214.もう2度と蹴らない
パドマは、無傷で72階層に着いた。ここには、四角く平べったい体に長いしっぽが付いた魚が、沢山泳いでいる。丸く平べったいものや、サメやナマズのように見えるものも混ざっているが、恐らく全てエイに分類されるものだ。エラは体の下面についている。
「あれに乗って飛んで移動できたら、楽ができそうだね」
パドマが、また変なことを言ってうっとりしているのを護衛その他は、残念な顔をして見ていた。そんなヌルヌルしそうなものに、乗れと言われたくない。
エイは沢山飛んでいるが、攻撃性は低い。だから、気にせずザクザクと砂地を歩いていたら、久しぶりに、パドマは師匠に蹴られた。
「にゃあああああ?!」
パドマは、数匹のエイを巻き込みながら、吹っ飛んだ。久しぶりの蹴られ心地と、ぶつかったエイのヌルヌル感と、どちらに驚いていいかがわからなかった。
「いったーい」
意識をしなくとも、自然と受け身をとるクセはついている。壁に叩きつけられる分には、エイクッションもあったので問題ないが、左手甲に何かを引っ掛けたらしい傷ができていた。
「もう何なのかな!」
ぶつかったことで、エイが怒り出した。尻尾をぶんぶん振って攻撃を始めた周囲のエイを赤い剣でぶつ切りにしながら、パドマはまた紅蓮と群青の炎を身にまとった。睨んだ先にいるのは、師匠である。その姿を見逃したとしても、パドマを蹴る心当たりなど、師匠しかいない。イレの後ろに隠れても無駄だ。ふるえる手で蝋板を持っているが、演技だろう。『エイを踏んでたから、助けようと思った。力加減を誤った。ごめん!』と書かれているが、パドマは信じない。踏み心地は砂だった。師匠は、パドマをエイと戦わせたかったか、ただただ蹴りたかったかの2択なのだ。そうパドマは思っている。口でちょっと言えばいい程度のことで、とんでもない傷を負わされた。烈火の如く怒り狂って、責め立てても問題ない出来事だと、パドマは思った。問題があったところで、これからエイの毒で死ぬなら、責任を取ることはない。
エイがヌルヌルして気持ち悪いだけなら、笑って流しても良かったが、左手の傷がズキズキと痛む。恐らく、毒針によって傷付けられたものだ。下手を打つと死んでしまうし、死ななくとも壊死して、左手が使えなくなる恐れもある。まったく笑えない傷だった。
「ちょっと待って。斬るなら、師匠だけにして」
イレは慌てて逃げて行ったが、師匠が後ろにくっついたままだった。師匠を連れて行くなら、パドマの敵だ。まとめて斬ってしまっていいだろう。いつも通り動ける時間が、どれほど残されているかも、わからない。心残りなく逝くために、パドマは努力を怠るつもりはなかった。少々の犠牲も気にしない所存である。
パドマが追いかけようとすると、投げ縄が飛んできた。それに捕獲されてしまったものの、縄はすぐに燃え崩れた。だが、パドマの興味を移すだけなら、それで充分だった。
「ボス、お待ち下さい。ヴァーノンさんに怒られてしまいます。傷の手当てを先にして下さい」
縄を投げて来た男、護衛Aが必死に訴えている。パドマの脳裏に目を吊り上げた兄の姿が浮かび、動きを止めた。
「お兄ちゃん? わかった!」
グラントとルイのパドマ転がし教室2番目の極意が、活躍した。ヴァーノンの名を出すと、途端に聞き分けが良くなるのである。関係なさそうな場面で用いると怒り出す可能性があるが、正しく用いることができれば、効き目は抜群なのだ。パドマは青い顔で、即座に話を聞き入れた。
護衛に誘導され、パドマが70階層に戻ると、先行していた護衛が湯を沸かしていたので、それで傷口を洗浄し、傷薬を塗った。傷自体は、それほど大きなものではなかったから、ぱっと見は、それとわからないくらいになった。痛みというか、違和感はまだあるが、それは仕方がない。ヴァーノンに怒られなければ、どうでもいい。毒がどうなったかわからないが、大丈夫だといいな、とパドマは適当なことを思っている。
護衛は包帯を持っているが、パドマはいらないと断って、手首を動かしたり手を握ってみたり、具合を確かめた。
そんなことをしているパドマの目と鼻の先に師匠がやってきて、エイをタワシでこすって、解体を始めた。
作業がひと段落すると、師匠はパドマのところに来た。はいだ皮と、ヒレの炙りと、骨せんべいを持って、パドマの前に来て、震えている。可憐な美少女が目に涙をためて、震えて立っている。これが師匠でさえなければ可哀想になってしまうところなのだが、蝋板には『献上品デス』と書かれている。絶対に、ふざけているに違いない。
「ふーん」
パドマは、ヒレの炙りを手に取って、一口かじって咀嚼すると、皿ごと護衛に下げ渡した。酒の肴に最高なやめられない止まらない味だったからだ。彼らの誰か1人または全員が、水袋に酒を入れているに違いないと思って、肴を提供したのだ。師匠はイヤイヤしているが、知ったことではない。骨せんべいも同様に、毒味だけして、護衛に提供した。
師匠は、泣き真似をして、調理に戻って行った。護衛は、テーブルセットを組み立ててくれたので、パドマはそちらに移動した。
「パドマ、お兄さんのことも怒ってる?」
先程まで、エイの解体に付き合わされていたイレは、作業が終了して解放されたらしい。おずおずとした様子で近寄ってきたので、パドマは正面の席を勧めた。
「怒るようなことをしたなら、怒る。ウチの敵の味方をするなら、敵だと思う。イレさんは、どっち?」
「妹弟子の味方です。ほら、兄弟子は、兄みたいなものだって言うよね? パドマ兄は、絶対に妹を敵に回したりしないでしょう。だから、お兄さんは、パドマの味方。師匠は大事だけど、巻き込まれたくないから、味方はしない」
「そんな風に師匠さんを裏切る人は、信頼できないよ。彼女は、もう少し大切にしなよ」
「前から言おうと思ってたんだけど、師匠は彼女じゃないよ。だって、男なんだよ? 男は彼女じゃないよね。パドマ兄に頼まれて仲良しのフリをしてただけで、全然違うからね」
「お兄ちゃんが、キューピッドだったの? イレさんに彼女作っちゃうなんて、すごいな。流石、お兄ちゃんだね」
「違うよ? なんで、そうなるの? 変なことばっかりして、困ると人を盾にして逃げるような人は、嫌だよ」
「イレさんが、頼り甲斐のあるカッコイイ人だと思ってるから、可憐な師匠さんは助けてって、すがりついてくるんじゃないの? それを来るんじゃねぇよ、って言うの? 嫌な彼氏だな」
「可愛い彼女だったら、全力で守るよ! でも違うよね。ただの置き物と変わらない扱いされてるだけだよ。1回攻撃を防げたら上々くらいの、使い捨ての盾だよ」
「実際そうかもしれないけど、そういうこと言っちゃうから、師匠さん以外が寄り付かないんだよ」
「そうだと思っても、否定されちゃうのかー。なるほどねー。道理で、彼女ができない訳だよ。納得納得って、いーやー可愛い彼女が欲しい!」
「だから、師匠さんで良いじゃん。それ以外は無理だから、諦めなよ。師匠さんと付き合えるなんて、なんなんだ、あのヒゲ面! って、皆が羨んでるよ」
「可愛い女の子がいい。可愛い男の子じゃなくて!」
そんな話をしている間に、テーブルに料理がズラズラと並べられた。刺身、塩焼き、ムニエル、煮付け、ハンバーグ、唐揚げ。まだできないようだが、ご飯を炊いているのも見える。
せっせと並べている本人は、食べる気はないだろうから、パドマは出来上がりを待たずにフォークを持った。すると、煮付けが目の前に置かれた。
身だけなら良かったが、煮付けには肝も入っていた。見た目が好きじゃないから、食べたくなかったのに。仕方がないから、とりあえず食べてみた。臭みはない。魚臭さがない。美味しい。だが、何も面白くなかった。ああ、そうそうこれね、いつもの師匠味でしょ? 正直な感想は、それだ。振り返ると、ダンジョンは淡白な魚ばかりだった。エイもその仲間で、なんのパンチもなかった。なんだよ、またこれか、と油断して食べていたら、うっかり口に肝が入った。
「!!」
だるそうにしていたパドマの目が、急にカッと見開かれたので、刺身の固い食感を楽しんでいた護衛たちは、ビクッと反応した。
「ぷるぷる、とろとろ〜」
パドマの頬が緩んだので、護衛は胸を撫で下ろした。パドマがこの食事を楽しんでいる間は、仕事はない。
「美味しかったから、師匠を許すの?」
何事もなかったかのように食事を受け入れたパドマに、イレはおずおずと話しかけた。ケンカして欲しくないのだが、簡単に許される師匠はズルいと思っている。
「何も許してないよ。でも、怒るのも疲れるだけだから。あの人は、ウチが何をしても言っても、変わらないからさ。怒っても無駄じゃない? 小さい人間だから、ついついブチ切れちゃうけど、もうどうでもいいよ。そっと心の中で、あいつ嫌いムカつくって思って、恨みを募らせていくだけでいいよね。ただでさえ、この傷で死ぬかもしれないのに、最期の大切な時間を師匠さんの更生なんて、どうでもいいものには使えないよ。もったいない」
パドマは、イレにも師匠にも視線を移さず、肝を食べて笑み崩れていた。
それは、まとめて自分もそっと嫌われているのかな、とイレはゾッとした。やはりパドマが最恐だと思った。
「さっき発火してたから、毒は無毒化されたと思うけど、まだ痛む?」
「無毒化? そうなの? じゃあ、特攻はしない方が良いね。この後、エイを殲滅しようかと思ったけど」
「殲滅?! なんで?」
「ウチがエイに殺されると、お兄ちゃんが殲滅しに来るから。お兄ちゃんなら問題ないと思うけど、毒が危ないからさ、先んじて片付けておくの。ウチがやる分には、もう一撃くらってるし、今更でしょ? イレさん、エイ運び、手伝ってくれる?」
パドマは、鋭い目付きのまま、うっそりと微笑んだ。
「はい。お手伝いさせて下さいっ!」
イレの背筋が、ピッと伸びた。それを見て、パドマはイレに興味をなくしたらしく、ムニエルの皿に手を伸ばした。師匠は、調理を続けていたのだが、パドマを見てフリーズしていた。エサを与えて、なあなあにしてしまう作戦の失敗を悟ったのだろう。ヴァーノンが料理上手になってしまったから、料理攻撃の効果は薄い。もうやめてくれよ、とイレは思った。
パドマはエイを食い尽くすと、エイ狩りを始めた。護衛の安全を最優先に、護衛は戦闘に参加することを認めず、師匠とイレをアゴで使い、自分は更にその先頭に立って、青の剣で殴り続けた。
戦闘終了後は、針の始末をし、ヌルヌルを師匠の上に積み上げた。イレに押し付けようとしたり、イヤイヤしたりすると、パドマの顔から表情が抜け落ちる。怒ってくれないことに恐怖して、師匠は走り続けた。
「師匠さんが運びきる前に消したら、許さない」
静かな声で脅され、ダンジョンマスターもパドマの知らないところで、そっと震えていた。オート処理になっているのを一時的に解除して、設定をいじくり回し、パドマの逆鱗に触れぬように作業するのに、躍起になった。
パドマは言ってみただけで、師匠やダンジョンマスターがパドマの頼みを聞くことは、期待していなかった。むしろ、こいつらだけは何があっても自分の頼みは聞かないくらいに思っていたが、両者とも顔を青くしていた。
次回、ハーイェク惣菜店にて