248.兄も同然なのに
パドマは、昨日の服に着替えると、濡らしてしまった廊下の掃除をしてから、朝ごはんを食べた。だが、朝ごはんは10人前くらいしかなかったので、そんなものでは足りなかった。腹の足しになったというより、胃を刺激されて、よりお腹が減った気がするくらいである。
食料庫を見学してみたが、満足のいく備蓄はなかった。全て食い尽くしても満足できなそうだが、全部食べたら皆が困るだろうことは想像できる。パドマは麻袋だけ借りて、外に出た。
ここはとても美しい場所だった。地平線に見える小山は黒々としているが、家の周囲に広がる森は、フレッシュな若さを感じる黄緑色だ。それを割るように縦断する川原は太陽に照らされ白く光っており、流れる水は空よりも美々しいブルーグリーンなのだ。
パドマは窓からそれを見て、信じられなくて、外に飛び出したのだった。こんなに美しい場所ならば、森の幸も川の幸も期待できる。パドマはスキップをして、森の中に入って行った。
この季節は、パドマの大好物が、ゴロゴロ見つかる。
ナツグミ、フランボワーズ、ブラックベリー、ブルーベリー、クマイチゴ、モミジイチゴ、エビガライチゴ、ヤマモモ、フサスグリ、イワナシ、ウスノキ。
本わさび、ガーリック、ヤマニンジン、ファイアウィード、イラクサ、イワミツバ、カラハナソウ、ブロッコリー、デビルズクラブ。
それに併せて、夏きのこも拾っていく。
パドマは、ナツグミを口に入れて、昔を懐かしんだ。赤い実なら何でも食べれると主張して、知らない実を次々と口に入れては、ヴァーノンを泣かせていた。そして、困り果てたヴァーノンは、パドマの口にトウグミを入れたのだ。ナツグミの甘酸っぱさを期待して口を開けたのに、トウグミは渋かった。ヴァーノンは食用だと言い張って食べていたが、パドマは渋いのは毒の味だと信じなかった。赤い実だぞと、ヴァーノンは笑っていた。
トゲもものともせずに採集していたら、手が傷だらけになってしまった。それでも、パドマは気にせず、採集を続けた。師匠は何処かへ行ってしまったし、ヴァーノンは洗濯をしている。怒られる要素はない。
そのままザクザク歩いていたら、鹿の群れを見つけた。足音を消していないパドマがいても、逃げない距離である。何鹿なのか自信はもてないし、鹿の年齢もわからない。あちらも遠すぎて、パドマのことを何とも思っていなそうだった。ならばと、パドマは片袖を破いて石を乗せ、鹿に向かって飛ばした。あまり得意ではないが、小さい頃にヴァーノンのマネをしてやった経験があった。立て続けに3つ投げてみたが、見事に1発目が当たったらしい。2発目3発目は、やっつけすぎたようだ。どうにもならないほどに、あらぬ方向にぶっ飛んでいった。
遠すぎて、どこに当たったかも定かではないので、パドマは走り寄って、改めて仕留めた。赤毛の鹿だ。あまり美味そうな顔ではなかったが、贅沢は言わない。血抜きの終了を待たずに、解体を始めた。
キレイに皮をはがし、内臓処理も終え、肉を切り分けていたら、師匠がやってきた。未だに顔は赤いし、涙目だった。まだ心が落ち着かないのにやってくるなんて、そんなに肉が食べたいの? とパドマは思っているが、師匠は肉を食べに来たのではなかった。兄として認めて欲しいから、食事の手伝いに来ただけだ。簡易カマドをいくつも作って、鉄板や鍋を置いた。
「お腹を満たしたいだけだから、熟成とかしないけど、いいの?」
と、パドマが聞くと、師匠は頷いて、パドマが分けたバラ肉を持って行った。薄切りに加工し、師匠ソースに漬け込んでいる。外モモは、ぶつ切りにして、同じくソースに入れた。スネは、水を張った鍋に入れられた。ファイヤウィードやブロッコリーとともに煮るらしい。肩肉とネックは、叩いて細切れにするようだ。他にも、ヤマニンジンを茹でてみたり、師匠は忙しそうに動いている。
パドマは解体を終えて、手持ち無沙汰に師匠の作業を見ていたら、ドンッと背ロースを渡された。師匠は鉄板を指差している。ただ焼くだけならばできるだろう、ということだろう。パドマは納得して、分厚く肉を切り分けて、焼き始めた。横には、師匠特製ステーキソースも塩も胡椒も用意されている。本気で焼くしか求められていない。自分だって食べ方を考えていたよ! と、わさびを削った。
パドマは、焼けた肉からもぐもぐと食べていたら、鉄板にハンバーグが追加された。作れと言われたら、肉なんて焼けば皆同じだよ、と答えるパドマだが、作ってくれると言われれば、噛み切りやすいしコクもあってジューシーだよね、と言う。ハンバーグも、ステーキとは違う魅力がある。
嬉しくなったパドマは、次に焼けたステーキは一口大にカットして、隙を見つけて師匠の口に放り込んであげた。先のパドマの暴言により、落ち込んでいただろう師匠の涙が、少し減った気がした。
外モモとデビルズクラブを揚げ始めた師匠には、ハンバーグを食べさせてあげた。
パドマは残ったファイヤウィードをガーリックソテーにして食べていると、ヴァーノンがやってきた。パドマがこっそり抜け出してきたのを、怒っているらしい。目がとんでもなく吊り上がっているのに、何も言わずにパドマを抱きしめて、頭を撫でてきた。それが兄の正しい姿だとパドマが言ったからだと思うが、ちょっと鬱陶しいかもしれないと、パドマは思った。火を使っている最中だし、何より食事中である。邪魔されたくない。
「パードーマー」
地の底から湧いてくるような恐ろしげな声がヴァーノンから漏れ出て来て、パドマは固まった。すっかり忘れ去っていた手指の傷をヴァーノンが見ていることに気付いたのである。こんな傷なんて、ダツが刺さることに比べたら傷のうちに入らないし、月一の苦行に比べたら痛みのうちに入らないのに。そう言おうとしたら、師匠がヴァーノンの口に唐揚げを詰め込んだので、恐怖の声は悲鳴に変わった。揚げたてを油切りもせずに詰めていたから、さぞかし熱かっただろう。パドマは、皿に盛ったのをもらったので、デビルズクラブの素揚げを食べた。葉っぱなのに、ホクホクで美味しかった。
唐揚げの熱さから復活したヴァーノンは、無言でパドマの手を洗い、薬を塗り、包帯でぐるぐる巻きにした。そして、師匠から食材を分け与えられ、調理に参戦した。今日は、丸焼き以外を作るようだ。卵を割っている。
ヴァーノンは、イワミツバとヤハズエンドウにポーチドエッグを乗せて、チーズをかけたサラダを出してきた。師匠は、それにペンタスの花を散らした。味に大きな影響はない量だが、一気に華やかになった。パドマには、ヴァーノンにスイッチが入る音が聞こえた。
師匠がラグーパスタを出せば、ヴァーノンはカラシナきのこパスタを出す。カラハナソウリゾットを出せば、イラクサきのこキッシュが出てきて、スネシチューに対抗するのは野草ポタージュだった。パドマは内モモの生姜焼きを焼きながら、それらを食べた。何にしろ、ヴァーノンが丸焼き以外の料理を作るのは、悪いことではない。丸焼きでは、店を継げない。継いだら、きっと客が来なくなる。
それらをお昼ごはんにして3人で食べた。更にいろいろなものを摘みながら、イワナシを齧りつつ、残りの食材を持ち帰ると、イレは拗ねていた。みんなの分のごはんを作って待っていたらしい。
師匠はそんなイレを無視してフサスグリのジャム作りを始めたが、ヴァーノンは気まずそうな顔をした。だが、パドマは何も困らない。
「お昼ごはんのデザートに、フランボワーズを取ってきたの。遅くなっちゃって、ごめんね。お腹ぺこぺこだよ。お昼、一緒に食べよう」
そもそも、鹿を1頭食べたくらいでは、腹5分目くらいだった。食べようと思えばいくらでも食べれるし、帰り道を歩いてきたのだ。もう昼ごはんなんて、消化されていなくなっている頃合いだろう。おやつを食べると思えば、ちょうどいい。
イレが用意したのは、さっきも食べたシカのステーキだった。それに、朝師匠が焼いていたパンと、やはり朝師匠が作った卵ととうもろこしのスープだ。流石、イレである。間が悪い上に、空気も読めない。そして、用意したと言う割りに、ほぼ師匠が作ったものだった。肉を焼いただけだった。
なんだ、肉を焼いただけじゃんと笑ったら、シカを獲る大変さを力説された。シカに夢中になっていると、どこからか拳大の石が飛んで来るらしい。
イレの頭に包帯が巻かれていた。シカの味は同じだった。さっき食べたシカと同じ種類なのだろう。シカの近くにいたら石が飛んできたと言うが、石が飛んでくる条件はそう多くはない。パドマはあらぬ方向に飛んでいった投石を思い出し、落石に巻き込まれるなんて不運だったね、と言った。イレは、そうなんだよ。崖もないのに空から落ちてきたの、と答えた。
投石はもう1つあった。パドマは、変なものに当てていませんように、と合掌した。
ヴァーノンと師匠の分ももらって食べたが、パドマは満たされなかった。しょんぼりとしていたら、バラ肉の焼肉とヤマニンジンのおひたしの差し入れが出てきた。
「ありがとう、師匠さん」
師匠はぱっと見は何事もなかったかのように戻っているが、頬は引き攣れている。心なしか、立ち位置も少し遠い。
パドマは師匠とべたべたしたい願望はないので、ちょうど良いことにすることにした。もう変なことに巻き込まれないで済むなら、それで良い。
『ごめんね。わざとじゃない。気付かなかった』
師匠に微笑みが戻るのは、まだ先の様である。パドマは、真剣に反省しても『ごめんね』は変わらないのか、と残念に思った。
次回、言葉の壁に悩む。