204.小話ハワードちゃんとイレさん〈前編〉
「ハワードちゃん、大丈夫?」
パドマは、毎日、白蓮華にハワードを見舞いに通っている。普段は、ハワードは、白蓮華には寝泊まりしていないのだが、心置きなくパドマが見舞いに来れるようにと、一時的に白蓮華に住ってもらっている。
「医者が言うには、薬さえ塗っておけば、そのうち治るってさ。だからさ、そろそろ家に帰っていいか? 一人暮らしじゃないし、どうにでもなるからさ。ここにいると、皆にやっかまれて大変なんだけど」
今まで、誰がどこに住んでいるとか、これっぽっちも気にしたことはなかったが、ハワードは、ヘクターとセスと3人暮らしをしているらしい。見舞いに行きたいけど、誰か家を知ってるかと聞いてみて発覚した。それならば家は確実にわかるね、と思ったところで、ハワードが白蓮華に連れて来られた。パドマが、ハワードの家に行くのは良くないらしい。どうしてだかわからないのだが、ルイに滔々とお説教をされた。平に落としたのに、意味がなかったようだ。
「家まで見舞いに押しかけて来い、ってこと? ハワードちゃんは、お兄ちゃんを助けに行ってくれたんでしょ? そんな恩人を放置できないよね」
「食われたって聞いて、助けには行ったさ。だけど言ったよな? むしろ、助けられたんだよ、口ん中で。あの人は一体、どうなってんだ」
「ね。そもそも誰だかをかばったから、食べられちゃったんでしょ。なんかさー、助けになんて行かなくても、きっとそのうち自力で出てきたよね」
「だな」
あの後、ヴァーノンに助けられたという男に直接謝罪を受けたのだが、パドマは誰だったか、もう忘れてしまった。ヴァーノンに謝罪するならわかるが、パドマに謝罪する必要はなかろうと思ったから、真面目に聞いていなかったのだ。別に怒ってはいない。最終的に、皆無事で良かったと思う。ハワードは包帯ぐるぐる巻きで、ミイラ男状態なので、ケガの具合がまったくわからないのだが、本人曰く、水ぶくれと赤みがひどいだけで、ほぼ治っているらしい。水ぶくれがある時点で、赤い時点で、何も治っていないような気がするので、見舞いを続けているのだが、何度来てもハワードの様子に違いは見受けられない。頭も手も包帯しか見えず、包帯の上に服を着て、布団に入っているから、何度見ても違いがない。強いて言うなら、毎日少しずつ包帯巻き方が上手になってる気がする。その程度の変化しかない。
「で、放っておけば、お兄ちゃんに助けてもらえたかもしれないのに、ウチがアレをぶん投げたりしたから、お兄ちゃんがハワードちゃんを落としちゃったんでしょ。だったら、ケガをしたのは、ウチの所為だよね。その上、仕留めた後も助けもしないで、焼肉食べてたから、ケガが悪化したんでしょ。ごめんなさい」
「いや、知らなかったんだし、しょうがねぇさ。それより、あれを仕留めるたぁ、流石、姐さんだな。その姿を拝めなかったのが、残念だ」
「え? あれをもう一回やるのは、嫌だよ。お詫びにやれって言われても、嫌だよ。口から、よくわからない遠距離攻撃が飛び出てくるんだよ。今度こそ死人が出るよ。ダメだよ」
「いや、そんなことはやれって言わないぞ。もう1匹出てくるとか、冗談じゃねぇ。姐さんは、のんきにやってりゃいいんだよ。頑張んなよ」
「ふふ。でも、めちゃくちゃ美味しかったから、もう1匹出てきたら、絶対に狩る。誰にも譲らない。譲ってやらない。神威を使ってでも、ウチが食う!
そうだ。ウチに出来ることなら、何でもやってあげるよ。お詫び。寝てると暇でしょ? なんかリクエストある?」
パドマが、可愛い笑みをハワードに向けた。肉の味を思い出して上機嫌になっただけなのだが、ハワードの心を捕らえた。ついでに看護人の視線まで釘付けにしているのを見て、小パドマは気をつけようと思った。
「なんでも? マジで? じゃあさ、もしかして」「調子に乗るな。それは、ダメ!」
パドマの後ろでずっと読書を続けていたパドマが、急に口を挟んできた。本の題名は『きのこの神様ときのこのこ』。きのこ神殿の売店で売っている本だ。近隣で見られるきのこの図鑑だと聞いているが、なんでそんな名前にしてしまったかが、わからない。不穏な空気を感じて、パドマは読んでいない。
「なんでだよ。詫びに何でもしてくれるって、言ってんだぞ。今しかないだろ」
「話は、よく聞け。お姉ちゃんは、出来ることなら、って言った。やりたくないことは、出来ないことだ! 空気が悪くなるだけだから、言うな!」
「マジか! そんなオチか。すげぇ納得した。止めてくれて助かった。ありがとな」
「料理辺りが、当たり障りがなくてオススメ。裁縫は、妬まれる」
「承知! 姐さん、姐さんの得意料理を食わせてくれねぇか? それが詫びで、食ったらチャラでどうよ」
「得意料理? そもそも料理は得意じゃないし、そんなのないけど。なんだろう。チーズ? 違うな。それは、今食べたいだけだ。ちょっと食糧庫を漁って、考えてみるね」
パドマは立ち上がり、部屋を出て行った。食料庫を見てくると言ったものの、白蓮華の食材は詫びには使えない。そのまま外に出て、市場を冷やかしに行くことにした。
パドマは、忘れていた。パドマは、基本的に、買い物ができない。店に寄り付けば、商品を一方的に渡されて、両手がふさがって終わるのだ。一部店舗では、パドマが困っていることを知ってやめてくれたが、大半のお店は変わらない。パドマは無駄に顔を知られているが、親しい人はそれほど多くもないし、商品をくれる人はおしなべて、話を聞いてくれない。そうじゃないのに、「若いんだから、遠慮するな」等々の謎の理論で、物を押し付けてくるのだ。断り方がわからないから、寄りつかないようにしていたのに、忘れていた。
あっという間に両手が塞がって、前も見えないような惨状になったから、唄う黄熊亭に帰った。パドマは、お使いも1人ではできない役立たずである。客席に座って、しばし落ち込んだ。もう知り合いの店にしか、行かないことにしよう。幸い紅蓮華の店は、いっぱいある。あそこなら、何かあってもカーティスが改善してくれるに違いない。
どっぷりと暗い沼にハマっていたら、美味しそうな匂いに囲まれていた。
「はっ?!」
覚醒したパドマの前には、大好物が並んでいる。カドの煮付け、ハジカミイオの茶碗蒸し、ムササビのシチュー。そして、まさに今、ダチョウの赤ワイン煮込みが増えた。
「いやぁあぁあ。食べていい? 食べてもいいかな? 食べちゃうよ!」
パドマは何に落ち込んでいたのかも忘れて、フォークを片手に、皿を手に取ろうとして困った。
「選べないよー」
パドマが悲鳴をあげると、スッとカドの煮付けが前に来たので、そんなに食べて欲しいのかい? と食べてやることにした。
「エドさん、すごいね。本当に、パドマが動き出したよ」
「安易にチーズソースを頼むと、坊主が持って来ねぇからな」
パドマがフリーズしている間に、店が開店していた。最初に来た客のイレとワインのおっちゃんが、動かないパドマを見つけて、テーブルをパドマの好物で埋め尽くしたのだ。注文したのはワインのおっちゃんで、金を出したのはイレだから、2人のおかげでパドマは覚醒したことになる。
「イレさん、ホースマクロフライのレモンがけ。オススメだから、注文して食べて」
「え? お兄さんが食べるの? なんで?」
パドマは、答えずに茶碗蒸しに手を付けた。そして、食べ終わる頃にやってきたホースマクロのフライを手に取った。この皿には、食べる白ソースが乗っている。
「え? お兄さんのじゃないの?」
「見たら、美味しそうだったから。ちょうだい」
「いいけど」
パドマは、イレにムササビシチューを勧め、食べ終えると皿を置き換えた。マスターと常連客は、ニヤニヤと笑っている。イレは頭にハテナマークを浮かべただけだが、ヴァーノンはいつも通りの手順で皿を持ち去って行った。折角、食べる白ソースを作れるようになったのに、ヴァーノンはパドマが食べることを良しとしないから、パドマはおっちゃんたちが注文したことにして作ってもらい、ヴァーノンが厨房に消えた瞬間に食べていた。店内の誰かが裏切ったら終了する危ない橋だが、今のところは皆が面白がってパドマの味方をしている。
「パドマ、リヴィアタンを倒したって、本当?」
イレは、背中の後ろに置いていたトートバッグをヒザの上に置いて聞いた。
「リヴィアたん? そんな人知らないけど」
「え? パドマじゃないの? それじゃあ、報告間違っちゃったな。神殿の庭に転がしてる龍は、誰が倒したの?」
「ああ、あの魚? あれ、龍なの? あれは、多分、ウチが倒したのかな。いつがトドメだったのか、定かじゃないんだけど」
「それなら、良かった。良くないけど、良かった。ペンダントの色は抜けちゃったし、今頃、師匠が苦労してるかもしれないけど、そんなのお兄さんには関係ないし、いいよね。これ、リヴィアタンを倒した人に渡すよう頼まれたんだ。もらってね」
イレは、テーブルに弁当箱くらいの木箱を置いた。パドマは、開けるように促されたので手に取ったが、中から出てきたのは、レディッシュピンクのアクセサリーだ。サークレット、イヤーカフ、ペンダント、ブローチ、バングル、リングと全身お揃いで飾れるようになっている。
先日もらった赤もどうかと思ったが、またイレから濃いピンクのアクセサリーをもらってしまった。あれから大分経ったのに、おじいちゃんのセンスはまったくお変わりないようで、パドマはガッカリした。
「あと剣。間違いなくお兄さんが渡した証拠に、次にダンジョンに行く日は、これを全部身に付けて行ってくれる? お願いね」
イレは、自分の剣帯から青い剣を外して、ごとりとテーブルに置いた。パドマが持っている赤い剣と寸分違わぬデザインに見えた。恐らく、寸法も同じだ。少しだけ抜いてみたが、ブレードは青かった。赤い剣の姉妹品のように見える。
「ごめん。いらない」
すべてを検分した後、パドマは言った。
「もらう理由もないし、欲しくもない」
「残念だったな、兄ちゃん。英雄様に飾りをやるには、100年早いってよ」
ニヤニヤ笑う味噌煮のおっちゃんに、イレは反論した。
「違うよ! これは、お兄さんからの贈り物じゃないよ。なんでか知らないけど、パドマはダンジョンマスターのお気に入りなんだよ。お兄さんは、渡してって頼まれただけだよ。
もらってよ。『お前は、お使いもロクにできないのか!』って、お兄さんが怒られちゃうから。1回身に付けて、ダンジョン行ってくれない? そしたら、捨ててくれても構わないからさ。
やだよね、ブルーガーネット色。お兄さんは、パドマにはベニトアイト色だって主張したんだよ。なのに、聞いてくれなくてさー」
「ダンジョンマスター?」
パドマの脳裏で、青くて細長いウネウネの横に佇む黒いローブ姿で木の杖を持った細長いウネウネの姿が投影された。木の杖を振ってウネウネしている間に、ニョロニョロと大きくなってパドマの指にリングをはめた。パドマは、涙目になって震えた。
「知らない人に物をもらったら、お父さんに怒られちゃうから、返してきて」
「そっか。そうだね。こんな悪趣味なの誰が着けるか! って、叩き返すのもいいかもね。お兄さんの選んだヤツは、気に入ってくれるのにー、って言ってみよう。きっと悔しがるよ。楽しみ! お兄さんのセンスに平伏すがいい」
「ダンジョンマスターは、師匠さんなの?」
「師匠? 違うよ。あの人は、今、アーデルバードにはいないでしょう。パドマにフラれて、心が折れて、泣きながら方々に八つ当たりでもしてるんじゃないの? お兄さんから見たら、どっちも似たようなものだけど、見た目は別人だよ」
「見た目は、別人って、何それ」
「どっちもキレイな顔して、器用で何でもできるんだよ。見た目は違うけど、別にどっちでもいいの。師匠に怒られたらダンジョンマスターのところに転がり込んで、ダンジョンマスターに怒られたら師匠に甘えるみたいなさ。甘えてみたところで、相手にはしてもらえないけ、ど、、、ひいっ」
「イレさんがモテない理由をまた2、3見つけてしまった気がするけれど、放っておこう」
パドマは、赤ワイン煮込みを食べ出した。なんであの白茶の首がオシャレに見えるのかはわからないが、この輪切りなら、パーティーでタワーを作ってもいいな、と思うくらいには、愛している。
「パドマ! 大変!! 持って帰ったら、お兄さんが殺されちゃう。手紙が入ってた。『まだ渡してないのか。殺すぞ?』って書いてある! 後生だからもらって! ほとぼりが覚めるまで、愛用してて。師匠がいなくなっちゃったのに。ダンジョンマスターに嫌われちゃったら、お兄さんはどうしたらいいの? 悪いけど、今すぐ、これ着けて、ダンジョンに行こう。1階まででいいから。で、喜びの言葉とかを叫んでよ。そしたら、帰っていいし。で、一年くらい毎日それを着けて、ダンジョンマスターを褒めちぎって。そしたら、お兄さんは安泰だから」
「意味わからないよ」
「お兄さんだって、意味がわからないよ。なんで、パドマはそんなにダンジョンマスターに愛されてるのさ。人たらしなのも、いい加減にしてよ。知らない人をたらしこむのは、王子だけにしといてよ」
「ウチは何もしてないし。そんなこと言うなら、絶対受け取ってあげない」
パドマはわかりやすく、ぷいっとイレから顔を背けた。頼まれごとは大抵引き受けるパドマだが、謂れのない苦情とともに寄せられた依頼までは、引き受ける必要性を感じない。
「なっ、、、英雄様、きのこ神様、何卒、何卒、赤心報神致しますから、ご加護を賜りますよう、平にひらに、うわーん、助けてよー」
「報神はともかく、イレさんに赤心はないよ。真っ黒じゃん」
「ひどいー!」
ここでハワードが妹パドマの言うことを聞かなければ、パドマゲットでハワードエンドだったのに。それが一番デレデレ甘々なパドマの片付き方なのですが、皆が阻止します。
次回、ダンジョン行きと得意料理。