255.続、パドマの婚約
パドマは宣言通り、白蓮華にやってきたのだが、パドマに婚約のことを切り出すことができず、もじもじとチーズを食べていた。最近は、あまり白蓮華に来なくなったパドマが来ているのである。訪問理由もわかっているが、パドマは放置していた。
見かねたエイベルが、口を挟んだ。
「お姉ちゃんが、わざわざ来てくれたんだ。婚約の報告をしなよ」
すると、本を読んでいたパドマは、渋々本を片付けて、パドマの正面に座った。
「お姉ちゃん、昨日、ルーファスさんと婚約式をしたの。指輪ももらったよ。英雄様に誓って、わたしとお兄ちゃんを幸せにする最大限の努力をするって、お父さんの前にお金を積んでくれたの」
パドマは、そう言って、服の下にしまっていた指輪を引っ張り出した。チェーンの周りに布が巻かれた紐にしか見えないネックレスの先に、ルーファスらしいバラの意匠の指輪が下げられていた。
「うん。その話を聞いて来たの。パドマは、どう思ってるのかな、って気になって」
パドマは、じっと見つめてくるパドマにどう向き合ったらいいかわからず、狼狽えながら言葉をしぼりだした。
「ありがたいお話だと思ってる。あれ以上の好条件はないよ。お父さんは大銀貨1枚って言ったのに、30枚も積んでくれたし、お兄ちゃんにも、わたしにも別でお金をくれたの。それ以上の用意もできるけど、強盗に襲われても困るから、って言ってた。一度に全額支払うんじゃなくて、少額に分割して定期的に支払うことにしますって。お父さんたちのことも、わたしたちのことも、支援し続けてくれるって。白蓮華に住み続けることも許してくれたし、最終的には結婚しなくてもいいって言うんだよ」
パドマは、パドマの顔を見ず、下を向いて淡々と話した。想い人との婚約式を済ませた、幸せな女の子には見えなかった。聡い子だから、金で買われたことを理解しているのだろう。だから、パドマも綺麗事を言うのはやめることにした。
「そのくらいの金額なら、バラさんには端金だからね。パドマの価値は、そんなものじゃないから。子どもにとっては大金だけど、騙されないで。パドマの婚約者の価値はそれ以上だって、見積もられただけだと思う。あの人、商売上手だから」
「わたしの婚約者になったら、お姉ちゃんが無視できなくなっちゃうもんね。ルーファスさんは、お姉ちゃんが好きなんだと思うよ。わたしがもらっちゃって、本当にいいのかな。今なら、お姉ちゃんに返すけど、どうする?」
パドマは、パドマを見て、ふふふと笑った。
パドマもかつて、いろんな場所でいろんな相手といろいろ言われたことがあるが、無責任な人たちなら適当に怒っていれば良かった。だが、パドマのことを思えば、何と答えたものやら口が引き攣った。
「人柄は好かれてないよ! あの人は、ウチの知名度を使って金儲けをするのが、気に入ってるだけだよ」
「だって、ルーファスさんが言ってたもの。この婚約が知れたら、絶対にお姉ちゃんが怒って殴り込みに来るって。その時、婚約を壊すためにお姉ちゃんがルーファスさんの女だって言い出したら、逆らわずに乗り換えます、って言ってたの。言わせたいなぁって、楽しそうにしてたよ。
でも、それよりも殺される公算の方が高いから、その時困らないようにって、その場合の慰謝料まで先払いでもらったの。金払いだけは信頼のおけるいい人だよね」
パドマは、パドマの話に頭を抱えた。
「面と向かって、そんなことを言う婚約者は嫌だ」
「しょうがないよ。いろいろ釣り合わないんだから。真面目な顔して、愛を囁かれるよりは良かったよ。ただわたしたちを害悪から守りたいだけなんだって、わかったから。
もう少し大きくなったら、お姉ちゃんを好きな誰かが、お姉ちゃんの代わりに、お父さんからわたしを買い上げるでしょう。それを防ぐためだけに、婚約してくれたの。わたしが大きくなって、自分で自分の相手を選ぶ時まで、自由でいられるように。
お姉ちゃんのおかげ。感謝してる。もし、お姉ちゃんが嫌じゃなかったら、ルーファスさんに優しくして欲しい。わたしは、ルーファスさんの味方になろうって思った。ちょっと前までは、お兄ちゃんの味方だったけど、今は断然、ルーファスさんの味方。是非、お姉ちゃんに、婚約の異議申し立てをして欲しいって、思ってる! わたしは、大丈夫。ルーファスさんの義妹の方が、より実際の関係に近いと思う」
話を聞いているうちに、パドマはパドマの手をがっしとつかんでいた。パドマは力強くの抵抗はできない。とても情けない表情を浮かべた。
「バラさんは嫌いじゃないけど、結婚は無理。パドマの希望は叶えたいけど、ちょっと無理。結婚式までは耐えられても、その先で、きっと死ぬ。ごめんね」
パドマは本気で震えていたから、パドマはやりすぎたと自覚した。
「ごめんなさい。お姉ちゃんのドレス姿、わたしも見たかったの」
「ウチだって、どうせするなら、パドマの婚約式に参加したかったよ」
「次は呼んでね。偽物の式でも、ちゃんと参加するから」
「呼びたいよ。でも、結婚式の締めくくりは、参加者の殴り合いなんだよ。かわいい妹は呼べないよ」
「大丈夫。ルーファスさんと行くから。きっと守ってくれるよ」
「ダメ! 結婚するまでは、ヤツには惚れさせない」
パドマは、パドマを抱いて泣いた。妹をそんな境遇に追いやるつもりはなかったのだ。ただ美味しい物を食べさせて、暴力から守れればそれでいいと思っていた。
パドマは、パドマを連れて、街に出た。
パドマを古着屋に連れて行ってみたが、これといった服が見つからず唸っていたら、師匠が服を出した。近くの宿屋で部屋を借り、着替えてみたら、パドマたちはカジュアルな新郎新婦のようになった。護衛たちにも好評だったので、そのまま街歩きをし、あちらこちらで、お菓子を食べた。食べまくった。何もなくとも食欲魔人になっているパドマにやけ食いを許すほど、アーデルバードの店にはお菓子の在庫がないのだが、師匠が裏から手を回して、なんとかパドマを満足させた。
それに気付いたパドマは、「やっぱりお姉ちゃんには、お兄ちゃんじゃないとダメなのかなぁ」と呟いたが、「ルーファスさんだって、やればできるから!」と意見をひるがえした。
散々食い倒れを満喫したパドマは、妹を連れて、夕刻、またカーティス邸のルーファスを訪ねた。今度は、正面玄関から家人の案内付きで入った。妹パドマは来たことがなかったようで、カーティス邸の成金趣味に目を丸くしていた。
「いらっしゃいませ。英雄様、婚約者殿」
ルーファスは、酒を飲んでいたらしい。応接室には茶の用意しかないが、ルーファスの頬は上気しているし、少々口が軽くなっているようだ。そんな様子が少し腹立たしく思えたが、パドマはルーファスに一礼した。
「妹をよろしくお願いします」
窓から侵入してくる無作法者が、キレイな礼を見せたから、ルーファスは驚き、目を丸くした。パドマについてからかいたい気持ちが湧いて出たが、それを収めて、パドマの前に跪いた。
「この世の誰よりも薔薇よりも、大切にすると、わたしの敬愛する神の御前で誓います」
その後、ルーファスは、家族を部屋に招き入れ、婚約式を再度行った。婚約式は、結婚後の契約条件の確認と指輪の交換の間に、お互いの意思確認の場がある。その契約条件でいいですよ、と言うだけの場なのに、2人ともそれで済ませなかった。ルーファスの宣言は、先程の寝言と大差なかったが、パドマは挑戦的だった。
「10年後に、今のお姉ちゃんよりも魅力的になっていたら、結婚したいって、思ってくれますか」
「英雄様は噂が先行しているだけで、わりと本人はポンコツですよ。パドマちゃんなら、簡単に超えられるでしょう。もしかしたら、もう超えているかもしれませんよ」
「それは、お姉ちゃんのすごいところだから。いいところだから。マネはできないけど、他のところで超えるから」
「はい。楽しみにしておりますね」
ルーファスは、軽口を叩きつつもいつも通りに飄々としているだけだったが、パドマの思わぬ食いつきっぷりに、姉パドマは度肝を抜かれた。
こんなに年の離れた妹に、恋愛力で負ける!
いずれ抜かれる予定でいたが、まさかのタイミングだった。
夕飯は辞退して帰る道すがら、パドマはパドマに聞いた。
「パドマって、ルーファスが好きだったの?」
すると、パドマはため息を吐いた。
「好きとか好きじゃないとか、選ぶ立場にないから。その上、ルーファスさん以上なんて、いないよね。どこの誰とも知れぬ何だかわからない人に売られるか、ルーファスさんに買われるかしかないんだよ。大銀貨1枚くらいなら、ちょっとお小遣いを貯めたら、わたしだって買えるんだから」
「そうだねぇ。ウチなんて小銀貨1枚だったから、飛ぶように売れてたよ。多分、その金額でも大分吊り上げてるつもりでいるんだと思うよ。
あとさ。ルーファスに頼らなくったって、ウチだって、少しは役に立つつもりだよ。そりゃあ、すぐどこかへ消えたりするし、頼り甲斐はないし、土地のひとつも持ってないけどさ。そうだね。ルーファスの方がいいね。あの人、自称世界一の美女だしさ」
パドマは、見るからにスネだしたパドマの両手をつかんで微笑んだ。
「ルーファスさんに声をかけてもらえたのは、お姉ちゃんのおかげ。ルーファスさんが約束を反故にしないかは、お姉ちゃんの価値次第。だから、頼りにしてるよ。わたしを守ってね」
「うん」
パドマの襲撃を無事にやり過ごして、安心していたルーファスは、その夜、ヴァーノンの襲撃にあった。パドマのぬるい襲撃とは違い、就寝中に音もなく忍び込み、全力攻撃を仕掛けてきた。最後のツメが甘く、殺気をダダ漏れさせてくれたおかげで、避けることができたが、間一髪であった。
暗殺に失敗した後も、ヴァーノンの手はゆるまず、ルーファスはかなり危うかったが、不眠症の師匠の星見散歩コースになっていたため、救われた。
次回、押す師匠と嫌がるパドマ




