186.ヴァーノンの本音
ヴァーノンに会いたくて、唄う黄熊亭に帰ったのだが、会えたのは、マスターとママさんだけだった。2人とも「会いたかったよー」「寂しかったよー」と感動の再会をしたが、パドマはヴァーノンに会いたかった。
マスター曰く、ヴァーノンは全ての仕事を放り投げ、パドマを探して、どこかを走り回っているらしい。ヴァーノンを傷付けることのないように、迷惑をかけないように家を出ていたのに、何ということだろう。傷はつけていないが、多大な迷惑をかけていたらしかった。真面目に働けよ、跡取り、と心の中で毒付いたら、何故かママさんに「パドマを連れ帰らないと、うちの敷居はまたがせないから」と言われた。またしても、心の声がダダ漏れていたのかもしれない。
ヴァーノンの指を失わずに済んだから、まぁいいか、と思いながら、窓から叫んだ。
「お兄ちゃん、どこ行ったの?! ウチは、ここだよ!!」
どこを探しているのかわからないし、ヴァーノンならば、呼びかけて、こちらに来てもらった方が早い。そう思ったのだが、探していたという言葉は事実だったらしく、ヴァーノンは、飛ぶような勢いで、ズドンと帰ってきた。窓から飛び込んできたヴァーノンを受け止めきれず、パドマはひっくりコケた。足が速くなった兄をなめていた。頭はぶつけなかったものの、床に打ち付けた腰が痛い。それだけ心配をかけた自分が悪いのかもしれないが、もう少し普通に帰ってきて欲しかった。
「痛っ!」
と悲鳴をあげると、上に乗っていたヴァーノンは失敗に気付いて離れてくれたが、そこで動きがとまった。
ヴァーノンも、パドマの噂は、聞いていた。1人で探しても見つからないから、会う人会う人に見かけなかったか、尋ねていたのだ。見かけたと言う人には、パドマは、日々可愛くなった綺麗になったと言われていた。何言ってるんだ。パドマはいつだって可愛いぞと思って気にしていなかったが、その真実を見た。師匠の化粧の力だ。
パドマは、泣き虫だ。いつでも人の顔色を伺って、怯えているようなところがある。だから、今もヴァーノンの機嫌を気にしているのだろう。怒られると思っているのか、瞳を潤ませている。
その上で、素顔なのか化粧のなせる技なのか、目元も頬も唇も、何をしたやら爪までも薄紅色に色づいて、ふるふると震えていた。肌の色は白い。ダンジョンにばかり篭っていて、外にいる時間も師匠の傘で守られていた結果だ。日常的にケガをしていたようだか、薬で治され、跡も残っていない。剣ダコまでついでに癒され、手の皮に厚みもない。サボリぐせもあり、護衛を常に側に置く妹は、甘やかされ荷物運びなどはすべて人任せにしているから、どこもかしこも柔らかくできていた。ただ細いばかりだという印象を抱いていた肢体は、年齢相応以上に女性らしい曲線を描いていた。オーバーサイズの布余りの服を着ていても、それらが隠しきれてはいなかった。これは、ヤバい。妹だと日々言い聞かせてきたが、パドマは何もしない状態で、アーデルバード中を熱狂させる美貌の持ち主なのである。ヴァーノンとしては、そこまでキレイでなくていいのに、と思わざるを得ない。見慣れているつもりでいたのに、正気を失いそうだった。
そうなったら困るから、ヴァーノンはパドマが幼く見えるように仕上げていたのに、何をしてくれてるんだ、あんのクソ男が! 男を寄せ付けるようなカスタマイズをしてんじゃねぇよ!! 妹に少し似た雰囲気の可愛い顔の男を思い出し、怒鳴りつけたい気持ちが湧くが、それを表情に出せば、パドマは泣く。ヴァーノンの心理を読んでいるのだろう、ニヤケた未来の養父母の存在が、更にヴァーノンを照れさせた。
「無事だったか?」
とりあえず、ずっと心配していたことを伝えた。が、パドマの様子がおかしい。自分からヴァーノンを呼んでおいて、目を逸らした。これは何かある。養父母に詫びを言って、パドマを自室に連れて行った。「邪魔者は退散していましょう」とママさんが無駄に嬉しそうにしているので、「違う!」と噛みつきたかったが、今はそんなことより大事なことがある。睨むのも我慢して、部屋に戻った。
いつものように、ベッドに腰掛けた。ヴァーノンは自分のベッドに座ったのだが、パドマは、その隣に座り、ヴァーノンに寄りかかっている。久しぶりに会ったから甘えているなら、可愛い妹なのだが、恐らく違う。甘えに甘えきった生活のしすぎで、背もたれのないイスに座るのがダルいのだろう。
「なんで出て行ったんだ?」
声をかけると、パドマはくるりと顔をヴァーノンに向けた。パドマに他意はない。最近は、そんな風に師匠と話していただけだった。だが、ヴァーノンには堪えた。介護だと言い聞かせても、変な気分になってくる。
「え? 言ったよね。変な力が止まらなくなっちゃってさ。触る物さわる物が壊れちゃって、歩けば床が抜けるし、ぶつかっただけで師匠さんの指がとれちゃうし、大変だったんだよ。実は、まだ治ってはいないんだけど、一時的に止める方法は見つかったから、戻ってきたの。心配をかけて、ごめんね」
「歩けば? だから、歩いていなかったのか」
パドマと師匠が変な噂になった原因が、簡単に判明した。師匠の方はどうだか知らないが、パドマの方はもう普通に歩くだろう。それだけで噂が沈静化するかわからないし、別れただの捨てられただのと言われると腹が立つが、綺羅星ペンギンを使っても、紅蓮華を使っても噂の操作ができなかったのだ。ヴァーノンの手には余る。
「うん。そう。あ、食べすぎて太ったからじゃ、ないからね。変な力が止まらなくてさ!」
「そんな心配はしていない。それは見ればわかる。どちらかと言えば、やせたな」
「え? ごはんは、いっぱい食べてたし、身体は重くなったよ」
「筋力が落ちたんだろう」
「それは、しょうがないかも。また鍛え直すよ」
「ああ、頑張らなくていいが、自力で歩ける程度ではいてくれよ」
ヴァーノンは、ため息をついて、パドマを抱いた。
「もう帰って来ないかと思った」
パドマが帰る気にさえなれば、簡単に帰ってくるようだが、今日までずっと師匠の計略にまかれていた。綺羅星ペンギンの護衛役は一緒にいたようだが、綺羅星ペンギンの協力を取り付けても、ヴァーノンは近付けなかったのだ。迂闊に寝ている隙に襲撃すると、パドマを連れて逃げ出すのだ。わざとヴァーノンに見えるように、愛おしそうにパドマを抱いて、師匠は逃げて行った。アレと妹をふたりきりにしてしまうなど、冗談ではない。夜は取り戻しに行けなくなった。そうして次々と手をふさがれて、捕まえられないようにされていった。
「ええ? お兄ちゃんに追い出されない限り、帰るつもりはあったよ。ただ治るあても見込みもないのと、何もかもが壊れちゃうから、会うのも怖かった、だけ。
師匠さんがね。ブレスレットを作ってくれたの。これをしてたら、元通りでいられるみたいなの。お礼を言ってね。高そうなんだよ。だけど、返すわけにもいかないの。これがないと、生活ができないの」
パドマは、手首に付けた茶色のブレスレットを見せた。腕に付けられた他の飾りは、後程返却すれば良いと思うが、これだけは返せない。
ヴァーノンは、ブレスレットを見せられて、頬を引き攣らせた。色こそ地味だが、光に当たるとギラギラと虹色に輝く石が付いているのだ。パドマの耳についている大玉の真珠よりも大きい石が、7つも付いている。恐らく、イギーでも、用意できない品に違いない。こんな物をほいほい贈っておいて、愛がないなんて、どういうことだと思う。理由もなく増やされていく、他の飾りも値段を聞きたくないような高価な物なのだろう。
「くれたならもらってもいいんだろうが、それはなんというか、、、すごいな」
「やっぱり、そう思う? なんか、いつもと変わりなく、これといって何でもなくくれたんだよ。師匠さんがお金持ちだからって、甘える範疇を超えてると思うんだけど。でもね。だけどなんだ」
「そうだな。買ってやりたいのは山々だが、それは、大金貨が何枚必要かわからんような代物な可能性が高い。とりあえず、落とすなよ。壊すなよ。盗まれるなよ」
「ひぃ。またそんな犯罪を呼び込むような余計なオプションが! だけど、これは手離せないよ。どうしよう、どうしよう」
自分から抱きついておいて言えたことではないのだが、パドマからすがりついてきたので、ヴァーノンは、慌てて引き剥がした。冷静に、冷静に見えるように表情を取り繕おうとして、できそうもなかったので下を向いたまま言った。まだ確認しなければならないことができた。
「物がさわれなくなったお前は、どうやって着替えをしたんだ?」
聞かなくても答えはわかっていたが、パドマがどんな言い訳をするかに、興味があった。ヴァーノンは、それについて、とことん話し合わないといけないと思っている。
「あーねー。困ったんだよ。本当に。一応の努力はしたんだ」
パドマは、わかりやすく目を泳がせながら、逸らしていった。マズイ状況だという自覚はあるらしい。逃すまいと、ヴァーノンは追い込むことにした。
「自分では着替えができない上に、女性を近付けることができない状況だったな」
「そう。どうにもならなかったの。暑い時期よりはマシだし、風呂に入らないで我慢する覚悟はしてたんだけどさ。ちょっとトイレに行こうと思ったら、服が破けて裸になっちゃって、復帰できなくなっちゃったの」
パドマは、ふふふーと笑いながら、遠い目をした。はじまりは、確信犯ではなく、突然のピンチだったようだ。慌ててしまうと、判断力が失われるものだ。今まさに、ヴァーノンが慌てているから、その気持ちはわかる。
「ちょっと待て。次に、風呂にどうやって入ったと聞こうと思っていたのに、そのペースか。それはまったく大丈夫じゃないな。なんでそんな顔でいられるんだ」
「だって、もう、何日も前に諦めちゃったから」
「諦めるな。戻って来い」
「あの変態相手に、今更取り繕っても無駄なのは、わかってたしさ。諦めた方が早いのは、最初から、わかってたじゃん? そもそも服なんて着てたって、なんの意味もないんだから」
「変態? 変態って、何されたんだ。ちょ、あいつ、マジで殺す。なんで。諦めるな! 諦めるな! まだ大丈夫だから!! 俺が、なんとかするから」
「え? どうしたの? いや、今回は、何もされてないよ。着替えの時も、気を遣ってくれたみたいで、目隠しして出てきたし」
「目隠ししたら、着替えなんて手伝えないな? 見えないことを理由に、何かされたんだな?」
「違うよ。目隠しなんて、意味がないんだよ。師匠さんは、服の中身を透視できる人だから。服着て会っても、裸で会っても、目隠しして会っても、変わらないんだよ」
「は?」
「本人にそうと聞いたことはないけど、多分、そうなの。卵とか、真珠の中身もわかるし、前に変な像を作った時なんて、本人も知らないホクロの位置まで忠実に再現してたんだよ。引くよ」
「引くよ、じゃないだろう。なんでそんな人物と付き合ってるんだ。嫌じゃないのか。やっぱり、、、好きなんだな?」
ヴァーノンは、絶対逃がさないぞ、という主張を込めて、両腕をつかんで、パドマを正面から見据えた。パドマは、逃げ場を探して、キョロキョロと見回している。
「1番は、お兄ちゃんだから」
パドマは、泣き出した。向き合いたくない話題だったようだ。本人以外には、みんなに気付かれていることだと思うのに。
「家族愛と友情を除いたら、最上は、師匠さんだな?」
「他でそれ言ったら、死ぬからね」
パドマは首まで赤くしている。大分前から、ヴァーノンは気付いていた。嫁にやろうと画策するよりも、もっと前。偽物の夫婦になるよりも、もっと前から、そうだっただろう。師匠だけは触れるというところが、おかしかったのだ。わけのわからない理由を並べて納得していたようだが、素直に考えれば、それしか考えられない。とうとう本人も認める気になったらしい。自覚してなお、添い遂げる気はないようだが。
「絶対、絶対に、師匠さんだけは、ダメなの。嫌なの。誰にも言わないで。お兄ちゃんも忘れて。ウチをずっとお兄ちゃんの側に置いておいて。それが無理でも、師匠さんのところにだけは、やらないで。お願い。お願いだから」
パドマは、錯乱したように必死で、ヴァーノンに組みついてきた。ヴァーノンも組み付かれないように避けたのだが、負けた。パドマに手を上げられない以上、勝てないのだ。
「絶対、絶対、やだ」
「さっきまで、ずっと一緒にいたんだろう?」
「だって、人殺しになりたくなかったんだもん。他にどうしたら良かったの? 城壁を越えても、師匠さんはついて来ちゃうのに」
「そこまでされる程、想われているんだろう? 相思相愛じゃないか。まぁ、そうだったとして、あれにくれてやる気はもうないが」
「本当? 信じるからね。もうずっと離れないからね。勘違いしないでね。師匠さんは、ただお兄ちゃんに勝ちたいだけなんだよ。そんなんじゃないから。師匠さんが、そんなだったとしたら、お兄ちゃんもウチのことが大好きだから。違うでしょ? だから、違うの!」
「あー」
それに関しても、ヴァーノンとしては、まったくなんの根拠も自信もないのだが、パドマは頑なに信じてくれているようだった。ヴァーノンとしても、その信頼を裏切るつもりはないので、くっついてきたり、布団に侵入してきたりするのをやめて欲しいのだが、適切な断り方がわからない。ママさんは悪意をもって代わりを引き受けてくれないし、迂闊に拒否すれば、師匠に甘えにいくのは想像がつく。あれに渡す気はないのだから、引き受け続けなければならない。理性が溶けたら、すべてが終わる。
「嫁に出す気はないんだが、街の噂は、既に嫁に行ったことになっているぞ」
「マジか! また師匠さんと結婚しちゃったのか。いいかげんにしろよ、アーデルバード街民。成敗してくれる」
次回、パドマの情報操作術