257.食われてないし
パドマは、いい夢を見た。黒茶のお兄ちゃんに再会し、一緒にワインを酌み交わしながら、チーズ食べ放題をする夢である。ヴァーノンは、チーズは許してくれない。食べさせてくれるとして、ちょっとだ。師匠は、すぐに潰れる。それ故の人選だったのだろうか。
別に、パドマはワインには興味がないのだが、高級アイスワインだったからだろうか。酌み交わす相手が、酒好きだからだろうか、パドマまで率先してぐびぐびと飲んでいた。そんな酒は飲んだことはないハズなのに、目覚めてからも甘さが口に残っているような気がした。夢が幸せ過ぎたから、そんな気がしているのかもしれない。お兄ちゃんが、いつもよりも優しかったから。
パドマはまったく気にしていなかったのだが、お兄ちゃんからもらったネックレスの石が色が抜けて、透明の石が増えていた。黄、緑、橙、紫以外の色石は透明になってしまった。それを直すと言って、石を取り替えてくれた。新しく入れてくれた石は石ではなく、脆そうな軽い素材だったが、赤、緑、青と色はキレイだった。
パドマが目覚めると、天井近くに鳥が見えた。ただひたすらに可愛いスズメが、ちゅんちゅん言っている。ぐっすり眠って、朝目覚めたような気分で、不思議とスッキリしていた。やはり師匠に抱かれていないのが、いいのかもしれない。パドマはそう結論付けて、立ち上がった。石レンガの上で寝ていたのに、身体も軽い。今なら、空も飛べそうだ。
ダンジョンで寝ていたのに、周囲に誰もいなかった。階段のない部屋で寝ていたため、どの部屋で寝ていたのか不明だったが、少し歩いて見つけた通りすがりの探索者について行ったら、すぐに階段に着いて、場所が判明した。階段と階段を結ぶ経路で寝ていたらしい。
腹を鳴らして歩いた次の日は、寝顔を衆目に晒していたとは、恥の上塗りもいいところだった。弟妹にいいところを見せようとやってきたのに、とんだ失敗だ。変な噂になって、彼らに知れなければいいな、と祈るしかない。
パドマは、その失敗を上書きできますように、と剣に冴えを乗せて、ダンジョン内を走り進んだ。
護衛も誰もいないから、のんびりゆったりと53階層でレッサーパンダを侍らせてくつろいでいたら、怒声が聞こえた。
「普通にいるじゃねぇか。何やってんだ、お前ら」
「無事で良かった!」
「ボス、治療しますから、離れて下さい」
「やだ」
声を聞いただけで、下剋上はされないと、安心できるようになったヤツらだと思ったから、パドマはレッサーパンダに埋もれたまま動かなかった。
「ヴァーノンさんに、報告致しますよ」
「いいよー。もうお兄ちゃんのところから独立する覚悟はしたから。好きな様に、亀裂でもなんでも入れたらいいよ」
「唄う黄熊亭を出られた後は、どちらにお住まいになるご予定ですか? 神殿に来て下さるのでしょうか」
「知らなーい。宿屋かもしれないし、森かもしれないし。お兄ちゃんに拘らないなら、アーデルバードでなくてもいいんだよ。
知ってる? アーデルバードの外にも人が住んでる場所はいっぱいあったし、食べたことのない食べ物もいっぱいあるんだよ。美味しい物ばっかりじゃなかったけどね。むしろ、くそ不味い物の方が多かったけどね。そういうのを探して歩くのも、悪くないよねー」
パドマは夢見心地のまま、ふわふわと答えたが、ルイの声は凍った。だが、それにもパドマは怯えることはなかった。
「我らを見捨てるのですね」
「そうだね。みんないい大人なんだし、自分の足で歩いて行ってよ。ウチには責任負えないから。人数いっぱいいすぎなんだよ。協力して、なんとかしてってよ。責任取らなくていいなら、ついてくればいい。そのくらいなら、我慢してあげる。だけどさ、ウチだって自由に過ごさせてよ。好きなように生きさせてよ。あんまり縛らないで欲しい」
パドマは、その言葉通り、自由にゴロゴロし続けている。パドマは幸せなのだろうが、レッサーパンダは嫌がって暴れて、噛み付いたり爪を立てたりしている。それに構わず、パドマはデレデレに愛でていた。
「それは、プロポーズですか?」
「なんでだよ! そんなもの、一生しないよ!」
「それは重畳。おかげさまで、漸く事態が飲み込めました。あまりいたいけな若者をからかってはいけませんよ」
ルイは、ため息を吐いた。パドマは、目を細めた。
「ルイは、一体、いつまで若者気分なの? そろそろ痛くない?」
「わたしのことではありません。ナサニエルを無自覚に、弄んだのでしょう? 彼は今、ボスに気に入られたと有頂天になった挙句、周囲からイジメられていますが、特に何も思われていませんね。
あと、わたしもまだギリギリ若造ですから。独り立ちをするには、まだまだ力が足りません」
「ナサニエルくん? ああ、弁当をもらったよ。なんかこう、妹向け弁当みたいなヤツ。意外な一面と言えば言えるけど、なんていうか、いいお母さんにはなれそうだけど、弁当屋を開くならまだまだ修行がいるんじゃないかな」
パドマは、本人がいないことをいいことに、正直な感想を漏らした。普通に食べれる弁当だったが、普通すぎた。おふくろの味と言えば、多少売れるかもしれない。だが、パドマの好む味付けではなかった。パドマの胃袋は、マスターと師匠とヴァーノンにガッチリとつかまれている。平民素人料理など食い慣れてもいないから、懐かしさも感じない。
「ご安心ください。彼は食堂担当ではなく、仕入れ担当です」
「そうだよね。彼を食堂に入れるのは、無駄遣いな気がするよね。荷物持ち得意そうだし。流石、グラントさんの采配だ。そうだよ。ウチに気に入られたって、人事権なんて持ってないし、何にもならないよね。グラントさんに、お弁当を作ってあげればいいのに。ね、パンダちゃん」
パドマがぎゅーっと抱きしめたから、また激しくレッサーパンダが暴れ出した。レッサーパンダがパドマを引っ掻いてもかじりついても、パドマは一向に気にしてももらえないから、逃げられないのだが。
「そろそろ頭が血塗れなので、いい加減に離して下さい。お願いを聞いて下さらねば、パンダを斬り捨てますよ?」
パドマは、ぱっと手を離した。その瞬間に捕獲していた5頭のレッサーパンダが逃げてしまい、それを悲しい気持ちで見送った。
「ううう。全然仲良しになれなかった。ルイが邪魔したからだ」
「わたしは、関係ありませんよ。ボスが不細工なのが、いけないのではありませんか?」
パドマは、なんだよ! とルイを睨みつけた。しかし、言葉の内容を反芻して、瞳をキラキラと輝かせた。ルイから見たら、パドマは不細工だとは、なかなかいい趣味をしている。是非それを広めて、流行らせて欲しいと思った。
「そっか。パンダちゃんは、師匠さんの顔が好きなんだもんね。面食いだなぁ。ウチじゃダメなのか。生まれて初めて、美人になりたいって思ったよ。化粧してきたら、誤魔化されてくれないかなぁ」
「無理じゃないですか。彼らは、そんなまやかしには引っかからないでしょう」
「そっか、それは残念。じゃあ、今度はダツに突き刺されに行って来よう、っと」
パドマが立ち上がって歩き出したので、ギデオンが立ち塞がって止めた。
「いけません。消毒と血止めが先です。勝ち逃げは許しません」
パドマは、ギデオンの主張を受け入れた。本当は負けていた試合で、勝ちを譲られたまま死ぬのは、卑怯だ。ギデオンには、どこかの大舞台で盛大に負けてやらねばならない。手抜きのできない不器用なギデオンの攻撃をくらった時点で、きっと人生も終了してしまうだろうが、それはそれである。ダツに刺されて死ぬのなら、ギデオンに殴り殺される方が、借りが返せるだけいいことだ。ギデオンにやられる方が、痛みも恐怖も感じる暇なく逝けそうな気もする。
パドマが床に座り直し、頭と顔と手を差し出すと、ルイとハワードが2人がかりで服を濡らさないように洗浄し、消毒し、止血をして、傷をふさいだ。髪についた血が乾燥して貼り付き、見るも無惨になっていたのだが、いつも通りの、よれよれなパドマが出来上がった。
58階層でアルマジロ狩りをしようと思ったが、適当なサイズのものが見つからなかったので、59階層でキリンを狩って、60階層で焼いてもらって、みんなで食べた。
今日は、師匠がいない。フライパンしか調理器具はないし、野菜もないから、本当にただ焼くだけだ。焼き加減さえ間違わなければ、キリンは不味い肉ではないので、問題ない。スミロドンだって美味しく食べたパドマには、ご馳走だ。
パドマは、ステーキ肉をひと切れ食べただけで、お腹がいっぱいになり、ご馳走様をした。そのひと切れは、レストランであれば大きめだったが、綺羅星ペンギンバーベキューなら少々小さめなくらいの肉だった。
「ふいーっ。食べたたべた。もうおなかいっぱいだよー」
お腹がぺこぺこだと、キリン一頭分の肉を持ってきた張本人が皿から手を離し、壁にもたれ始めたので、男たちは目をむいた。
昨日までは、起きている時間中ずっと食べ続けているのではないかというくらいに食べて、腹が減ったと腹の虫をグーグー言わせていた人物と、同一人物には見えなかった。まるで常人のような食いっぷりであった。
「マジで、姐さんの食欲どうなってんの? 姐さんが食わないなら、キリンなんて足一本持ってくれば充分だったんだぞ」
「何言ってるの? 信じられない。キリンのロース肉を置いて来ちゃうなんて!」
「俺は、味の話なんてしてねぇから! 量の話だろうよ。それに、俺はウチモモ肉の方が好きだから、足でいいんだよ」
「ふーん。やっぱりハワードちゃんとは、食の趣味が合わないな。まぁ、いいや。みんなは真珠拾いでしょ? 悪いけど、先に行くね」
「承知。今日はボスを探しに来ただけなので、おとも致します」
まだ食べていた肉を昨日の護衛役に押し付け、護衛役以外の男たちが一斉に立ち上がった。
「え? いいよ。みんなは食べてなよ。ついてくるなら、せめて待つよ?」
「いえ。目の前にあるからついつい食べていただけで、我らも満腹ですので、お気になさらず」
そう言いながら、セスは肉を一口食べた。
ええ? 満腹で苦しいのに、目の前にあるってだけで食べずにはいられないの? なんて恐ろしい病気! 皆を肉から切り離さなくちゃ。そんな使命感にかられて、パドマは先に進むことにした。
「火蜥蜴は、ウチが殺るし。満腹で苦しいなら、無理しちゃダメだよ」
パドマはネックレスとブレスレットをハワードに預けると、目隠しをしたまま先頭を走り出した。一応、満腹の皆に気を遣った速度しか出さない。
先行して敵を殲滅することはあったが、周囲の部屋の安全確保をしながら、皆の到着に合わせて先に進んで行った。
パドマは印象的な大きな美しい瞳を持っているので、それが隠されていることを皆が残念に思っているが、それはそれで美しかった。パドマは剣を引き抜くと、抜いた剣の色の炎をまとう。どういう理屈でそうなっているのかわからないが、ダンジョンの照明の下で赤や青の炎をまとうパドマは、まさに神に相応しく見えた。
腹いっぱいで苦しんでいる者などいないので、男たちは全力で走って追い縋ると、パドマは無傷でウツボ狩りをしていた。
今日の護衛担当だった者は、大きいウツボを選んで、70階層に運んで行った。調理法がわかる者さばける者はまだ少なく、今日は1人しかいないのだが、パドマの好物だという情報があった。大食漢であるパドマが一切れの肉しか食べなかったのは、ウツボが食べたかったからかもしれないぞ、と先手を打ったのだ。一際沢山食べるパドマは、ダンジョンの肉を食い飽きていると言われている。
パドマは、そんな護衛たちの気遣いにも気付かず、ダツウツボ狩りをしながらマグロを探した。最終的に100部屋全て制覇したのだが、入れ違っているのかなんなのか、マグロは1度も拝めなかった。
帰り道、パドマは護衛のお陰で夢のダツ食い放題と、ウツボの塩焼きと天ぷらの洗礼を浴びた。本当にキリンでお腹がいっぱいになっていたのだ。77階層で遊びまくったので、そろそろ夕飯の時間になったかもしれないが、皆が期待するほどは、どうしたって食べれなかった。パドマは、その身の丈にあった1人前のダツを食べ切ると、半泣きでウツボにトライして、もう無理と赦しを乞うハメになった。
「一番小っちゃいウチが、そんなに食べれる訳ないよね」
と主張するボスの言葉に、部下たちは耳を疑った。
次回、マグロがいない理由。