250.集落の儀式
今宵、パドマが神に捧げられることが決まった。
パドマの気が変わらないうちにと、急遽、宴がぶちあげられた。村の豚を1頭絞めて、パドマをもてなしてくれるらしい。集落にとっては貴重な豚なのだが、そんなもので足りるか! とパドマはイノシシ魔獣を5頭ほど仕留めて、賞賛を浴びた。山に入ったら脱走を疑われて、男たちに追いかけ回されたが、誤解だ。逃げるなら、山になんて入らない。まっすぐ道を走っても、パドマの方が速いし、スタミナもある。綺羅星ペンギンの大男たちを置き去りにできるようになった脚力は伊達じゃない。
イノシシくらいならともかく、イノシシ魔獣には手を焼いていたらしい。パドマからしたら、ちょっと顔付きが違うだけの同じものだし、生まれた時は同じものだ。両者の間の違いはわからないのだが、10年もしないで死ぬのがイノシシで、それ以降も生きているのがイノシシ魔獣である。イノシシはそこそこで成長が止まるのに対して、イノシシ魔獣は生きている限り大きくなる。そして、賢くなる。集落の人々は畑を荒らしに来られても怖くて撃退できず、困っていたらしい。賢くなると言っても、罠の回避能力が上がる程度で、結局イノシシは諦めないし、突進してくるだけだ。体当たりのパワーが違うだけで一緒だよーと、キック一撃で仕留めた。
なんだ、恩返しはこの程度でよかったのかと思ったが、パドマは生贄もやるつもりだ。生贄になってと言われても、今度は何をさせられるのかなと、わくわくするくらいに慣れてしまったのだ。
まだ陽は高いが、かなり大きな焚き火を焚き、それを囲むように膳を並べて、集落の全員で食事をとるのが、生贄の儀式のスタートらしい。他所者であるパドマには関係ないことだが、家族親戚友人その他と別れを伝え合う場所なのだろう。
パドマは、かなり臭いイノシシの串焼きを渡され、自分で解体すれば良かったと後悔したが、空腹には抗えず、次々に齧り付いた。
「なぁ、なんで引き受けてくれるんだ? あんたには、関係ない話だろ」
生成りの男は、食事の輪に入ることなく、パドマに肉を運び続けている。パドマに感謝しているのではなく、逃げるのを阻止したいのではないかと思われる。パドマは、生成りの男と一緒にいた茶色の男は、女ではないかと思っていた。
「ここには男しかいないように見えるけどさ、ちっちゃい子もいるし、女がいない訳ないよね。時々いる、汚い格好してる人がそうかな、って思った。次は、あんたの妹さんの番? そう思ったら、見過ごせないじゃん。ウチも妹なんだ。たった1年になるかもしれないけど、少しでも長く一緒にいられるといいね。生贄役が終わるまでは逃げないから、心配しなくていいよ」
串焼きは、焼き加減も最悪だった。固すぎて、満腹を迎える前にアゴを壊してしまいそうだった。料理上手に囲まれて生活をしていたのを、今こそ神に感謝した。
「あいつは、妹じゃない。恋人だ。来年、結婚する準備をしていた」
「なぁんだ、そっかー。それなら、交代しなくても良かったかな、って冗談だよ。幸せになりな」
「今までは運が良かったのかもしれないが、今度こそ無理だ。食料にされるのか、妻にされるのか知らんが、すごい神竜が出てくるって話だ。本当にいいのか?」
「いいんじゃない? ウチなんて、生まれたその日に母親に捨てられたし、なんだかんだ生きてきたけど、もう何度死にかけたか知れないんだ。さっきだって助けられなければ、溺れ死んでたかもしれない命だもん。死んでも、元々だよ。
もう本当に、お腹と背中がくっついてるんだよ。こんな苦痛に苛まれるなら、死んだ方がマシかもしれないよ。だから、もっと肉頂戴。今生の思い出に、お腹壊すくらい食べたい」
「ああ、好きなだけ食ってくれ。なんだったら、あいつを生贄にして、あんたを妻にしてもいいんだぞ」
「うわ。なにそれ。最低すぎない? 人生1のクズ男番付を、こんなタイミングで更新してくれなくていいよ。ウチの犠牲で、あのカップルは幸せになれるんだ、って幸せな気持ちで逝かせてよ」
「オラは、わりと本気だ」
「より最悪だ」
男がにじりよってくるから、段々と距離が近付いていた。パドマは、自分の周囲に8つ膳を並べ、給仕は受け付けるが近寄ってくるなと意思表示した。
「こんなくそ田舎の女より、アーデルバードの女の方がいいだろう。顔もキレイで乳もデカいし、赤の他人の代わりに命を投げ出すような優しさまであるんだぞ。その上、イノシシ魔獣に困らされることもなくなる。いいこと尽くめだろうよ」
「田舎女さんは、こんなクズ男と一緒になるより、生贄になった方が幸せなんじゃないか、と思えてきたよ。ちょっと田舎女さんの意見を聞かせて。もし必要なら、生贄になる前にアーデルバードに紹介状でも書くからさ」
パドマは、あからさまにガッカリした表情を見せた。パドマの命を救ってくれた最大の功労者は、この生成りの男だと思っているのだが、彼に肩入れする気はまったく起きない。彼女のために生贄になるのは構わないが、彼のために生贄になるのは嫌だ。
「あんたに紹介状をもらって、どうするよ」
「ウチが面倒をみてることになってる男が、300人くらいいるらしいんだ。こき使うと喜ぶ人間は、推定1万人いるんだって。推定って、なんだろね。アーデルバードにそんなに人が住んでる気がしないんだけど、人口の半分は引きこもりだからかな。それが本当なら、働き口でも嫁入り先でも、紹介くらいできるよ。気に入るかまでは責任とれないけど、クズ男と結婚するよりはマシだと信じてるよ」
「ウソがや。信じゅられん。何者さね」
「捨て子だよ。みんなの好意だけで、ここまで生きてきたの。だからさ、誰かの役に立つなら、命を散らしてもいいと思うんだ。どう考えても、田舎女さんよりは、ウチの方が生還確率が高いと思うよ。実際、今生きてるし」
「どうやって生き残ったんだ? 勝算はあるのか?」
「ないよ。ウチは行けって言われて、死地に飛び込んでみただけだから。思い切りの良さが、神様のお気に召したのかな。何もしてないのに、火の中に入っても熱くなかったし、沼は割れて硬い地面が出てきたんだよ。不思議だったよ」
「そんた不思議とかじゃなかじゃろ」
「そんなことないよ。少なくとも、アーデルバードならよくあることだよ。懐中から馬車が出てきたり、名前を呼んだら瞬間移動してきたり、昨日男だった人が女になったり、それどころか人が牛になったり、牛が増えたり、牛が美味しかったりするんだよ。それに比べたら、滝壷から浮かぶくらい、どうってことはないよね。人体は水に浮くんでしょ? ウチは泳げないから、知らないけど」
アーデルバード近郊まで足を伸ばせば、猿犬虎蛇とか、クラーケンとか、巨大魚とか、他にもいろいろ日常的に変なものが出て来るのを、パドマは知っている。それらは非日常ではない。比較的に、よくあることだ。脳内イギーが何か言っているが、反論は認めない。
「行ったことあるって言ったろ。そんなヤツは、いなかった!」
「きっと嫌われてたから、内緒にされてたんじゃない? ウチの周りは、そんな人しかいないよ」
「嫌われちょったがや。すげ、ばっさり!」
パドマはいつまでも食べていたが、男たちは手を繋いで焚き火を囲み、くるくる回りながら、歌い踊っていた。それを見ながら、パドマは限界まで食べようとしたのだが、制限時間があったらしい。供物を捧げる場に移動すると言うので、パドマが逃げないように囲む男たちに皿を持たせて、食べながらついて行くことにした。
集落の奥から右手の山に上る。パドマは、その辺の草をむしっては食べながらついて行った。目的地は、なんとも中途半端な山の中腹にあった。そこには少し平らな土地があり、木に囲まれて高床式の木造の建物があった。唄う黄熊亭の自室を少し広くした程度の大きさしかないが、ドアは非常に大きい。観音開きにできるドアは、正面の壁全体の大きさと同じだった。建物から、そのドアを抜けると正面にあるのは崖だった。できたらやりたくはないのだが、ここから紐なしバンジーを飛んだら、男たちから簡単に逃げれるな、とパドマは思った。
「この御堂に入っていると、夜中に神龍が来て、どうにかなる。だから、入ってくれ」
生成りの男が、壊れそうな豪快な音を鳴らしてドアを開けたので、パドマは嫌がることなく真っ直ぐに部屋に入った。天井近くに窓があり、薄暗いながらも明かりはとれるようだった。ただ、換気としては役立たずなのか、ただでさえ暑い時期なのに、部屋の中に熱気がこもっている。
「夜までは、長いなー。食べ物は、置いて行ってね。暇つぶしに食べるから」
「ああ、あんた用に持ってきた食い物は食ってくれて構わないが、供物の方には手をつけないでくれよ」
逃走防止の男たちは、パドマのおやつだけではなく、いろいろなものを持っていた。ここで2次会でも始まるのかと思っていたが、棚に飾って供物として捧げられるらしい。時期的に、放置された生肉なんてもらっても腐ってそうで迷惑ではないかと思うのだが、きのこ神に捧げられたらパドマは信徒を蹴飛ばすが、男たちは真面目な顔をしていた。そんな臭いものと同室は嫌だなぁと思ったが、供物仲間の悪口を言いたくないから触れなかった。
「うん。生肉と生麦を食べる趣味はないよ。空腹が限界突破しなければ、多分、大丈夫」
「果物は食う気満々なんだな」
「そんなことはないよ。この供物なら、1番美味しいのはその花だと思うよ」
「マジか」
「その酒よりパンより美味しいから、今度食べてみて。美味しすぎて食べ過ぎて、お腹壊すから」
「なんだそれ。食べたくないな!」
その花には、お腹が緩くなる成分が含まれている。パドマには影響なかったが、食べたヴァーノンは大変そうだったなぁ、と昔を思い出して、パドマは少しほっこりとした。
パドマが大人しく御堂に入ると、男たちは帰ると言って去った。だが、ずっと近くにい続けた。パドマが逃げ出さないか、心配しているのだろう。扉に外からかんぬきをかけてくれたが、出ようと思えば出られる。御堂の壁の薄そうなところに、パドマが出られる程度の穴をあけることは可能だろう。御堂は壁が薄そうなだけでなく、少々ボロい。パドマは御堂の床に横たわって干し肉をかじっているだけなのに、いつまでも男たちの気配がした。
夕暮れ近くなると、その気配もぽつりぽつりと減っていった。パドマが逃げる心配よりも、自分が神龍に出会ってしまう方が問題なのだろう。1人2人と減っていき、最後の1人は御堂のかんぬきを開けた。御堂に入ってきたのは、生成りの男である。
「なぁ、気は変わらないか。まだ間に合うぞ」
男は、ジリジリとパドマに寄ってきた。パドマは目の前に皿を並べて、バリケードを作った。
「監視なんてしなくても、生贄になるまでは逃げないって言ったよね」
「一緒にここから逃げよう!」
「なんでだよ。大人しく生贄になってやるって言ってるのに」
「勿体ねぇからだ! どうしてもっていうなら、せめて死ぬ前にオラの物になれ。気を変えさせてやる」
生成りの男は、更にじわりじわりとパドマに近寄っていった。パドマは、大きな溜め息をついた。
「あんたじゃ無理だって。ウチは、イノシシを無手で殺ってきたんだよ? どうやって勝つつもりなのかな」
パドマはするりと髪飾りを手に取り、握り込んで男の懐に入り、軽く振り抜いた。
「!!」
男は、声にならない悲鳴をあげ、崩れ落ちた。その背中をパドマは軽く踏み付ける。
「ぐっ!」
しかし、あまりの歯応えのなさに興が削がれて、パドマは干し肉のもとに帰った。
「そこまでクズ男コンプリートしてくれなくて、いいってば。アーデルバードの女はさ、毎日ダンジョンで暴れ回る猛獣のような野郎どもを、尻に敷かなくちゃいけないんだよ。ナヨナヨしてられないよね。田舎男風情が、組み伏せられると思うな。イノシシを無手で倒せるようになったって、無理だ。話にならないね」
「だよなー。オラ、アーデルバードまで行ったけど、彼女を作るどころか、1人も見かけなかったからな。相手にされる訳ねぇよな」
そう言って、生成りの男は仰向けに寝転がった。
それは、あまりの治安の悪さに女の子が隠されているからだよ、とパドマは思ったが、口にはしない。アーデルバードは、着々と治安は改善されている。女の子も普通に歩ける街になったらいいな、と思っている。それを知らせて、アーデルバードに人を呼び込むつもりはなかった。うず高い城壁があるから、街が拡張される見込みはない。土地が買えないほどに人が飽和している。ルーファスが薔薇栽培をやめたら住宅地が増えるかもしれないが、家ばかりを増やしても窮屈すぎる。パドマは現状程度がいいと思っている。
「何してんの? さっさと帰りなよ。生贄交代したいの?」
「あんたの代わりは、務まんねーよ。でもな、どうしても一緒に逃げてくれないなら、最後まで付き纏ってやる。もしかしたら、わんちゃん、あるかもだろ。神龍様があんたをオラにくれるって、言うかもしれねぇし」
「どんな状況だ。ないよ、そんなのあってたまるか。穢れた娘だとかって、怒られたら困る。出て行け」
パドマは閉じられていたドアを開けると、巨大な顔があった。ダンジョンのミミズトカゲだって、こんなに大きな顔はしてないな、という巨大な顔だ。縦も横もイレの身長くらい大きい。御堂のドアが大きいのは、これに合わせたのかと、納得するサイズ感だった。
次回、神龍さんと話し合い、ガチバトル、どちらがいいか、検討中。