181.試し斬り
パドマは、ハワードちゃんを1頭試し斬りした。やはりブーツ縛りで倒すより、剣を一振りする方が楽だった。師匠は鍛造だか鋳造だかの腕を上げたのか、新しいからなのか、切れ味も上がった気がする。長くなった分、重くなった分、腕にかかる負荷も増したが、その分、間合いがほんの少しだけ伸びた。ただでさえ短い間合いだ。大して変わらないとも言えるし、その違いが大きいとも言える。相手次第で、それは変わる。
「ふむ。この手首を持ってかれそうな手ごたえは、まだ覚えてるな」
前の剣を初めて振った日のことを思い出す。実際の長さは違うのだが、縦方向の広がりは、感覚的に近そうだった。後は、横方向の長さを覚えなければならない。護衛を付き合わせて練習をするのは、無駄が多い気がするが。
剣を振ると、血は消えた。曲がりもない。見た目だけではなく、物臭パドマ用に実用性も気にかけてもらっているようだった。樋の中身も汚れがないことを確認し、鞘に収めた。パドマは、ぼんやりとハワードちゃんの焼き上がりを待ち、差し出された肉をしとやかに食べた。
目隠し帽子をかぶり、階段を上がる。パドマは、まだサソリの口の鋏角を克服できていなかった。目隠しで戦うのは、ここだけではない。こういう時や、小さい相手と戦う時は、剣の長さがわからないと本当に困る。全力斬りに耐えられない刀身なら、話にならない。
見事な剣をへし折ってしまっては申し訳ないと思っていたのだが、むしろへし折ってザマァと言ってやるのもいいんじゃないかと思った。パドマは素人だ。師匠が使えば問題がなくとも、パドマが使えばしくじることもあるだろう。あの天狗は、なまじ自分ができるから、それに気付かないのだ。だから、それを思い知らせてやるのも面白そうだ。そう思って、先頭きって突っ込んでいった。
目隠ししているパドマは、相変わらず、相手がサソリなのか、サソリモドキなのかがわからない。護衛が教えてくれているが、同時にいろいろ言われても、何を言っているのか、わからない。護衛の言葉を聞き取るのは、面倒くさい。パドマは自由だ!
サソリの尻尾に狙われているような気配をビシビシと感じながら、尻尾に向かって飛び上がって、下腹部をスッパリ斬った。今の手ごたえは、変だった。今は斬撃が軽かった。調子に乗って、しくじっていた。叩きつけていない。半身捻ってぶつけただけなのに、硬いサソリが斬れてしまった。こんな具合では、慣れない剣を使った所為で、酸っぱい液を浴びちまったぜ、と文句を言うことができない。おかしい。パドマは、立ち止まって、考えた。
「危ない」「そんなところで止まるな」「こちらに来て下さい」外野が何かうるさいが、無視だ。腕をつかもうとしてくるヤツは、蹴り飛ばしておく。紅蓮華次期会頭が、神に触れるなど烏滸がましい、と言っていた。確かあのピンクの人は、名義だけは、パドマと並んで綺羅星ペンギンのトップだった。どこの誰だかわからないスタンリーよりは、偉い人に違いないから、その言葉を信じて蹴飛ばした。今、何かをつかみかけているのだ。邪魔をしないで欲しい。ハワードもおかしいと言っていた。何がおかしかったのか。オオエンマハンミョウだ。オオエンマハンミョウを踏み潰したのを変だと言われたのだ。ならば!
パドマは、唐突に動き出し、護衛を無視して隣の部屋に行くと、敵をスパスパと斬り捨て始めた。全力斬りなどしなくても、腕の力だけで、面白いくらいに簡単に斬れた。
「勝手に行くな! 危ねぇ」
「ハワードちゃん、見て見て。サソリが簡単に斬れるようになったの! とうとう念願叶って、ギデオンの腕力を超えたよー」
パドマは、うふふと笑いながら、サソリを斬った。
「そんな訳あるか!」
「鍛え直して、超え直してみせます!」
ハワードは頑なに認めようとしないが、ギデオンは信じてくれた。次に何かあったら、リーダーはギデオンにしよう、とパドマは思った。ギデオンは、脳筋だが、いいヤツじゃないか。
「はははははは。挑戦はいつでも受けてやろう」
パドマは、上機嫌でサソリを斬り捨てると、護衛の上に山積みして帰ることにした。
サソリを積み上げ過ぎたのが原因だろう。パドマが走ったら、護衛は誰もついて来なかった。だが、問題ない。分け前なら、後でもらえるし、忘れられてもらえなくても構わない。このまま帰れば、唄う黄熊亭の給仕に間に合う。ヴァーノンに褒めてもらえるかもしれない。パドマは、スキップして帰った。
「ただいま。開店より早く帰ってきたよ」
パドマが上機嫌なまま店に戻ると、やはりヴァーノンは怒っていた。本人は否定しているが、パドマが嫌いだからだろう。もう好かれるのは諦めて、金を貢げばいいや、と決めたので、パドマも気にしない。胸が苦しくなっているが、気にしない。
「今まで、どこに行っていた」
「ダンジョンだよ。稼ぎは持って帰って来なかったけど、トカゲと羊を食べてきたの」
今日はケガをしなかった。だから自信満々答えたのに、ヴァーノンの吊り目が直らない。
「違う! 無断外泊のことを聞いているんだ」
「それは、お兄ちゃんには言えないよ」
「なんでだ!」
「どうせ、また覚えてないんでしょ。お兄ちゃんってさ、すっごい酒癖が悪いんだよ。酔っ払うと、執拗にウチのことを追いかけ回してきてさ。抱きついてきて、ひどい、こと、して、くるんだよ? それが嫌で逃げたのに。お兄ちゃんに隠れ場所教えたら、次は追いかけてきて、追い詰めるの? そのために、聞くの、か」
「な?!」
パドマは、本気で困った顔をしていた。2人は周囲に理解者のいない仲良し兄妹だが、パドマには、まったくその気はない。それを理解しているのに、普段はなるべく側に寄せないようにしているのに、自分は何をしてしまったのだろうかと、ヴァーノンは蒼白になった。
「嘘じゃないよ。イレさんちでお酒飲んだその後の記憶、スコーンってないんでしょ?」
「、、、ない」
「だから、教えない」
「わかった、、、もう酒は飲まない。悪かった。どこに泊まったかは、聞かない。でも、いや、いい」
「好きなんだから、飲めばいいじゃん。正体失うほど飲まなきゃいいんだよ。最悪、ウチは逃げるし、問題ないよ」
「問題大アリだ! ちゃんと帰って来てくれ!!」
「なるべくね」
パドマは、布巾を手にテーブル拭きに行った。
コロッケのおっちゃんとポテトグラタンを食べ、味噌煮のおっちゃんとサバ味噌チーズ焼きを食べ、牛すじのおっちゃんと牛すじ肉の赤ワイン煮込みチーズがけを食べ、、、。いつものようにパドマは、唄う黄熊亭で給仕という名のつまみ食いに精を出していた。まだまだパドマのお腹は腹2分目程度なので、虫のおっちゃんやワインのおっちゃんのお誘いも募集中なのだが、彼らは、ヴァーノンに組みついて、酒を飲ませているばかりで、呼んでくれる気配はない。パドマの所為で、ヴァーノンから酒を取り上げることにならなくて良かった、と胸を撫で下ろしつつ、立ち飲み客の注文を取りに行った。
「え、英雄様っ、あの、英雄様の今日のオススメは、なんでしょうかっ」
「おすすめ? 白菜と大根の漬物と、ストンシブリムの煮付けかな。悪いけど、酒は飲まないから、わからない」
「では、その両方とっ、エールをお願いしまっす。それで、もしよろしか」「魚は高いよ。いいの?」
「はい。構いません。こう見え」「わかった。小銀貨2枚と大銅貨9枚ね」
「はい。それでですね」「毎度あり。持ってくる。ちょっと待っててねー」
「はい」
立ち飲み客の1人から注文をとり、マスターに伝えに行く途中で、飲み客になっていたハワードに声をかけられた。
「姐さん、ちょっと酔い覚ましに動きたい気分だから、料理運びを手伝わせてくれ」
「えー? 大丈夫? なんか目がすわってるよ。座ってなよ」
「目付きが悪いのは、生まれつきだ。白蓮華で鍛えた笑顔の使い時は、今しかない。やらせてくれ」
ハワードは、今にもパドマの肩をつかんできそうな勢いでにじり寄ってくる。パドマは店の体裁よりも、逃げ出すことを選んだ。
「わかった。運ぶだけだよ。注文を受ける時は呼んでね」
「しょーち。仕事ができた。行くぞ!」
「「「「「おお!」」」」」
ハワードと同じ席で飲んでいた、男5人が立ち上がった。酒が入っているからか、鼻息が荒い気がする。店内が、暑苦しくむさ苦しくなる予感しかしない。
「ええ? 全員? そんなに注文取ってないよ」
仕方がないから、ルイにエールの注ぎ方を教え、パドマは、注文をバシバシとって行った。
そんなことをしていたら、イレが、師匠を抱えて入店した。まだ師匠は萎れているようだ。あの2人なら、注文を取らなくても料理を運べる。蓮根餅とフラウンダのフリッターとローストヒクイドリとエールと果実水を2つおぼんに乗せて、いそいそとパドマはイレの席に持って行った。
「ツケといて」
イレは、気前よく大銀貨を1枚くれた。唄う黄熊亭は、そんなに安い店でもないが、大銀貨1枚あれば3人席でも3日くらいは飲み食いできる。イレは大銀貨にハマっているらしく、最近は、財布の中は大銀貨でいっぱいにしてるらしい。
「まいどー」
パドマは、マスターのところにお金を持って行ってから、席についた。こっそりスフレオムレツを追加しているが、金持ち父さんは、そんなことでは怒らないから、問題ない。立ち飲み客の方から謎の視線を感じるが、きっと師匠に見惚れているのだ。罪な男だ。どうしようもない。それで売り上げが上がるなら、パドマは師匠の性別も性格の悪さも、シラをきりつづけるつもりだ。
「師匠さんは、どうしちゃったの」
「わからないんだ。家に帰ったら、ソファと一体化して、動かなくなってるのを見つけてね。パドマを見たら元気にならないかと思って、連れてきてみたんだけど」
「そんなこと言われても、ウチにはどうにもできないよ」
そう言いながら、パドマはローストヒクイドリをフォークに乗せて、師匠の口のそばに近付けている。イスにちょこんと座って、うつむいてフリーズしていた師匠が、フォークをくわえた。
「わ、食べた。おもしろーい。蓮根でも食べるかな。食べた! 師匠さんが、肉じゃないものを食べたよ!」
「パドマも楽しそうで良かったよ。折角だから、野菜いっぱい詰めちゃって」
「うん」
パドマは、ハワードに注文して、じゃんじゃん白菜と大根の漬物を師匠の口に詰めた。ヴァーノンが樽に5つも漬けてしまったので、邪魔になっているのだ。パドマはカブを漬けたいため、1樽なくすまではオススメは白菜と大根の漬物を変えるつもりはない。間に肉休憩も挟んだのに、すっかり師匠はスネて、口を開かなくなってから、パドマは鼻先にペンギン財布をぶら下げた。財布が右に左に揺れるに合わせて、師匠の瞳が動いている。
「良かったら、あげる。同じ財布をいつまでも使ってなくていいよ。折角、別嬪さんに生まれたのに、ボロボロ財布じゃガッカリでしょ。剣をくれたお礼」
パドマがそう言うと、師匠の白かった顔に赤みがさし、頬が薔薇色に染まった。おお、顔が元に戻ったぞ、と観察していたパドマは、すっかり油断していた。
「うぎゃあぁあああ!」
パドマは、前からは師匠に抱かれ、後ろからはヴァーノンに抱かれていた。今日も、パドマは外泊が決定した。飲食店だというのに、助けに入った綺羅星ペンギン従業員はヴァーノンに叩きのめされ、イレがヴァーノンを連れ去った。ママさんが、博士のおっちゃんに出す予定のカミツキガメの唐揚げを持ってきてくれたら、師匠はパドマから離れて食べ始めた。なんとか収拾がついた。手伝いは、手伝いにならないかもしれない。パドマは、ようやくそれを認めて、部屋に下がらせてもらった。まだお腹は5分目なのに、空腹に枕を湿らせて眠ることになった。
味噌と醤油は封印する予定だったのに、そういえば味噌煮のおっちゃんというキャラクターがいたことを思い出して、解禁。
次回、師匠の弟子。