256.施しをもらう
パドマは、師匠の反対を押し切ってダンジョンに来ていた。師匠にたかってご飯を食べるのはよくないな、と反省したものの、ダンジョンに行かねば収入がない。あちこちから定額支給されるお小遣いもあるにはあるが、やはり動いて稼がねば、弟妹には誇れないと思ったのである。
だが、気持ちだけではどうにもならなかった。パドマの腹の虫が騒ぎまくって、石レンガの壁に反響している気がする。パドマは、しっかりカフェご飯を8人前食べて来たのに。どうにも我慢ができなくて、ダンゴムシを赤の剣で焼いて、食べながら歩いているのに、音が止まる気配もなかった。
ぎゅるぎゅるきゅー、という音は、絶対に周囲に聞かれている。鳴る度に、視線を集めているのだ。疑う余地はない。パドマは耳まで顔を赤く染めて、咀嚼しながら歩いていた。
「前から思ってたんだけど、その腹、どうなってんの?」
真珠を拾いに行く皆と一緒に歩いていたので、当然のようにツッコミ担当が聞いてきた。
「食べるよりも、お腹が減る方が早いの。皆そんなものだよね」
「そんなの、聞いたことねぇし。姐さんだけだろ」
「食べても食べても、栄養失調が止まらないお年頃なんだよ。きっと今まさに、身長が伸びてる。だから、動く方に栄養が足りないんだよ」
「そうだな。ダンジョンモンスター並に巨大化してる最中だな」
「くそムカつく!」
ハワードと無駄口を叩いていたら、師匠が背中を見せてヒザを折った。顔は、とても困っている。師匠の話を聞かずにここに来たのだ。どこに連れ去られるかわからない。
「マグロのところまで連れてってくれる? もうダツとウツボはお腹いっぱいだから。マグロに会いたいの」
師匠は首肯したから、パドマは師匠の肩に手を置いた。
「ちょっと待て、姐さん。また酷い目に合わされるぞ。その金髪は信用がおけない。連れてってやるから、こっちに乗れよ」
ハワードも背中を見せた。
背中が2つこちらに向けられているが、パドマは悩まなかった。乗るのは、師匠の背中である。
理由は簡単だ。パドマの婚約を受け入れたことを、野郎ども皆に恨まれているようで、ずっと責められていて、いたたまれなくなっていたからである。ハワードの背中に乗ったりしたら、ずっとそれらから逃れられない。
パドマは乗り気のようだったし、実際問題、年齢さえ気にしなければ、あれ以上の好条件はないのだ。だから、姉としては反対できない。年頃の合う男たちはまだ子どもなのだから、パドマを守るには力不足だ。何よりパドマに先んじて、気を回して誰よりも早くパドマを守ろうとした姿勢は、悪くはなかった。裏に秘めたるものがあったとして、パドマを泣かせるようなことがなければ、それで構わない。婚約式をして名を刻んだルーファスは、10年は他に恋人も作らずにパドマを守る覚悟があるということである。単に恋人が欲しくないからだとしても、パドマには有難い話だった。ルーファス以上の資産家は、アーデルバードにはいない。わかりやすく良い男なのだ。あれが相手なら、我こそはと別の男が名乗りを上げるのは、難しいと思う。見た目も性格も、悪くはないのだ。女装さえしないでいてくれれば、ツッコミどころはない。
パドマは、師匠の背中に乗せてもらって、すぐに師匠の変化に気付いた。師匠の懐中に詰め込まれている、暗器がごっそりとなくなっていた。
「師匠さん、今日は丸腰?」
パドマがそう口にすると、軽快に進んでいた師匠の足がぴたりと止まり、また先に進んだ。パドマを背負ったまま、ヒレアシトカゲを回し蹴りして仕留める。その際に、靴から刃物が飛び出していた。仮令、その瞬間が見えなくても、刃物傷ができていれば刃物の存在には気付ける。
師匠は、そのままスタコラサッサと階段へのルートから外れ、人気のない部屋に行くと、パドマを下ろして抱きしめた。パドマは、その意味を理解して、全身を真っ赤に染め上げた。師匠の身体から武器が消えていただけではなく、余計なところに防具が増えているのに気付いた。別荘でのパドマの暴言に対する師匠の答えなのだろう。
「違う! そうじゃない」
パドマは、師匠の腕から逃げ出して言った。
「ウチは、抱き心地だか抱かれ心地だかを改善して欲しかったんじゃなくて、触るな! って言ってんだよ。何やってんだよ。前に触らない約束したのに。理由も全部話したのに!」
パドマは、本気で拒否したのだが、師匠は涙目になって、蝋板を出した。
『やだ。寂しい』
「やだって! 寂しいじゃないから!! 、、、え? 寂しいの? それは、なんだか可哀想。いやいや、騙されないよ。師匠さんには、イレさんがいるんだから、イレさんに甘えたらいいでしょ」
パドマは、通りすがりのヒレアシトカゲをつかんで、師匠に押し付けた。それを師匠は、避け様に足で斬り伏せた。
『あんな大きいのは可愛くない』
「そんなことないよ。イレさんだって、ツノを付けたら、そう悪くはないよ」
『私は、牛を愛でる趣味はない』
「そんなことを言ったら、ウチだって、師匠さんにくっつく趣味とかないから」
『ヴァーノンとは、べたべたしてる!』
師匠は、余程強く主張したいらしく、しつこく何度も蝋板を指差して強調した。パドマは、深く深くため息を吐いた。
「同じ兄と妹だって、その関係は一律に同じじゃないと思うよ。師匠さんは、いっぱい妹がいるんでしょ。師匠さんは、その全員と分け隔てなく付き合ってたかもしれないけど、ウチはお兄ちゃんへ対する気持ちは、それぞれ違うよ。どっちも大好きなことには違いないけど、もしも、ウチがヴァーノンお兄ちゃんと結婚したいって言ったら、どうするの? 師匠さんにも、同じ気持ちを持たなきゃダメなの? 本当に、それでいいの?」
師匠は、蝋板を床に落とした。はらはらと涙を流して、イヤイヤを始めた。何やら真剣に葛藤している最中らしいが、それを無視して、パドマはヒレアシトカゲを切り取って、赤い剣で焼いた。焼き加減が最悪だ。大して美味くもないが、かじりながら階段に向かった。パドマはヴァーノンと結婚したいなんて思っていないし、師匠の葛藤の結果も聞きたくなかった。求めるのは、マグロだ。
だが、結論として、18階層で断念して帰った。アシナシイモリが、ウインナーにしか見えなかったのだ。重症だと思った。アシナシイモリの袋詰めをお土産に沢山作った。
パドマは、次の日、朝からせっせとカツを揚げた。本当は、昨日拾ったウインナーを焼こうと思っていたのだが、ダンジョンから出た途端に魔法が解けたのか、アシナシイモリに戻ったので、売り払ってきた。そのお金で豚肉を買いに行ったら、大量にもらえたので、それを焼いている。それを店の粉を買い取って焼いた薄いパンケーキで巻いたり挟んだりした。それを冷まして、梱包したらリュックに大量に詰めて出かける。
「重い」
残念ながら、持ち上げることができなかったので、外にいる護衛を呼んできて、手分けして持ってもらって、出かけることになった。
パドマの口には、カツパンケーキが既に入っているし、右手に抱えた袋の中身は、順次どしどし口に入っていく予定だ。ヴァーノンが作った師匠ソースまで使った上で、それほど美味い仕上がりにはならなかったが、もう口に入れば何でもいいような気がしていた。
誰にも食費を負担させないとなれば、もう我慢して森の丸焼き料理を食べるしかない。調理が面倒くさい。
ダンジョンセンター前に、ナサニエルがいた。今日はというか、昨日のパドマの問題発言以来、師匠がいないので、パドマはそのまま素通りしようとしたら、声をかけられた。
「英雄様、良かったらなんですが、弁当を作ったので、食べていただけませんか?」
突き出された弁当を見て、「弁当? 作った? なんでまたそんなことを」と、パドマは呟き、首をかしげた。しかし、答えはすぐに見つかった。昨日、腹を鳴らしてダンジョンを歩いていたから、可哀想になって、自分の分を作るついでにパドマの分も作ってくれたに違いない。パドマはそう結論付けて、気恥ずかしさに顔を赤らめて、目を潤ませた。
「そっか。ありがと。助かる。早速、食べていい?」
「はい」
照れながら弁当を受け取るパドマに、ナサニエルはおのれの勝利を確信し、護衛は「毒物の可能性があります」と邪魔をした。しかし、護衛の邪魔は、食い意地の張ったパドマには、食料を掠め取ろうとする敵にしか見えなかった。「神は、毒物くらい普通に消化するから心配ない」と、弁当を奪おうとした護衛に敵意を向けた。
無事、弁当を守り切ったパドマが開封すると、随分とナサニエルの見た目に合わない物が入っていた。ハンバーグもウインナーも卵焼きもチーズも、、、何を考えたやら、弁当の中身はすべてハート型になっていた。それを見た護衛は、ナサニエルの胸ぐらをつかんでいきりたっているが、パドマはこの手の弁当に慣れていた。師匠の花散らし弁当や、ヴァーノンの動物おにぎりと同じノリだと思っている。ナサニエルは、ハートが好きなのだ。見た目とのギャップがあるが、誰にもそんな一面はある。女装してないのに女にしか見えない師匠や、どこにでも女装して現れるルーファス、パドマに認められるためには女装も検討するアグロヴァルなんかに比べたら、ゴリマッチョのハート好きなど、だからどうしたと、素直に思える。誰にも迷惑はかかっていない。問題ない。
パドマは。容赦なくむしゃむしゃと食べ切り、ご馳走様と言って箱を返してから、ダンジョンに入場した。
護衛に大事な弁当を持たせているので、走って振り切ることはできない。パドマは口をもぐもぐと忙しなく動かしながら、ぽてぽてと歩いて行った。弁当を持たせるだけでなく、戦闘も護衛任せである。パドマの仕事は食べることと、歩くことだった。
ただ歩くだけなら、それほどお腹は空かないのか、今日のカツパンケーキがヘビーすぎたのか、少し満たされてきたら、今度は眠くなってきた。まだ夜にはほど遠いのに、歩きながらうつらうつらと舟を漕ぎ始め、ふらふらしては護衛に激突し、その時だけは覚醒して、「さわんな!」と怒るのだが、34階層を歩く途中で、ふわりと倒れた。
護衛たちは、慌てた。パドマは寝ているだけで大事ないが、今日は師匠がいない。さわることを許されているらしいハワードもルイもギデオンもいない。さっき触るなと怒られたばかりである。どうする? とお互いに探りあっている間に、パドマの身体が床に沈んだ。こうなった時の対処法は、皆知っていた。床を叩き割って、パドマの身体を床から切り離すのだ。パドマの身体を引っ張っても、床から抜くことはできない。だが、今日は、師匠がいなかった。護衛たちも必死で床を殴りつけてみたが、傷一つ付けることが出来なかった。
パドマは、とうとう完全にダンジョンに飲み込まれてしまった。
次回、食欲が失せる。