23.吐かされた
パドマは、単独でダンジョンの10階層までやってきた。師匠の最後の課題を終えるつもりだ。左手に短剣を構えて、右手にフライパンを持って、火蜥蜴の中に、突っ込んだ。
「ちょっと待て! あつー!!」
部屋の真ん中に到達したところで、通路に引き戻された。肩が抜けそうな勢いで、腕を引っ張り戻された。強引なやりくちは師匠を彷彿とさせるが、犯人はイレだ。
「何やってるの。危ないでしょ。燃えるでしょ。ヤケドしたら、跡が残るよ!」
後ろをついてきていたのは、知っていた。だが、イレが何を怒っているのかは、わからなかった。
「どうせだから、師匠さんの課題を合格してから、終わらせようと思ったんだ」
これからの人生に必要とは思われないが、今の自分に欠ける能力であることは確かだし、今までできないことは課されていない。恐らく、やればできるのだ。
「あ゛? バカ師匠、こんな危ないことさせてんの? マジ殺す。こんなんしなくていいし。お兄さんにだって、できないし」
「ウチが危ない目に遭わないように、仕込んでくれてるのは、わかる。もう先には進まないけど、これが最後だから、やるの。邪魔しないで。お願い」
最後の課題を終えたら、スッキリとした気持ちで足を洗える、と思った。他の仕事を探すにしても、ダンゴムシ拾いをするにしても、きっちりやり終えてから、始めたかったのだ。
「わかった。でも、ちょっと待って。本当にできるかどうか、模範演武してみるから、見てて。兄弟子にできなければ、不許可だ。教えられない」
「教えてもらわなくても、自分で覚えないといけないんだよ」
ミミズトカゲの時から、そうだった。ナイフ投げは、どうにもならなかったから教えてくれたが、自力でどうにかできそうなことは、自分で考えて取り組むのも勉強のうちなのだろう。
「もう師匠は、死罪決定だ! 教えてないのか。あの人から理屈っぽさを取ったら、何が残るんだ。もういい。そこで、黙って見てろ。やってやる! 妹弟子に、負けてたまるか」
イレは、ナイフを両手に持つと、部屋の端から順に火蜥蜴を刻み、反対側の通路に抜けていった。通路の半ばまで行くと、反転して部屋に戻ってきて、部屋の両脇に残る火蜥蜴を、円を描く軌道で同じように刻んでパドマのところに帰ってきた。
「どうだ!」
ぜいぜいと息を切らすイレは、火蜥蜴の火の粉にやられて大分焦がされていた。パドマは、素材回収袋でバフバフと叩き、消火した。
「うん。ウチといい勝負だと思う」
「だよね。無理だよ。なんなの、これ。パドマが怒るの、わかるわー」
どうやら、イレは、この課題の難しさにパドマがむくれている、と考えたらしい。真実を話題に出したくなかったパドマは、安堵した。
「でもさ。壁や床に当てずにヒットするんだね。それ、どうやってやるの?」
「ん? こんなの訳ないでしょ。最初に、やらされなかった? 腕の長さと武器の長さを身体に叩き込め〜って」
「初耳だよ。教えてるつもりかもしれないけど、聞いたことなんて、ある訳ないよ。しゃべらないもん」
「そっか。あれは、ただの安全装置にしかならないのか。でもなぁ。お兄さんじゃ、パドマに教えらんないからなぁ」
「なんで?」
「お兄さんは、なんでも力技で解決してるから、同じことをパドマにやれって言っても無理じゃない? トカゲやヘビを蹴り殺せって言っても、できないでしょう? 走る速さも違うしさ。技能なんて、ほぼ持ってないから、焦げたんだよ。師匠を連れてきて、実演させようかな」
「や、だ、よ! もうあの人に関わり合いになりたくないの」
「でも、すぐそこにいるし。さっきっから、階段の上から覗いてんの、師匠じゃない? 最初っから、変な人だったのに、なんで急に爆発したのさ。何があったの?」
イレは、階段上を眺めている。パドマが見ても何も見えなかったが、話題に出たので、見つからないように、引っ込んで隠れているのかもしれない。
「イレさん、師匠さんを何分止められる? ちょっとウチ、街から出るからさ。しばらく止めといてくれない?」
「なんで? 何があった、吐け」
前髪に隠れがちなイレの灰色の瞳が、ギラリと光った気がした。いつもおちゃらけている人だったのに、とても怖かった。深階層プレイヤーの顔なのかもしれない。腕をつかまれて逃げられなくなったが、つかまれなくても、恐ろしくて逃げれない。自然と震えた。
「だって、今朝なんて、自分のベッドで布団をかぶってたのに引きずり出されたんだよ? もうこの街中、逃げ場なんてないじゃん」
「昨日、何かあったんだよね。何があった?」
「絶対言わない。嫌だ」
「吐け」
「言いたくない」
「師匠の前に突き出すぞ。泣いても無駄だ」
「服を、着替えさせられて、たっ」
イレの目が怖すぎて、折れてしまった。バカにされるかもとか、笑われるかもなんていう心配は、どこかへ吹き飛んでしまった。もうとにかく、解放されたい。この際、師匠でもいいから、助けに来て欲しくなった。
「なんでまたそんなことに?」
「ケガをしたから、傷薬を塗ってくれたんだと思う。起きたら、傷がなくなってたの」
火蜥蜴を見ながら言うと、納得したのか、イレはパドマを解放した。
「納得した。あいつ殺してくるわ」
イレは、階段を駆け上がって行った。上階には大した虫はいないのに、轟音が鳴って、ダンジョンが揺れた。
パドマは、音のする方へ行って、そっと覗いてみると、イレと師匠が、取っ組み合いのケンカをしているようだった。ナイフを飛ばさない師匠も珍しいが、師匠を圧倒しているように見えるイレも、見たことがない。勝てないのでは、なかったのだろうか。
丁度いいので、そこを迂回して通り過ぎ、1階層まで戻って、芋虫ルームを次々巡り、射程距離を正確に把握する訓練をして時間をつぶすことにした。
街を出ることにしたところで、準備が必要だ。何が必要か考えて、それを手に入れる金額を割り出し、それを稼ぎ出す方法を考えなければならない。準備が整うまでは、ここを寝ぐらにするのが、安全だろう。誰でも入って来れるのが落ち着かないが、誰も来たりしないパドマの安全地帯だ。
お腹は減ったが、芋虫は食べたくない。薬草苔をかじってみたけど、食べれたものじゃなかった。トカゲ焼きを作りに行こうか、真剣に悩んだ。今が何時なのかもわからないし、師匠が帰ったかどうかもわからない。食べ物に釣られて、出会したら最悪だ。
そんなことを悩んでいたら、まだ家出がスタートしていないのに、お客様に見つかってしまった。
「こんなところで、何やってるの?」
「家出シミュレーション?」
イレに見つかってしまった。ちょっと離れた後ろに師匠もいる。最悪だ。
「なんで見つかっちゃったのかな」
「お兄さんはね。パドマをストーキングする道具を、いくつも持っているんだよ」
そういえば、そんな物もあったことを思い出した。お腹減ったよ! とSOSを出したのだとしたら、とても恥ずかしい話である。
「そっか。ここなら見つからないと思ってたよ」
「バカ師匠には、黄熊亭の住居部分には立ち入らない約束をさせたからさ、帰っていいよ。絶対に守らせるから」
「ありがとう」
パドマは立ち上がって、イレの背中を押しながら、師匠に近付いた。
「師匠さん。師匠さんに聞きたいことがあるんだけどさ。ウチは、師匠さんの奥さんじゃないよね。まだ子どもかもしれないけどさ、奥さんでも恋人でもない人にしちゃいけないことって、あると思うんだ。師匠さんの奥さんが今10歳だったら、イレさんが抱きついたり、一緒に寝たり、師匠さんがウチにするみたいなことをしても、許すのかな?」
師匠は、泣きそうな顔をして立っていたのに、目を見開いたかと思ったら、ナイフを山程投げてきた。いつもの気軽な投げナイフではない。本数も3倍近くに増えていたが、大きな鈍器も飛んできた。
パドマは、イレに投げられて難を逃れたが、イレは1人、圧倒的物量で攻められている。ちょっとした例え話なのに、どういうことだろう。どう考えても、実行犯の師匠の方が重罪なのだが、理解しているのだろうか。
しばし観戦して、あんな武器も持ってたのか、あの技ならマネできるかもしれないな、と楽しんだ後は、2人を放って、唄う黄熊亭に帰った。お手伝いもしなければいけないし、お腹も空いた。
パドマは、もう完全に弟子ではないので、2人のケンカには関係ない存在である。気にする必要はない。
お店に2人が現れなかったので、少し寂しい食事内容になったが、師匠を眺め隊の人が少なくて、ゆっくり食べることができた。
次回は、師匠愛用のパーティグッズ? が出てきます。これで、全て解決のつもりです。