234.売れるほどに赤字が膨らむよ
パドマが、ウンピョウの喉元を掻き切った時、茂みからヴァーノンが顔を出した。パドマが、変な雄叫びを上げ続けていたので、場所を捕捉してやってきたのだ。ヴァーノンは、牛を食べる肉食獣である。そう理解したパドマは、ナイフをヴァーノンに向けた。
「うぉリャあの!」
「ちょ。パドマ? 俺だぞ?」
ヴァーノンは、後ろに引きながら、切れない剣でナイフをいなした。
「お兄ちゃんは、肉食獣。イレさんたちの敵!」
パドマは、ヴァーノンに臆さず、ガンガン攻め立てた。周囲にある木の幹や枝や蔓まで利用して、方向をズラしつつ、隙を狙っていく。空は飛んでいないし、火も出ていない。パドマはまだ余力があるのがわかっているのに、かわすのがギリギリになってきて、ヴァーノンは怯んだ。
「俺は草食系だ。肉は、カバ程度にしか食わない!」
避けるのに限界がきて、うっかり剣を振り抜いたらパドマが吹っ飛んで、木に激突した。防御を捨てて、捨て身で突っ込んでくるパドマは、本当に恐ろしかった。
「うわぁあぁあ。大丈夫か、パドマ?!」
パドマは、のびてはいなかった。ぴょこっと半身を起こすと、我に返ったように呟いた。
「そっか。お兄ちゃんの好物は、きのこの水浸し。お兄ちゃんは、きのこしか食べない。イレさんは、食べない」
「そうかもしれないな」
パドマは、まだおかしなことを言っていたが、ヴァーノンは逆らわなかった。話がまとまったならば、正確性は求めない。好物を水浸し呼ばわりされる程度は気にしない。
「あのね、ウチ今ね、イレさんの保護活動をしてるの。問題が片付いたら帰るから、お兄ちゃんは、アーデルバードで仕事しててくれないかな」
「それなんだがな、根本的な問題を理解していないようだから、そろそろ教えようと思うんだが、少し話を聞いてもらえないか?」
ヴァーノンは、パドマの両肩をつかんでいる。とても不快なのだが、触るなと言えない雰囲気があった。嫌だよーという視線を送り、ヴァーノンもそれに気付いているようなのに、離してくれる気配がない。
「長め?」
「すぐ終わる。真の唄う黄熊亭の跡取りは、パドマなんだ」
「真の? なんか格好良さ気だけど、嫌な予感しかしないね」
「元々、マスターたちは、女の子が欲しかったんだ。さらってでも欲しいくらいだったところに、パドマが置き去りにされた。親が迎えに来る間まででも育てようと住まわせたが、親は迎えに来なかったし、パドマは俺に懐いていた。だから、あんな風になった。皆は朝飯を食わないが、俺たちは朝飯を食って、昼飯を食わなかったから、飯が提供されていなかった。気持ちがすれ違っていただけなんだ。夕飯は、残ったからとか何とか理由を付けて、食わせてもらっていたろう。俺たちは迷惑をかけまいと遠慮をしてたが、向こうは向こうで嫌がられてるかと、踏み込めないでいるだけだった。
それで育った後は、どう見ても兄妹じゃないから、結婚して跡を継げと言われた。本当の子にしたいのはパドマだが、パドマを遊ばせておくために、俺に仕事をしろと言っているだけなんだ。だから、パドマを嫁には出さないことを条件に、結婚するのは勘弁してもらって、今がある。お前がいないと、俺は店を継げない。まぁ、お前が別の場所に住みたいなら、俺もあの2人は放置して、他の仕事を始めるけどな」
「ええ? ごめん。すぐには、飲み込めない」
パドマは、困り眉でフリーズした。
パドマは、ヴァーノンに言われるがままに唄う黄熊亭で暮らし始めただけだ。最初から店で手伝いをしていたのではない。しばらくはずっとヴァーノンの後ろに隠れているだけで、マスターたちに近寄られれば逃げ出して、誰とも没交渉だったから、当初の話し合いなどは何も知らなかった。ヴァーノンを介して少しずつ餌付けされて、1人でもお店に行けるようになったのだ。
「別に、理解しなくても構わない。お前が俺のことを気に入らなくて逃げ歩いても、地の果てまで追いかけて行くという宣言だ。恩はあるが、唄う黄熊亭にこだわる気持ちはない」
「より一層複雑にしないで欲しい。理解できないから」
「とりあえず今は、牛のことを気にかけていればいい」
ヴァーノンは、パドマの頭を以前のように撫でた。嫌われてはいないと、確信できたからだ。皆、思いがすれ違って、うまくいっていないだけなのだ。ヴァーノンの場合は、少々拗らせてもいるので、折り合いもつけないといけない。
「そうなんだよ。師匠さんがね、イレさんたちなんて、みんなまとめて出荷しちゃえばいい、とか言うんだよ。ひどいよね。彼氏なのに」
「師匠さんの彼氏は、イレさんなのか?」
「そうだよ」
「でも、師匠さんも男だよな」
「そうかもしれないね」
「俺は兄だが、酔うと飛び付くんだろう? 師匠さんは、変な人だからな。急にまたたびかいだり、セロリを食べたからって、酔って飛び付いてきたら、どうする? そういう心配をしたら、いけないか?」
「それは確かに否定しきれないけどね。違うんだよ。師匠さんなんてどうでもよくて、お兄ちゃんに心配させて、煩わせてるのが嫌なの。お兄ちゃんの時間は、お兄ちゃんのために使って欲しいんだ」
パドマは、真剣である。今は真面目な話をしているつもりだ。なのに、ヴァーノンは、一瞬驚き顔を見せた後で、笑い出した。
「ふふ、ははは。バカだなぁ。俺はいつだって、やりたいことをしているだけなのに。お前を見てるのが、俺の幸せだから、いいんだよ。
初めて、うーって言った時。初めて笑ってくれた時。あの頃から、変わらずずっとお前の成長を見るのが、幸せなんだよ。身体はもう大きくならないかもしれないが、できることが増えていくのを、ずっと側で見ていたいんだ。増える度に、俺の手はもう必要なく思えて、少し寂しくもあるんだが、できた! って、はしゃぐ姿を見ているのが、好きなんだ」
パドマの顔が、急速に赤くなっていった。うわ、うう、などと言葉にならない声を発している。それを見て、ヴァーノンは、やっぱりパドマは可愛いなぁと思い、思い出した話を追加した。
「知ってるか? お前が初めて口にした言葉は、『パドマかわいい』だった。周りの子は単語1つなのに、パドマだけ2つなんて、天才児だと思っていたんだが、『パドマかわいい』が人の名前だと思ってたんだ。自分だけじゃなく、周囲全員しばらくは『パドマかわいい』って呼んでいて、あれは可愛かった」
「10割、お兄ちゃんの所為だよね! ウチは悪くないし、変でもないし! 環境の所為だから!!」
パドマは、顔どころか手まで真っ赤に染めて、涙目になった。ヴァーノンが思う、いつも通りのパドマに戻った。
「俺は思っていただけで、口には出していない。当時は、パドマの可愛さに気付いていなかったからな。レイバンに『お前の妹、可愛いな』と指摘されて初めて気付いて、イギーの反応を見て、そうかもしれないと思い始めたくらいだった」
「そういう話はしなくていい!」
パドマはとうとう耐えきれなくなり、走って逃げ出した。逃げながら、もう1頭ウンピョウを仕留めている。そのウンピョウを担ぎあげ、師匠も後を追った。昼食の片付けをし、パドマが倒した獣を拾いながら追いかけていたのだが、パドマがあまりにも沢山倒すので、担いでも担いでも、走る度に枝に引っ掛けて獲物を落としてしまう。おかげで、なかなか追いつけなかった。やっと追いついたと思ったのに、また置いていかれそうだ。
パドマは現在地をまったく把握していなかったが、イレ牧場に戻ってきた。イレたちは、今日も元気そうにふさふさしている。
ズドン! ととんでもない音がして、振り返ると、ちょっとした小屋くらいの獣の山ができていた。師匠が担いできた獣を地に落としただけで、騒音になってしまったらしい。改めて見ると、すごい獣の数と種類だった。
徒歩圏内しか行っていないのに、クマ、ウンピョウ、ジャガー、ヤマネコ、トラなどなど、沢山の肉食獣を仕留めた。夜中に仕留めた獣も合わせると、実に多彩な肉食獣たちである。簡単にクマと済ませたが、その中には、ハイイログマも、クロクマも、ツキノワグマも、ホラアナグマも、メガネグマもいた。普通、一処にこんなに沢山の肉食獣はいない。競合してエサが足りなくなるし、縄張り争いをしていれば、ある程度淘汰される。食料が足りないから、イレが執拗に狙われているのだろう。コッペキリの町に獣が押し寄せるのも、時間の問題だと思わざるを得ない。本当に放っておけない。この林は、何か変だ。
「なんでこんなに沢山、大型獣がいるんだろう」
誰に言ったのでもなかった。パドマのただの独白だったのに、師匠がついっと視線を逸らした。パドマもヴァーノンも、それを見てしまった。兄妹は、それを目線で確認しあってから、師匠に詰め寄った。
「師匠さんが、やったの?」
パドマが笑顔で聞くと、師匠は首をぶんぶん振った。弁明しようとしているのか、蝋板を取り出しては落としたり、文字を刻もうとしてペンを飛ばしたりしている。パドマは、絶対にやらかしたと見た。
『ちがう、昔ダンジョンがあった、壊れて獣が出てたのを破壊して、さっき止めてきた、私が破壊したから出たんじゃない!』
いつになく殴り書きだった。違う違うと首を振りながら、マジ泣きしているように見える。だが、師匠はいつだってウソ泣きできる人間だから、真実はわからない。
「そうなんだ。壊す前に、入ってみたかったな。イレさんたちのために、生態系を破壊する覚悟で狩ってたんだけど、むしろ狩り尽くさないといけないみたいだね」
『この肉も処分方法を間違うと、獣を活性化させる』
「それで拾ってきたのですか」
「悪いけど、流石にこれは食べきれないよ。だから、商売をしよう」
パドマは、ヴァーノン監修で師匠を飾ってもらった。その結果、師匠はとろみのあるブラウスに膝丈のスカートを着せられ、ツインおさげになった結果、ほおを引き攣らせている。パドマも、うわぁヴァーノンはこれが好きなのかと、知りたくなかったものを知り引いているが、それよりもっと知りたくなかったのは、師匠の足だった。膝丈のスカートなんて履いていれば、当然スネが出るのだが、まったくゴツくなかった。どう見ても、女の子の足である。スネ毛も生えていない。女の子の足だって、ふさふさ生えているだろうに。「女の子だったんじゃないの?」「うそだろ?」と、兄妹がひそひそ盛り上がっているのを、師匠は悲しい気持ちで聞いていた。師匠は、小さい頃から女の子みたいといじられて、女装させられ可愛いと遊ばれていたことを思い出した。女装させるのに都合が良いからと、永久脱毛までされてしまったのだ。
コッペキリの町の外で、師匠に獣肉鍋屋を開いてもらい、獣肉を売りさばくことにしたのである。少々臭うので、遠慮して、町の中には入らなかった。
調理兼売り子が師匠、肉の仕入れ兼解体はパドマとヴァーノンが担当する。師匠は解体を好まないし、ヴァーノンを売り子にしても売れなそうなので、そう分けた。パドマは、料理はできるが得意ではない。師匠は惜しげもなくスパイスと野菜を投入するので、売れても大赤字なのはご愛嬌だ。
スタートは、パドマのサクラからだ。そろそろお腹が空いてきたので、ちょうどいい。師匠に作ってもらった獣肉鍋をつつきながら、人通りが多い場所を選んで、道を歩く。得意の大きな独り言作戦である。獣肉の臭み取りは時間がかかるが、師匠はスパイスの大量投入で、時短に成功した。次々と客を呼ばねばならない。
「何これ。トラ肉柔らかい。美味しい」
パドマは、素で感動していた。トラ肉は、決して柔らかい肉ではないのだが、硬い肉の食べ過ぎで、感覚がおかしくなっていた。トラ肉はスミロドンに比べて柔らかいし、黒鳥のような苦みもない。絶品だ!
感動に浸っていたら、お嬢様がたに取り囲まれていたので、「町の門のところの獣鍋屋が、美味すぎる。臨時店舗がなくなる前に、食べておいた方がいい」と、親切面して言った。そして、少し先にいた野郎どもには、「獣肉屋の売り子が超別嬪、びびる」と流しておいた。一通り町を回ったら、パドマも林に走る。
ダンジョンで出会えば違ったろうが、林で会う獣たちは、大したことはなかった。基本的に単独でいてくれること、盾となる障害物が沢山あるのが、その理由だ。木の後ろに隠れてしまえば、大抵の攻撃はやり過ごせるのだ。木相手に無駄振りをしている間に、致命症を与えてしまえば、そのうち事切れる。面倒なのは、逐一、肉を運ばねばならないことだろう。
エッサホイサと獣鍋屋の裏手に運び、天幕の中で解体する。傷付けてはいけない臓器は慎重に切り取るが、それが済んだら、大体でいい。毛皮の買取額が下がる心配などしていたら、ここの獣は狩り尽くせない。
ブロック肉が仕上がったら、師匠の下に運んでいき、ご褒美のクマ鍋を食べた。春のクマなんて食べたってさ、と思ったのだが、秋のクマより美味しかった。流石、師匠だと思った。
暢気に食べていたら、さっき宣伝していたお嬢さんや野郎どもに見つかって、目を吊り上げられたのだが、パドマが一言「姉」と言ったら、甲高い悲鳴が上がって、静かになった。その様を見たヴァーノンは、ため息を吐いていたが、パドマがまた一言「兄」と言えば、野太い歓声が上がった。
日の入り前に店を片付け、イレ牧場に戻った。パドマは、バイロンたちにヴァーノンを紹介するところまでは起きていたが、紹介し終わったか怪しい頃合いに、立ったまま寝てしまった。ヴァーノンは、パドマの部屋だと言う屋根裏部屋までパドマを運んだが、そこで力尽きて寝た。なんとも自分勝手な兄妹だな! そう思いながら、師匠は牛の護衛のために、外に出た。完徹何日目かな、と考えながら。
今宵イレ牛を襲いにきたのは、アンドリューサルクスだった。蹄を持つヴァーノン2人分ほどの体長を持つ陸生肉食獣なのだが、誰も見ていなかったので、師匠はサクサク倒すと、大穴を掘って、すべてを埋め、隠蔽した。パドマに見つかれば、調理をしなくてはならなくなるが、面倒だから、やりたくなかった。
次回、本家? を牛にする。
書いたかどうか忘れましたが、最初の方でマスターがフライパンをくれたのは、パドマと仲良く料理がしたかったからです。だから、料理に興味を持って欲しくて、いらないフライパンをあげました。おままごとに使ってもらう予定だったのに、芋虫を叩き始めた娘。巨大ミミズトカゲをフライパンで倒すと聞いた時は、どんな気持ちだったでしょう。マスターもアーデルバードっ子だから、ミミズトカゲは見たことがあるよね。