200.青蓮
パドマは、ヴァーノンに連れられて、イギーの家に遊びに行った。毎年恒例、蓮の花見会である。紅蓮華と綺羅星ペンギンがズブズブになっている以上、もうそんな会は意味がないと思うのだが、変わらず誘われた。ヴァーノンが酒を飲みたいと言うなら、パドマは付き合うしかない。できたら、飲ませた後の責任も取って欲しいところだが、イレが苦労していたのだ。紅蓮華内に、ヴァーノンをどうにかできる人材はいないだろう。足止めだけ頼んで、自力で逃げ出すしかないな、とパドマは覚悟を決めた。
紅蓮華側も、蓮の花など、どうでもいいのだろう。今回は、室内に案内された。席は窓辺にあるので、一応花も見えるが、見えないこともない程度である。以前、屋内に入った時は、家具の類いはほぼなかったのに、今日はいろいろ増えていた。食事会をするために体裁を整えたのかもしれない。
増えていたのは、家具ばかりではない。かなり大きな赤ちゃんがいた。イギーより貫禄があるというか、福々しいというか、そんなタイプの子だった。正直どちらに似てるとも言えないし、性別も定かではない。父親はピンクなのに、子が全身ブルーを着せられているのが、気になった。赤ちゃんは、一丁前にイスに座っていた。食事会のメンバーの一人らしい。
「息子のウトパラだ。よろしく頼む」
イギーの紹介で、ようやく性別が判明した。
「そっか。そうだよね。いい加減、生まれてるよね。スゴイね。パンダちゃんより大きいじゃん。
ウトパラ君、はじめまして。スクスク育って、早くイギーを隠居に追い込むといいよ」
「う!」
ウパトラが、パドマを見て発声した。たまたまだと思うのに、イヴォンと一部の使用人が華やいだ声で喜ぶのを見て、パドマの絵姿を見せて練習したとかだったら嫌だなぁ、とパドマはゲンナリとした。
「去年生まれだからな。生まれた後に育ったんだよ。息子だったからって、本気で見にこないとは思わなかったぞ」
そういえば、ヴァーノンがそんなことを言っていたのをパドマも思い出した。パドマだって、冗談だと思っていた。イギーは、ヴァーノンの友だちなのだから、不満はヴァーノンに言って欲しい。ヴァーノンは、主催をそっちのけで、スタッフの方に話しに行ってしまったが。
「だって、生まれたって話は聞いてないしさ。見に来るわけないよね」
「ヴァーノンが、年末に誕生祝いパーティに出てたろ。あの時、既に生後1ヶ月は過ぎていた」
「え、それで気付くの難し過ぎない? 年忘れパーティなんだと思ってたよ。ウチも神殿で、そんなようなのに参加してたし。それに、その頃はいろいろあって、家出したりしてたし、会いには行けなかったよ。赤ちゃんに危害を加えたくはないから」
寝ながら空を飛んだと崇められたり、ヴァーノンに追いかけ回されたり、師匠の腕がもげたりしていた時期だろう。自分のことだけでいっぱいで、他人の子にまで気を回す余裕はなかった。そもそもパドマは、イギーもイヴォンも仲良しだとは思っていない。商売上の付き合いくらいに思っているのだから、優先度は低い。仕方がないと思う。
「危害? 何を言ってるんだ。子どもには、優しくしてくれるだろう? 抱いてみるか?」
「いや、やめとく。赤ちゃんの腕がもげたら、可哀想だし」
イギーの腕ならごめんで済ませるが、赤ちゃんの腕が取れたら、最大級に嫌な事件だ。危険な橋は渡らないに限る。パドマは、じわじわと後ろに下がった。
「どんな心配だよ」
「だから、大変だったんだよ」
「大丈夫ですよ、パドマ様。生まれたての子でも、腕はもげたり致しません。この子は大きくて強い方ですから、練習してみませんか? パドマさんに出産の予定がなくとも、ヴァーノンさんは、お子様を持つ予定があるのではないですか?」
「そっか! そうかも。でも、今日はやめとく。まだ自信がないから。どうしても触れ合わなきゃならないなら、転がるから、上に乗せてもらうとか、そういうのでいい? 微動だにしないように、頑張るからさ」
「いえ、そこまでして下さらなくて、構いません。食事に致しましょう」
イヴォンがあっさりと引いたので、パドマは大人しく席についた。
食事は、去年と大体同じだった。イギーとヴァーノンが酒を飲み、パドマとイヴォンが飯を食うスタイルだ。なんと、ウトパラも飯を食うらしい。パンを何かに浸してドロドロにしたようなものを、給仕に食べさせてもらっていた。
パドマは、それを眺めながら、ホースマクロと大葉の混ぜご飯と、グリンピースのポタージュと、チヌイと夏野菜のコンソメジュレと、いくらとなめことオクラのおろし和えと、鴨のハリハリを食べた。イギーとイヴォンのメニュー決め対決は、イヴォンが勝利したのかと思ったが、それにしてはメニューのチョイスが何か変だと、パドマは首を傾げながら食べた。いつもの紅蓮華のシェフの味でもない気がする。あのシェフは、もう少しまったりとした馴染みのいい味が好きなのに、今日は、ちょっと攻めの姿勢が見える。一つひとつの料理に、少し尖った食材が紛れていた。シーバスのバター焼き、ローストヒクイドリ、蓮根入りつくね串、チキングラントの梅煮、夏野菜の揚げ浸し、カニのクリームスープ、穴子のちらし寿司、冷やし茶碗蒸しまで来て、やっとパドマは気付いた。
「今年は、お兄ちゃんが作ったのか」
パドマは、ヴァーノンを見ると、大分ご機嫌に出来上がっていた。
「もう少しで、終わるところだったのにな。バレたか」
「何故、わかった」
イギーの顔も赤い。接待ではないただの食事会だったのだろうか。
「茶碗蒸しの味が、唄う黄熊亭の味だった。コンソメの味が師匠さん味で、メニュー構成がなんだか変だから、お兄ちゃんで確定かなって思った」
「そうか、メニューの勉強不足だったか。残念だ」
ヴァーノンは悔しそうに酒をあおった。
「まさか、兄妹揃って、食わせただけで料理が再現できるんじゃないだろうな」
「そんなのは、お兄ちゃんだけだよ。ウチは、精々、チーズを食べたら、ヤギの名前がわかるくらいだよ」
「それは挑戦したことがないな」
ヴァーノンは、パドマに勝つ道を模索したが、知り合いに牛も羊もヤギもいないことに気付き、渋面になった。これでは、何個チーズを食べたところで、名前がわからない。
「いや、そんなの、わかる必要ないよな?」
イギーは呆れた。この兄妹が変なのは知っていたし、ヴァーノンは何にでも挑戦するのも知っていたが、ミルク当てクイズをする時間があるなら、欠勤しないで働きに来いよ、と言いたい。言うなと、皆に止められているが、流石にこれは言ってもいいと思う。
フルーツ白玉ぜんざいを食べたら、ご馳走様だ。パドマは速やかに立ち上がった。
「これから、お兄ちゃんと鬼ごっこしなくちゃいけないからさ。可能な限り、ここに引き留めといてね。お兄ちゃんに捕まったら、死ぬかもしれないから。じゃ、そういうことで。ご馳走様でした。ウパトラ君、またね」
「う!」
パドマは、言いたいことだけ言って、走り出した。
「おい!」
イギーが止めようとした時には、もうパドマはいない。
「悪いな。まったく記憶にないが、俺は相当酒グセが悪いらしいぞ。パドマがいなければ、大人しいらしいがな」
そう言いながら、ヴァーノンは酒を飲み続けている。
「知ってるなら、飲むのをやめろよ!」
「俺が飲むのは、ただ酒だけだ。やむを得ない。心配するな。パドマは、飲んでいいと言っていた」
「うるせえよ。今日は、このままうちに泊まっていけ。酔いが覚めるまでは、帰さないからな!」
「帰ってもパドマはいないんだ。帰ること自体は、何の問題もないと思うけどな。パドマは、どこに泊まるつもりだろうな。放ってはおけない。捕まえに行くか」
「行かなくていいから、水を飲め!」
ヴァーノンは、まだ出来上がりきっていないから、パドマを追いかけたりはしなかったが、イギーの言うことを聞かず、酒を飲み続けた。
「何故、水を飲まない?」
「ここにタダ酒があるからだ。片付けてくれてもいいが、酒がないなら出勤もしない」
「自ら酒癖が悪いと、自己申告するだけはありますね。来年からは、お酒はやめましょう」
イヴォンも、ため息をこぼした。
逃げ出したパドマは、唄う黄熊亭ではなく、白蓮華ではなく、きのこ神殿ではなく、綺羅星ペンギンではなく、イレ宅でもなく、雨上がり豚亭に来ていた。師匠の部屋に泊まりに来たのではない。ヴァーノンの意表をつける泊まれる場所を求めた結果だ。泊まる金はある。部屋から出ねば、気付かれまい。
受付で金を払ってチェックインすると、何故か、師匠の部屋に通された。
「違うよ。師匠さんに会いに来たんじゃなくて、客として泊まりに来たんだよ」
「存じております。長らく貸し出しておりましたが、今は空室です。この部屋以外は満室なので、別の部屋はご用意できません。どう致しましょうか」
いろんな物が師匠仕様に変えられたままだが、よく見ると、師匠の私物は置いていなかった。
「そうなんだ。なら、ここでいいや」
パドマは、元師匠の部屋に泊まることになった。師匠は、イレの家に引越してしまったのだろうか。別の宿屋を見つけたのだろうか。とても不思議な気分になった。暇をつぶす物など何も持って来なかった。することは何もないので、とりあえず寝ることにした。
次の日、イレが唄う黄熊亭の暖簾をくぐり次第、師匠のことを聞いてみた。
「イレさん、師匠さんが宿を引き払ったらしいんだけど、イレさんちに住んでるの?」
「師匠? あー、いなくなっちゃったらしいね。パドマにフラれたあの日にさ、どこかに行っちゃったみたい。フラれて、ショックだったんじゃない? 引っ越したのか、旅行に行ったのか、お兄さんは知らないよ」
「薄情者! 心配じゃないの?」
「そうは言ってもね。見つけても、お兄さんにはどうにもできないじゃない? 師匠は、ここにいるのがつらくて逃げちゃったんだから。パドマが仲直りしたいっていうなら、方々に手紙を出したり、探してみてもいいけどさ。どうする? 探す?」
イレは、師匠をいたぶっていた時のようなイイ笑顔でパドマを見ている気がする。なるほど、これはクソむかつく! と、パドマは思った。
「ウチは別に、このままでいい。イレさんは一生独り身決定だけど、頑張って」
パドマは怒って、虫のおっちゃんの席に座ってごはんを食べ始めた。イレはコロッケのおっちゃんと仲良くごはんを食べた。
次回、小パドマの仕込み。