190.はーちゃんになる
ヴァーノンが一緒にいる時は、黒茶兄のペンダントと師匠の腕輪を外して過ごす。ヴァーノンがいない場合は、師匠の背中に乗って40階層を回避し、師匠もいない日は、39階層で打ち止めにする。そうしたら何の問題もなく、ダンジョン通いができるねとパドマは思ったのだが、ヴァーノンが許してくれなかった。
否、ダンジョン行きは許してくれるのだが、師匠と一緒にいるのは許さないと、ついて来ようとするのである。ヴァーノンは、足が速くなってしまったので、まくにまけない。紅蓮華の仕事はともかく、唄う黄熊亭の仕事を休むのは、大変よろしくない。跡取りに内定したのに、いつまでも料理ができないのでは困る。あまりの丸焼き好きに、パドマもちょっと諦めていた時期もあったのだが、カスタードムースは美味しかったのだ。是非とも、更なる修行をしてメキメキと実力をつけて欲しいのに、ダンジョンについて来られては困る。
ダンジョン行きが問題ではなく、師匠が問題らしいので、白蓮華に行ってもついて来てしまう。師匠は約束をしなくても勝手についてくる人だ。こちらもまいて逃げることはできない。詰んでいる。
仕方なく、毎日、パドマも唄う黄熊亭で、仕入れから、お手伝いまではいかないものの見学をして過ごしていた。パドマが行けば、師匠もついてくる。マスターは、荷物持ちが増えてホクホクしていたが、パドマはダンジョンに行きたい。たまのマスター孝行はヤブサカではないが、毎日は嫌だ。理由がバカバカしくて、嫌だ。
カラフル野菜のセイボリータルトをガジガジかじりながら、今日もパドマは、イレの卓で給仕をサボっていた。こうしている間も、師匠が絡んでくるので、ヴァーノンがこちらに来てしまうのが、悩みだった。パドマは、ヴァーノンと師匠のいがみ合いに巻き込まれているだけの、関係ない人である。2人で勝手にやっててくれれば、それでいいのに、混ぜられることにイライラしていた。今は、ロールキャベツが食べたいと言って駄々をこねたので、ヴァーノンは席を外している。今、厨房にはキャベツはない。パドマはそれを承知で駄々をこねたので、しばらく戻って来ないと思う。後は師匠だ。パドマの後ろで髪に真珠の紐を編みこんでいるのが、ウザい。あと少ししたら寝る頭に、外すのがシチ面倒臭い飾りを付けるなと言いたいのだが、止めてもどうせ付けられてしまうので、もう諦めている。
「あー、お兄ちゃんの料理まだかなぁ。こないだのムースは美味しかったから、楽しみだなぁ。師匠さんじゃ、野菜料理は食べてくれないから、お兄ちゃんが料理上手になってくれたら、あれもこれも再現してもらえるよねー。ふふふー」
パドマが、小声で漏らすと、師匠はパドマの髪を急いで仕上げて、厨房に入っていった。
師匠が完全に見えなくなったら、パドマは立ち上がり、イレの頭にいつか作った羽根飾りを沢山付けた。
「ちょっと家出してくるから、しばらくウチのフリをしといてね」
パドマは、隠していたリュックを背負った。
「え? それは、無理がありすぎない? 誰も騙せないよね。体格が違いすぎるし、似てるところは、どこもないのに」
「お願いを聞いてくれないと、ブチギレるよ。あの2人には、仕事しろって言ってね。ウチのこと探しに来たら、許さないからって」
パドマは、イレ好みの可愛い笑顔を作って言い捨てて、出奔した。
ヴァーノンの出し抜き方は、師匠を見ていたので簡単に実現できるが、師匠をまくのは難易度が高くて無理だと思った。自力でどうにかするのは諦めて、パドマはブレスレットを外した。そして、走って護衛をまいたら、カーティスのところに転がりこんだ。
カーティス一家は、全員きのこ信徒である。特に何も信じていないビジネス信徒だということが、信頼できるポイントだ。とりあえず、その日はそのまま寝かせてもらって、次の日は、奥さんの手で女の子に変装させてもらった。服を女物にしただけで、顔を見なければ誰もパドマだと思わないのだ。日除けにフェイスカバーをしたから、前から見ても、恐らくヴァーノン以外は、パドマだと思わないと思う。消石灰と葡萄酒で作った化粧水を髪に塗り込んだら、庭でルーファスと商談をして過ごした。カーティスには紅蓮華に出勤してもらわないとバレる恐れがあるからだ。
パドマは縫い物をしながら、ルーファスの商品開発に付き合う。食べ物と、洋服と、ぬいぐるみを作ることになった。パドマが縫っているのは、その試作品だった。
カーティスが帰ってきたら、商品案をドサドサと積み上げた。ゴーサインが出たら、商品化されるかもしれないし、されないかもしれない。パドマの手を離れてしまえば、もう関係ない。プレゼンはルーファスに任せて、試作品のエクレアをまふまふと食べた。イチゴの季節だからイチゴエクレアを作った。パドマの好みに合わせて作ったので、まったくパンチのないさっぱりとした味である。それで売れるかどうかは知らない。
次の日は、奥さんとロールケーキを焼いた。一応、これも新商品案である。カーティスに見せたら、パドマのおなかに収まるものだが、自分のおやつのために、他人の家の砂糖を使ったのではない。商品開発をする上で、避けて通れない作業だっただけだ。
この家では季節でもないのにバラが咲いていたのを見て、絞り出しでバラクッキーを焼いてみたら、こんなのバラじゃないと、ルーファスにダメ出しされた。
悔しくて、りんごの薄切りでバラの花の形にし、アップルパイを焼いても、ルーファスは首を横に振った。
腹が立ったので、ルーファス秘蔵のバラ茶とバラジャムを無断でくすね、パウンドケーキを焼いたら、絶賛された。パドマは怒らす気満々でいたので、釈然としなかった。次は、これに合う品種を作りましょう、と浮かれるルーファスは、放置することにした。
商品サンプルを増やしながら、カーティスの孫たちと戯れ遊ぶ日々を過ごしていたが、とうとう望んでいた髪色に変化した。パドマの頭は、キャメルブロンドかライトゴールドか、なんとも言えない色に変化した。それらを乱雑に後ろで束ね、商品サンプルの中から、マウンテンパーカーときのこ信徒ボトムスを選んで着替え、剣帯に茶色い頭のマスコットを付けた。フェイスカバーを付けたら、出陣する。発売前の新商品宣伝プロジェクトと称した変装である。
着いたのは、ダンジョンだ。ヴァーノンと師匠に見つからないように、変装して来たのである。だが、変装のクオリティは低かったようだ。走っているだけなのに、どんどん周囲に人が増えていく。髪の色を変えた上、顔はほぼ見えないから、ヴァーノンくらいにしかバレない予定でいたが、よく考えたら、師匠の剣が目立ちすぎるから、変装の意味がなかったかもしれない。少年A変身計画は、失敗した。
30階層で、おやつ休憩を取った。変装してかくれんぼしてるんだから、騒ぐなよ。ボスって呼ぶなよ。などと取り巻きに注意したパドマは、大男たちをアゴでこき使っていた。この街で、ガタイのいい男たちを上から目線で扱うチビっこは、パドマかテッドくらいしかいない。自分から正体をバラしているようなものだった。こんなに愛らしい探索者なんて他にいないだろうに、本当に隠れてるつもりなのかなぁ、と皆は半信半疑だったが、気付かないフリをして、こき使われていた。カミツキガメ焼きができたら、パドマに献上する。
「はーちゃん、食べる?」
「はーちゃん?」
パドマに向かって、皿を出されたので、自分のことを指しているのは理解したが、意味がわからなかった。
「設定を自分なりに考えました。同僚のはーちゃんであれば、この状況も違和感ないかと」
「ああ、なるほど?」
変装をしていればあの2人に見つかりにくいと考えたものの、そんな設定までは考えていなかった。どこの誰とも知らない探索者Aで良かったのだが、呼び名がなくて困るというのであれば、偽名はなんでも良かった。なんで、はーちゃんなのかは、わからなかったが。
食後、36階層に走り、タカをしばき倒して肩慣らしをすると、やはりむずむずしてきた。どうにも我慢できない。そうなってしまうと、パドマはいつも通りに行動した。68階層に来てしまった。40階層は、ハンマーごしに手をつなげば、簡単でもないが通過できた。誰だか知らないヤツに背負われてでも、来るつもりになってしまったのだ。止まらなかった。
68階層には、ヤシガニがいる。ダンジョンの規格変更に曝された以上、もうどうでもいいことであるが、陸棲甲殻類最大種のヤドカリである。殻なしのものは、尾を腹の下に巻き込んでいるので、カニに見えないこともない。いや、やっぱりヤドカリだ。そんな見た目をしている。大きい物は、パドマの腰辺りの体高であるが、小さいものは、手乗りサイズだった。小さいものは、普通のヤドカリのように貝を背負っているものもいるし、マグカップやら、グラスやら、ヤシの実の殻やら、変な物を背負っているものもいる。中でも数が多いのは、寸胴鍋を背負っているヤシガニだ。貝殻も自然発生しない場所だが、寸胴鍋も自然発生はしないだろう。探索者のペットなのだろうか。なんて面倒なことになっているのか。
「この階層に詳しい人、挙手お願いしまーす」
予想外の事態に途方に暮れて、説明を求めると、ついてきた30人超の男たちが、一斉に手をあげた。護衛係気分なのか、何も言ってきたりはしないが、目から発せられる圧がスゴイ。うっかり小さく悲鳴をあげてしまっても、仕方のない事態だと思う。
「1人でいい。じゃあ、君。あのヤシガニは、倒してもいいのかな。自分のだぞ、ってマーキングしてる人がいるから、変なものを背負ってるの?」
とにかく、手を下げさせようと、隣にいた男を指名した。指名された男は、ガッツポーズで雄叫びをあげたので、パドマは恐怖を感じて離れたら、反対側にいたらしい男にぶつかって、うっかり悲鳴を上げてしまった。可哀想にぶつかられたナサニエルは、みんなにボコられて、後ろに回された。パドマは、自分の立て直しにいっぱいいっぱいで、助けてあげることができなかった。胸のドキドキが止まらなくて、苦しい。師匠やハワードたちがいないダンジョンが、こんなに怖いところだとは思わなかった。大きい男に囲まれて、恐怖しか湧いてこない。
「大丈夫ですか?」
パドマは、心配して寄ってきた男に、鞘付きの剣鉈を向けた。まだ上手くしゃべれる気がしなかったからだ。だが、男には、パドマの思いは伝わらなかった。より近付いてこようとするので、パドマは逃げ出した。フロアに落ちて、ヤシガニの間をすり抜けて走った。ヤシガニがどういう敵かは詳しくないが、一見したところ、動きはそれほど速くはなさそうだった。だから、多分大丈夫だと信じて逃げた。
訳の分からない鬼ごっこが始まった。パドマは男が怖くて鉢合わせれば逃げていくが、男は護衛をしようとパドマを追いかける。そして、隙を見計らって、ヤシガニはその双方に攻撃を仕掛ける。瞬発力はないが、静かに寄ってきて、死角からこっそりと一撃で沈めてくるような攻撃を仕掛けてくるのである。鬼ごっこにかまけてばかりいると、危ない。小さいものなら踏みつけるだけで勝てるが、大きいものは鋏脚がオオエンマハンミョウより硬いので、生半可な攻撃は通らない。錯乱している今のパドマでは勝てない。パドマは這々の体で、転がっていた寸胴をかぶって隠れた。
周囲からは、変わらず、剣戟の音や男たちの雄叫びが聞こえる。見つかりませんように! と、パドマは1人、寸胴の中で祈っていたが、外から聞きなれた声が聞こえた。
「姐さん、制圧が終わったから、そろそろ出てきてくれよ。その鍋薄いし、まったく安全じゃないからさ」
「ボス、おケガは御座いませんか?」
その声につられて鍋を少し持ち上げてみると、真珠部隊のみんながいた。こちらを見て、心配しているような顔をしているが、全身が目に入る程度に離れた位置にいる。なるほど、と思った。今日いたヤツらとは、距離感が違う。
パドマは寸胴鍋から抜け出すと、そろりそろりと近寄って行って、とうっとハワードに飛びついてみた。そして、お兄ちゃんのバーカ、と呪詛を漏らすと、手を離した。なんと、ハワードを克服してしまった。これは、ヴァーノンには知られたら面倒な臭いがするので、黙っておこうと思った。
「な、な、なんだ、どうした? 俺、今日死ぬのか?」
パドマは、我に返ったので、剣を抜いてヤシガニ退治に隣の部屋に行こうとして、ルイに止められた。
「申し訳ありません。手頃なヤシガニは、全て殲滅してしまいました。まだリポップはしていないかと思います」
「すみません。ヤシガニ狩りをしてたら、荷物持ちが沢山きたから。、、、小さいので良ければ、まだいますよ」
ヘクターも、申し訳なさそうな顔をしていた。
「ちょっとヤドカリごっこをしてる間に、なんてこった。また日を改めて来ることにするよ」
パドマは納剣した。小さいものであれば、斬るより蹴った方が早い。
「つかぬことを伺いますが、ヤドカリごっこを始めた経緯を尋ねてもよろしいでしょうか」
「ここでは話したくないかな」
パドマは、中空を見てそらっとぼけた。真実を語ってもいいが、聞こえる範囲に原因物質が存在している。流石に、大した面識もないところに、ズケズケ言っちゃいけないかな、という遠慮の気持ちがある。今日、護衛のフリをしていた人間は、生え抜きの綺羅星ペンギンメンバーは、ほぼいなかった。最近入ったらしい子と、きのこ信徒の人ばかりだった。有名人と同道できて嬉しいのか何なのか、どんどん距離を詰められていったのだ。多分、40階層で引っ張ってもらったのが良くなかったのだと思う。そういう係を近くの人間に振るから、近付いて来て、周囲がみっしりと男だらけになったのだ。
「じゃあ、帰って白蓮華でヤシガニ食べて、反省会をするか」
「いいね。でも、ウチは、今日は無理だよ。多分、帰ったら寝る」
「そうだな。できたら、家に帰るまでは起きててくれよ」
やれやれ帰るか、と歩いて2階上ったところで、パドマは風に襲われた。唐突に前方から、白茶の物体に体当たりをされたのだが、視認していない状態でぶつかったので、階段から落ちて、そのままどうにかなるかと思った。
パドマは、階段から落ちたが、特にケガはしなかった。突撃してきたのが、師匠だったからだ。師匠は、めそめそと泣いていた。嘘泣きでなければ。
「師匠さん、どうしたの? お兄ちゃんとの料理対決で負けちゃったの?」
パドマがニヤニヤと笑うと、師匠はムッとした顔をしなかった。パドマをぎゅっと抱くと、目標は。
「ルイ! ナサニエルくんと師匠さん!」
配属決めは、グラントの仕事だから、すっかり忘れていたのだろう。パドマが指示を出すと、ルイはナサニエルにハンマーを投げ、ハワードは上階からの体当たりをした。攻撃目標が消えて、ああ安心と思ったら、師匠はガッツポーズをしていた男を蹴落とした。
「えぇ? ずっと見てた、の?」
それにしても、彼らには何の罪もないと思うのだが。師匠から降りて、無事か確認しに行こうとしたが、師匠は許してくれなかった。師匠はパドマを抱えたまま、上階に走り出した。
パーちゃんじゃダメかと思って。
次回、ヤシガニパーティ。