って空を飛ばされるのかとパドマは警戒したが、背中に背負うただの装飾だと言う。そんなとんでもない物を作って持って来たのに、身にまとう物はただの布きれだった。どうやって着るのかもわからないから、服の上から着付けてもらったところ、胸の辺りと腰の辺りに巻くつもりであるらしいということは、わかった。その辺りは隠さなきゃダメだ、という認識は師匠にもあるらしいということが確認できたのは良かったが、恐らくそんな布では隠しきれないし、うっかりすると布切れはいなくなるだろう。パドマは腹も腕も足も隠したい。顔も隠してもいいくらいだ、と思っているのだ。受け入れられると思っていること自体が、理解できなかった。
『お腹が平らだから自慢できる』
と見せられれば、怒るよりも笑いが込み上げてきて、パドマはまた立ち上がれなくなった。また腹筋が割れてしまう。
「師匠さんの頭頂部と腹回りが面白いからこうなっただけで、見せるためにやってるんじゃないから」
笑いの波の隙を見つけて、そう口にすると、師匠はむくれた。むくれた顔が愛おしくて、パドマは師匠の願いを聞いてやりたい気持ちになったが、どう考えても布切れは採用できない。
「それぞれが勝手に作るんじゃなくて、話し合って作って欲しかったんだけど。そうくるなら、もうバラさんと師匠さんはいらないし、グラントさん1択にするか、テッドを誘おうかな。前に立派なドレスを用意してくれたんだよ。あっちの方がいいよね。そうだ。そうしよう」
パドマが立ち上がると、師匠にタックルされ、ルーファスにバリケードを組まれ、帰宅が困難になった。だから、
「次が、ラストチャンスだ。着れる服を用意して。夏は終わるんだから、肌を出す服は認めない。ウチを助平神にするのは、許さない」
パドマの本気を感じとって、ふざけていた2人は生唾を飲み込んだ。
パドマには、他にも準備をしなくてはならない物があった。イギーを蹴散らかし、イヴォンを捕まえて、師匠に媚を売って甘えてでも準備しなくてはならないものだ。
ヴァーノンに恨まれながら、きのこ神殿に詰め、夜鍋して、ちまちまちまちま巨大花を制作したり、絵本を作ったりした。
本番は、お祭りの日である。
いつものように、紅蓮華の空き店舗の座敷に集って、祭り見物をする会に見せかけて、パドマはヴァーノンとミラが結婚するつもりらしいよ、おめでとうサプライズパーティを仕込んだ。
ケガをする度に作っていた謎の巨大花やガーランドを部屋中に飾り付け、ヴァーノンの幼少期から今に至るまでの物語を絵本に仕立てた物を置き、師匠作の無駄に可愛い料理を並べて。
「ヴァーノン、ミラ、婚約おめでとう!」
と参加者全員に言わせ、拍手を送らせた。
結婚式を勝手にできないのであれば、それ以外に祝いの場を作ってしまえばいい作戦である。周囲にいるのは主役の友だちというよりは、パドマの関係者なのだが、細かいことにはこだわらない。イギーはヴァーノンの友だちらしいし、弟妹のテッドとパドマはいる。ミラの妹もいるし、最低限は抑えているだろう。とりあえず、小姑のパドマが歓迎していることだけ伝われば充分なのだ。
ヴァーノンとミラは、離れて歩いてここまで来ていたのを周囲に囃し立てられて、中心に集められてしまい、照れている。
「やっぱり最後まで言わなきゃ良かった」
なんて言っているが、もう遅い。
「沢山の人の記憶に残すから。なかったことにさせないから。覚悟して、幸せになってね」
と、パドマはミラに花瓶を渡した。中身を用意するのは、ヴァーノンの役目だ。柱に上って、取ってくればいい。ヴァーノン用の花束は、屋根の上に設置済みだ。
「パドマを見て、面白がってるだけで良かったんだけどな」
「お兄ちゃんは卒業したけど、友だちは卒業しないからね。お兄ちゃんなんて放っぽって、リブとニナのところに遊びに行こうね」
「そうね」
ミラが満面の笑顔でパドマを抱いてくれたから、パドマは満足した。
お兄ちゃん絵本では、勝手に捏造した2人の出会いから結婚までの物語を描いたパドマだが、実際に何が起きてそうなったのかの話を聞いた。パドマ1人で聞いてもはぐらかされて終了してしまうから、皆に突いてもらって聞くことにしたのだが。
「俺の妻に希望する絶対条件は、パドマと仲良く暮らしてくれることだから。ミラさんしかいないと思った」
「パドマと仲良しでいること以外は、好きにして良いって言われたから。実家で暮らしても、夫よりもわたしの妹を優先してもいいなんて言ってくれる人は、他にいないと思うの」
なんてことをしれっと言われて、パドマは残念な気持ちになった。以前、そんな話をヴァーノンから聞いた時は、速攻でフラれると思ったものだが、こんなに身近に共感する人物がいるとは思っていなかった。今は、傍目にはイチャイチャしているように見えるのに、「夫なんかより妹が大切なのは当然です」などと言っているヴァーノンと、「寝室はパドマと使ってください。わたしは別室で寝ます」と言うミラがいる。お似合いの人が見つかって良かったのに、パドマは喜べなかった。周囲が誰もお前ら変だぞ、という顔をしていないのも嫌だった。
パドマは、最愛の妻のために花を取って来いと、ヴァーノンを外に叩き出し、みんなでそれを観戦することになった。ヴァーノンは仕方がないなぁ、と柱まで割り入って、しがみつき上り始めた。
パドマは前に置かれた杯を手に取って飲み干すと、また盛られていることに気付いた。最近、サングリアやらアイスワインやらにハマっていたから、今回もその手の物だと思っていたのに、蒸留酒だった。酒精の強さが段違いだった。シュワシュワとした炭酸水で割られ、甘みも加えられ、飲みやすくなっていたが、騙して酔わす時のよくある手口だった。肴代わりのケーキを食べても、酒精を感じた。もう間違いない。盛られている。犯人は、師匠だ。ケーキを食べればわかる。だから、酔ったフリをして、ごろにゃーんと師匠にもたれた後で、鳩尾に一撃見舞い、外に走り出た。
「ハワードちゃん、投げろ」
「うっしゃあ、任せろ!」
そんな予定もつもりもなかったので、ハワードは座敷の前に突っ立っていた。パドマの号令で、慌てて位置取りに出たが、それを待たずにパドマは全力で飛び込んだ。ハワードが、血管の切れそうな面持ちでやけっぱちで投げ飛ばすと、楽しそうな声を上げて、ぶっ飛んでいった。パドマは、飛んで行きながら、ヴァーノンの襟後ろを引っ掴んだ。
「どぅわっ」
「うっひゃー!」
どこまでも飛んで行こうとするパドマを、ヴァーノンは柱につかまり引き留めた。
空飛ぶ英雄様は、アーデルバード名物だが、実際に自分の目で見れる機会は、そうそうない。基本的に、皆が寝静まるような時間に飛んでいることや、唄う黄熊亭や白蓮華周辺など、見れる地域に偏りがあるためである。祭会場はそのどちらとも近くないため、祭くらいでしか英雄様を見たことがない者ばかりだった。今まで会場にいることすらわからなかった英雄様が、急に飛び出てきて、割れんばかりの歓声が上がった。縄の上の賑やかしの熱狂ぶりは、落ちないか心配なくらいである。
パドマはそれに気付くと、ヴァーノンの手を取って振った。
「にーちゃの人気も、捨てらもーじゃにゃーねー」
「酔ってるのか?」
「ふふー。もーね。ふざけたい気持ちや、止まらなーの。酔っ払いやーらけろさ、面白いねー。ねー」
パドマは、ぴょんと屋根に張られたロープに飛び乗って、足を滑らせて落ちた。手はロープをつかんでいて、地面には落ちていないが、ヴァーノンも下にいる人々も悲鳴を上げて救助に走った。下では落下に備えて布が張られ、上では綱渡りをして助けに行ったヴァーノンが、パドマにロープを揺らされて落ち、パドマと同じようにぶら下がることになった。
「ひゃはははは。にーちゃ、だっさー。落ちてやんの!」
パドマは、全身を使ってめちゃくちゃにロープを揺らしていたが、その反動でロープに足をかけ、上によじ登って、身体をロープに添わせたまま屋根に移動した。ヴァーノンは雲梯の要領で端まで移動し、屋根によじ登った。
「おめでとう。持つべきものは、未来の義弟。こんなところに、プロポーズに最強の108本のピンクのバラが落ちてたよ。これを持って、ミラのところへ突撃すると良い。可愛い弟妹が、にやにやしながら見てるから」
「正気なのか? 大丈夫か? 酔っ払いをこんなところに置いていけない。花束よりも、降りるぞ」
「えええ? つまんなーい。祭の最後まで居座ってさ、花を撒くのをやりたい。誰かから、あのお面と服を強奪してやろうかな」
パドマは屋根の上で、大の字に寝転がった。頭の中では、今日は何本花を持って帰ったらいいかと考えている。だが、渡したい人全員に配るには、ここの花じゃ足りないし、あったところで持って帰れないな、と思った。それに、花なんてもらっても腹は膨れないから、違うものがいいかな、と考え始めて、考えがまとまらなくなって、唸りだした。そこに柱の上からハワードが追ってきて、窓からイギーが出てきた。
「今回は、差し入れいるか?」
「ああ、できたら水が欲しい。パドマの様子が変なんだ」
「なんだと? 可愛い妹は、果実水以外は飲まないんじゃなかったのか?」
「飲み水はないか。ないなら、仕方がない。パドマ飲め」
パドマは起き上がって、ヴァーノンが持ってきたカップを受け取った。何より好きだった飲み物だったが、さっき師匠に飲まされたグラッパの方が甘かったなぁ、と過ぎると手が止まった。
「姐さん、眠いのか? 花運ぶの手伝うから、さっさと降りて、帰って寝ろ」
「ハワードちゃんはさ。プレゼントもらうなら、何が嬉しい?」
「何? 何かくれんの? 気持ち悪いんじゃなかったのか? 姐さんがくれんなら、なんでも嬉しいだろ。傷薬も真珠もはっぴも、全部宝物だ。でもさ、そういうのもいいけど、最上は姐さんの笑顔じゃね? 難しい顔も、怒り顔も可愛いけどさ。笑ってる方がいいだろ」
「ウチは真剣に相談したのに! 皆に何か返したかったのに! 参考にならないヤツだな」
パドマがうきーうきーと、いつものようにハワードにじゃれているのを見て、イギーは呟いた。
「あの男、今のうちに屋根から落としておいた方がいいぞ」
「万が一、婿をとるなら、アレになるかと思っていたんだが」
ヴァーノンも、嫌そうな顔で呟いた。イギーはブチギレた。
「嫌だ。絶対にやめてくれ!」
パドマは花籠を1つまるまる持って、窓から座敷に戻った。ふらふらする足取りで、機械的に座敷にいた皆に花を配り歩いた。うっかり師匠にも配ってしまったが、師匠は手品のように黒バラを出しただけだった。
「えー、黒バラ? 黒バラのジャムって、美味しいかな」
「花束もらったら、食っちゃうのかよ。いよいよだな」
パドマは師匠の花を受け取って、花配りの手伝いをしているハワードが持つ花籠に入れた。パドマの花配りを終えたら、ヴァーノンによる公開プロポーズだ。皆でワクワク鑑賞したのだが、普通なヴァーノンはあまりにもありきたりの言葉を発して、ミラも普通に受け取ったので、ブーイングが起きた。
仕方がないので、パドマの捏造した絵本を参考にプロポーズをやり直してもらったが、やっぱり面白くはならなかった。ヴァーノンもミラも照れが足りなかった。むしろそんな言葉を書いたパドマの方が、揶揄われて恥ずかしい思いをした。
次回、婚約式