162.年1チーズ
最近、師匠にまかれてばかりいたイレが、師匠と一緒に立って待ち合わせ場所にいた。とても顔色が悪い。
「どうしたの? イレさん」
「お兄さんは、何もしてないよ。食べてないよ。だけどさ。師匠が」
そこまで話すと、師匠がイレを蹴飛ばして、どこかに吹き飛ばしてしまった。用事を言いつければ簡単にまけるイレなのだが、最終的には、実力行使でまいていたのがよくわかる光景だった。
「ちょっと、師匠さん。何やってるの? 危ないでしょ。イレさんの着弾点に人がいたら、どうするつもり?」
パドマは、イレを追いかけようと走り出そうとして、師匠のサスマタに捕獲されて、ダンジョンに連れ去られた。
一気に62階層まで連れて来られてしまい、護衛もまかれてしまった。自分の足で、今から帰り始めても、どうにもならない。だから、諦めて貝拾いを始めたのだが、師匠は、ヤマイタチを誘拐して、どこかへ行ってしまった。師匠と2人きりは嫌なのでそれは良かったのだが、久しぶりの1人は少々寂しかった。それでも、お金を作るため、アクセサリーを作るためには、貝拾いをしなければならない。黙々と拾っていたのだが、すぐに素材回収袋はいっぱいになってしまった。ヤマイタチを誘拐されてしまったのが、痛い。あっちに大きな袋が入っているのに。
ぼんやりしていても面白くないので、63階層に下った。
63階層のチヌイを見ると、食べられてしまいたい熱が起きる。あの口に入ってしまえば、全てから逃げられる。甘美な誘惑にも思えたが、次から次へと斬って歩いた。魚になりたい欲求は、芽生えなかった。だから、見かけたものを片っ端から斬り捨てた。少しも心のモヤモヤは消えなかったが、下り階段を見つけた。
64階層は、色彩豊かだった。赤や青、黄色に緑。桃色に白に黒。ありとあらゆる原色が氾濫する世界だった。靴くらいの大きさの沢山のカラフルなナメクジが泳ぎ回っていた。
「カワイイ」
階段から降りてすぐのところにいた、白地に黒斑点のうさぎのように見えるゴマフビロードウミウシに、パドマは、手を伸ばした。が。
「やめーーーーー!!」
突如として上から降ってきたイレに、袖を後ろに引っ張られて、パドマは転ばされた。
「いたたたた。イレさん? 大丈夫?」
階段上で転んだパドマもそれなりに痛かったが、イレは降ってきた勢いのまま、フロアに落ちていってしまった。ただ落ちただけでも痛いだろうし、64階層にいるウミウシやオニダルマオコゼは、毒持ちなのである。刺されると危ないというか、多分死ぬ。
「パドマは、無事?」
背中から豪快に落ちたイレは、ぴょこんと一息に立ち上がった。ぱっと見は元気そうだが、毒の即効性までは、パドマは知らない。
「ウチは、階段にいるから大丈夫だけどさ」
「そっか。それは良かった」
「よくないよね。思いっきりウサちゃんを吹っ飛ばしたし、刺されてない?」
「う、うさちゃん? ごめんなさい。どこに行っちゃったかな。探す! どんなの?」
イレは、青い顔でキョロキョロと周囲を見回した。レッサーパンダを仇なすと、殺されてしまうという話だった。だとしたら、ウサちゃんの仇は、どうなってしまうのか! やらかしたヴァーノンは今のところ生きているが、ヴァーノンとイレでは好感度が雲泥の差だから、参考にならない。そうでなくとも、うなされるパドマは可哀想だった。あんなものは見たくないから、イレは、必死で探した。
「イレっさぁああんっ! ダメじゃん。ちょ。どうしよう。助けて!」
パドマは、あちらこちらを見回すイレの背中に、岩っぽいものがくっついているのを見た。きっとオニダルマオコゼである。タコのように吸盤でくっつく生き物ではないから、毒針が突き刺さっている可能性がある。
「え? どうしたの?」
イレは、階段のところまで戻ってきた。その際に、歩く途中でオニダルマオコゼは、床に落ちた。だが、刺さっていたなら、取れても変わりはない。
「イレさんの背中に、毒針が刺さってた!」
「え? 毒針? やだなぁ。そんなの刺さってないよ。お兄さんを騙そうったって、そうはいかないよ」
一応、背中を手で探って、イレは笑った。
だが、パドマは信じられなかった。さっきこの目でオコゼがくっついているのを見たのだ。イレの背後に回ってみると、たいして目立たないが、服にいくつかそれらしい穴が空いていた。
「やっぱり、刺さってたじゃん! 麻痺して痛くない系の毒じゃなかったと思うんだけど。覚え間違いかな。師匠さんは、どこ? もうイレさん、やだ。助けて!」
「師匠? 師匠なら、60階層にいたよ。こっちこっち」
パドマは要救助者に案内されて、師匠の下へ急いだ。
60階層まで戻ると、パドマは、料理に勤しむ師匠を発見した。もう既にテーブルに並べられた料理もあり、とても美味しそうな匂いが漂っている。朝ごはんも食べていないことだし、全てを忘れて食事にありつきたいところなのだが、そういう訳にもいかない。
「師匠さん! 本人は否定するんだけど、イレさんにオニダルマオコゼの毒針が刺さったの。背中! た、す、け、て!!」
ここまで全力で走ってきたパドマは、言いたいことを言い終えると、その場に崩れた。師匠は、キョトンとした顔のまま立ち上がると、イレの背後に歩みより、イレの服を引き裂いた。背中には、赤い点々が5つほど並んでいた。それを見ると、師匠は、イレの後頭部をべしっ! と叩いた。
「痛ー! 何なに? ひどいよ、師匠。お兄さんは、何も悪いことはしてないよね?」
師匠は、イレの抗議に耳を傾けることなく、袖からドラム缶を出し、中にイレを放り込んだ。イレは慌てて剣帯を外している間に、火蜥蜴により温められてぐらぐらと煮立っていたお湯だかスープだかをドラム缶に入れられてしまった。
「あっつー!! 熱いよ。ししょー。勘弁してよ!」
師匠は、無限水袋を使って、お湯を冷まし始めたが、入れる順番を間違ったのはわざとだろう、とパドマは思った。
イレを熱湯風呂に浸け、腕にぐさっと針を刺すと、師匠は満足したのか、調理に戻った。
「やっぱり刺さってたよ。治療が間に合ったのかな? 良かったね」
剣が濡れないように、剣帯を外に出しているイレから、パドマは剣帯を受け取ってあげた。
「教えてくれて、ありがとう。お兄さん、頑丈すぎて、ケガしても全然わからないんだ。痛点が壊れてるらしくて」
「痛点? そんなことがあるの? 無神経にもほどがあるよね。死んじゃうよ」
「無神経じゃないよ。お兄さんは、ガラスのハートの持ち主だよ」
「はいはい」
イレの問題が過ぎ去ったのであれば、もう興味の赴くままに行動してもいいだろう。テーブルの上には、可愛いイチゴと可愛い白いまんまるが乗った皿がある。あれは、絶対、パドマの皿なのだ。百歩譲って、イチゴはあげてもいい。だが、白いまるは、全部パドマのだ! そう思って、その皿の真ん前に座った。すると、師匠がカトラリーを出してくれた。
「え? まだできてないのに、食べていいの?」
師匠が、頷いたのを見て、パドマは喜んだ。
「やったー! ありがとう。いただきまーす!」
パドマは、早速、目の前のカプレーゼから攻略に取り掛かった。
「ん? これ、プリニーのミルクじゃない?」
白いまるを解体して、口に入れると、パドマは首を傾げた。
「プリニーって、何?」
「唄う黄熊亭の常連のワインのおっちゃんの愛ヤギの名前。そっかー。今年は、プリニーだったかー」
「え? 食べたら、ヤギの名前までわかるの?」
「そりゃあ、わかるよ。エサが違うんだから。あのおっちゃんのヤギへの愛とチーズへのこだわりは、半端ないんだよ。確かに、これがプリニーかシャビシューか、って聞かれたら難しいけど、絶対にこれはプリニーだと思うよ。
ウチは、なんでも食べるけど、味がわからないんじゃないからね。マズイものは、マズイなーって思いながら食べるだけだから。そのくらいわからないと、森では毒をくらっちゃうよ」
「でも、あのお兄ちゃんは、パドマに毒味なんてさせないよね」
「そうだね。お兄ちゃんが、お腹痛くなってから、ああ、これが毒の味か、って味見するんだよ」
「いや、その味見、いらないよね」
「ウチなりに、お兄ちゃんの役に立とうと習得したんだけど、役に立たせてくれなかったんだよ。でも、お兄ちゃんに隠れて、つまみ食いしても、お腹壊さなければバレないよ」
「たくましく生きてきたんだね」
「そうだね。でも、そんな悲壮なものでもなくてさ。ある意味では、街で暮らすより楽しかったんだ」
「それで、師匠が、パドマのチーズを横取りしたのがわかったのに、怒らないの? またチーズを300個買ったら、許してくれる?」
「ワインのおっちゃんが、師匠さんの可愛さにやられて、師匠さんにミルクをあげたからって、ウチは怒らないよ」
「違うよ。パドマに渡すね、ってもらったのを勝手にしてるんだよ」
「ふーん」
「え? それだけ? なんで? お兄さんが食べた時と違いすぎない?」
「だって、人が違うから」
「何それ、ずるい!」
話しているうちに、カプレーゼから白まるがいなくなってしまった。パドマは、とても残念な気持ちになって、イチゴを1つかじってみたが、コレじゃない。
隣の皿の焼肉串を1本串から肉を外してみた。肉が柔らかすぎて、違和感しかなかった。その肉をナイフで切ってみると、中から薄黄色の物が入っていた。アルマジロ肉巻きチーズだった!
パドマは、師匠を見た。気の所為か、綿菓子の微笑みではなく、ドヤっている。絶対、確信犯だ。きっと師匠は、パドマに怒られるようなことをしでかした自覚があるに違いない。これはその機嫌取りなのだ!
アルマジロ肉巻きチーズは、2本に1本は、ただのアルマジロ焼きだった。恐らく、それで挟まないと、チーズが落ちてしまうし、チーズばかりではくどくて食べていられないからだろう。パドマは、アルマジロ焼きを集めて皿に盛り、イレのところに持って行った。
「イレさんも、朝ごはんまだだよね。どうぞ、これ食べて」
「ありがとう」
師匠の作った物に美味しくない物はないのだが、一回にお腹に入れられる量には限りがある。だから、食べたい物を優先して食べると、どうしても余りが出てしまう。パドマはそれらを寄せ集めて皿に盛り、イレに提供し続けた。違和感しかない料理を運んでいっても、何も気付かず美味しく食べてくれるイレは、大切にしなければならない。
パドマの目論見通り、イレは、風呂に浸かりながら、嬉しそうに肉を突き出した。師匠が何とも言えない顔で見ているが、何も言わないで! と、パドマは合図を送った。
師匠は、困った顔で、フライと食べる白ソースを持ってきた。食べる白ソースだ! いつものそれでもパドマは大好きなのに、何を考えているやら、師匠は、角切りチーズまで乗せてきた。
「!!!!!」
フライになっていたのは、牡蠣とカミツキガメだった。蕩けるような牡蠣と弾力のあるカミツキガメは、全然似ても似つかないのだが、どちらにもソースはマッチした。あまりにも美味しすぎて、この後、殺されるのかな? と危惧していたのだが、普通に貝拾いをして帰るだけだった。いいことなハズなのに、何もないことにパドマは、ソワソワが止まらなかった。
次回、神殿工事準備工事が始まる