232.スミロドン
パドマは、歩いて知らない街に入った。アーデルバードに比べて、格段に小さい街だった。半日もかからずに街を一周し、街の入り口に戻ると出られないと言われた、理由はいくつもあるようで、聞くには聞いたが理解はできなかった。簡単に言えば、女の数が増えるのはいいことだそうである。男余りの街なのか、一夫多妻制の街なのか、そんなところなのだろう。「なるほど、了解!」と返事をして、パドマは街に戻った。
着替えの服を購入して、パンとミルクを買い、宿をとった。外には出られないらしいが、中では特に不自由はなかった。その辺を1人で歩いていても、誰からも声をかけられないし、難癖をつけられることもなかった。パンとミルクで腹を満たしたら、折角、人里に来たので、宿でタライを借りて、少しさっぱりとする。
身体を拭くために三角巾を外したついでに、髪を切った。襟足は刈り上げたように短く、上部は長めのきのこヘアにした。頑張れば目元が隠れる長さだ。そこまでできたら、濡れてる間にくしゃくしゃにする。
胸は潰して胸板に改造し、シャツを着た後、モゼッタ付きのスタンドカラーのコートを着る。ボトムは、ワイドタイプのハーフパンツを履き、足はタイツとブーツで隠した。
おまけに3本分の指がない手袋をつけたら、少年パドマのできあがりだ。仕上がりを確認する手段がタライの水しかなかったが、概ね満足して、宿を出て、水袋を手に入れてから、そのまま街から出て行った。
アーデルバードの城壁を飛び越えられるパドマにとって、そこらの街の防御壁など壁とも呼べないものだった。話し合いで解決しないならば、実力行使で出ればいいだけだ。問答で解決させるなど、時間の無駄でしかない。男装をしてみたが、街の入り口を経由することなく、宿からまっすぐ行った先の壁を飛び越え、外に出た。
パドマは、また歩いた。食料は、その辺を歩いていれば、手に入る。鳥がいれば鳥を落としてもいいし、その辺の草を食べてもいい。
水は難敵だったのだが、川を見つけずとも水袋を手に入れたから、何とかなる。水を一切入れていないが、師匠のように無限に水を出して飲んだ。パドマが出ると信じれば、水は出て来た。
街や村を見かける度に、パドマは立ち寄り、道中拾った物を換金したり、装備を整えたりした。治安が良さそうだと思えば、泊まることもあった。
そんな風な生活を続けて歩いていたら、悲鳴が聞こえた。悲鳴と言っても人間の声ではないが、パドマは走って見に行った。
現場では、沢山のイレが逃げまどい、スミロドンと思しき肉食獣がそれらを追っていた。柵があり、そこから出られないから、イレたちの方が分が悪い。パドマは、速やかに柵を乗り越えて、イレに加勢した。剣の持ち合わせがないので、簡単ではないが、イレに飛びつこうとしているスミドロンを更に後ろから追いすがり、ノド元にナイフを突き刺し、かき切った。そのまま2頭目に突っ込み、切る途中で、他のスミドロンは唸りながら逃げて行った。
イレたちは、まだ興奮して走り回っているが、見れば見るほど、イレに似ている。牛なのだと思うのだが、茶色の毛が全身にふさふさと生えていて、更に頭頂部から髪の毛のように見える、もっさりとした毛が生えて目が隠れている。本家には生えていないツノがあるのが、かっこいい。また会うことがあれば、頭に付けてあげようかと思うくらいである。落ち着いて見回せば、黒い牛も白い牛もいた。どちらかと言えば、黒い牛の方がイレに似ていた。
スミロドンのように見えた獣は、やはりスミロドンだったと思う。ライオンのメスにアゴの下よりも長い牙を生やして、しっぽを短くし、2回り大きくしたような生き物である。
首が半分取れているため、もう血抜きもへったくれもなくなっている。それらを両手に持ち、柵の外に放り出した。ナイフで、ちびちびと解体していると、人がやってきた。これまたイレにそっくりな髪型のおじさんと、少年だった。
「その獣。あんたが倒してくれたのか?」
「うん。牛が困ってたから」
「そいつぁ、すげぇ。感謝する。ありがとう」
「感謝はいらないよ。お腹が空いてただけだし」
ダンジョンで解体とバーベキューを毎日やっていたパドマの料理スピードは速い。話す間も手を止めず、もう簡易かまどもできあがり、火もついているし、肉も焼き始めた。
「それ、食うのか?」
「殺しちゃったからね。できる限りは食べるよ。多分、くそまずいと思うけどね」
「いや、美味くないなら、ご馳走させてくれ。すぐには用意できないが、これから作るから」
「え? あ、いいよ。いらない。食べきれないくらい肉があるからさ。あ、歓迎してくれるなら、鍋を借りても良い? 保証金は払うからさ」
パドマは、中銀貨を鍋の数だけ支払い、3つ借り受けた。それらに無限水袋から水を張り、肉を投入して茹でていく。その待ち時間は、その辺に生えている木を素手で折ったり割ったりして、木箱を作った。牛似のおっちゃんに許可をとって始めたのだが、やはり素手でやってはいけなかったのだろう。かなり驚いた顔をしている。
その木箱に肉を乗せた持参のアミをセットし、スモークチップを入れたスキレットの上にかぶせる。スモークチップも、素手で木を粉砕して一撃で作って驚かれたが、今更である。そんなものを気にしていたら、いつまでも肉を食べれないから、気にしない。そこまでできたら少し手が空くので、鍋の下で焼いていた枝串刺し肉を、1つ取ってかぶりつく。
「うん。不味い。もう1本」
そんなことを言いながら、次々と肉を平らげ、新たな肉串を焼き始めるパドマを見ていたら、少年はスミロドンの肉に興味が出てきた。
「1つもらってもいい?」
「恩人に対して、なんてことを」
牛似のおっちゃんは窘め始めたが、パドマはそれを手で制して言った。
「まあまあ、いいじゃん。肉は食べきれないほどあるんだし、薪はその辺で拾っただけの木切れだし。肉をあげる条件は、絶対に残さずに食べ切ること。それだけだよ」
パドマはニヤリと笑って、割合に小さめの肉串を少年に差し出した。少年は受け取って、言った。
「小せえ肉を寄越しやがって。食えるに決まってんだろ」
「言ったな。ちゃんと食えよ。くそ不味いからな。覚悟しやがれ」
少年は、一口目でもう後悔した。未だかつて食べたことのない不味い肉だった。信じられないほどに硬いし、臭い。自分とさして年が変わらなそうな少年パドマが次から次へと食べているのが、とても理解できない不味さだった。
「よくこんなのを食べれるな」
と言えば、またニヤリと笑われた。星あかりと鍋で隠れた焚き火だけでは人相がはっきりしないのだが、大型の獣を独力で倒したとは思えない線の細さと身綺麗さだった。そして、なんとなくだが、顔もキレイな気がする。同性相手にときめいて、それに気付いた少年は、また嫌な気分になった。
「空腹が最大のスパイスなんだよ。腹減ったら、何でも食えるから。
なんかね、特異体質でさ、怪力な代わりにめちゃくちゃ食べるの。30人前くらい食べないと、骨折するの。今も、実は骨折は完治してないんだ。面倒臭いから、放置してるけど。だからさ、美味いとか不味いとか言ってられなくて、どんどん食べなきゃ、生きていけないんだ。こっちの鍋では、それなりに食える料理を作ってるつもりだけど、出来上がるまで待ちきれないからさ」
そう言いながら、パドマは1つ目の鍋の煮汁を捨てて、肉を洗い、また新しい水で煮始める。肉をかじりながら木切れを増やしたり、まったく休む気配はなかった。
「その水袋も変だよな」
「ああ、これ? 無限水袋だよ。新しい水袋をくれるなら、あげるよ。無限に水が出ると心から信じた人間には、無限の水をもたらす不思議な水袋なんだ。大抵の人は半信半疑だから、水は出せないから、使いこなせないよ。心からって、結構難しいみたいだね」
「あんたは、特別な人間なんだな」
「どこにでもよくいるちょっと怪力なだけの少年Pだよ。ただちょっと特別な人に知り合ってね。その人をずっと見てたから、信じられるようになったんだと思う。どんな不思議現象だって、実際に起きていることなら、種や仕掛けはあっても絶対に起こり得ることなんだって、信じるしかないよね」
「じゃあ、あんたを見たから、俺もできるようになるな」
「さてね」
パドマのことを信頼してくれたのか、自分がいても歯が立たないから変わらないと思ったのか、おっちゃんは牛の様子を見に行ってしまった。パドマは少年を相手しながら、肉を食べ続けた。
パドマは、一晩中、肉を茹でたり燻したりしていたのだが、少年は最後まで付き合ってくれた。最終的には、船を漕いで寝ていたが。
スミロドンの煮込みは、美味いと言ってくれたことを思い出し、パドマの顔はほころんだ。
「鍋ありがとう。じゃあ、もう行くね」
パドマは、辺りの後片付けをし、鍋を返した。
「こちらこそ、助かった。牛が全滅しないで済んだのは、あんたのおかげだ。ありがとう」
「全部は守れなくて、ごめんね。また今晩来てもいい? あの牛さ、知り合いにすごい似てて、放っておけないんだ」
「ふっ。知り合いに? こちらは助かるが、もてなしは、期待しないでもらえるか?」
恩人相手にもてなしたい気持ちはあるのだが、1晩で巨大な獣を2頭全てを腹に収めたらしい少年をもてなす自信が持てなくて、牛似のおっちゃんは怯んだ。
「ああ、そういうのはいらない。来るなって、追い払ったりしないでくれたら、それで充分。場合によっては柵の中にも侵入するけど、故意に牛を傷つけたりはしないよ」
牛は、夜は牛小屋に入っているらしいのに、スミロドンが牛小屋の壁を壊した結果、牛が外に出ていたらしい。おっちゃんも、夜通し小屋の修繕をしていたらしく、眠そうだ。さっさと立ち去らねば、お互いに眠れない。
「じゃあ、またね」
「ああ、ありがとう、パヴァン」
パドマはスミロドンの皮と骨を荷物に加えて、立ち去った。パヴァンとは、パドマのここ最近の偽名である。うっかりパドマと名乗りかけて、誤魔化した結果、ヴァーノンを意識したような名前になってしまい、少し嫌な気持ちになったが、新しい名前を考えつかないので、そのままになっている。
おっちゃんに聞いた町、コッペキリにパドマはやって来た。この辺りでは1番の大きな街だと聞いたのだが、村と言う方がしっくりくる田舎町だった。町のほとんどが畑であり、町の一角に店が立ち並ぶエリアがある、その程度の規模である。
パドマは、万屋に皮と骨を持ち込み、二束三文で売り払った。アーデルバードであれば、値段を吊り上げるところだが、町の規模を考えれば、やる気にならない。店員の方があまりの安値に驚いていたが、パドマはいいんだよと笑った。森暮らしをしていれば、大して金はかからないのだ。だから、笑っていられる。そして、寸胴鍋を適正価格で買い取り、店を出た。
そのまま町を出て、手近な森に入り、木に上って眠った。
夕暮れ前に、パドマは目を覚まし、スミロドンのベーコンを齧りながら、牛のところに戻った。下味をつけていない肉は美味くはないが、牛舎に異常はなさそうである。
スミロドンが出てきた方角の木に上り、パドマはうつらうつらとしていたら、夜半に客がやって来た。スミロドンの薄色の体毛は、夜色には似合わない。パドマは、見つけてすかさずナイフをありったけ投げて当てたが、悲鳴をあげたものの、スミロドンは引き下がらなかった。だから、パドマは、木から落ち様に2頭まとめて引き裂いた。
パドマはリミッターを外しているので、素手でも攻撃可能である。跳んで攻撃をかわして、殴って蹴って、利き手も使わずに5頭仕留めた。また数頭逃してしまったが、仕留めすぎた。解体せずに丸焼きにしたいくらいに、調理が面倒臭い。
渋々かまど作りから始めていたら、助っ人がやって来た。昨日の少年が1人でやってきたのだ。
「パヴァン、鍋を持って来たぞ」
パドマは、また保証金を払おうとしたが、ダドリーと名乗った少年は受け取らなかった。
「昨日の金も返金を拒否したんだろ。いらねぇよ」
とのことだった。それも、そうかもしれないと、パドマも引き下がり、多すぎる獣の片付けに取り組むことにした。
ダドリーには解体は任せられないが、火加減をみることができるから、それを任せた。木切れを拾いに行かせて、事件が起こってはいけないし、できたらクソまずい焼肉を焦げ肉にして、よりクソ不味くしたくもない。ちょうど良い采配だと思うのに、ダドリーは不満顔だった。
「人間には向き不向きがあってさ、それが苦手なんだ。だから、引き受けてよ」
と言ったら、やってくれることになったのだが、不満らしい。実際、解体に夢中になると忘れがちだから丁度良いのだが、牛の解体はやったことがあるのに、と言っている。やったことがある程度では任せられないのだが。
「なんで焼肉を食べるんだよ。煮込み肉は美味かったのに」
「こんなに沢山煮てられないからだよ。本当は、肉は寝かせた方が美味しいんだよ? でも、わざわざ寝かすほどの味でもないし、寝かすのも手間がかかるし、本当は捨てて来たいくらいだけど、殺しちゃった手前、申し訳ないし、お腹は空くから食べるんだよ。次殺ったら、もう面倒臭いから、スミロドンに食べてもらおうか、悩むくらいだよ」
そんなことを言いながら、パドマは串焼きを頬張っている。昨日の味を思い出して、ダドリーは顔をしかめた。
翌日、コッペキリの万屋に、またスミロドンの皮と骨を売りに行ったら、かなりの額で買い取られてしまった。昨日の皮の売り上げ全額だから、今日のところはこれだけで、次回にまたこれが売れたら支払わせて欲しいと言う。
パドマは、「いらないよ。昨日の金額でいいよ」と言ったのに、引き受けてはもらえなかった。仕方がないから、またアミと鍋を買って、店の売り上げに貢献した。
イレみたいな牛のモデルは、ハイランド牛です。
次回、見つかる。