227.第2夫人
シャルルマーニュ大使のメドラウトの妻は、2ヶ月で交代すると言っていた。フローレンスには、友だちになってと言われていたのに、ちょっと骨折して引きこもっている間に、領地に帰ってしまったらしい。結局、お土産がどうなったのかも、聞いてはいない。その頃、パドマが何をしていたのか知らないが、別れの挨拶くらいしたかったな、とパドマは思った。
そして、新たにアーデルバードにやって来た妻を紹介された。メドラウトの妻なんて、パドマには関係ない人だと思うから、師匠とこっそり挨拶してくれたらいいのにと思うのに、唄う黄熊亭の営業時間内に、パドマがお店にごはんを食べに来たタイミングで来られてしまえば、逃げるのも変だから、挨拶することになった。
メドラウトの第二妃は、かなりヤバかった。メドラウトの横にいて猶、妻には見えない。確かメドラウトは、パドマより10歳以上年上だったと思う。それなのに、妻はパドマより5つは下に見えるのだ。どう見ても夫婦と言うより親子だった。熟年カップルならばそのくらいの年の差も構わないかもしれないが、妻はまだ未成年だろう。おいおい、シャルルマーニュって、どうなってるの? これは、犯罪じゃないの? 変態がここにいますよ! 捕まえて!! と言う目になってしまっても、仕方がないんじゃないかな、とパドマは思った。
「こちらが、第二妃のブリアンナです。、、、あの、政治的な思惑で、形式上妻になっているだけですよ。誤解しないで下さいね」
「初めましてっ。妻のブリアンニャと申します。よろしくお頼み致します」
ブリアンナは、頬を染めてうっとりと師匠を見ている。さっきまでは花を飛ばして接客をしていた師匠は、無表情に佇んでいた。え? 問題は、年齢だけじゃないの? と、パドマはますます関わり合いになりたくなくなった。見た目だけなら、師匠の方が年齢の釣り合いは取れるので、その気持ちもわからないではないのだけど、人妻設定はどうするのだろうか。パドマは、そう思ったが、放置することにした。だって、パドマには関係ない話である。巻き込まれたくない。
「いや、なんでもいいんだけどさ。ここ店だから。挨拶より先に、注文して欲しいかな」
注文さえしてくれたら、代金を持つのは薮坂ではない。仕事を休んでいるので懐は寂しいし、偉い人の食事代を支払う自信などないが、きっと師匠が貸してくれると言うか、師匠の客なんだから師匠が払えばいいと思う。
メドラウトは、パドマの好物ばかりを注文したが、パドマが食べることを許されているのは、師匠の料理だけだから、関係なかった。今日も1人で店のメニューにないおしゃれ料理を食べるのだ。それを食べ切った後なら、多少のつまみ食いは見逃されるが、食欲が抑えられ、かつてのようには食べれなくなっているから、いくらも食べれない。満腹になれば満たされるから、それ以上はいらない。
パドマは、自分の皿を平らげると、早々に店を後にした。メドラウトは、ブリアンナを妻だなんて言ったばっかりに、周りの酔っ払い客の標的になり、酒漬けにされていたから、見ないことにしたのである。
次の日、パドマは朝ごはんを食べた後は、暇つぶしと実益を兼ねて、ミクロモザイクに取り組んでいた。ペンダントトップになる皿に、米粒の半分にも満たないカラフルなガラス片をピンセットを使って並べて絵を描く作業をしていた。昔、森で見かけた謎の花を描いていたのだが、客が来たとヴァーノンに言われたので、外に出た。ブリアンナがいた。
明るい茶髪をふわふわと揺らしているのは、昨日と同じだが、なぜか全身カーキの男物の服を着ていた。正直、あまり似合っていない。
「パドマ様、ダンジョンに連れて行ってください。フローレンスから、とてもキレイなところだと聞きました」
「ダンジョンかー。ごめんね。見てわかると思ってたんだけど、今ケガをしててさ。休業中なんだ。どうしてもって言うなら、人を手配するから、別の日にしてもらってもいい? 日帰りするには、どうしたって仕込みがいるんだよ」
パドマは、まだ腕を三角巾で吊っている状態だ。おかしな趣味でないのなら、こんな格好をしている人は、大抵骨折している。パドマは打撲で吊られたこともあるが、まぁ、どちらもケガには違いない。生活するのに困っていないなら、こんな状態でダンジョンに行くものではない。行って悪化させれば、いつまで経っても治らないのだから。
言わなくてもわかることだと思っていたが、パドマが行ったシャルルマーニュの町には、ダンジョンはなかった。それに比例するのか、町を歩くケガ人も、見なかった。お姫様にはわからないのか、とパドマは思った。
「どうしても、今日は行けませんか?」
押してくるブリアンナに、パドマは困って後ろからついて来た師匠を仰ぎ見ると、ダメダメと首を振っている。そうか、ダメなのか、とパドマは部屋からクマちゃんを持ち出した。ダンジョンに行く言い訳見ーつけたー。大人しく歩いているが、パドマは心の中でスキップを踏んでいた。
師匠に登録証をスリ取られてしまったが、パドマは気にせずにダンジョンセンターに行った。そして真っ直ぐに窓口に行き、登録証の発行をお願いする。
登録証の発行に、本人確認はない。好きなだけ何度でも発行できる。ただ枚数を増やすと、ポイントが分散してしまい、貯まらないだけだ。だから複数枚登録する人間はあまりいないが、紛失した際には簡単に新しい登録証が手に入る。
パドマは新しい登録証を発行するそばから紛失したが、懲りずに何度でも発行し続けたら、そのうち師匠は折れた。通りすがりの人に「また取った」「ひどいな」などと言われ続け、心がすり減った結果である。
『パドマはケガをしてる。ケガが悪化したら困る』
などと蝋板を見せても無駄だった、識字率が低いから、読める人間などあまりいない。字を読める人間なんて、基本的にダンジョンには来ない。その上、パドマは英雄的人気を誇る神である。困ったことに、腕を吊った状態でもパドマなら大丈夫だと、皆が皆、信じていた。ここに、師匠の味方はいなかった。
登録証を入手したパドマは、まっすぐダンジョン入り口に行った。師匠は、諦めて、元の登録証とすり替えた。とても不本意だったが、致し方ない。パドマのケガが悪化したら、師匠をひどいとなじったヤツらに文句を言いに言ってやる! と、師匠は怒っているが、結局、誰もその文句を読めないのだから、意味はない。
パドマは、1階層に着くと、クマのぬいぐるみを床に下ろして、お願いした。
「クマちゃん、ウチの後ろをついて来てね。あと、戦うのは、『戦って』って言った時だけにしてね」
黄色いクマは、わかったとも言わないし、うなずきもしない。だが、パドマが歩けば後ろをついて来たから、わかってもらえたと思い、先へ進んだ。
2階層には、ニセハナマオウカマキリがいた。見た目が魔神のように怖いが、紙装甲ですぐへし折れる敵だ。
通路をふさいで立っているニセハナマオウカマキリを見て、蹴倒して通ろうかな、とパドマは思ったのだが、ブリアンナは腰に下げていたスモールソードを抜いて、斬りに行った。スモールソードは、刺突に特化した剣なのに。
だが、ニセハナマオウカマキリなら、パドマの細腕で殴っても、すぐ死ぬ。だから、なんでもいいかと思い、パドマは傍観を決め込んだのだが、ブリアンナはとんでもない才能を見せた。
パドマは長年ダンジョン通いをしているが、ブリアンナの技は、初めて見た。どういう力加減をしているのか、ニセハナマオウカマキリを相手取り、チャンチャンバラバラと互角の勝負をしていた。ニセハナマオウカマキリに力勝ちすることなく、鍔迫り合いができる人材なんて、そうはいないと思う。
ショーとしてはなかなか面白く、パドマはうっかり見入ってしまったが、師匠が無表情でカマキリを蹴倒したので、終わってしまった。ブリアンナが師匠に見惚れて、きゅんきゅんしていそうなのだが、大丈夫だろうか。惚れんな! と年若い女子を微笑みを浮かべて蹴飛ばすのが、師匠の得意技である。パドマは、不安になったが、人妻に対して師匠に惚れてないよね? などとは聞けないし、深掘りしたくないので、クマちゃんにニセハナマオウカマキリを攻撃する指示を出すだけに留めた。
3階層に行くと、人がいっぱいいる。パドマを見かけると、どこかで見かけたようなヤツらが、わらわらと寄ってくる。ここを社交場にしてるだけのヤツならともかくも、狩場にしてるヤツらには、パドマの護衛など務まらないのだが、毎回こりずに付いて来ようとする輩が30人は集まってきた。この中でどこまでも付いて来れそうな人間は、グラントくらいだろう。
「グラントさん、こんなところで、何やってるの?」
「只今、綺羅星ペンギングループ冬のイベント、マラソン大会を開催中でして、皆が戻って来るのを待ち侘びているところでした。49階層を折り返し地点に設定したので、しばらくしたらサソリを担いだギデオン他81名が戻ってくる予定です」
「そんなイベントをやってたんだ。知らなかったよ」
「見所が何階層なのかも不明な、息を切らした男が大量発生する見苦しいだけのイベントですので、ご報告は致しませんでした。走るスピードや体力を査定して、能力にあった役職につけています。上位入賞者は2階級特進、前半までに入れば1ランクアップ、それ以降なら2階級落とします」
「え? 綺羅星ペンギンって、足が速くないと、出世できないの?」
「足が速い方が何かと役に立ちます。その能力給を上げるためです。そもそも足の速さがウリではない面々は、出場しないので問題ありません」
「なんだ。自由参加制か、ならいっか」
パドマがグラントと話している間に、ブリアンナはダンゴムシに組みついていた。
ダンゴムシは、丸まっているだけで動かない。青以外は、噛みついてくるなんて話も聞いたことがないから、放っておいたが、全然仕留められないようだ。確かに、刺突剣で倒すのは難しいかもしれないと、グラントが小剣を貸出してみたが、いつまで経っても刃が通らないようだった。どうにもならないようなので、丸まったダンゴムシをグラントが力強くで真っ直ぐにしたら、なんとか仕留めることができたらしい。
ダンゴムシは丸まっても仕留められるから、何のために丸まっているのかがパドマの長年の疑問だったのだが、彼らはブリアンナから身を守っていたのだと、判明した。
4階層は、カメムシがいる。壁にくっついているだけの害のないヤツらである。誰かに嫌がらせをしたいのでなければ、放っておけばいいのに、ブリアンナは突っ込んで行って、スモールソードでべしべし叩いた。刺突剣だと知らないのかもしれない。
巻き込まれたくないので、パドマも師匠もグラントもクマちゃんも、階段から出なかった。ブリアンナは、カメムシに必殺技をくらっているようだったが、命に別状はないので放っておいた。だが、有志の護衛たちは、果敢に戦いに参戦し、隣国の姫をお救い申し上げた結果、パドマから「臭い」と嫌そうな顔をされて、傷付いた。
5階層は、ツノゼミがいる。
ブリアンナは、どこに逃げても臭くなった自分に嫌気がさし、すっかり大人しく歩くようになったのだが、ツノゼミは一定以上近付くと、飛んでくる。グラントは、パドマの護衛をしている。ツノゼミなんて、どうという相手でもないが、気にせず歩き続けるパドマの手を煩わせることなく、1人で全方位を守りきるのは、それなりに忙しい。師匠は、パドマが攻撃に出たら簀巻きにしようと、見張るのに忙しい。黄色クマは、ついて来いという命令を実行するだけで、いっぱいいっぱいである。本来なら、そんな機能がないところを一生懸命に歩いているのだ。
結果、ブリアンナは、べべべんとツノゼミに体当たりをされ、何度かひっくりコケた。パドマが黄色クマに戦うよう頼んだが、無作為に攻撃をしても、ブリアンナは他の個体に襲撃されてしまうようだ。どうしたらいいかわからず、パドマは諦めた。
6階層は、トリバガがいる。
ここは、流石のグラントも、1人ではパドマを守りきるのは難儀なので、左側半分は師匠が受け持った。ブリアンナはトリバガまみれになって倒れたりしているが、骨折をしていないブリアンナなら転んだところで、どうということもない。若いのだから、骨も丈夫だろう。誰も気にしなかった。トリバガは速いので、そんなことを気にしていたら、突破されてしまう。突破されてしまえば、パドマは戦い始めてしまうだろうから、何としても防がねばならないのだ。パドマは、今無手である。どんな攻撃を始めるか、わからない。自分のケガの悪化を気にする性質ではないから、絶対に守らなければならない。グラントと師匠は、その思いを胸に、素晴らしい連携を見せた。そのショーを、パドマは喜んで見ている。故に、ブリアンナを注視する人間はいなかった。
7階層には、クロスジヒトリがいる。
白茶のボディと左右の羽にそれぞれ一筋ずつ黒の太線が入っている、ヒトリガの1種である。よくいる蛾が、壁にペタペタとくっついているに過ぎない。ダンジョンの魔法で巨大化されて、5歳児くらいに大きいが、ただそれだけだ。9割くらいの個体は、まったく害はない。
たまに羽を広げていたり、飛んでいる個体もいる。腹部は大体濃い橙色で、たまに黄色いものもいる。少し毒々しく感じるが、ただの警戒色だ。食べると毒に当たるが、某おっちゃん以外には、関係ない。クロスジヒトリを食わねば生きていけない人なんて、他にはいない。
ただ、まれに、ごくまれに、腹からxを出しているヤツがいる。xは、小文字のxである。手書きのxにしか見えない物が腹部の先から生えて、ウネウネと動いている。xは、本体と同じくらいの大きさで、かなりの毛むくじゃらであるので、意味がわからないし、見ているとなんとなく気持ち悪くなる。
パドマは、何あれ、気持ち悪いと思っているのだが、ブリアンナはふらふらと近寄っていき、何を考えたか、xを出しているクロスジヒトリに抱きついた。
「あの人、何やってんの?」
腕にぞわぞわと立つ鳥肌をさすりながら聞くと、嫌そうな顔をした師匠が恐ろしい蝋板を出した。
『ヒトリガのコレマタから、メスを誘引するフェロモンが出ている。盛りのついた女ホイホイ。大きいから、あれはかなりのイケメン』
「え? 盛り? 何それ。男は?」
『男はいつでも盛ってるから、選別できない』
「何それ、どういうこと? うちのお兄ちゃんは、違うから。混ぜないでね」
『変な女が最深部まで入って来られないように、仕掛けられたトラップ』
「全然、意味わからないけど、とりあえず恥ずかしい! グラントさん、あれ、どうしたらいいの?」
自分がそんな状態ですよ、と周囲に知れてしまうなんて、最悪だ。今までずっとトラップに引っかからずにいたのだが、万が一引っかかったらと思うと、ダンジョンに来るのが嫌になってしまう。
パドマが困って相談すると、グラントの顔も困っていた。
「引き剥がして助けるのは簡単ですが、迂闊に触れて国際問題にされたくないので、大使館に相談に行って参ります」
グラントは上階に向けて走った。
マラソン大会のゴールは、グラントである。戻ってきた男たちが低層でグラントを探して走り回り始めたので、鬱陶しくなった。パドマはシャルルマーニュ大使館に行ったよ、と教えた。その所為で、大使館にサソリを担いだ男たちが殺到してしまった。迂闊なことをして、国際問題になるところだった。
その上、本当の1位はギデオンだったのに、探し負けたようで、そんなに速くなかったルイが1位になってしまった。賞品が昇級なので、補填が難しい。申し訳ないことをしたと、パドマは大いに反省した。
グラントに連れて来られたメドラウトは、無言で妻を蛾から引き剥がし、情けない顔で師匠に怒られていた。今すぐに国に送り返します、と言っていたので、可哀想になって、折角来たんだから、観光くらいさせてあげて、お土産も持たせてあげてね、とパドマは口添えした。
なんだかよくわからないが、フローレンスはやたらとお土産にこだわっていた。お土産を持ち帰らないと死ぬとか、なんかそういう恐ろしいことが待っているのかもしれない、そう思ったのだ。
次回、ブリアンナの土産の心配をする。