170.カッパ
「なんで、こっちで寝てるんだ」
思った通りだった。起きると何もなくても、ヴァーノンは睨む。余程、パドマに寝ていて欲しいのだろう。久しぶりのベッドでの休息だった。外が白もうと気にせずに惰眠をむさぼりたいパドマの気持ちが、ヴァーノンに伝わったことがない。ヴァーノンは、目が開いたら、とりあえず仕事を探す派なのだ。見た目だけでなく、中身までまったく似ていないのが嫌で仕方がないが、パドマがヴァーノンに寄せるつもりはない。できる気がしない。
「知らないよ。お兄ちゃんが、寝かせたんじゃないの?」
「そんなことはしない。寝ながら、こっちに来たのか。で、いつ風呂に入ったんだ? 朝になったら、用意してやる予定だったんだが」
「知らないよ。お兄ちゃんが、洗ったんじゃないの?」
「お前は、いくつだ。もう一緒に風呂に入るのは勘弁してくれ、と言ったよな?」
「聞いたよ。だけど、寝てる間にお兄ちゃんがしたことまでは、責任は取れないよ」
パドマは、ヴァーノンを真っ直ぐ見据えて発言している。隠し事をしたり、誤魔化したりしている様子はない。事実ではないにしろ、本人はそう信じているのだろう。ヴァーノンは、会話を諦めて、パドマの髪をなでた。
「触っても、嫌じゃないのか?」
「そういえば。お兄ちゃんが、やっと本物に戻ったんだね」
パドマは、まったく気付いていなかったので、嬉しくなって抱きついたが、ヴァーノンに腕を外された。
「朝食を用意する。何を食べたい?」
「焼肉」
「わかった。好きなだけ、ぼんやりしてろ」
ヴァーノンが部屋を出たら、パドマも起きて、シーツと上掛けを抱えて、洗濯に出かけた。早急にドロドロベッドを回復させておかねば、今晩寝る場所がない。またヴァーノンのベッドに入れてと言ったら、怒られそうな予感がする。以前は、寝相が悪いから嫌だと言いながらも、駄々をこねれば入れてくれたのに。嫌われてしまったから、もう入れてもらえないのだ。
焼肉だと言ったのに、朝食はカドの丸焼きになった。在庫処分だから諦めろと言われ、パドマは黙々と食べた。カドなら煮付けて欲しかったが、なんでも丸焼きにしてしまうのが、ヴァーノンである。このままでは、料理人としては多大な問題があると思うのだが、失って欲しくない兄らしさだな、とパドマは思った。
綺羅星ペンギンと縁を切ってしまったヴァーノンは、弁当屋の仕事を失った。商家の仕事は、辞める気満々だ。だから、今日は2人でダンジョンに行くことにした。生死を確認していないが、師匠への償いのお金を稼ぎに行かねばならない。
ガチ稼ぎをしたいなら、12階層から17階層にかけて、駆けずり回ってトカゲ蛇皮祭をするべきか。どうせヴァーノンと行くなら、カニと言う名のヤドカリを食べさせてあげたい気もする。
償いをするという話なのに、もう煩悩にまみれている神が表に出ると、ロープで縛り上げた師匠を踏み付けているイレが立っていた。
「ちょっ、、、イレさん、何やってるの? 師匠さんが、可哀想だよ。やめてあげてよ」
パドマは、駆け寄ろうとして、ヴァーノンに腕をつかまれた。
「危ない。行くな」
「いや、でも、だって、あからさまにイジメられてるじゃん。可哀想だよ。イレさんは、時々、師匠さんをイジメるんだよ。怒るのと、イジメから助けるのは別問題だよね。やだよ。やだよ。やだよ!」
パドマとヴァーノンが揉めていると、イレが師匠を蹴った。少し前に落ちた師匠は、キレイな顔のままだったが、まぶたは閉じられていた。
「師匠が大変ご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。なんとお詫び申し上げてよいものか、言葉も御座いません。
理由はまったく理解しませんでしたが、厳しく注意し、二度と人物像を作らないことを約束させました。
反撃は、全て私が封じます。お気の済むように、ご自由に処罰を与えてください」
イレは、礼をした。それを見たヴァーノンは、パドマの手を離し、剣を抜いた。切れる方の剣だ。
「そうですか」
パドマは、腕の件だけで、本当に後悔しているのだ。生きていただけで、安心した。これ以上、ひどい目にあって欲しいとは思っていなかった。
「やめて!」
ヴァーノンを止めに行く道を、イレにふさがれた。右に避けても左に避けても、前に立ち塞がれるから、師匠を助けに行けない。何より大切だと言っていたのに、イレは師匠をヴァーノンに渡してしまった。
「なんで? 誰より大事なんじゃなかったの」
「パドマを泣かせることしかできないなら、死んでしまえばいい。もともと師匠は、死んでたんだから」
イレは、悲しそうな顔をしている。絶対に本心ではないのに、パドマのお願いを聞いてくれないらしい。イレの気持ちを変えなければ、パドマはこの壁を越えて、師匠を助けに行けない。
「何言ってるの? やだよ。どいてよ。お兄ちゃんを人殺しにしたら、許さないから!」
「ああ、その汚名は、お兄さんが引き受けるから、気にしなくていい」
イレは、優しい声で言うだけで、退いてくれない。スピードでもパワーでも勝てないから、突破できない。
「盛り上がっているところを申し訳ないが、こんなもんで、どうだ?」
師匠の前で座り込んでいたヴァーノンが、パドマの方を向いた。イレが壁になるのをやめたので、横をすり抜けていくと、師匠が無残なことになっていた。
「やだ! 元に戻して!!」
師匠は、大分広めに月代を剃られていた。おでこから頭頂部にかけて、ふわふわがなくなってしまっていた。
「なんてことをしたの? 可哀想だと思わないの?」
腕を切り落とすよりは寛大な処置かもしれないが、これも可哀想だ。師匠の最大の長所は、可愛い顔である。それによって、みんなというか、パドマになあなあと許されているのに、見た目を悪くしてしまえば、こんな性悪は生きていけないかもしれないのに。
「殺しても足りないのが本音のところを、これで済ませたんだ。甘い処分だろう。髪なら、そのうちまた生える。腕も生えてしまったようだが」
「え? あ、本当だ。お兄ちゃんが斬ったように見えたけど、見間違いだったんだ。良かったー」
パドマは切れたと思しき部分を触ってみたら、しっかりと繋がっているようだった。これで、罪悪感が大分なくなった。
「いや、間違いなく斬ったぞ。義手にしては、随分と精巧だな」
ヴァーノンは手に取って眺めたが、色艶触り心地、動作まで本物のようにしか思われなかった。
「ごめんね。パドマにイジメられたんだと勘違いして繋ぐ手伝いをしちゃったんだ。そんなことなら、右手と左手を間違えて、反対にくっつけてやれば良かったよ」
「いやいや、1回取れた腕はくっつかないよ」
「師匠は、くっつくんだよ。だから、死んだのに生き返っちゃったんだ」
「絶対、それ、イレさんの妄想だから。あ、剃ったところがショリショリしてて、面白い。ふふふー」
起きてからでは触れないと思い、触ってみたら、気に入ってしまった。パドマがしつこく撫で回していたら、師匠がピクリと動いた。そろそろバレてしまうからやめた方がいいのだが、手が離れないので撫で続けた。師匠が上を向いたから、目があった。
「!!」
人の顔を見て、笑ってはいけない。パドマは、ヴァーノンにしがみついて、耐えた。耐えた。耐えられなかった。
「くくくく」
ヴァーノンも、イレも大笑いこそしないものの、口元がニヨニヨしていた。師匠は、何が起きているのかわからなかったので、キョトンとしていた。
だが、パドマは、師匠から顔を背けていた。ヴァーノンにくっついて震えているのが、師匠は気に入らなかった。他の誰かならいいが、ヴァーノンだけはダメだ。裾を引っ張っても、意地でもパドマは師匠を見ない。だから、起き上がって、蝋板を2人の間に差し込んだ。
パドマは、師匠を視界に入れないように気をつけて、渡された物を見た。いつも師匠が使っているものより、ちょっと大きい気がする蝋板だった。フタを開いてみると、師匠のキレイな手跡があった。
『綺麗だから見せたらいいと思った。実物でなければ問題ないと思った。嫌な理由がわからない。だけど、もう作るのはやめる。失いたくない』
師匠が何を考えてあんなものを作ったのか、パドマには、まったく理解できない理由が綴られていた。
「発想のベクトルが、まったく違うな」
ヴァーノンも、蝋板を見て、顔を歪ませている。
「実物を見せているのと変わりない、と思っていただきたい。キレイだからこそ、見せられない」
「お兄ちゃんも、兄バカ全開だな。もう本っ当にやめてね。ぜった、、、」
話しかける相手を見るクセが出て、ついうっかり月代を視界に入れてしまった。
「っふふ。これ、ウチへの罰ゲームなんじゃないの? っくく。お腹痛い。ひーっひひ。もう帽子かぶって! 無理!! あははははははは」
パドマは、堪えきれずに地面に転がった。
切れた断面がどうなったかは見えないが、師匠の手が不自由なく動いているように見えたから、安心したら、タガがはずれてしまったのだ。
何を考えたのか、師匠は縄抜けをしたロープを手でざっくりと編んだ帽子を被ったので、編み目が大き過ぎて何も隠れていなかった。パドマは、一生分笑った。
「お腹痛い。筋肉痛になった気がするんだけど、この苦情は誰に言ったらいいんだろう」
お腹が苦しくて仕方がないので、ひとまず師匠には、パドマの目も出ない覆面帽子を被せた。すると、ようやく師匠も、自分の頭の惨状に気付いたらしく、かぎ針を出して編み物を始めた。尋常でないスピードで花柄のレースニット帽を2つ編み上げ、パドマと師匠の頭に被せた。そんな状況なのに、自分用より先にパドマ用を編み上げてしまう神経がわからない。帽子を被った上で、下から出ている毛の量から頭頂部が連想できてしまい、パドマはもう腹筋が崩壊しきっている。別行動をしたいのに、編み物をしながらくっついてくるのが困った。
「家で編み物してなよ」
と言ってるのに、どうしてもとついてくる。笑いが止まらなくて、断り文句を言うのも難儀した。
笑いすぎで1人で歩くのも難儀しているパドマと、涙目で編み物をしている師匠と、パドマをぶら下げて動くのも難儀しているヴァーノンと、いつも通りヒゲでもじゃもじゃのイレの4人で、ダンジョンに入場した。まともに戦える人員はほぼいないのだが、みんな片手間で、敵を殴り飛ばし蹴り飛ばして進んで行った。
「今日は、何階層に行くの?」
「師匠さんに支払うお詫び金を稼ぎに行くつもりだったんだけど、なんか面白くなっちゃったから、どうでもよくなってきちゃった」
「パドマが詫びることなんて、何にもないよ。師匠なんて、一生ハゲてればいい」
「忘れたいのに、言わないでっくくくく。もう本当に、腹筋割れちゃうふふふ。痛いいたい」
「前は、64階層まで行ってたよね。実は、あの次の階には、美味しいカニさんがいるんだよ」
「うん。食べた。知ってる。でも、あれはヤドカリだよ。ヤドカリ味だったもん」
「そっか。もう行ったんだ。じゃあ、66階層は行った? あそこにも美味しいのがいるんだけど、多分、パドマは怒るから、行かない方がいいと思う」
「そうなんだ。じゃあ、今から行こうかな」
「なんでなの?」
「行くなって言われると、行きたくなる生き物だから」
「絶対、やめた方がいいよ。お兄さんは、止めたからね」
「どうせ行くなら、お兄ちゃんと一緒の時に行くのが無難だよね」
「よし、言ったな。そこまで言うのなら、連れて行ってあげよう。パドマ兄、パドマを抱っこして!」
「はぁ」
ヴァーノンがパドマを抱き上げると、イレは、ヴァーノンを抱き上げ、走り出した。
「しゅっぱーつ!」
「嘘でしょう?!」
3段重ねで走るイレの後ろを、師匠はヤマイタチを頭に乗せて、編み物をしながらついて行った。
次回、ダンジョン