221.怪魚を喰らう
パドマは、皆と別れて、年明け早々ダンジョンにいた。本当は、皆で来ようと思っていたのだが、少なくとも護衛の皆くらい一緒にいなければならなかったのだろうが、師匠と2人で74階層にいた。
昨日、白蓮華の子どもたちと一緒にいて、子どもたちの成長を肌で感じて、自分も頑張らなきゃ! と発奮した結果である。今は、少し反省している。頑張るのは構わないが、大人にならなければいけなかったと。自己都合で、自分の願いで付けられている護衛を置いてきてはいけないし、なんだかんだ言って74階層の獲物が売れるかどうかは知らない。これは仕事ではない。パドマがただ来たいと思っただけだ。言い訳はよくない。見苦しい。
でも、70階も階段を下るのが嫌だったのだ。魚を1匹仕留めたいだけなのに、その道のりは遠すぎる。だから、誰に断ることもなく、ぴょんと師匠タクシーに乗ってしまった。疲れない上に、瞬く間に目的地についてしまう、魅惑の乗り物である。楽な方についつい逃げてしまう、悪い癖が出てしまった。師匠は怪力だから、機嫌さえ損ねていなければ苦もなく運んでくれるのだが、パドマは成人しているから、非常に絵面は悪い。子どもの頃と同じノリで甘えているだけなのだが、見た目だけは師匠の年齢を越してしまったし、パドマも大きく重くなったのだから、遠慮しなければならないのだ。結局、師匠の身長は追い抜けずに成長が終わってしまったようだが、パドマは大きくなったのだ! それに見合うように心を成長させることこそ、子どもたちから学ぶべきであった。
パドマは、ぶつ切りエイをポイポイとフロアに投げ入れた。口の前なんかに、丁寧に落としてやる必要はない。適当な場所に、なんならそこそこ遠い場所に落ちても、早々にヤツらは豪快にガブッと噛みついてくれた。飢えているのだ。
「はっや。こわ!」
銀色に輝くボディは、よくいるそこらの川魚と大差ない。だが、顔が圧倒的に怖かった。子どもの落書きのように、ギザギザと鋭い牙が口からはみ出すように生えている。怪獣の口を持ち、魚特有の胡乱な目を加えると、無慈悲なハンターにしか見えない。魚なんてみんな大体そんなものかもしれないが、同じくらい獰猛でも、メダカだったら同じサイズであってもそう恐怖を感じなかった。リアルでワニや人を食べていると言われている魚なのだが、そっかー、あいつなら間違いなくやってるよね、としか思えない見た目をしている。
チヌイを超す巨体とスピードと食いっぷりの良さ。その上で、怖い顔をしている。エイなんか投げなければ良かったと、パドマは震え上がって後悔していた。だが、前評判通りの食い気に、パドマは覚悟を決めた。赤い剣を抜き、部屋に一歩だけ入る。エサですよー。エサがやって参りましたよー。パドマは、心の中で、セールストークを始めた。
魚たちはどういう嗅覚をしているのか、パドマは血も流してないのに、一瞬で部屋にいた全個体がパドマの方を向き、突っ込んできた!
「いやぁああ」
牙をむいて突っ込んでくる絵面の怖さに怖気付いて、パドマは階段に戻り、卑怯にもそこから剣を突いた。
「必殺、ミディアム!」
狙ったのは、ミディアムである。程良く焼けた焼き魚を想像して、パドマは剣を繰り出したのだが、魚に刺さると紅蓮の炎が上がり、大炎上をはじめた。魚の顔の怖さにびびりすぎて、力を込めすぎていたようだ。そもそも火力を調整する匙加減を理解していないのだが、上がる炎に悲鳴を上げて、パドマは慌てて魚を引き抜いて、火を消した。
刺さった魚はほぼ炭になっていたので、近くにいて炎に巻き込まれた生焼けに近い魚を選んで、内臓を取り塩を振って、改めてジワジワと火力を抑えて焼いた。
「やっぱり、焼き魚って、一瞬じゃ作れないんだね」
と言うと、師匠はとても残念な子を見るような顔をした。
「そうだよね。師匠さんも残念だよね。一瞬で焼けたら便利だもんね。練習したら、できるようになるかな」
焼いている間は暇だからしゃべっていたが、焼けてしまえば、口は忙しい。パドマは、焼けた場所から順次かぶりついていった。
「師匠さん、大変だよ。塩焼きもいけるけど、これ、煮付け用の魚だった!」
そう言いながら、師匠の口にも放り込んでやると、師匠の身体に電流が走った。肉の味がするだと? すぐさまパドマを放置して、魚を仕留め血抜きをし土産縛りにすると、食事中のパドマも拾って、帰宅した。
74階層の主、ムベンガは、部位によって、味が違った。
パドマが食べたところは、魚だった。脂が乗っていて、口の中でとろけるような食感だった。白身魚だった時点で、食い飽きたよ、もういいよと思っていたのだが、甘みと旨みが他の魚と大違いだった。
師匠が食べたところは、肉だった。少々水っぽさはあり、大味ではあるが、程良い弾力があるササミのような食材だ。だが、ただ焼いただけなのに、燻したような風味を感じた。これは、ダンジョン内で調理をするには手に余ると判断して、帰ることにした。まだパドマを戦わせていないが、そんなことはいつでもいい。ちゃんと料理したものを食べてみたかったのだ。
師匠はイレの家に行き、いつものようにパドマを放置して、調理を始めた。
サンドイッチとサラダを作ってみたが、試食したら、思っていたのと違う味のものができた。この段にきて、やっと部位ごとに味が違うことに気付き、片身を刺身に、片身を焼いて味見を始めた。しかし、どこから味が変わるかわからないからピンポイントでは味見ができないし、魚が大き過ぎて、いくらも食べずに師匠は力尽きた。魚に負けた。
さっき、パドマは同じくらいの大きさの魚を、1人で完食していた。昨日の夕ごはんも、今日の朝ごはんも尋常でなく食べていたのを見ているので、たまたまお腹が空いてたのではないことは、間違いないのに。
仕方がないからパドマを呼んで、ムベンガを食べて部位ごとの味を教えてと頼んだら、べらべらと話しながら、片身を食べ切って、刺身は拒否した。「食べたければ、自分で食べればいい」と、頑として受け付けない。お腹がいっぱいで、食べれないからお願いしているのに。
それだけ食べているのに、パドマの身体は細い。一時的にも腹が出ていない。なんで? とおなかを触ろうとしたら、蹴られた。一頃は入浴の介助をしていたから、もっとダメなところを触ったことなんていくらでもあるし、今更だと思っていたのに。
悔しかったけれど、『食べた魚は、どこへ消えたの?』と蝋板を出すと、意図が通じてるのかいないのか、「そんなのお腹の中に決まってるじゃん」と、自らの腹をぽんぽん叩いていた。服のダブつきで膨らみが隠れているのでもないことがわかった。
「まだ腹三分目しか食べてないんだから、お腹なんて膨らむ訳ないよね」
と、恐ろしいことを呟き、失敗作になる予定の炊き込みご飯を見つめている。
パドマが食べたムベンガは、体長だけならイレよりも大きかった。長さがあるだけで、身はチヌイのごとく細い。だが、それにしたって、と思った。
師匠は、空腹時に食べたとして、飽きるということを無視すれば、1匹を4人で食べ切るくらいならなんとかできるかな、と見ている。それを、さっき朝ごはんを山盛り食べていた娘が、1人で1匹半食べた挙句、次の料理を待っている。怪奇現象だと感じた。
食費がかかるのはまだいいとして、このままいけば、一日中自分は調理しかできず、パドマは食べているしかできず、その上で空腹を嘆いているようなことになりはしないかという懸念すら湧いてくる。
パドマがデブだったなら、放っておいても腹の蓄えでなんとかするかもしれないが、一部の部位を除き、ガリガリの娘が腹が減ったと訴えるなら、食わせないではいられないだろう。栄養失調になられたら困る。こんなに山盛り食べさせているのに、食べさせてあげていないみたいな目で見られるなんて、納得できない。
何をしたらこの子は太るんだろう、と師匠は悩みながら、落雁を作り始めた。
太らせるなら、糖質と脂質を大量投入してやればいい。どちらもパドマの好物だから、食べさせるのは簡単である。
次回、メドラウトの妻。