216.黒い剣
「やっと見つけた!」
パドマとヴァーノンが、唄う黄熊亭に帰り着くと、店の前には、武器屋の店主が待っていた。眠いのに客が来るとは、ヴァーノンの目が吊り上がってしまったのも、無理からぬことだろう。そして、何もしてないのに、睨まれた武器屋は、びっくりした。いい年した兄妹が、手を繋いで歩いていた以上の衝撃だ。以前は、恋仲ではないと否定していたのに、こんなおっさんにまでヤキモチを焼くのかよ。マジか。そう心の底から引いてしまった。
「あ、おっちゃん、久しぶりー」
パドマは、大きく手を振った。ヴァーノンの表情の変化には、気付いていない。
「ふっざけんなよ。拵え作るだけで、何ヶ月かかる想定してんだ。英雄様をそんなに待たせる訳がねぇだろう。コーティングまで、とっくにできてるっつーの。いつ取りに来るんだよ。届けにくれば、いつも入れ違いで会えねぇしよ」
「あー、うん。終わってるだろうことには、気付いてたよ。みんなの腰におっちゃんの剣が増えてるし。おっちゃん頑張ってるなー、って思ってたよ」
「なら、取りに来いや、って行くな!」
ヴァーノンは、店に向かって真っ直ぐ歩き、少しも立ち止まらず、玄関に行った。パドマの手をギッチリとつかみ、引っ張って連れていく。
「おっちゃん、ごめん。無理! 手が離れない。きっと、これからお説教が待ってる」
「兄ちゃん、ちょい待て。納品くらいさせてくれや」
「無理だ。眠い。俺は、あんたの兄ちゃんでもない」
口を開ける度に、ヴァーノンのご機嫌メーターが下がっていく。それに気付いて、パドマは青くなった。
「おっちゃん。ごめん。後で店に行く!」
唄う黄熊亭のドアは、閉ざされた。
パドマは、子ども部屋まで引っ張って連れて行かれた。着くと、ヴァーノンは、ドアの隙間にクサビを打って、ベッドに上がった。
「これから俺は寝る。起きるまで、この部屋から出るな」
「え? ああ、うん」
ヴァーノンは、真剣な顔で訳の分からない依頼をしてきたのに、パドマは適当に相槌を打った。
「頼むから、言うことを聞いてくれ。安心して寝たいんだ。寝たら抜け出そうと思ってるんだろうが、今日だけは勘弁してくれ。もう限界なんだ」
そう言うと、ヴァーノンは寝た。パドマは、全く信頼されていないようで、また手を繋ぎ直されている。少しでもパドマが身じろぎすると、ヴァーノンの手に力がこもる。うわぁ、これは完全に寝付くまでは取れないかも、とパドマは諦めてベッドに倒れた。寝る前に、風呂に入りたいんだけどなぁ、とチラチラとヴァーノンの様子を伺うのだが、完全に寝入ったように見えるようになっても、手にこもる力に変化は見られなかった。武器屋に行かなきゃいけないのに、と思いながら、パドマも寝た。二度寝三度寝お昼寝は、得意だった。
パドマが起きると、いつものように不機嫌顔の兄がいた。結果論ではあるのだが、言うことを聞いて、ちゃんと部屋にいたのに、褒めてはもらえないらしい。
「何故、お前は俺のベッドで寝てるんだ」
「いつも言ってるけど、寝てる間のことなんて知らないよ。ベッドがくっついてるのと、お兄ちゃんが手を離してくれないのが悪いんじゃないの? 嫌なら、もう出て行くからいいよ。違う家で寝たら、こうはならないよ。それでもこうなるなら、誰かに柱にでも縛りつけてもらうし!」
パドマも嫌になっている。ヴァーノンと一緒にいたいのは、ヴァーノンが甘やかし体質だったからだ。説教ばかりの兄など、努力でどうにかなるあてもないことで文句を言い続ける兄など、一緒にいても、まったく楽しくない。
ポロポロと涙をこぼし始めたパドマに、ヴァーノンは慌てた。不満を募らせたら、自ら家出してしまうに違いない。困ったことに、パドマを快く受け入れてくれる人は、いくらでも思い付く。実際に、あちこちにパドマの部屋がある家がある。きのこ神殿や白蓮華くらいならともかく、カーティスやイギーの家にもあるのだ。今はなくとも、来るというなら部屋くらい用意する男は、釣書の数だけいる。止めても止まらないに違いない。
「ごめん。悪かった。もう諦める。寝相の悪さは、どうしようもないことだな」
「そう。どうしようもないの」
パドマは調子に乗って、ヴァーノンにのしかかるように抱きついた。
ヴァーノンは、そろそろ時間だからと起き上がり、パドマの髪を整えると部屋を出て行った。いくらもしないでドアがノックされたので、「どうぞ」と言うと、ママさんが入ってきた。
部屋着のまま髪だけ整えられ、ヴァーノンのベッドで座っているパドマを見て、ママさんは「まあ」と華やいだ声を出した。
「どこか痛むところはない? 大丈夫?」
「痛む? 別に痛くは、、、ああ、ちょっと寝過ぎてダルいかな。言われてみれば、背中と腰が痛いような気もするし、手の違和感も取れてないかも。でも、大丈夫だよ。放っておけば、元に戻るよ」
「そうね。大丈夫だけど、無理はしちゃダメよ。ゆっくりしてていいからね」
「ゆっくり? ゆっくりは、もういいよ。お兄ちゃんに見つからないように、お風呂に行ってきていい? 昔は、そんなのに入ったことなかったんだけど、習慣になっちゃったら、入らないと気持ち悪いんだよ」
「ヴァーノンに見つかったら、いけないの? お湯なんて、あの子に支度させればいいのに」
「やめて、お兄ちゃんの仕事の邪魔をしたくないの。これ以上、嫌われたくないから。ずっとずっとお兄ちゃんの機嫌が悪いの。お願い、やめて」
パドマのお願いに、ママさんは顔を引き攣らせた。今の今まで、パドマを労わるような聖母の微笑みを顔に貼り付けていたのに、段々と崩れ去っていきそうだった。今はかろうじて笑顔の範疇に止まっているが、怒り顔に変貌するのも時間の問題だ。
「あんのバカ義息子は、何をしてるのかしら。わたしの可愛い娘に、不機嫌ですって? ごめんなさい、用事ができたから行くけれど、パドマはゆっくりしててね」
「うん?」
ママさんは、渾身の笑顔を貼り付けて、部屋を出て行った。少しすると、ヴァーノンの悲鳴が聞こえた気がしたが、気の所為だろう。兄はそんなキャラではない。パドマはそう結論付けて、身支度をすると家から抜け出した。
外にいた護衛と師匠を引き連れて、パドマがやって来たのは、武器屋だ。猛烈に風呂に入りたいが、時間的に店が閉まるから、用事を優先させたのだ。
「おっちゃん、さっきはごめんね。納品されに来たよー」
「随分と長い説教だったな」
「途中で抜け出そうと思ってたのに、うっかり寝ちゃってさー。ごめんね、遅くなっちゃって。出直して来た方がいいかな」
そんなことを言いながら、勧められてもいないのに、いつもの席にヨイショと座った。
「説教の途中で寝たのかよ。しかも、抜け出そうと企んだりするから、説教されるんだろ。妹がこれじゃあ、兄ちゃんも大変だな」
「そうなの」
武器屋の店主は裏に行くと、お茶の準備をして戻ってきた。
今日のお茶請けは、女の子のケーキだった。薄橙色のクリームで包まれたスポンジケーキの上に、髪の毛に見立てた栗のクリームが絞られ、生クリームの花と栗の髪飾りを付けている。
「嬢ちゃんが栗のケーキが好きだ、って聞いたカミさんが、頑張ったんだぜ」
「うん。可愛い。リコリスさん、大好き。食べていい? ダメでも食べちゃう。昨日の晩から、ごはん抜きなんだもん。いただきまーす」
パドマは、容赦なく女の子の顔にフォークを突き刺し、食べ出した。髪の毛になっている栗の激甘クリームと薄橙の爽やかなクリームの対比が絶妙だ。スポンジケーキのほのかな甘味と、中に隠された栗の甘露煮の味もイイ。
出されたケーキは、みんなで食べる用のホールケーキだったのだが、パドマは1人で食べてしまった。
「英雄様ケーキは、英雄様に認められたみたいだな」
ケーキに使われた砂糖の量を知っている店主は、ゲンナリした顔でパドマを見た。
「え? あの顔、ウチだったの? やだやだ。共食いじゃん。頭に花咲かせてたんだから、師匠さんにしといてよ」
「なるほど。花が師匠さんで、英雄様は金銀宝石ってこったな。髪の色も違うから、2種類違う味で作れと言ってたと伝えよう」
「そんなことは言ってないよね? 英雄様はいらないって言ってるんだよ」
パドマと店主が話す間、1人静かに蝋板を削っていた師匠は、4枚の蝋板を店主に差し出した。
「食べれる宝石の作り方? これは、すごい」
『貧相な英雄様は作らせない』
変なやる気を出している師匠に、パドマは半眼になった。
「ここ、武器屋なんだよ。菓子屋じゃないんだよ。知ってた?」
納品された片刃剣は、10振。どれもこれも真っ黒な拵えの、なんなら刃まで真っ黒な剣である。石目地塗に塗られた鞘は、黒鞘の中でも一際地味だとパドマは喜んだ。ピンクよりも赤よりも金よりも、これぞ探索者の格好良い剣だと思った。不満顔の佳人など、知らない。
1振、青貝微塵塗が混ざっているのを見つけ、「あ゛?」と、パドマが発したら、武器屋は慌てた。
「10本もあるんだ。1本くらい遊んでもいいだろう? どこかの英雄様が貝殻をいっぱい売ったから、材料が値崩れてんだよ。いっぺんやってみたかったんだ。いいじゃねぇか」
「注文の品で試すなよ。しょうがないおっちゃんだなぁ。まぁ、いいか。注文しただけで、使う予定もないし」
「使えよ! 頑張ったんだぞ。使ってください、お願いします! お頼み申し上げます。どうしたら、使ってくれんだよ」
「でもさ。今、剣帯にいっぱい剣が付いてるから、これ以上下げても邪魔だしさ」
「どっちか外しゃあいいだろうよ」
「えぇえ? 赤い剣はさ。切れ味抜群なんだけど、斬ったものをなんでも燃やしちゃうから、素材回収に向いてないの。でも、師匠さん退治には外せないでしょ? 青の剣はさ。恐ろしいほど切れ味が悪いんだけど、硬い物だけはするりと斬れるんだよ。どっちも外せないよね」
「マジか! そんな使い勝手の悪い剣に負けるのかよ。俺の剣は、斬っても素材を燃やさねぇし、硬いものも師匠さんも、何でも斬れるぞ!」
「何それ。超便利じゃん。早速、師匠さんの試し斬りをしたくなっちゃうじゃん。やめてよ」
パドマが可愛くイヤイヤしている脇では、師匠が涙目で試し斬り用の腕を差し出している。冗談じゃないのかよ、と武器屋は驚いていると、娘たちはきゃいきゃいはしゃぎながら、外に走って出て行った。先行した娘は剣を1振しか持っていかなかったし、ついて行った娘は恨みがましい顔で、武器屋に鈍器を投げつけて行った。残りの9振は、取り巻きが持って、挨拶をして出て行った。
「いってぇ。なんだよ、ちきしょー」
武器屋が投げつけられた鈍器は、大金貨だった。この仕事の前金も大金貨だった。特殊な剣を作るために新たな設備が必要だったので、師匠が前金をくれたのだ。設備投資を加味するとそれほど大儲けとはいかないが、それだけで剣制作までを入れても、そこそこ美味しい仕事だった。設備投資に貢献してくれる客なんて、聞いたことがない。それだけで満足だったのに、今回の大金貨はまるごと純利益に計上できる。
「マジか!」
武器屋は、お金持ちへの道まで開き始めた。
次回、パドマの念願が1つ叶う