20.イギーの勝利
師匠は、ヘビもどきを3匹担いで、ヤマイタチたちには、ヘアリーブッシュバイパーを乗せて、少年たちはミミズトカゲを抱えて帰ることになった。
ミミズトカゲの次の階からは、投げナイフだけでも帰れる。だが、ヘビもどき3種を揃えるまででも、ヘビもどきを倒さなければならない。パドマが1人で露払いをやり切るのは難しいし、パドマがヘビもどきを持ち運ぶのは、どう頑張っても無理だ。だが、師匠は何も困らなかった。
一度置いて戦えば不都合がないと思われるのに、師匠は、ヘビもどきを担いだまま、敵を蹴り殺して進んでいた。一撃で仕留めるので、どんな脚力だと驚いたが、倒れたヘビ風トカゲには、刃物傷がついていた。師匠は、足からも刃物を生やすことができるようだ。全身隠し武器でいっぱいだと聞いたが、上半身だけではなかったらしい。
ダンジョンから出ると、ヤマイタチは、活動を停止する。荷運びをどうしようかとパドマは悩んだが、当たり前のように、師匠が持ってくれた。ヤマイタチも全部引き受けてくれた。話をまったく聞いてくれないし、誰よりも可愛らしい容貌をしているが、紳士の心を持っていたようだ。
すべてをイレ宅の庭と屋内に放り投げた後で、パドマは、少年たちに向き直った。
「で、あれに、いくらの値を付けてくれるのかな?」
「お前、バカだろう。そういうのは、狩る前に交渉しなきゃダメなんだ。俺が引き取らなきゃ、どうすんだよ。困るのは、お前だ」
イギーは、パドマを指差して笑い出した。ヴァーノンとレイバンは、困ったような顔をして、2人を見比べている。
「なんで? 別に何も困らないよ。お金が欲しいなら、ダンジョンセンターで買取りに出したし、ここに置いといたら、後でイレさんが調理して、師匠さんが食べるだけだよ。むしろ、あのヘビを手に入れられるのは、イレさんが帰って来るまでなんだけど、いいの?」
師匠の大好物は、ミミズトカゲだけではない。野菜は食べないが、肉なら大抵なんでも食べるのだ。トカゲもヘビも、師匠にとっては、ただの肉である。好物だからこそ、特に頼んでもないのに、ここまで運んでくれたのだ。好意ではないと思われる。
「それって、もう既に、師匠さんが離さないって、可能性はないか? なんで、そんなことしたんだよ! ふざけんなよ!!」
「だから、誰もあげるって、言ってないよね? 早くしないと、師匠さんの口がブッシュバイパーを食べる口になっちゃうよ?」
「くっ、10万だ。10万払う。売ってくれ」
漸く、イギーが状況を理解したようだ。師匠さんの話の通じなさは、ここにいる全員が身にしみて理解していることである。あっという間に折れた。
「話にならないなぁ。残念だけど、あんなにキレイに仕留めた巨大ブッシュバイパーなんて、そうないんだよ。センターに売ったって、もっと値が付く。工房に直接持ち込めば、更にね。浅階層産だけど、運ぶのだけでも大変なの、体験してもわからなかった?」
「いくらで売るつもりなんだよ。50万なら、どうだ?」
相変わらず、勝手な要望を言っているだけで、相場も何も調べてきていないことが、露呈した。モンスターの種類や倒し方を知らないところまでならまだしも、相場を知らずに取引をしようとは、本当に商家の息子か疑わしいくらいだ。甘やかされているにしても、ひどい。
「1人で運べる師匠さんが、おかしいだけなんだよ。本当なら、運ぶだけで3人も必要で、それを守る護衛は何人必要になる? 人数で割って、割に合わない金額なら、誰もやらないよねー。50万で、引き受けてくれる人が見つかるといいね」
「お前な! 俺が買い取らなきゃ、食べるだけで儲けゼロなんだぞ! 100万で売っとけ」
「師匠さんのおかげで仕留めた物は、師匠さんが食べる権利があると思うの。知り合い割引で、200万?」
「えげつないぞ。150万で許して欲しい」
「しょうがないな。250万で手を打とう」
「なんで値上がってんだよ。マジで頼むよ」
「値段交渉が長引けば、その分の手間賃が加算されるんだよ。300万」
パドマは、ニタリと笑って見下した。
「パドマ、どうしても売って欲しい。無理か?」
見兼ねたヴァーノンが介入してきたので、からかうのを終了する。別に、金額をつりあげて、儲けを出したいとは思っていない。イギーと一緒にいる時間は、短いほど望ましい。
「ウチの話をちゃんと聞け、って前にも言ったよね。いい加減覚えたらいいのに。即決すりゃ良かったんだよ。兄割引で200万でいいよ。余裕で300万出してくれる人を知ってるけど、まけてあげる。恩を感じてね」
「マジな話なのか。ありがとう。ちゃんと200万は揃える。出世払いで良ければ、もう100万も払う。だけど、誰が300万も払うんだ?」
パドマの不遜な態度の所為で、イギーも話を信じたようだ。驚愕の顔で応じたが、今からでも、きちんと相場を調べてきた方がいいと、パドマは思った。
「美術系工房の人。あと、師匠さんとイレさん」
「なんで、師匠さん? 自分でいくらでも取って来れるだろう?」
「もう1回取ってくるの、面倒臭いから。そんなしょうもない理由で、ドカンと金を積むくらいお金持ってるんだよ。もう奢られても、心が傷まないし、ドン引きしてるよ」
「そうか。これだけ出鱈目な人がダンジョンに入ったら、いくらでも稼げるんだろうな」
今は、ダンジョン帰りである。イギーに即金で支払う能力はないということで、契約書だけ書かせて、ヘビと共に消えてもらった。急がなければ、師匠の食欲を止められる人間はいない。
パドマは、金をもらわずに品物を渡すなんて、と言う人間がいるのも知っていた。イギーの店であれば、小娘への支払いを切り捨てる力があるとも思っていた。だが、別に構わなかった。どうせ、いつもはダンジョンに捨ててくるヘビである。持って帰ってきたのは、ヤマイタチと師匠だ。なんの腹も痛めていない。お金が欲しければ、師匠かイレにお願いすればいい。師匠に付き合っている危険手当として、いらないくらいにくれるだろう。イギーに契約書を書かせたのは、支払いもしないのに友達面して寄ってくるな、と言うためだけだった。きちんと支払ってくれないくらいが、有難い。もうお守りは、したくない。いつヘビに丸飲まれ事件が起きても、おかしくないのだから。
いつものように、カフェで朝ごはんを食べているところに、イギーたちがやってきた。今日は、いつもの3人だけでなく、見たことのない大人が2人ついていた。
カフェでごはんを食べている話は、ヴァーノンにも特に話していなかったが、師匠を近くで眺め隊の皆様の間で、大変有名になっている。その関連で、聞きつけたのかもしれなかった。
「仕方がないからな、お前を嫁にもらってやる!」
イギーは、テーブルの前に立つと、偉そうな態度で口火を切った。
観客が多い中の発言としては、なかなか勇気のある行動だった。そこは評価するが、話の脈絡を理解できた人間はいない。
「やったね。イレさん、ようやく彼女ができそうな気配だよ」
パドマは、面倒臭そうな話題は、とりあえず手近な大人に振ろうとしたが、更に横に投げられた。
「違うでしょう。これは、師匠への求婚だよ。どう考えても、師匠の方が可愛いし、モテるんだ。残念だけど、お兄さんは、関係ないよ」
師匠を眺め隊の皆様は、イレの意見に同意な様子で、イギーに冷たい視線を送っている。当の師匠は、ふわふわと髪を揺らしながら、ローストポークを突いていたが、飽きて別の物が食べたくなったのか、パドマをひざに乗せて、餌付けを始めた。
「食べて欲しいなら、自分で食べるよ」
と、抵抗しても、やめてもらえないのは、いつものことだった。パドマも師匠を眺め隊の皆様は怖いのだが、子どもだからか、同じ服を着ているからか、師匠に睨まれたくないからか、今のところは、悪意を向けられたことはない。
「お前ら、何イチャイチャしてやがる。俺は、パドマに言ってんだよ。ふざけんのも、いい加減にしろよ」
師匠は、パドマに餌付けをするのをやめ、抱きすくめた。無理矢理口に何かを入れられるよりはいいが、師匠を眺め隊の皆様の顔がどうなっているか、袖で見えなくなったのが、恐ろしかった。慌てて、パドマは、師匠を止めた。
「師匠さん、師匠さん、今更袖で隠してみても、ここにいるのはバレてるよ。あれは、借金を踏み倒すために、勝手なことを言ってるだけの阿呆なの。気にしなくて平気。お兄ちゃんがあっちにいるのが面倒だけど、本人はポンコツだから」
「借金? 坊ちゃんが、パドマに金借りてんの? 最悪だな。すごいなー」
イレは、気にせず、サンドイッチをかじっている。
「ちっがうわ! 金なら、持ってきた。嫁にして有耶無耶にしようと思って、言ってんじゃねーよ。俺は、あの家の跡取りになったんだ」
イギーは、小金貨を3枚テーブルに並べると、胸を張って仁王立ちしている。1人っ子であれば、イギーが継ぐしかないのかもしれないが、商家の未来が暗すぎる。パドマは、ヴァーノンを手招きで呼び寄せた。
「お兄ちゃん、転職した方がいい。職場が潰れる」
「あー、実は、あのヘビは、跡取り競争に必要だったんだ。イギーの兄弟みんなでヘビを持ち寄ったんだが、パドマのヘビが、1番キレイで大きかった。その上、知人割で購入してきたのと、契約書を作ってきたのが評価されたらしい。なんだか知らないが、勝ってしまったようだ。加算評価は、全部パドマの所為だから、こんな話になっている。
だが、いくらなんでもだ。前の話よりは多少マシになったが、これに関しては、断ってくれていい」
ヴァーノンは、困っているような顔をしていた。ついて歩いてはいるが、推進する立場ではないらしい。
「うん。断るのは、確定なんだけど、しばらく師匠さんトコか、イレさんちに転がりこむから、よろしくね」
「なんでだ! ダメだろ。どっちも男だぞ」
ヴァーノンは、顔を赤くして怒り出した。パドマは、兄に怒られるのも飽きている。ブッシュバイパーの方が、余程怖い。朝ごはんもくれないし、厄介ごとしか持って来ない兄の価値は、大暴落している。故に、怒られても何の問題もない。パドマは、ちょいちょいと小金貨を指差して、口を開いた。
「大声で阿呆な叫びを上げて、人目を引いて、小娘にお金くれるなんて、嫌がらせじゃない? 1人で歩いて、変な人が寄ってきたら殺してもいい? それとも、お兄ちゃんに任せていい? 寄生しても問題なさそうな大人を選抜したつもりだけど」
「お兄さんがロリコンだの、ヒゲ面だの言われるのは、構わないけどさ。うちに来るなら、お兄ちゃんも一緒に連れてきなよ。お嫁に行きたくなったら、困るでしょ。アレと結婚するくらいなら、変な評判を立てたくなるのも、わかるけど」
イレは、助けてくれる気はあるらしい。兄を狙っているだけでないといいな、とパドマは思った。
「そだねー。とりあえず、お金をもらってくれる? いろんな意味で、持ち帰りたくない」
「そんなことなら、お安い御用だ。この場では預かって、そのうち利息をつけて返してあげよう」
「なんで利子? いらないよ、そんなの。今までの食費と、これからの食費にしてくれたら、いいじゃない」
「それこそ、受け取ったら、名折れじゃん。絶対にいーやーだー」
小競り合いを始めた2人を、ヴァーノンが止めた。
「ひとまず、妹が大人になるまで預かって頂いても、よろしいでしょうか? それ以外のことは、後日決めましょう」
パドマは、そのまま一生忘れてしまおうと決めた。
「話合いは、終わったか? そんなに気負わなくても、しばらくは婚約だけだ。軽く結婚に関する契約書は作って来たんだが」
半分くらい存在を忘れ去っていたイギーが、会話に入ってきたので、パドマは睨みつけた。
「いい加減にして。ウチの好みに、まったくカスってもいないから」
「お前はバカか? 俺は、跡取りに決まったんだぞ! 豪商の奥方になれるんだぞ。そんな機会は、他にないぞ!」
イギーも、負けじと睨みつけた。
「誰が、そんなものになりたいって言ったよ。
ウチの好みは、かなり背が高くて、そこそこ生活力があって、頭がピンクじゃなくて、人の話をちゃんと聞いて、情報通で、ウチより可愛くなくて、ヒゲ面じゃない男だよ。イギーよりは、レイバンの方がいいよ。イギーは、最底辺だ。
放っておけば、店も傾きそうな跡取りじゃん。素人の言葉遣いもおかしいウチを娶って、どうするんだよ。死ぬほど頑張った結果、全てを失うのが今からわかるよ。継ぐなら、適当な商家からできる人を見つけてくる以外、選択肢がないんだよ。ホントにバカだな」
パドマの話に納得したのか、何かを叫んで暴れるイギーをお付きの大人が、力づくで連れ帰って行った。
「お兄ちゃんは、帰らないの?」
「ああ。好みのタイプは、まあ、大体理由がわかったんだが、背が高いは何だろうと思ってな」
「世の中にはさ。背が高すぎて、鴨居に頭を打ちつける人がいるんだって」
「いるな。それが、どうした?」
「一度、見てみたいと思ってさ」
「そんなことを理由に、結婚相手を選ぶなよ!」
「だって、結婚でもしなきゃ、見れる機会もないじゃない」
「まぁまぁ、まだ小さいんだから、いいじゃないか。まだ嫁に行く心配もいらないってことでしょ」
今度は、イレが宥め役に回った。好みのタイプなんて、実際の恋にはまったく関係がない。物心つく前から、こんなに可愛い師匠と一緒にいる人間が言うんだから、間違いない、とイレはヴァーノンを説得した。
次回は、段々と染められていく主人公の様子。