203.第2回磯遠足
「明日は、遠足だ! 準備するよ!!」
パドマは、寝起き様にぴょんと布団から飛び出すと、枕元にヴァーノンが座っているのが見えた。いつもぐだぐだと文句を言うばかりで、なかなか起きないパドマがすんなり起きたのが余程珍しいのか、目を丸くして見上げている。
「あれ? 何やってるの?」
「お前がな」
呆れたような声を出すヴァーノンに、パドマは頬を引きつらせた。そんな顔をさせてしまう心当たりがいくつかある。
「今度は何したの? また空飛んだ? 床踏み抜いた? 誰かの腕が取れちゃった? やだ!」
想像しただけで気分が悪くなり、パドマはへなへなと座り込んだ。頭が近くなったのを幸いに、ヴァーノンはせっせと髪をとかし始めた。パドマの頭は、毛玉ができそうなくらいボサボサだった。
「いや、あれから、まったく起きずに3日過ぎた」
「なんだ。そんなことか。道理でよく寝たと、、、。って、良くないよ! 遠足終わっちゃったじゃん! 楽しみにしてたのに!!」
森にハワードがついて来なかったのは、白蓮華の磯遠足の手配をさせていたからだった。森に行った2日後に行く予定を組んでいたのである。もうちょっとまともな大人に育って欲しいと仕事を振ったのに、結果を見ずに寝ていたとは、悪いことをした。パドマが楽しみにしていたのは、ハワードの勇姿ではなく、黒いカニだが。
「お前がこんな状態で、あいつらは遊びに行かないだろ。行ってたとしても、何度だって付き合ってくれる。そんな心配はいらない」
「なんで? ウチは、そんなワガママ言わないよ」
「ワガママとかじゃなく、あそこはそういう団体だろう。テッドもいたから、子どもたちにも誤魔化しがきかないし、遊ぶ気分になれないだろう」
「そっか。そうだね。それは、申し訳ないことをしたよ。次は寝過ごさないように、気をつけるよ。遠足は、日を改めて、何度だって行けばいいよね。有志だけでも」
もともと、白蓮華には年間スケジュールのようなものはない。おもちゃが増えたり、パーティーが始まったり、遊びに連れて行かれたりするのは、その日の皆の気分次第だ。子どもにねだられると、ペンギンを見に行ったり、夕食のメニューが決まったりする、実にゆるい経営スタイルをしている。経営陣にまともな大人がいないのだから、仕方がない。いつ使い切れるか疑問な潤沢な寄付金があるうちは、どうとでもなる。
「そうだな。しかし、また変なのが出て来ないか? 行かない方が良いんじゃないかと、思うぞ」
「嫌だなぁ。どこかに行く度に何か出るみたいな、そんなワンパターンばっかり続かないよ。アーデルバード近郊は、そんな危険地帯じゃないよね? 城壁外だって、なんだかんだ子ども2人で生きていける程度には、安全でしょ?」
「昔は、あの海に大海蛇なんて出なかったんだ。森にも、あんな大きな獣は出なかった」
「だよね! でも、両方倒したから、もう出てこないよ。大丈夫だよ」
「ならば、次に出たら、ダンジョン行き禁止を賭けられるか?」
ヴァーノンは、パドマの目をじっと見ている。目は吊り上がっていないが、絶対にこれは機嫌が悪い。それを察して、パドマは慌てた。これは冗談ではなく、本気だ!
「え? なんで? 嫌だよ。なんか近くに大蟹が出るって、聞いたことあるし。海は広いんだから、いろいろいるよ。そういうのが、たまたま近くを通るのまでは、責任負えないよ。賭けないよ」
「じゃあ、海はやめよう」
「カニを食べるの! ダンジョンのカニはヤドカリだから!!」
結局、その2日後、白蓮華の磯遠足は決行された。今回、遠足に参加した子どもの数は、32人。多すぎて面倒が見切れないから、綺羅星ペンギンの休暇スタッフは全員引っ張って連れてきた。こちらから誘う前に、「荷物持ちは多い方がいいと思いますよ」などと言って、あちらから売り込んで来られたから、すぐに人数は揃った。総勢100人超のなかなかの団体になってしまった。ここまで膨れると、もう笑って誤魔化すしかない。
てくてく歩いて磯まで行くと、収穫係と食事準備係と子どもと遊ぶ係に別れて動く。パドマは、収穫係だ。子どもたちと同様にスタッフがくっついてくるから、子ども扱いされている可能性はなきにしもあらずだが、成人しているのだから子ども扱いではないったらない。
バケツと熊手を持って、砂浜でザリザリと穴を掘り、貝をバケツに放り込んでいく。こんな遊びをしていたのは、パドマだけだからだろう。似たようなことをしている子どもやスタッフを全員入れても、収穫スピードが桁違いだった。満足するまで獲ると、「砂が盛り上がっているトコか、小さい穴が開いてるトコを狙うといいよ。その岩の近くか、あっちの草が邪魔臭そうなとこがオススメかな」と言って、岩場に行った。
今日、パドマがやりたかったのは、釣りである。武器屋のおっちゃんは寸胴剣を作るのに忙しそうなのと、防具屋のおっちゃんに最強の防具の作り方を教えてくれと詰めよられたので、初心者でも絶対に釣れる釣竿を作っておくれ、と無茶振りをして作ってもらった釣竿を持参したのだ。絶対に釣れるとまではいかないだろうが、息子の1人が漁師だと言っていたから、使用に耐える程度の品は用意してくれたと信じている。
お付きのギデオンに早速貝を割ってもらって、針に貝の身を付けたら、適当に海に放る。釣りの仕方があっているかどうかも知らないが、魚は目視できているので、時間経過とともに間違いがないかはわかるだろう。
別に釣れなくても構わない。護衛が日差しを遮ってくれているし、水袋は持ってきているし、お昼の準備ができるまで、のんびりと海を眺めて座って過ごすのもいいだろう。パドマは、こっそり持ってきたわらび餅を食べ始めた。
食べ終わっても、あたりは来なかった。すぐそこに魚はいっぱい見えるのに。釣りとは、なんとまだるっこしいものなのだろう。恐らく、竿の仕様がここにあっていないか、使い方を間違っているかの2択なのだが、パドマは思いっきり竿を引っ張りあげた。針には、黒い魚が付いていた。
「釣れましたね!」
釣りを知らない護衛が、ヨイショしてくれたが、パドマの思う釣りはこれじゃない。魚の横っ腹に針が引っかかっているのは、ちょっと違う。そんなので良ければ、もっと前に獲れていた。パドマは、槍を乱射した。10発全弾ヒットしたが、返しがないので、槍に付けた紐を引っ張ったら途中で抜けてしまった。近いものは、下にいたハワードが投げてくれたが、遠いものは竿を振って、針に引っ掛けて釣り上げた。
「思ってたのと違う釣りになってしまった」
食えない魚もいたので、釣果は8匹だ。傷だらけすぎるので、さっさと焼いてしまおうと、石を組んで窯を作っているヤツらのところに引き返した。
パドマは昼まで待ちきれず、焼いた魚を食べていた。暇だし、2匹目も食べちゃおうかな。でも、他にもいろいろ出てくるから腹を空かせとかないとな、などとパドマが悩んでいた時だ。海方面が騒がしくなった。
悲鳴が聞こえる。子どもたちだけでなく、野郎どもまで、キャーキャー言っていた。魚を焼いてくれた男も色を無くしている。パドマが振り返って海を見ると、かなりの緊急事態が起きていた。魚を食べたのがいけなかったのだろうか。とんでもなく巨大な魚が、パドマを見ていた。
「子どもを連れて、全員森まで退避! 新しい指示が出るまで、こちらに来るな。ギデオンだけついて来い」
パドマは、海に向けて走った。あの魚はヤバい。見るからにヤバい。陸に上がっていても安心できない。こんな浅瀬に、巨大魚が入って来れるはずがないのだ。実際に、身体の半分以上が海面から上に出てしまっている。どうやって生きているのかから、疑問だ。魚じゃないかもしれない。陸上で活動できるのかもしれない。
頭部はワニの様な形をしていて、胸鰭や臀鰭は、コウモリの羽の様に広がっている。背鰭は刺さりそうなトゲが沢山生えている。ウロコは、ブッシュバイパーのように逆立っていた。身体は太長い。そんな魚が、じっとパドマを見ている気がする。
子どもを抱えた男は、すべてを無視して走り去って行くが、単身で退避してきた男は、パドマの元に集まってきた。
「申し訳ありません!」
「ヴァーノンさんが!」
「ヴァーノンさんが、食われました!」
「!!」
男たちが悲痛な声を上げた。パドマは、顔から表情を無くした。ブレスレットをギデオンに投げ、海に飛んだ。
「お前らは、逃げろ!」
パドマは、大魚の頭上まで来ると、赤い剣を抜いて急降下した。気合いを入れて、炎とともに振り抜いて魚にぶち当てる。だが、厚く硬いウロコを突破することができなかった。柔らかい場所がないかと2箇所ほど刺してみたが、刃が通らない。パドマは納剣した。胸鰭に生えるトゲをつかんで、思いっきりぶん投げた。
自分が上に乗っているのだから無理じゃないかと思ったのだが、大魚は陸に向かって飛んでいった。パドマはあらぬ方向に飛んだが、体勢を整えて、大魚を追った。
パドマは確認していなかったが、幸いなことに着弾点に人はいなかった。大魚は尋常でないほど暴れて、周囲の石や砂を撒き散らしているが、パドマはすべてを無視して、大魚の口に取り付いた。少し開いているところに手をかけて、無理矢理開いて、骨を折った。
「ギデオン!」
逃げずに寄って来ていたギデオンは、大魚の口の入り口に少し入り、すぐに出てきた。
「!? あっつ」
何か光った気がして、パドマは大魚の頭をもちあげたのだが、大魚は口から大砲を打ち上げた。
「ギデオンも退避」
ギデオンは、見事にヴァーノンを引きずりだしていた。パドマの第一目標は達成した。ギデオンが、ヴァーノンを抱えて、森方面に走るのを見送る。
だが、まだ安心できない。陸に上げただけでは、この魚は死なないようだ。まだバッタンバッタンと暴れている。遠距離攻撃もするようだし、このまま放って置くこともできない。パドマは大魚の口を海側に向け、中に入った。
大魚の口から出てくる大砲の正体がわからない。パドマが口に入った後も、何度か打ち出したようだが、ちょっと熱いだけで、これといって痛くもかゆくもならなかったので、赤いナイフを抜いて口内を斬ってみた。口内は歯が立たなかったが、ノド奥は刃が通ったので、斬れる場所を徹底的に斬っていたら、揺れが収まった。致命傷を与えたか、弱らせることができたのかもしれない。
「外から斬れない場合って、どうやって血抜きとか解体とかするのかな」
自分の中に答えはないので、とりあえず手近なところを切り抜いて、大魚の口に戻った。料理途中で皆が逃げてしまったため、簡易カマドに火が点いていた。パドマはそれに気付き、大魚を丸ごと引きずってそこに運び、鉄板の上に切った肉を乗せ、また口の中に戻った。
3度目に入ったところで、ギデオンがついてきた。
「ヴァーノンさんが、息を吹き返しました。無事です」
「外で良かったのに、こんなところまで入って来るなんて、バカだな」
「ブレスレットをお返し致します」
「ありがとう」
パドマは、ギデオンにブレスレットを腕にはめてもらった。自分がモンスターになって、予期せぬ事故を起こすリスクが下がる。これで、ギデオンは無事でいられる。まだ大魚の生死は不明なのに、少し気が緩んだ。
「お手伝い致します」
「危ないから、いいよ」
「問題ありません」
ギデオンは奥に行ってしまったので、パドマは肉を持って出ると、セスとルイが肉をひっくり返したり、小さくカットしたりしていた。
「危ないよ。何やってんの?」
「お手伝いしようと馳せ参じました」
「味付けは、どう致しますか?」
謎の大魚の生死は不明で、真横にいるというのに、2人はいつもと変わらなかった。パドマは、もう少し森に行ってて欲しかったのに、諦めた。
「全員退避したのを確認してきた?」
パドマは、ナイフで肉を刺して、味見をすることにした。どうすると聞かれても、こんな魚は食べたことがないから、どうするべきかわからない。なんなら、無毒かどうかも知らないくらいだ。食べてみなければ、指示が出せない。
「はい。子どもたちは、全員無事です」
ルイは、笑顔で返答した。
「なんだこれ!」
パドマは、大魚の焼肉を口に放りこんだ後、即、2切れ目をナイフで刺した。
大魚の肉は、どす黒く、食べる気のまったく起きない見目をしていたのだが、口の中に入れると溶けてなくなった。何の下処理も味付けもしていない、ただ焼いただけの肉なのだが、臭みは全くないし、味がいい。甘くまろやかで旨みが強く、濃厚な肉だった。すぐ溶けて消えるのが悔しいくらいだ。
ここに来てから食べてばかりいたパドマが、驚き顔で次々に肉を口に放り込む姿は、異常だ。
「ええと、味付けは?」
セスが遠慮がちに聞くと、パドマは、キッと睨んだ。
「お前らがこれを食うことは、許さない」
「え?」
そんなに美味いんですか? それは、こっそり目を盗んで食ってやろうと、ルイは思ったのだが。
「心配しなくていい。魚は食べ切れないほどデカイ。少し待って、ウチに毒の症状がでないのを確認できたら、食べればいいよ」
パドマが、むっしむっしと食べながら、そんなことを言うから、セスの顔は真っ青になった。
「毒味なら、わたしがやります。吐き出してください!」
「無理だよ。この肉は溶けるから、そんなにキレイには出てこないよ」
「なら、せめて、もう食べるのをおやめ下さい!」
「やだよ。致死量がわかんないんだから、せめて限界まで食べるよ」
「なんでですか!」
「諦めろ。死地には、先頭で突っ込まないと気が済まない方なんだ。見ただろう? 護衛を守って戦う人なんだ」
ルイは、達観した顔で、大魚を見上げた。
「ボスに向いてないですね!」
「そうなんだよー。代わってくれる?」
「ええ、死地の先頭と、護衛の護衛は承ります」
「なんだよ。お前も、ボスに向いてないじゃん」
ケタケタ笑っていると、ヴァーノンが走ってやってきた。
「パドマ!」
ヴァーノンは、走っているのに顔色が悪かった。
「お兄ちゃん、どこか、ケガでもした? 無事なんじゃなかったの? 顔色悪いよ」
パドマはナイフを置き、ヴァーノンの身体を触って確かめた。ぺたぺたと触った限りでは、痛がる素振りは見えない。やせ我慢なら、服をむいてみないといけないかもしれないが
「ハワードさんは、無事か?」
「ハワードちゃん? 知らないけど、無事だって言ってたよね?」
パドマは、ルイを見た。先程、ルイは、子どもたちは無事だと言ってなかったか? 何故、子どもたちに限定した答えを返したのか、その意味を考えて、パドマは表情を消した。
「食ったら許さないって、言ったよね?」
ルイはパドマがヴァーノンに気を取られている間に、魚の肉を食べていた。とてもイイ笑顔で、見つかっても猶食べ続けている。
「あなたが失われれば、どうせ終わる人生なのだと申し上げたことは、覚えておいでですか?」
「バカ! ウチの身体は毒に耐性があるから、簡単には死なないんだよ! ルイは体を毒に慣らしてないよね?!」
「?! そういう大事なことは、もっと早く!」
「まぁ、いいや。多分、毒はないし。無味無臭で遅効性の毒が入ってなければ、無事でいられるよ」
「あの。ハワードを拾ってきましたが、いらないようであれば、捨てて参りますか?」
ルイをからかって遊んでいる間に、大魚から出てきたらしい。申し訳なさそうな顔で、ギデオンが立っていた。
助けてきた図としては少々奇妙な、ハワードを引きずる形で、ギデオンは大魚の口から出てきたようだ。ハワードはデカくて重そうだが、ギデオンなら持てるだろう。なのに、わざわざ抱えずに連れてきていた。引きずられたハワードは、控えめにいって、ズタボロだった。皮膚が大変残念なことになっている。
「ひっ。く、薬を。薬は。ない! 取って来るぅう」
パドマが錯乱して泣き出したので、ヴァーノンが抱いて視界を封じた。
「薬なら持ってきた。大丈夫だ。心配しなくていい」
「貸して! 早くぬらなきゃ」
ジタバタと暴れるパドマをヴァーノンは宥めた。
「落ち着け。お前がやる必要はない。他に選択肢がないなら仕方がないが、お前だって、ハワードさんに薬をぬられたら、嫌だろう? 彼の気持ちも考えてやれ。仲間に介抱される方がいいに違いない。
お願いしても、よろしいですか?」
ポケットから出した薬を、ヴァーノンは、ルイに渡した。
「任されました。まずは洗浄しましょう。飲み水を使うのは、もったいない。海でいいでしょう。海に運びます」
この場には、ハワードの気持ちを優先する男はいなかった。パドマにさせたくないばかりに、適当な御託を並べているだけだ。
ハワードに死なれたら、パドマはまた人形になってしまうかもしれない。それは困るが、パドマは医療に詳しいのでもないのだから、パドマがやる意味はない。手遅れなら、パドマの預かり知らぬところで死んでもらわねば困る。ヴァーノンはそう考えただけだし、ルイは、ハワードだけ特別視されるのを嫌っただけだった。ギデオンは、周囲の声に忠実に動いただけだった。ハワードを海に入れたら、悲鳴を上げて動き出したので、ああ元気そうで良かった、と安心した。
「あ、生きてた」
パドマも安心して、肉を食べ始めた。焼いた分は、食べ切ってしまわねば、誰かが食べてしまうリスクがある。死なないなりにも、腹を壊す人が現れたら可哀想なので、念入りにチェックする予定である。
海は危ないね、ということになり、白蓮華に戻って、ごはんを食べることになった。行儀は悪いが、もうできていた料理を食べながら、街に帰った。パドマは、またブレスレットをはずし、大魚を持ち帰る。
城門についたところで、皆で解体し、肉をあちこちの施設に運んで保管した。紅蓮華からも人を借りたら、それほどかからず、作業は終了した。
体内は柔らかく、完全に切り取ってみたけれど、外皮がどうにもならなかった。切れねば何かに利用することもできないし、大きいから保管も邪魔だ。差し当たって扱いに困ったので、きのこ神殿の用途不明の広場に置いた。見物人が増えたし、評判も悪くないらしい。
防具屋の店主が物欲しそうに見ていたので、解体を依頼してみたが、やはりできなかった。
師匠だったら斬れるのかなぁ? とパドマは思ったが、切れても使い道の案はない。別にどうでもいいや、と皮の存在を忘れることにした。
次回、ハワードのその後と、おまけのイレ。