26.新たな人生設計
家から出て来たパドマは、狩衣姿だった。師匠の好みではなさそうな焦茶の服を着るパドマに、師匠は花を咲かせて喜んでいるが、イレはどう扱っていいか、ためらわれた。そのくらいパドマの目付きが悪かった。
カフェに行けばついて来たし、勝手に注文したサンドイッチを文句なく食べているが、いつもより食べ方が雑だし、態度も悪い。元々上品さなど欠片もなかったし、ほぼ兄妹2人で森暮らしをしていたと聞かされたばかりでは、そんなものかと思わないでもないが、一昨日までは、こんな風ではなかった。
気軽に家出先に城壁の外を選択したり、他にもいろんな点で、街暮らしをしている他の子どもと違いを感じることはあった。親がいない所為かと思い込んでいたが、森暮らしをしていたからだった。だが、その一昨日のパドマとも、今のパドマは違って見えた。子どもを育てた経験のないイレは、そんなパドマの姿に、本当に困ってしまう。
「師匠、喜ぶとこじゃないよ。あの目付きを見てよ」
子育て経験があるハズの人に泣き付いてみても、何もしてはもらえなかった。
ダンジョンは、17階層まで降りて、リンカルスと師匠が戯れているところを見るところからのスタートだった。暴れるクマをイレが抱えていたら、パドマが不機嫌だった理由をもらした。
「お兄ちゃんが、お兄ちゃんじゃなかった。イレさんの所為だ」
目は、ずっと師匠とヘビを追っている。声からは、感情を読み取れなかった。だが、話の内容は、重かった。
「詳しく聞いてもいい?」
イレは上を向き、目をつぶると、壁に背をつけた。パドマの兄妹関係に何かした覚えはないが、パドマはイレの所為だと断じている。心当たりがなくとも何かしたのだろうし、年少者を助けるのは年長者の嗜みだ。なんとかできるものなら、なんとかしてやりたいと思う程度の情はある。パドマのあの目付きが穏やかになれば、イレの心も平穏が保たれるのだから。
「お兄ちゃんは、イレさんの嫁に出しても不都合ないくらいに、キレイに傷を治したんだよ」
「嫁にもらう予定はないけど、それでどうなった?」
のっけから変なことを言われたが、強く否定する勇気はない。だが、軌道修正はして欲しいので、小さくそっと否定した。
「次はウチの番だ、塗ってくれ、ってお願いしたら、ダメだって拒否された。今更、照れんじゃねぇよ、って言ったら、多分兄妹じゃない、ってゲロった」
話の内容も気になったが、口調もおかしかった。表情は寸分変わらず、まだ師匠を見ている。ヘビなんて、どうでもいい心境だろうに。
「お兄ちゃんは、お父さんの連れ子なんだって。ウチはお母さんの子だけど、お父さんは誰だか知らないって」
パドマの表情はまったく変わりないが、握られた拳は小刻みに震えていた。
「お父さんが同じ可能性もあるんじゃない? って言いたいところだけど、別に親が誰でもいいんじゃないかなと、お兄さんは思うよ」
「へー、なるほどね」
パドマの目が、よりきつくなったように見えたが、イレも持論を変えなかった。寄り添おうにも、どうしたらいいか、わからなかったからだ。
「お兄さんは、兄弟がいっぱいいたんだけどさ。まったく血のつながらない人もいたし、半分しか血のつながらない人もいたんだ。強いて言うなら、両親が同じ兄弟はいなかったんだけど、それに関して、特に何も気にしたことはなかったよ」
「何それ。ちょっとは気にしなよ」
パドマは、イレを睨みつけた。
「やっと、こっちを見たな。
誰が誰の子かってことより、両親ともに師匠に首っ丈で、見向きもしてくれなかった方が、一大事だったんだよ。あんまり放置されてるから、見かねた師匠が育ててくれたんだ」
イレの懐かしい記憶だ。自分が生まれた時点で、兄弟と呼べる人は、沢山いた。それぞれに愛情を注いだとして、何分の1かしか得られないものだったろうが、イレは両親に抱かれた記憶はなかった。イレは、いつでも師匠と共にいて、師匠に育てられていた。たまに見かける両親は、師匠のことしか見ていなかった。イレは精々、師匠の付属品だった。優しくしてくれたのは、師匠だけだった。いっそ、その人が両親だと知ったのも、大分大きくなってからだった。
「ごめん。何て言ったらいいか、わかんないや」
パドマの目が、師匠に戻った。師匠が、くっつきそうなくらいパドマに近寄っている。リンカルスを倒して褒めて欲しいのかもしれないし、何か質問をされたいのかもしれない。師匠は、ふわふわと微笑みながらパドマに近付いて行き、パドマは嫌そうに後退りをしている。イレは、師匠の襟首をつかんだ。
「いいよ。うちの両親は変だったんだ。夫婦仲は悪くないけど、母違いの兄弟も父違いの兄弟もいたからさ」
「それ、嫌じゃないの?」
パドマは、師匠を押し返しながら、目を丸くした。イレの家族の話を聞いた人がよくする、見慣れた反応だった。パドマは普通の感性を持っているんだなぁ、とイレは安心した。
「小さい頃の師匠は、今とは全然違う普通に優しいお兄さんだったから、困らなかったんだ。それに、変な家だけど、当時はそういうものだと思ってたから、別に」
「それは、少しわかる気がするかな。ウチも、森で暮らすのに、疑問なんてなかったし。だけどさ、妹じゃないなんて聞いちゃったらさ。この先、どうやって生きていったらいいのか、困るじゃん。将来展望は、もう決定してたのに」
怒っていたパドマは、途端にしょんぼりしだした。もしかしたら、しょんぼりではなく、むくれているのかもしれないが。
「将来?」
「家賃を折半で払って、兄の嫁と同居しよう、って2人で決めてたんだよ。妹じゃなかったら、ダメじゃない?」
兄の方が年上だから、先に結婚することもあるだろう。妹が結婚するまでの間は同居していても、おかしくはないと思う。イレは、何がダメなのか、よくわからなかった。
「なんでそんな将来設計になったのかはわかんないけど、別にいいんじゃないの? 2人がお互いに兄妹だって言い張れば兄妹じゃない。お兄さんは、血のつながらない姉も姉だと、、、思ってるかな? あの人、何があっても絶対助けてくれなかったよな。どっちかっていうとイジワルだったし、嫌いだった」
イレの声のトーンが下がった。嫌だった過去例をいくつもつぶやき、あの人は姉じゃないなどと言い出した。
「いや、そこは姉だと思ってるって、言うところだよね」
イレが、どんよりとし出してしまったので、今度はパドマが困り始めた。過去例がかなりとりつくしまのない話だったので、フォローの入れようがなかった。
「半分血がつながってる姉とも、仲良くなかった。つまり、血のつながりなんて、どうでもいい。大好きな師匠も、こんなになっちゃったし、お兄さんは寂しい!」
うっかり慰めてるのかどうかもよくわからない話になってしまったが、パドマは瞳を輝かせて喜んだ。
「そっか。お兄ちゃんをイレさんの嫁にすれば良いんだ。イレさんも寂しくなくなるし、イレさんなら、妹じゃない妹がセットでも怒らないよね! 解決だ!!」
急に元気になった妹弟子に、それは嫌だと言うこともできず、イレは上げかけた手を元に戻した。
パドマは、アシナシトカゲシリーズをクマと連携プレイで倒して、家に戻った。今日は、兄が先に帰っていた。
「ただいまー」
と声を掛けただけで、ヴァーノンは怯えていた。
「おかえり?」
ヴァーノンは、ここ数日の妹の機嫌の乱降下や、ダンジョンでの暴れぶりに、扱いを決めかねている。なんだか機嫌が良さそうだぞ、と思っても、どうしてそうなったのか、まったくわからないのだ。
「あのさ。イレさんって、格好イイと思わない?」
「突然、何の話だ」
「じゃあさ、イレさん、可愛いなって思わない?」
パドマは、にこにことしている。
「おま、、、ヒゲ面は嫌だって、言ってたよな!」
金回りは良さそうではあったが、何歳違いかわからないヒゲ親父に妹をやる気になれなくて、ヴァーノンは怒ろうかと思ったが、妹は、惚れてしまった訳でもなさそうだった。
「うん。ウチは嫌だけどさ。もしかしたら、イレさん、男から見たら格好イイのかもしれない、と思ったんだけど、どうかな?」
機嫌は良さそうだったが、妹の思考回路がどうなってしまったのか、ヴァーノンにはわからなかった。惚れたのでなければ、別にどうでも良かったが、質問内容がバカバカしすぎる。
「どうだろうな。いい人そうに見える時もあるけど、基本的に変な人じゃないか? 時々、気持ち悪いし」
「そっかー。ウチも、似たような感想だよ。時々じゃなくて、いつも大体気持ち悪いと思ってるくらいで同じかな。男女関係なかったね。じゃあさ、何か、お兄ちゃんの可愛いエピソードをちょうだい。今、募集中だから」
妹の友達は、全員酔っ払いオヤジだ。酒場で、妙な話で盛り上がったのかもしれない。そんな物に燃料を投下してやる気にはならなかった。
「そんな物はない」
「困るなー。捏造するしかないか」
パドマは、アゴに手をあて、唸り始めた。
「何を企んでるんだよ」
「明るい家族計画だよ」
パドマは、ぱっと明るい笑顔になって言った。
「絶対、意味がわかってないだろう」
「お兄ちゃんよりは、真剣に考えてるよ」
パドマは、ぷりぷりと怒り出したが、ヴァーノンは、まったく話題についていけなかった。
決戦は酒場だ! と、パドマはお手伝いを頑張りつつ、待ち人をしていたが、ようやく求めていた顔を見つけて、元気に声をかけた。
「あっ! イレさん、ようこそ〜。席を取っておいたよ。お酒持ってくるね。そこに座ってて」
パドマは、エールを2杯と刺身を持って、イレの席に行った。
「今日は、美味しいホースマクロが入ったんだって。イレさん、刺身もいけたよね?」
とうとう注文も取らずに勝手に持ってくるようになってしまったが、イレは怒らなかった。以前、パドマのマネをした兄は、きっちり締め上げたが、パドマにはバレていない。
「ん。ありがと」
「でね、お兄ちゃんなんだけどさ」
ダンジョンの話の続きのネタを考えてきたのは、お互い様だった。イレには、とても便利に使えるアイテムがあった。
「パドマ、ごめん。どう見ても、パドマ兄より師匠の方が可愛い」
誰もが納得してくれる、穏便に済ませる最強のカードだ。さっさと諦めてもらうため、イレは切り札を初手で差し出した。
「そうだね。師匠さんは暗殺したら返り討ちだし、困ったな」
パドマは、真剣にヴァーノンを師匠に上回らせる方法を検討していた。半ば冗談のつもりの話だったのだが、師匠にしておいて良かったと、師匠に感謝したくなるくらいだった。イレは、まだ何も飲んでいないのに、気が遠くなるかと思った。
「一足飛びに、話が暗殺になって、お兄さんも困ってるよ?」
「うーん、ちょっと作戦会議してくる。明日まで待って。それまでは、結婚しないでね」
「頼まれなくても、そんなスピード婚をできる相手がいないな」
「イレさんの非モテに感謝!」
イレの嫌いなところをスラスラと20個ほど上げて、そりゃ結婚できないよね、とパドマは言った。良かったよかったと喜んで、他の客の給仕の仕事に戻っていった。その言葉1つひとつが胸に突き刺さり、イレはやさぐれた。イレの酒量が増えたことを喜び、マスターは、パドマに仕事上がりに果実水をサービスした。
次回、このダンジョン内で、パドマにとっては最も相性が悪いかもしれない敵が登場予定。