206.パドマの正しい転がし方
今日も、トコトコとダンジョン内をパドマは走っていた。ブレスレットは外していないので、周囲の人間は増えたり減ったりするが、気にせず走り続けた。オモリを積むのをやめたパドマは、そんじょそこらの探索者では追いつけないほどに持久力があるので、護衛をするのも大変で、日によっては途中階に交代要員がいることもあるくらいになっていた。パドマは、のんきに交代時間なのかな? などと思っているが、そうではなかった。
今日も、青のじゃらじゃらを身にまとい、青の剣で敵をいなしながら進んでいく。
オモリなしなのに、サシバに当たり負けることもなく、オオエンマハンミョウを片手でぶった斬っている。かと思えば、40階層では自力で通れないと言い張り、剣の鞘ごしにイレと手をつなぎ、イレが走って、宙をぷらぷら漂って運ばれていた。護衛は、通路になる部屋だけでもミミズを殲滅した方がいいと、上申しようかと話し合った。
「イレさん、ゴミムシがまったく復活しないんだけど、なんでか知ってる?」
師匠がいなくなった時点で、パドマが最も楽しみにしたのは、ミイデラゴミムシとの出会いだった。師匠がこっそり殲滅していたのだったら、いなくなったらそのうち復活すると思っていたのだが、小型大型関係なく、さっぱりリポップしないのだ。もしかしたら、イレが引き継ぎをしたのかと思って、聞いてみた。
「ゴミムシ? そういえば、いつからか、見ないね。あれは臭いし、いなくていいんじゃないかな。、、、まさか、また臭くなりたくて探してる、の、かな?」
「また? またって何? そんな趣味ないし! あれ、同じ部屋にいるだけで、泣くほど臭いんだよ? あれに臭いをうつされたら、お兄ちゃんに会えなくなっちゃうじゃん。やだよ。万一、そんな風になったら、イレさんちに泊まりに行っちゃうからね!」
「パドマー。もういい加減に1人でお兄さんちに泊まりに来るのは、やめようか。今は、師匠もいないんだよ? いくらなんでも、外聞がよくなさすぎるよ」
「そんな! イレさんちに出禁とか言われたら、お兄ちゃんに内緒の悪事は、どこで働いたらいいの? イレさんちほど、手頃で便利な場所はないんだよ」
「うん。その信頼は嬉しいってことにしとくから、やめようか」
「あ、大丈夫! 護衛の皆を、、、ああ、ダメなのか。そっか。わかった。もう行かない。さようなら、イレさん」
以前、グラントに風呂の水汲みを頼んだら、家に入れないで、と言われたのを思い出した。理由までは覚えていないが、ダメなのだ。イレが寝言をほざいた時、イレをお父さんにしなかったパドマの失策である。諦めるしかない。
「やっぱり、仲直りしてくれたのは、家が目当てだったんだね」
「そんなことないよ。6割くらいだけだよ。他にも、胡椒とか財布とか、いいとこいっぱいあるよ!」
「どれもお兄さん本体じゃないじゃない! 外見とか性格とかはないの?」
「イレさんの外見、、、年の割には髪ふさふさ? 性格? 性格? 温厚そうで温厚じゃないし、鶏より忘れっぽいし、我が強すぎて譲ることを知らないし、いいとこ何処かな。かなり雑でも騙せるとかでいい?」
「何度も言うけど、お兄さんは18歳だし、ジジイじゃないし、イケメンだし、優しいし、ボケてないから! ひどいよひどいよ」
「イレさんが18歳だったら、初対面は10歳くらいになっちゃうよ。無理がありすぎるよね。今と同じくらい大きくて、毎日酒場で酒飲んで、酒場の子に食事を奢る10歳って、どんななの」
「それは仕方ないよね。お兄さんは、その時、既に18歳だったんだから」
「ボケてるだけじゃなく、計算もできないのか」
「師匠みたいな難しいのは苦手だけど、足し算引き算くらいなら、できます! 毎年18歳なんだって言ってるのに、なんでわからないのかな」
パドマは、全然噛み合わない会話を早々に諦めた。
50階層でひつじランチを食べて、パンダちゃんやキヌちゃんに気を取られずに先に進み、69階層モンハナシャコがいる部屋まで来た。
「お久しぶりのシャコちゃん!」
パドマはまた、急速にエビが食べたくなってきた。シャコがエビじゃないのはわかったが、シャコを食べてもエビの味がしないのである。シャコはとても美味しいが、エビだと思ってシャコを食べると、どうしてもこれじゃない感にさいなまれるのだ。弾けるぷりぷり感が欲しい。エビが食べたい。何故、ここにはシャコしかいないのか。
パドマは、ここまで青い剣を使ってきた。そこから得られた体験から出た推論を元に青の剣を持って、シャコと対峙した。今日の対戦シャコは2匹。2匹ともに、カマキリ立ちをしている。
「ちょっと待って。パドマまた同じを構えして、勝てるの?」
「勝てない。ヤケドのメカニズムを確かめたいだけ」
「わざとケガしないで!」
イレが飛び出したら、シャコが1匹イレの方へ向かった。同時に、もう1匹はパドマに突っ込んでくる。それを見て、パドマは正眼から上段に構えを変えた。
「とうっ!」
パドマが思い切り振り下ろすと、手に重い衝撃が来て、剣から水が噴き出した。青い剣の刃先に大きい水の盾のような物ができて、更にそれがシャコから攻撃を受けたことで蒸発したのか湯煙のようなものがあがり、視界不良になった。
剣を下に下げると、モクモクの先に2匹シャコが仲良く転がっていた。イレが自分のところに来たシャコを蹴って、パドマのところに来たシャコにぶつけてくれたのだ。恐らくパドマの敵だっただろう下敷きにされている方のシャコは少し動いていたので、パドマは歩み寄って慈悲の一撃を加えた。シャコには、剣は刺さった。
パドマは、青の剣を納剣し赤の剣を抜剣してから、イレに向き直った。
「たまたまじゃないのは、わかってる」
パドマの顔に表情はない。だが、怒っているのは、誰の目にも明らかだった。パドマ自身が赤と青の炎をまとっているのだ。比喩表現なら、どんなに良かっただろう。英雄だの神様だのと言って、みんながふざけている間に、ボスは本当に超常現象を引き起こす人になってしまったのである。みんなに期待されると、ぶつくさ文句を言いながらも、期待以上の成果を持ち帰るのが常だったとはいえ、そんな期待をしていた訳ではなかったのに。怒りを向けられていない護衛たちも、恐怖した。
イレは、もちろん、恐怖している。剣で斬りつけられても避ける自信はあるのだが、怒りを向けられていること自体が恐怖だ。折角、仲直りできたのに、またやってしまったのである。世界で1番恐ろしい生き物は長姉だと思っていたが、パドマの方が上だと思い知った。
「だって、だってさ。パドマが勝てないって、言う、からさ。ケガするパドマなんて、見たくないんだ。やるならちゃんと、安全第一で、勝てる策を練ってから戦って欲しいんだ。負けるパドマは、嫌だ。無傷で、全戦全勝して欲しい。お願いだよ」
イレがガクガク震えながら、なんとか言い終えると、一瞬で炎が消えた。だが、怒りが消えたかは、わからない。パドマは宙空を見つめ、何やら考え始めた様子だった。
「まあ、確かに? そうかなぁ。そんなつもりじゃなかったけど、そうかもね」
独り言をぶつぶつとつぶやいた後、イレを見た。
「あの時の攻撃を、もう一度くらってみたかったの。どういう仕組みで火傷しなくちゃいけなかったのか、知りたかったの。だけどね、別にその攻撃でケガをしようとは思ってなかったし、勝算がどんなものかはわからないけど、勝って食べる気でいたんだよ。それでも、戦っちゃダメかな」
「ダメ。全戦全勝、ケガなし!」
パドマの怒りが止まりそうな気配に、ここが勝機とイレは強気で切り込んだ。
「マジか。師匠さんより厳しいじゃん。もうイレさん、ついて来ないで。無理」
「嫌だ。師匠いなくなっちゃったんだよ。もし、パドマがケガした瞬間に帰ってきたら、どうするの? お兄さんが、師匠に怒られるし、師匠が帰って来なかったら、ダンジョンマスターに殺されるよ。可愛い魔人の板挟みだよ。どうするの? どっちに逃げても許されないんだよ」
「そんなの知らないし。どっちも知らない人だから」
パドマは、青い剣も抜いて走った。隣の部屋に移動し、最寄りのシャコを青い剣で斬り伏せる。通って来た通路に赤い剣を放ったが、イレは右の通路から顔を出した。もう走っても負ける。部屋中のシャコをあっという間に殲滅されて、別の部屋に行っても迂回したイレの方が先に着く。ブレスレットを外してしまえば勝てる目もあるかもしれないが、死人ケガ人を出してまでやりたいことでもなかった。既にケガ人を出して、パドマは後悔していた。
「ごめんなさい。ケガをさせる気はなかった。傷薬を塗ってもらって。君、塗ってあげてくれる?」
先程赤い剣で出した炎に、護衛の1人が巻き込まれていた。イレ向けのトラップだったのだが、失敗した。イレ以外を傷付けるのは最悪だが、イレを傷付けることも望んでいないことに気付いてしまった。何をしても無駄だと悟ったので、護衛に師匠印の傷薬を渡すと、剣を収めて帰ることにした。
傷薬を使えば跡形もなく治る程度の傷だが、ケガをさせたパドマは仇だから、ケガ人の看護をしても嫌がらせにしかならない。そうヴァーノンに言われている。ケガをして傷付くのは、身体だけではないのだ。そんなつもりはないのはパドマの都合で、優先されるべきはケガ人の都合だ。それはわかっていても、パドマは泣きそうだった。
イレを凹ましたければ、パドマが傷を作ればいいのである。ノーアタックノーガードで帰るように見せかけて、帰り道にハネカクシを居合い斬りした。体液が飛び散り、盛大にみみず腫れができる予定だったのだが、青い剣では斬れないだけでなく、盾が展開されて、無傷で済んでしまった。仕方がないので、潰れているが死んでないハネカクシに向けて、パドマはダイブした。
「ああああ!」
イレは、盾を見て油断をしていた。ダンジョンマスターグッジョブなどと思っていたら、大変なことになっていた。頬ずりなんてしているから、顔中虫汁が付いている。
「なんで、そんなことをするの?」
びらびらと余っている袖を引っ張っても、パドマはハネカクシから引きはがせなかった。力を込めても、虫ごとくっついてきた。
「貴方が、ボスの邪魔をするからでしょう!」
見かねた護衛が口出しすると、イレも怒った。
「パドマがケガをするところを、黙って見ていろって言うの? そんなの耐えられないよ」
「耐えられないなら、消えろ! 見ている必要はない。俺たちが、ボスの護衛だ!!」
「ボスは、絶対に負けない。誠意を持って願えば、ケガもしない。ボスの道をふさぐなど、何様のつもりだ。愚民は、ただボスの言葉を信じ、ボスが作った道を守れば、それでいいんだ」
「そうだ。ふざけんな」
護衛の剣幕にイレは怯んだが、それ以上にパドマの胸に突き刺さった。ハネカクシから手を離し、イレにつかまれた袖を破いて、上階に向けて走り出した。
「帰って、傷の治療をする」
「「「「「「「「承知」」」」」」」」
急にパドマが良い子になった理由がわからず、イレは呆然とした。グラントとルイの護衛養成講座の成果が。実を結びつつあった。
パドマはきのこ神殿の風呂で、ハネカクシの体液を流し、傷薬で傷を完治させた。手頃な着替えがなかったので、邪魔だから神殿の部屋に置いていたお祭り用のきのこ衣装に着替えて、ジメジメときのこになっていた。
選んだのは、オニイグチだ。傘も軸も真っ黒で、傘の裂け目がトゲトゲしているのに、傘の縁がフリル状になっている。そんなきのこのイメージに合わせて、パンクな中に可愛さが潜んでいる衣装に仕上がっている。
普段のパドマなら、そんな服は絶対に選ばないのだが、オニイグチは傷みやすいのである。ちょっと傷ついてる今の自分には丁度良いと思ったので、着た。
だが、そんなことは、護衛には伝わらない。皆で回し読みをしている『きのこの神様ときのこのこ』を取り寄せ、あれはどのきのこだと思う? と会議を始めた。
元々は、イレの弟子風味だったパドマを師匠から預かったつもりで奮闘中のイレ。次回でシャコ終わり。