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ダンジョンマスターの贈り物  作者: 穂村満月
第7章.17歳
270/463

270.大人のキス

 パドマは、こっそりとダンジョンに来ていた。

 師匠はいなくなってしまったから、ヴァーノンはお使いに出した。

「リコリスで、桃のチーズタルトが今日発売なの! もらって来て。『うわぁ、これは我が妹、パドマの大好物じゃないか!』とか叫びながら、もらってきて」

 と、追い出したのだ。その後、自室に行って着替えをし、きのこのフリをして、こっそりと出てきた。今日の護衛は、尾行が特技なヤツらが選抜されている。だから、パドマは1人になったつもりでいた。

 今のパドマは、クロラッパタケになっている。クロラッパタケの別名は、死者のトランペットだ。そんなきのこを誕生日祭り用の衣装に、何故採用しようとしたのかは不明だが、今日のパドマにはぴったりだと思った。

 取り上げられたままだから、クロラッパタケは武器を持っていない。護身用暗器もない。ダブルループネックレスと茶玉の腕輪と布の靴だけで、ダンジョンに入場した。


 低階層の虫は、素手でもなんとかなる。触りたくないから基本足蹴だが、殴っても倒せる。問題は、10階層以降である。触ったら火傷する敵や、触ったら毒で死ぬ敵や、殴ったら硬くて手を痛めるような敵や、殴っても痛痒を感じてもらえない敵がいっぱいいる。クロラッパタケは、やむなく避けて進むことにした。

 リカオン程度でも、飛びつかれてしまうパドマである。サシバやハチグマは、避けきれない。トリバガ相手には無傷でいられたが、いろいろなものに齧られ、つつかれ、引っ掻かれ、クロラッパタケは少々ボロっちくなってしまった。だが、クロラッパタケ自身は折れていない。だから、渾身の我慢力で、護衛たちも隠れ続けている。

 クロラッパタケは、喉の渇きと空腹と眠気に耐えながら走り、79階層にやってきた。階段の終わりで止まることなく飛び越えて、シャチを求めて走る。



 その頃、師匠はイレ宅の客間で仰向けで転がっていた。昨夜は一晩中、パドマを監視していたから寝ていない。昼間なら、ヴァーノンが見ていられるだろうと、席を外した。昼寝をしたいところだが、今は腹筋を鍛えていた。トランクカールをやってみたところ、3回で限界を感じて諦めた。起き上がって、パウンドケーキを焼き、こんなにバターと砂糖を使った菓子を食べるなんて信じられない、パドマに食べさせてやろうと思ってから、改めて寝そべった。腹の肉を動かし、ドローイングをしているつもりだが、ちゃんとできているかは不明だ。だが、これなら、続けられる気がした。だから、頑張って転がり続けている。

 師匠が涙ぐましい努力をしていると、どこからか、紙飛行機が飛んできて、師匠の下っ腹の上に乗った。紙飛行機にまでバカにされているような気がして、師匠は乱暴に紙飛行機を開いた。相棒からの緊急連絡の手紙だった。パドマが1人でダンジョンにいると書かれていた。

 師匠は、ぴょんと跳ね起き、ダンジョンに走った。



 パドマがシャチを見つけて走り寄ろうとした時、師匠はパドマに追い付いた。腕をつかんで引き寄せ、両腕で抱えた。護衛は、きゃーと言う歓声を上げそうになり、口を抑えた。

「い゛っ。いった。痛いよ。何なの? 何の用?」

 パドマのヒザの上には、『寝てろ』と言う蝋板が置いてあるから、用件はわかるのだが、パドマは聞く気はなかった。

「やだよ。帰らないよ。シャチちゃんと遊びにきたんだから。お兄ちゃんは脅してくるし、師匠さんは服脱がすし、もう嫌なんだよ。その上、10日経ったら、ダンジョン禁止なんでしょ。もう生活も成り立たないし、どうしようもないからさ。自由にさせて。食欲に負けて、うっかりシャチちゃんを斬っちゃったけど、何もしなかったら、あの後どうなるか気になって仕方がないの。シッポアタックの次は何をするか知りたいの。体当たりかな? 噛みつくのかな? シャチちゃんたち、みんなで協力して、ウチを追い込んでたんだよ。絶対にスゴイことするに違いないよ。最後になって構わないから、体験させて?」

 パドマのおねだりは、可愛かった。師匠の弟子なのである。顔の向きも視線の位置も声色も完璧だった。師匠は陥落したい気持ちも湧いたが、それを許せば、パドマは死ぬ。師匠は階段に戻って座り、パドマを横に座らせた。そして追加の蝋板に書き込んでいく。

『あの一家は、順に尾ビレで叩き飛ばすだけ。痛いだけで、面白さはない』

『どんなケガでも私が治す。食べたい物は、何でも作る。生活の心配はいらない。不自由はさせない。だから、お兄ちゃんと呼んでくれないか?』

「なんでだよ」

 神妙な面持ちで蝋を削る師匠を、パドマは胸を高鳴らせて見ていたのだが、最後の一文を読んで、思わず本音が漏れた。直前までは、プロポーズみたいだと思っていたのだ。受ける気は一切ないのだが、ドキドキを返せよと思った。ヴァーノンといい、師匠といい、面倒なだけのパドマの兄で居たがる意味がわからない。だが、それに師匠は初めて答えを返した。

『死んだ妹に似てるから』

「うっ」

 とても重い理由に、パドマは怯んだ。師匠は反応を探ることなく、蝋板を削り続けている。

『1番上の妹は、見た目がキレイで中身が破天荒。2番目は、甘えん坊。3番目とは、剣筋が似ている。普段はコンパクトにまとめているのに、ここぞという時は豪快だった。4番目は面倒見がよくて優しい。顔も似ている。5番目とは、ズボラなところが同じ』

 パドマの顔は、赤くなったり青くなったり、変化が忙しかった。一緒に褒められているような気もするし、何人死んだの? え? 全員? 何があったの! というのも気になる。だが、話が話だけに、直球で聞くのは、憚られた。最早、ずぼらと言われても、怒れない。

「そうだったんだ。知らなかったよ」

 適当な相槌も上滑りする有様だった。師匠は、『お兄ちゃんと呼んでくれないか』に下線を引き、パドマを見た。狂おしく乞い願うような苦しげな表情でいる。至近距離にいることは慣れているつもりだったのに、抗うことはできなかった。

「おに、い、ちゃん。お兄ちゃん」

 再度ねだられ、渋々応えると、師匠は泣いた。ぼろぼろと大粒の涙をこぼし、暫くパドマを見ていたが、くるりと背を丸めて肩を揺らして顔を隠した。

 パドマは、動揺した。ヤバイやばい。ガチなヤツだ。今まで、意地悪言って、ごめんなさい! 死を匂わせるような発言を繰り返して、ごめんなさい! 次回からは、言わずにこっそり、、、ダメだ、今回と同じだ!

「し、師匠さんお兄ちゃん、ごめんね。帰ろう。眠いから。もう10日くらい寝たい気分だよ。死ぬまで寝るよ。いや、死なないよ。元気に寝るから。背中がベッドから離れない病気になるから。いや、病気でもないし、ケガもしてない。すこぶる元気に寝る」

 ひいぃ、とパドマが慌てて錯乱していると、師匠はふっと頭を上げた。その目に涙はない。だが、それをパドマに見せずに、蝋板を見せた。

『ヴァーノンを呼べ』

「お兄ちゃん? なんで? お兄ちゃん決定戦はいらないよ。お兄ちゃんは、もうお兄ちゃんじゃないから」

 きょとんと話すパドマは、隙だらけだった。だから、師匠は振り向きざまに上衣を1枚脱がした。

「いやぁああぁあ! 助けて、お兄ちゃん!!」



 数瞬の後、怒り狂ったヴァーノンが、剣を振りかぶって、階上から落ちてきた。その時には、師匠はパドマに服を着せ直していたし、落ちてきたヴァーノンは、柄を握る手を上からつかんでいなし、パドマを抱えて逃げ出した。

 護衛は簡単に振り切られたが、ヴァーノンは師匠を追いかけた。パドマが傷の痛みに耐えきれず、涙を浮かべている。早急に救い出さねばならない。

 あと3歩。あと2歩で、パドマに手が届く。周囲のモンスターに目もくれず、いっそ逃げる師匠すら目に入れず、ひたすらパドマを追ったヴァーノンは、師匠にくちびるを奪われた。

「いやぁあああ!」

 と叫ぶパドマの手には、蝋板がある。

『鬱陶しい兄弟げんかをする2人に罰を与える』

 ねっとりとした大人のキスが、いつまでも終わらない。

 パドマは、恐怖の絵面から目を背けるべく蝋板を見つめているが、それに気付いた師匠は音を立てた。ヴァーノンは、パドマを盾にされて、反撃を封じられている。師匠は、嫌がらせのために自分を捨て、力を尽くした。

 天井から金の光が落ちてきて、パドマの背中は温もりに包まれた。じんわりとした感覚が背中から身体の中心に広がっていく感覚を味わっていると、師匠の腕で圧迫されていた痛みが消えた。

 それで、何故師匠がヴァーノンを襲ったのかの理由は理解できたが、治ったのにまだくちびるを重ねている2人にパドマは泣いた。肩を揺らして静かに涙を流していたら、ようやくヴァーノンが突き飛ばされた。

「もうやめてよ。自分じゃなくても、嫌なんだってば」

 師匠は、ヴァーノンを無視して地上に向かった。

 慰めているつもりなのか、パドマの手をさすっている。気持ち悪さにパドマがそれを避けても、別の場所が擦られた。

『これで、おあいこ。ヴァーノンは成敗された』

 いつの間にか、パドマに持たされていた蝋板が変わっていた。

「仲が良いのか、悪いのか、どっちなの」

 そう聞いても、蝋板はすり替えられなかった。いつものようにふわふわと微笑む師匠の口がひみつと動いたような気がした。

 ああ、この人は嘘泣きも得意だし、実はしゃべれるのか、とパドマは思った。

次回、兄の婚約者。

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