218.青い石
「いやぁああぁあぁ! 何なに何?」
パドマは、寝ている最中に、何者かの襲撃を受けた。犯人は、パドマを起こすことなく布団からズルッとパドマの身体を引きずり出し、抱擁してきた。そこで目を覚ましたのだが、服は脱がすし、着せるし、髪を編まれるし、目覚めは最悪だった。最終的には、助けようとしてくれたヴァーノン共々誘拐されて、今は紅蓮華系列のカフェにいる。犯人は、師匠だ。そんなことをするのは、師匠しかいない。
テーブルには、パドマが好きそうな食事が並んでいるのに、パドマはヴァーノンのひざの上でめそめそと泣いているだけで動かない。ヴァーノンは、パドマを宥めつつも師匠を睨んでいるし、そんな2人を眺めて、師匠は楽しげに微笑んでいる。そこに同席させられているイレは、とても居た堪れない気持ちでいっぱいだった。師匠が2人を連れてくる間に、席を確保する係を仰せつかっただけなのだが、反対の係を任された方が良かったのだろうことは、なんとなく察せられた。いや、なんとなくではなく、間違いなくだろうか。間が持たず、ごはんは食べ尽くしてしまったし、食後酒も今、飲み終わってしまった。収拾をつける係なんてしたくないんだけどなぁ、と悩みは尽きない。
「ごめんね。師匠、昨日の晩からご機嫌なんだ。新しいアクセサリーが余程お気に入りらしくて、自慢したくて仕方ないみたいでさ。いろんな人に見せつけて歩いてるの」
パドマの身に何が起きたか聞きたくなかったイレは、とりあえず師匠の説明をした。師匠は、ずっとネックレスを右手でいじくりまわしている。詳細を語らずとも、お気に入りがどれかは、わかると思う。パドマを飾るのが好きな師匠だが、本人はパドマとお揃いくらいしか身に付けない。お揃い以外のアクセサリーを身につけるのは、とても珍しいことなのだ。
「そうですか。用がそれだけなら、帰ります」
ヴァーノンはパドマを泣き止ませるのを諦め、抱えて立ち上がったのだが、対抗するように師匠も立ち上がり、パドマの口におにぎりを付けた。パドマは、おにぎりをかじった。師匠が差し出すおにぎりを師匠ごと食い尽くさんばかりに食んでいる。ヴァーノンは、溜息とともに座り直した。パドマの食い意地に反抗するのは、恐ろしい。
師匠は、パドマの介護に慣れている。一頃は、1日5食を手ずから食べさせていたのだ。汁物込みで、すべてキレイにパドマの腹に収めてみせた。パドマは、満足そうな顔でヴァーノンにもたれかかっている。年頃の娘がこれでいいのだろうか、とヴァーノンはとても心配になった。
妹が泣き止んでくれたことに安心していたが、緩んでいる場合ではなかった。ヴァーノンは、またしても師匠にさらわれた。
着いたのは、山の中だ。街の近くの森ではない。森にいる時に、地平線の辺りに見えていた山の1つだ。走ればヴァーノンでも日帰りできると思うが、面倒だなぁ、と思った。不満しかなかったが、景色はいい。
周囲の木々は橙色に色付いている。赤や黄も時折混じるが、ほぼ橙だ。それが程よく散っているため、木も地面も橙であふれている。適当に来たのではなく、下見済みで連れて来られたのだろう。パドマは気に入ったのか、自らヴァーノンから離れて、瞬きもせずに景色に魅入られている。
それを満足そうに眺めて、たまさかに挑発的な視線を送ってくる師匠にヴァーノンはイラつきを抑えきれないのだが、落ち着きを取り戻した妹の手前、耐えていた。また泣かれたら、面倒臭いから。今日はいつもの服ではなく、だぶだぶのオーバーオールを着ているのに、何故かまた師匠とお揃いでいることにもイライラしている。いつも服はお揃いだが、なんでそうなっているのか、理由はわからないままだった。あんなものはただの服だと見ないフリをしているが、ムカつく。師匠は余計だが、パドマは何を着せても可愛いから、問題ない。そう懸命に洗脳している。
パドマは、ビクッと動くと、木々の間に飛び込んで行った。何事かと皆が後を追いかけると、セープを大量に抱えているのを見つけた。
「持って帰りたいの」
と、パドマがねだれば、師匠が袋を出した。山盛りいっぱい詰め込んだ後は、袋をイレに押し付け、パドマと師匠は、どんどん奥に進んでいった。
師匠に促され、パドマは嬉しそうにソルボやナッツやリンゴを収穫していく。やっていることは食い扶持の収集なのだが、服の所為か年齢の所為か、逢引きをしているようにしか見えなかった。
師匠は、イノシシとシカを何処かで仕留めてきたら、昼ごはんの準備を始めた。簡易かまどを作って火をおこし、獣を解体しながら焼いていく。パドマは焼き栗を作ろうとして、やり方を注意され、焼き山芋を作ろうとして、やり方を注意され、焼ききのこを作ろうとして、褒められて喜んでいた。パドマの世話を焼きながら、師匠はウインナーまで作っている。実にマメな男だ。
「なんか、外に出ると、イノシシばっかりになっちゃうんだけど、シカも美味しいね。前食べたのと、全然違う。もちもちのうまうま? なんでだろう。焼き加減?」
パドマが作業をサボって食いに徹しても、師匠はふわふわと微笑むばかりで怒る気配もないのが、ポイントが高い。いや、イノシシとシカの肉の大半をパドマが1人で食い尽くしても、引かない精神力こそ大事だろうか。師匠は何とも思っていないように見えるが、ヴァーノンはかなり引いている。
どう見ても、パドマの横に並べて収まるのは、師匠しかいないとヴァーノンは思うのに、パドマも師匠も何故か嫌がる。パドマと共にいるには、年齢性別収入以上に、パドマを介護し続けるくらいの広い心が必要だと思っている。パドマに世話をしてもらおうと思っている男など、論外なのだ。そんな男に託すくらいなら、その男と同じ程度寿命が残っているだろう自分が、生涯面倒をみれば良い。パドマは師匠に惚れているように見えるし、世界一可愛い妹を拒否する男は、釣り合いが取れなくて申し訳なさすぎて居られない男くらいしかいないことに決まっているのに! 甲斐甲斐しく面倒はみるが、嫁にはしないという、師匠の気が知れなかった。ヴァーノンも似たようなものだが、血縁がないなりに兄だから、致し方ないのだ!
師匠がおかしなことをするのは、今更だ。何かスープを作ろうとしているのだろう。どこぞから取り出した鍋に水袋からだくだくとあり得ない水量を出している、そんな日常風景にイレが噛みついた。
「なんで? どうして水が出てくるの? リヴィアタンは、死んじゃったのに!」
すると、師匠はニヤリと笑って、胸を張った。それに合わせてネックレスが揺れた。
「え? あ、その石、パドマの石なの? ズルい。自分だけもらうなんて。なんでお兄さんの分ももらってくれないの? パドマ、師匠にあげたんなら、お兄さんにも頂戴! 今すぐ。お兄さんがもらえば、あの天狗っ鼻をへし折れるから!!」
「石? ああ、なんだっけなぁ。何か言うと出て来るって、師匠さんが言い張ってたんだけど、忘れちゃった。何て言うんだっけ?」
パドマは師匠を見たが、師匠は聞こえないフリをしている。これは聞いても答えないだろうな、とパドマもイレもヴァーノンも思った。
「パドマ、間違ってもいいから、それっぽいこと言ってみて。多分、大体でいけるから」
「そんな無責任な。なんだったかなー。確か、イレさんを見てればいいんだよ。我はパドマ也。イレさんに、心臓を分けてあげよう」
「心臓? 分けるな、大事な物だぞ!」
ヴァーノンは止めたが、止められなかった。もう儀式は終わった。ただ少し言葉を紡ぐだけなのだから、止めるのは至難である。
「やったー! すごいのもらえた!! どうだ。お兄さんの方が、師匠のよりおっきいし、意匠も凝ったのをもらっちゃったからね。師匠への愛よりも、お兄さんへの愛の方が特大なんだよ。ふふー」
イレは得意げに、たった今手に入れた石を掲げた。イレが掲げた石は、確かに師匠のそれとは比べる必要がないほど大きかった。親指と薬指で丸を作ったくらいの大きさで、非常に薄い。どう見ても原寸大のシャルルマーニュ大金貨の写しにしか見えなかった。材質が赤と青のバイカラーの石で、金色じゃないから、偽金を作ったと怒られないでもらえるだろうか。そんな微妙な品だった。
「それは、俺にも出せるのか?」
対抗心を出したのではないが、状況を飲み込むべくヴァーノンが聞くと、パドマは困ったような顔をした。
「いやー、お兄ちゃんは、ちょっと」
「ダメなのか?」
「とんでもない特大サイズで出てくるから、こんなところで出しても、捨てて帰るしかないと思う。あと、家の中もダメ。色々壊れる。強いて言うなら、お兄ちゃんも潰れちゃうかもしれないから、怖くてできない」
「なるほど。それを売ったら、胡椒を買えるかと目論んだんだが、やめておくか」
「それいいね!」
ヴァーノンは、算盤を弾くのをやめたのだが、パドマは乗り気になった。ちょっと口にするだけで出てくる石に価値があるなら、簡単に商売できる。
「よくないよ! パドマの愛を売るなんて、あり得ない!!」
「何言ってるの? イレさんに出てきた時点で、愛なんてあるわけないよね」
「そんなことないよ。お兄さんは、スーパーハイスペックイケメンなんだから! お友だちのヤギさんに言ったら、うんうんって、うなずいてくれたもん!!!」
イレとパドマがくだらない言い合いをしている中、師匠とヴァーノンは、パドマはイレの大金貨が大好きなんだろうな、と思っていた。
昼食の片付けが済んだら、おやつにヤマボウシやその他諸々また山の幸の拾い食いを始めて、次に連れて行かれたのは、アーデルバードの城壁の上だった。建物の屋根の上よりも3倍以上高い城壁に、ぴょんぴょーんっと跳んで上られた時は、死ぬかと思ったが、今パドマは生きている。生きているが、ドキドキは止まらない。立つこともままならないし、抱き上げられたら柵よりも上にいってしまうから怖くてできないから、膝立ちで師匠の袖をつかんでいる。多分、今なら1番頼りになるのは師匠だろう。残念だが、ヴァーノンは空を飛ばない。
城壁から見下ろすアーデルバードは美しかった。空も海も街並みも全てが茜色に染まっていた。パドマはこの色は大嫌いだったのだが、美しいことは認めない訳にはいかなかった。それに、黒茶のお兄ちゃんとお別れする時間ではなく、茶色のお兄ちゃんに会える時間だと思えば、そう悪いものでもなかった。
パドマが師匠の袖を離してヴァーノンにくっつくと、師匠は夕景色の飲み物を出した。いつか飲んだ記憶のある群青から橙に変わるグラデーションのキレイなお茶に違いない。
「あ、これ、好き。甘いんだよね」
パドマが喜んでグラスを手に取ると、師匠はヴァーノンを見下すような視線を送る。ヴァーノンより大分小さくなってしまったくせに。
「で、今日は、何の用事だったの?」
パドマが師匠を見上げると、ネックレスの石を触って、ありがとうのジェスチャーをした。パドマは、とても微妙な気持ちになった。
「そうだったんだ。ちっとも気付かなかったよ。もっといつも通りが良かったかなぁ。とりあえず、そろそろ下におろして欲しい」
パドマが師匠の方に戻ると、師匠はパドマを立たせて、ヴァーノンを挑発するように抱きしめた。パドマが嫌がって暴れたので、ヴァーノンが怒って戦闘を開始し、師匠はそれから逃れるために城壁から飛び降りた。パドマの人生2回目の紐なしバンジーである。パドマは、アーデルバード中に響くような悲鳴をあげた。お? また師匠さんの鬼ごっこか? と、街民は歓声をあげた。
次回、テッポウウオ。