192.折れた剣
パドマは、息も絶え絶えな気分になっていると、テッドがパットに本を読んだ感想を語りだした。テッドが読んでいたのは、そんなに薄い本ではない。もう読み終わったとは思えない。だが、パドマの様子を見て、フォローに入ってくれたのだろう。パドマの半分しか生きていないのに、実によく気が利く弟だった。パドマは、テッドの心遣いを有難く受けて、パットがしていたパドマの文字練習指導を引き継ぐことにした。
キラキラ少年が頬を染めて、パットに話しかけようとしているが、テッドの話がまったく途切れないので困った顔に変わった。テッドは、そちらにも気を配っているようだった。パドマも、声をかけられたくないので、今までしたことがないような真剣な顔で文字を教えている。小パドマも、全然嫌がらない。パドマが教えるまでもなく、文字はすべて書けるようだった。
パットが何を教えていたのかが分からなかった。紙に書いていたのなら過去ログを読めばわかるが、石板に書いては消しているので、これと言ったものは残っていなかった。しかし、小パドマもできる子だった。『おにいちゃんと、おはなししてたの』と教えてくれた。『どんなおはなし?』とパドマは返した。筆談をしながら、単語を書く練習をしていたのかと思ったが、『たべられるきのこと、きのこりょうり』と返事があって、ちょっと手が止まってしまった。だから、パットは、この子たちをどうしたいんだよ?
そうこうしている間に、ヤシガニ料理ができたと言われ、皆でテーブルをセッティングし、食べることになった。パドマは、パドマと並んで見ていただけだが。
だが、ぼんやり見ていると、同じように手伝う気のないキラキラ少年が近付いてくる。近付いてくると、パットがパドマを構い出す。蕩けた瞳で見つめられるのも、抱きしめられるのも、口をふさがれるのも、本当に本当に本当にいい加減にして欲しいので、震える手が何度か剣のグリップをつかんだ。その度に、パットの手が緩むのだが、緩まなければ殺人事件が起きていたかもしれない。何があってもパットは死なないだろうが、少年は隙だらけで、簡単に殺れそうだったから。
細長いテーブルを出してきて、それぞれ座る。1卓は子ども席で、もう1卓は大人席だ。パドマは、男たちに近寄りたくないので、左にパットを右にパドマとテッドをバリア代わりに配置した。目の前の席にキラキラ少年が座ろうとしたが、ギデオンの少し後に戻っていたハワードたちが阻止した。どちらの席に座っても、食事内容は違わないのだから、近寄って来ないで欲しい。
出てきたヤシガニ料理は、唐揚げ、酒蒸し、エビマヨ風、炊き込みごはん、きのこのチーズ焼き、野菜ディップ用ソースと蒸し野菜、味噌バゲット、落とし揚げ、グラタン、クリームコロッケ、クリームパスタである。パットが渡したレシピで作られているのだろうに、パットの前には、多種のステーキ肉しかなかったが。
うわぁ、きのこだよ、なんできのこだよ、ヤシガニどこいった? と、パドマがきのこのチーズ焼きを口に入れると、ヤドカリ味噌の味が口の中に広がった。イガグリガニの時は、ヤドカリ味噌は食べ物じゃないとか何とか言っていたのに、パドマが不満を感じていたのに気付いて、レシピに入れやがったのか? と、パドマがパットを見ると、ふっふーんと高慢チキな顔をしていた。
「その顔は、パット様のキャラじゃない」
悔しかったので、そう言い捨てて、もぐもぐと食べ続けた。間違いなく甲殻類の味を感じさせてくれるエビマヨもおいしかったが、パドマが気に入ったのは、グラタンだった。身も入っていたが、味噌の味も鼻から抜けた。カニともエビとも違う、甘味と苦味を共有する少しくどさも感じる味噌なのだが、ホワイトソースに混ぜられることで、マイルドで馴染みやすくなっていた。パドマは、ギトギトにくどいのも嫌いではないのだが、苦味が大分中和されていた。かと思うと、バゲットはむしろ苦味が前面に押し出されていて、大人の味に仕上がっていた。これは、ちょっと皆が可哀想だった。白蓮華は、酒禁止である。きのこ神殿なら、堂々と飲めたのに。
苦味はダメかな? と小パドマを見ると、クリームコロッケばかりを食べていた。大パドマが、取り皿に唐揚げを乗せると、ムッとした顔を向けられたが、唐揚げをかじった後の顔が可愛かった。何も言わないのに、美味しいと思っているのが、わかるのだ。パドマ以外もニヤニヤしてるので、勘違いではきっとない。ついつい頼まれてもいないものを、どんどん皿に盛ってしまった。味見して、苦味の薄い物を確認して皿に乗せていく。それを参考にして、テッドもいろいろ取って食べていた。
「ヤドカリごっこについてのお話しを聞いてもよろしいでしょうか」
一通り味を見て、満足したところで、ルイから話を振られた。ピッとグラントの顔がこちらを向いたのに、背筋が伸びたが、パドマには特に不満はない。
「面白く話さなくていいなら、構わないよ。今までさ、師匠さんとか、護衛の皆とか、ついて来られて、鬱陶しいなーとか、申し訳ないなーとか思ってたんだけどさ。気を遣われてたんだな、って気付いたよ。今日の子たち、半端じゃなく距離感近くてさ。油断すると、全方位に寄り添うように集まってくるんだよ。ダンジョンにいるのに、身動きできなくなっちゃうの。ずーっとそんなことされてたら、もう心の底から嫌になっちゃってさ。1人になりたくなっちゃって。丁度いいのが転がってるなー、って、、、」
「善処致します」
気付けばグラントが、般若のようになっていた。パドマは、話したことを後悔した。これから後悔させられるだろう男たちのことなど、どうでも良かった。現在進行形で、パドマの心臓が縮み上がっている。グラントから少しでも離れようと身体をズラしていったら、パットに接触してしまった。パットはフォークとナイフを置いて、パドマを抱いてヨシヨシとあやしはじめたので、更にパドマは後悔した。
「は、な、せ!」
「一応、あの寸胴鍋も拾って持って帰ってきて、姐さんの部屋に置いといたから、好きな時にヤドカリごっこしていいからな」
ハワードは、シシシと笑っていた。
「いらぬ気遣い! あれ、誰かの私物じゃないの?」
テッドがパットに小パドマを渡したら、大パドマは解放された。暴れて疲れたからヘタレながら、パドマは応えた。
「たまに変なものも混ざってるから、誰かのイタズラもあるかもしれないけど、寸胴鍋付きでリポップするらしいぞ」
「マジか。ダンジョンマスターの趣味は、どうなってるんだろう」
食べ終わったら、パドマはパドマとお風呂に入ってから、唄う黄熊亭に帰った。抜き打ちで帰ったのだが、ヴァーノンはきちんと働いていた。しかし、パドマがパットと一緒にいるところを見ると、目を吊り上げて、パドマのもとにやってきてしまった。
「何故、一緒にいる?」
「師匠さんの職業は探索者で、パット様の職業はウチの旦那さんだからじゃないかな?」
そういえば、ヤシガニパーティをしたのに、ヴァーノンを誘うのを忘れたなぁ、と思いながら、パドマはとぼけた。
「それなら俺の職業は、パドマの兄だ」
「そうだよ。だから、ウチが大きな顔をしてここに住み続けられるように、お兄ちゃんに、ちゃんとしたお店の跡取りになって欲しいんだよ」
それは絶対譲らないからね! と、パドマはふふふと笑った。パドマの正論に反論はできない。ヴァーノンは怯みながらも、自己主張をした。別に仕事をさぼりたくて言ったのではない。
「ぐっ。わかった。仕事はしよう。だが、安心して仕事をするために、師匠さんとの付き合いはやめて欲しい。誘拐される」
「誘拐なんてされてないし。ウチが、師匠さんに頼んで、厄介になっていただけだよ」
「わかっている。師匠さんが、好きなんだろう?」
「またその病気にかかっちゃったのか。違うよ。よく考えて欲しい。師匠さんは、ウチを預かった所為で腕がもげたり、足がもげたり、危うく頭がもげたりしそうになってたんだよ? ウチは、大好きな人をそんな目に合わせて、平気でいるの? 大好きなお兄ちゃんをそんな目に合わせたくないから、帰らなかったのに。お兄ちゃんなら、ウチがそんな風になると思っても、ウチの側にいられる? 師匠さんならまぁいいかと思ったからこそ、一緒にいられたんだよ」
パドマのひどい発言に、ヴァーノンとパットは驚愕の表情を浮かべた。ヴァーノンもアゴが外れそうな勢いだったが、パットは顔を青ざめさせて、ふらふらとよろけた。
「それは、、、確かに、家に帰りたくなくなるな」
「でしょ? 怒るんじゃなくて、お世話になりました、だよ」
「わかった」
ヴァーノンは、パドマの言い分を聞き入れて、師匠と和解する気持ちになったのだが、その時、パットはいなくなっていた。試合に勝って、勝負に負けていたショックで帰ってしまったのだ。パドマの扱い的には、兄として謝った方が良い事態だったが、師匠の言動的にはまだ許せなかったので、ヴァーノンはパットを追うことなく、仕事に戻った。パドマは、涙を流して笑うイレの横で、シーブリムの串焼きをくすねて食べた。パリパリとした皮は香ばしく、ふわふわの身は上品な旨味が強い。パドマは食べ切ってから、勝手にシュークルートとバヴェットステーキを運んで、すり替えて満足した。イレは、前払いでガツンと金を払ってくれているので、逐一集金しなくていいから、やりたい放題だ。多分今なら、パットの見物料金で大金貨を請求しても、怒られない気がする。
次の朝、パドマが家から出ると、大変鬱陶しいことになっていた。唄う黄熊亭は、隠れ家的なこじんまりとした店である。店の前に広場はないし、大通りに面してもいない。住宅街の細道の途中に、ひっそりとある店だ。それなのに、イレとパットと護衛が10人強いるだけでも邪魔だが、キラキラ少年とその取り巻きで、更に10人以上いる。
邪魔! と思い、半眼になっていると、とことことキラキラ少年が近付いてくる。それに伴って、パットと護衛がパドマの周りを固めた。
「おはよう御座います。パドマ様。名乗り遅れました。私は、アグロヴァル・クライドと申します。よろしくお願いします」
アグロヴァルは、やはりお坊ちゃまなのだろう。手慣れた様子で、作法通りに礼をしてみせた。アグロヴァルは、白蓮華のお客様だ。子どもだ。だから、パドマもお姉さんとしてきちんと応対すべきなのだが、礼儀正しくしないのが、パドマスタイルなのだ。できないことにしておかないと、ロクなことにならないのである。特に、カーティスには知られてはいけない。
「ああ、うん」
パドマは、困惑した顔で答えた。よろしくと言われて、よろしくしたくない場合、何と答えるのが正解かが、わからなかった。アグロヴァルがここにいる時点で困っているが、パットに両手をつかまれた上で、腰を抱かれているのも鬱陶しいし、イレがニヤニヤしてるのも腹が立つ。
いろいろを無視して歩き出すと、パットは手を離してくれなかった。やむなく、手を取られたまま歩いた。それだけでも鬱陶しいと思っているのに、アグロヴァルは、どこまでもついてきた。ダンジョンの中までついてくる。年齢的に足りているから、登録証は発行済みだったらしい。腰にスモールソードらしき物は下げているのだが、一切抜くこともなく、ただただパドマたちの後ろを走ってついてきた。時々話しかけられるが、その度にパットが走るペースを上げるから、今はゼイゼイ言うだけだ。ダンジョンの後輩だというなら、白蓮華に免じて面倒をみてもいいが、やる気が感じられなかった。パドマも人任せにして、剣を抜いていないが、いざとなれば蹴りで充分だと思っているから抜いていないのだ。何がなんでも全部護衛任せにする気はない。どこまで使えるかわからない坊ちゃんを、いつまでも連れ歩きたくない。
「護衛の半数は、あっちに回って。パット様、邪魔の入らない狩りをしたい」
恐らく、アグロヴァルさえいなくなれば、手繋ぎを解除してもらえる。そう思ってパドマはパットにおねだりすると、パットは甘やかな微笑みを浮かべ、パドマを姫抱きにして走りだした。パットも、パドマを鬱陶しく思っていたのだろう。誰もついて来れないスピードで走った。
着いたのは、69階層である。到着したら、とりあえずパットから降りて、パドマは敵の観察を始めた。69階層にいたのは、シャコだった。パドマの目には、シャコと知った上でエビにしか映らないが、触覚の太さや遊泳脚の形、尾の形状など、いろんな場所が、少しずつ違う。
中でも最も違うのは、捕脚肢だ。ダンジョンの魔法で巨大化させられているので、どうしても目についてしまう。エビの鋏脚というよりは、カマキリのカマに近い形をしている。付いている方向が、若干違うのだが。
そして、何より目を引くのは、色彩の鮮やかさだった。赤、青、緑とくっきりとした美しい色を身にまとっているのである。警戒色を彷彿とさせる彩りは、個体によって違いがあり、赤が強いものもいれば、緑が強いものもいる。その美しい色彩に円状の斑紋が施され、その組み合わせが、より一層鮮やかさを引き立てていた。
人目がなくなったから、パットは、パドマを白い目で見ている。パドマは、着いてからずっとパドマ作詞作曲のエビの歌を歌っているからだ。少し遅れて、ヤマイタチを抱えたイレが到着しても、歌が途切れる様子がない。イレが、エビじゃないよシャコだよ、と訂正しても、エビじゃないよシャコだよ、と歌詞に追加した上で、エビソングに戻ってしまう。
「師匠、このまま出したら危ないと思う。パドマは、シャコを食べることしか考えてないんじゃないかな」
イレがそう言うと、パドマは、とことことことフロアに降りて行ってしまった。その瞬間、部屋にいたシャコが4匹、二足歩行生物のように、スッと立ち上がった。
「カマキリだ」
剣を抜いて、青眼に構えながら、パドマは言った。立ち上がったシャコは胸を張り、捕脚肢を構えている。その姿は、カマを持ち上げたニセハナマオウカマキリを彷彿とさせた。エビが食べたい気分であって、カマキリを食べたい気分ではなかった。パドマのテンションは、一気に下がった。
「カマキリも美味しいって、言ってたけどなぁ」
何でも虫を食べてしまう、おっちゃんの発言である。信頼度が如何許りかは、なんとも言えない。おっちゃんのことを思い出し、思いを馳せていたら、パドマの身体は吹き飛んでいた。攻撃を受けたようだ。シャコの動きは目で追えていたのだが、それでも何をされたか、分からなかった。一瞬光った時に、何かがあったのだと思う。
わかったのは、パットがクッションになってくれたおかげで、パドマが多分無傷で済んだことと。
「あーあ、そんな柔じゃないってドヤってたのに、折れたじゃん。まだいくらも使ってないのに」
パドマの宝剣が、根元に近いところで、キレイにスパンと折れていたことだ。
次回、シャコを食べる。