169.夢の中
黒茶のお兄ちゃんが、博識な殺人鬼。茶色いお兄ちゃんが、ただただ優しい人。ずっとそう思っていた。なのに、茶色いお兄ちゃんは、可愛い師匠を斬ってしまった。素晴らしい神のような多芸な腕が、失われてしまった。あの腕は、パドマの命より価値があったと思う。だからパドマは、ヴァーノンを焚きつけたことを後悔した。
パドマは目を覚ますと、自室のベッドで寝かされていた。隣のベッドでは、ヴァーノンも寝ている。だから、目を開けても、誰にも睨まれてはいなかった。
パドマは部屋の窓を開け、飛び降りた。我ながら、上手に着地したと思った。物音も立てなかったし、足裏に衝撃も感じなかった。重さがないかのように、ふわりと降りたのだ。こんな着地ができたなら、護衛に気付かれることもなさそうだが、そもそも今日は護衛がいないようだった。パドマは、気付いた。これは夢なのだ。それならば、そんな不思議は不思議でもなんでもない。パドマは、そのままふわーりふわりと半ば空を飛ぶように、師匠の定宿雨宿り豚亭に師匠の様子を見に行った。
パドマは月を見ても、今の時刻はわからない。だが、それなりに遅い時間のようだった。どこもかしこも灯りがない。折角、空を飛べるようになったのに、誰もいないのはつまらないなぁ。そんなことを考えていたら、宿屋に着いた。もう遅いから、戸締りをされていて、中に入ることはできない。ふわーと浮いて、師匠の部屋の窓を引っ張ってみたら、開いた。だが、中に生物反応はなかった。パドマは、窓を閉めて、地面に降りた。
夢だから、どこにいてもいいだろうに、そう上手くはいかないらしい。腕がなくなってしまったのだから、ダンジョンには行かないだろう。ならば、もうイレの家くらいしか当てがない。
師匠に教えてもらった鍵開け技術で不法侵入を果たすと、2階からイレが降りてきて、速攻で見つかってしまった。
「イレさん、こんばんは」
「こんばんは。こんな時間に、何やってるの? 遊びに来ていいのは、昼間だけだよ」
「えー。夢の中まで、それなの? 面倒臭いー。それより、師匠さんいる? 探してるの」
「いないよ。早く帰って」
イレは、いつもと同じくらい口うるさくて、いつも以上に冷たかった。パドマに隠し事をしても、騙されてあげられないのに。
「え? じゃあ、今客間にいるのは、誰なの? ?! まさか、とうとうイレさんにも彼女が! そっか。夢の中くらい幸せでもいいよね。おめでとう。そういうことなら、お邪魔虫は帰るよ。おやすみー」
パドマが帰ろうとしたら、客間のドアが開いた。白いふわふわがはみ出て、可愛い顔が覗いた。
「なんだ。やっぱり師匠さんじゃん。良かった、生きてて。ごめんね。ウチの所為で、大事な腕がなくなっちゃって。、、、どうしたら償えるかな。その相談に来たの」
パドマは、堪えきれずに涙を流した。夢の中の師匠が元気でも、あまり意味がないことに気付いたからだ。夢の師匠は、腕も元通りに2本くっついていた。部屋から出てきて、パドマを優しく抱いて、頭を撫でてくれた。夢の中で許されても、何の意味もない。ズルい自分の見せる、ただの願望の映像にすぎない。師匠があまりに優しいから、余計に悲しくなってしまう。
「優しくしないで。怒られに来たんだから」
そう言いながら、パドマは卑怯にも、ぐすぐすと泣いた。夢でも何でも、可愛くて優しい師匠が大好きだった。そんなつもりはなかったのだ。ただ、変な像を作らないでくれたら、それで良かった。そういう決着を望んでいたのに、そうはならなかった。でも、ヴァーノンは責められない。確かに問答無用で像を作れないようにするならば、腕をなくすのが、手っ取り早い。パドマの希望を叶えようとしてくれただけだ。だから、それをヴァーノンに頼んだ自分が悪いことは、わかっている。
「ウチは、どうしたら許される? 何をしたら、償える? 師匠さんの腕の代わりにはならないのはわかってるけど、何でも頑張るから、何かないかな」
師匠は、蝋板を出して、首を傾げた。高性能計算機を使って、パドマには思いもよらない名案を出してくれることを、パドマは願った。
師匠は、はっと思いついた顔で、スラスラと蝋を削った。パドマが期待して見ると、『イスに座りたい』と書かれていた。名案でもなんでもなかった。パドマは、どうぞと言うしかなかった。
リビングに移動すると、師匠はソファに座ったので、パドマは反省を見せようと、その足下の床に座った。
「イスに座ったら?」
師匠の対面に座ったイレが呆れたような声をかけて来たが、パドマはそちらを見ずに答えた。視線は、師匠に固定している。
「いいの。そんな資格はないから」
イスに座った師匠は、うんうん唸りながら、一生懸命に考えているようだ。何かを思いついては却下しているのが、表情を見ているだけでわかる。自分の立場も忘れて、パドマはそれを可愛いなぁ、と見ていた。
『何をお願いしても、怒らない?』
イスに座りたいの下に、文字が増えた。
「覚悟はしてきた。できないことでも、努力はする。それでもできなかったら、謝るしかできないんだけど」
一応、頑張ろうとは思っているが、代わりに生活費を稼いで来いと言われても、師匠の稼ぎに匹敵するような金額は、パドマには身を粉にしても用意ができない。できるのは、財布の中身を全額渡すが上限だ。それで許してくれるなら、炊き出しをやめて、毎日ダンジョンに通うくらいはする。炊き出しの支出がなくなれば、一応、それなりに稼いでいる方だと思う。
『本当に、怒らない?』
「くどい! 絶対だ。約束する」
『いつでもどこでも、抱っこさせて』
「は? 何書いてるの? え? それがウチの深層心理の欲求とか言うなら、死にたいんだけど。そんなのウチの罰ゲームにはなっても、師匠さんには何の足しにもならないよね。、、、そっか。めちゃくちゃ怒ってるから、とりあえず嫌がらせをするのか。わかったよ。それで、後は、何をすればいい。本命を教えて」
師匠は、信じられないものを見るように、パドマの顔を見た。
『何故、怒らない?』
「嫌がらせじゃなくて、ウチを怒らせて、話をそこで終わりにするつもりだった? そうだよね。許せないもんね。それで、その要求か。納得しかないわー」
パドマは納得した。納得したから、帰ることにした。自分に置き換えたら、わかる。許せない。当然の答えだ。この上は、顔を見せないようにして、宿代をこっそり払い続けたり、知られずに償うのがいいだろう。夢で良かった。現実の師匠に甘える前に気付いて良かった。
パドマが立ち上がると、師匠は手を伸ばしてきて、パドマをひざに座らせた。
「何をしてるのかな。ウチは、もう帰るんだけど」
パドマは、少しキレぎみに吐き捨てると、師匠は『本当に怒らない?』を指差した。その文字を見て、パドマはゲンナリした。
「夢の中でまで、嫌がらせしてくれなくていいのに。あーあ」
パドマは観念したのだが、師匠は、パドマをロープでミノムシにして、去って行った。
「師匠は許したみたいだけど、お兄さんは許してないからね」
師匠が居なくなると、イレがボソリと言った。
「うん。わかった」
さっき、師匠はいないと聞いた時に、それは気付いていた。パドマも、ヴァーノンがそんな目に合わされたのなら、そう思えばわかる。許せるわけがない。想像だけでも、全身が焼けそうだ。
「パドマは、そんなことをする子じゃないと思ってた。なんで急に、あんなことをしたの?」
「ウチにも、わかんないよ。きのこの神だって、ちょっと冗談を言ったら、神殿作るぞって工事が始まっちゃったの。そんなものは作って欲しくないけど、上司だから炊き出しして、支援してるつもりだった。ウチしか頭がいないって言うから、わからないなりに現場を見て回ったの。そしたら、ウチの等身大の裸の石膏像が出てきたんだよ。すぐに叩き壊したよ。あんなものを神殿に置いて、見せ物にされたらたまらないから。師匠さん作のクオリティが、どんなのかわかる? もう生き写しなんだよ。裸で外歩くのと、変わらないよ。色をつけたら、どっちが本物かわからないくらいだったの。だから、やめてってお願いしたのに、神様なんて裸が普通とか、芸術は自由だみたいなことしか言わないし、数日で第二弾を作ってくるんだよ。やだって言っても、全然伝わらなくて、気がついたら、腕がなくなっちゃって」
パドマは、またぐすぐすと泣き出した。自分じゃないから痛くはないのに、腕が取れたのを見た時、本当に恐ろしかったのだ。思い出しても、恐怖が走る。償う側なのだから、泣いてる場合ではないのだが、それでも怖い。取り返しがつかないのが、怖い。
「師匠のクソ野郎。腕をくっつける手伝いなんかしなけりゃ良かった。もう一度、腕を取ってやる!」
イレが立ち上がると、師匠は戻ってきて、ぐるぐる巻きのままのパドマを抱いて連れ去った。
着いたのは、風呂場だった。
さっき師匠が、パドマに抱きついてこなかったのは、パドマが汚かったからなのだろう。何日風呂に入っていないか、わからない。夏の暑い中、数日城壁外で暮らしたドロドロのままなのである。夢の中くらい、キレイな身体でキレイな服着てろよ、と思うのだが、しょうもない部分だけリアルが追求されている夢だった。夢の中まで、臭くて人に迷惑をかけるとか、もういろいろ終わっている。
師匠は、パドマの髪紐を取ってほぐして、頭からザパッと豪快に湯をかけた。剣帯は忘れてきたし、どうせ夢だし、懲罰だし、そう思ってパドマは黙って座っていると、師匠は鼻歌まじりにパドマの頭を洗い始めた。
何度かざぶざぶと湯をかけられると、簀巻きのロープを外された。その勢いで、びしょびしょの上衣も1枚はがされた。パドマは暑い日が続いても、重ね着をして暮らしているので、1枚くらい脱がされても困らない。1番上の服にスリットが入っているため、2枚目も見せる服である。だから、どうということもないのに、イレが怒った。
「師匠、アウトだ。ちょっとこっちに来い」
師匠は、イレに引きずられて、外に行ってしまった。戻って来られると困るので、パドマはそのままの格好でしばらく待っていたのだが、家の中から人の気配がなくなった時点で、普通に風呂を借りることにした。
師匠がいないと着替えがない、と出る段になって気付いたのだが、風呂の隣の部屋に、濃藍のお揃い服が置いてあった。相変わらず、全身ぴったりサイズだった。森暮らしをして少し痩せたのに、それに合わせて仕立ててあった。師匠はやはり、真性のド変態だった。
パドマは、片付けをして、しばらく待ったのだが、2人とも帰って来ないので、帰った。空が飛べるので、絶対に夢だと思うのに、なかなか目が覚めない。どうしたら起きれるのかわからないので、寝ることにした。パドマのベッドはドロドロなので、ヴァーノンのベッドに入れてもらった。
次回、謝罪