16.師匠さんのスペシャルステーキ
昨夜は、お腹がいっぱいすぎて、酒場の手伝いもできなかった。朝になればこなれてきたが、まだごはんを食べる気にはならなかったくらいだった。
パドマは、定職に就いていない。だから、働くも休むも自由だ。毎日、ダンジョンに働きに出てはいたものの、具合の良くない日くらい休んでもいいと思う。なのにだ。
「師匠さんが、外で待ってるぞ」
定職を持っていて、休めないから出かけた兄が、わざわざ家に戻ってきて教えてくれた。含蓄のある有り難い言葉である。抵抗するだけ無駄だろうと、パドマは諦めた。仕方がないので、のそのそとベッドから出て、ヤマイタチを背負って出かける。
今日の天使様は、また色彩が変わっていたが、もう何色でもいい。今までで一番いい肌ツヤをして、全身キラキラしているし、顔も化粧を施したかのように美しさを増しているが、パドマの知ったことではなかった。
そろそろ見慣れてもいいだろうヴァーノンが惚けているのは、多少気になるが、師匠は男だ。その上、深階層プレイヤーを上回る腕っぷしを持っている。さしたる問題は起きないだろうと判断した。
パドマは、死刑執行人と共に歩いている気分だった。師匠の美貌に酔いしれることができたなら、さぞかし幸せだっただろうに。
思った通りの事態になった。パドマの「今日は、ダンゴムシと遊びたいなー」という意見は黙殺された。昨日と同じ、11階層に連れて来られてしまった。自前の剣を無償で貸してくれるのは、師匠の優しさだろう。なんて素晴らしい人格なのか。
昨日と同じ部屋には、何もいなかった。なので、隣の部屋に行き、2匹いたミミズトカゲを1匹は師匠が瞬殺してくれて、さぁどうぞと接待プレイをさせて頂けることになった。安全地帯のない狩りは、どうしたらいいものやら攻め手をあぐねて、逃げ回るのに必死になっているところだ。
直線的な動きで狙われているのは、わかった。だが、ミミズトカゲは大きいだけに一瞬でこちらに詰めてくる。部屋が狭くて、充分に逃げられない。頑張っているつもりだが、体勢が立て直せない。
同じ部屋に師匠もいるのだ。そちらに行ってくれれば休憩もできるのに、師匠には目もくれてくれない。師匠は強いから、相手にしたくないのか。師匠は美人だから、遠慮しているのか。そこまで考えて、ふと気付く。ミミズトカゲのあの目は、師匠に見惚れてはいなかった。
パドマは、靴を脱いで、放り投げた。ミミズトカゲは、靴を追いかけて行った。そこを追い縋って、叩き斬った。昨日よりは、まともに切れた。即死はしなかったが、致命傷にはなるだろう。
また師匠が抱きついてきて、頭を撫で回してくれたので、全力で休憩した。優しくはないが、悪い人ではない。帰るためにも休憩がいる。頭がボサボサになった挙句、ハゲ上がったところで、気にしなければいい。ハゲてしまったとしても、多分、世界のどこかには、ミミズトカゲより君の方が可愛いよ、と言ってくれる人の1人くらいは見つけられるだろう。結婚相手なんて1人いれば充分だ。
妄想で充分暇が潰せたので、倒したミミズトカゲが動かないことを確認し、靴を履いた。
ミミズトカゲの目は、あると言えばあるような気がするという程度で、およそ見えている風には見えなかった。でも、標的に向かって動くのだ。目ではない何かで判断しているに違いないと考えた。
目ではないとしたら、音か臭いが鉄板だ。どちらかわからなかったとして、臭いで判断されているなら、とても嫌だと思った。師匠には、まったく見向きもしないのだ。師匠は、同じ人とは思えない可憐な人だから、パドマだけ異臭を放っている可能性は否定できないが、認めたくなかった。
パドマの靴裏は、金属製のため、石のレンガの上を歩くと足音がうるさい。武器として使うことを考慮された靴なので、金属が採用されているのだが、同じような靴を履いていると思われるイレの足音は、パドマほどではなかった。どうせすぐサイズアップして買い替えるから、とケチったのが良くなかったな、と今は反省している。
だから、諦めて靴を放ったら、ミミズトカゲは、そちらについていったというのが、先程の顛末である。靴が臭かった訳では、断じてない。
謎は解けた。今日のノルマも達成した。さぁ、帰ろう! と言ったのに、また師匠に引きずられて、隣の部屋に連れて行かれた。
靴を買い替えて出直したいという、最もらしい意見すら無視された。今度は、ミミズトカゲを2体同時に倒すミッションらしい。
パドマは、諦めた。もう靴は脱がない。師匠がこの靴でいいと言うなら、この靴でいいのだ。どんな手荒な扱いをされようと、死なない程度には助けてもらえる。助からなければ、ミミズトカゲとの縁が切れる。それなら、それでいいじゃないか。
パドマは、剣を片手に前進した。目は虚ろで、やる気は感じられないが。
なんとか足音を殺せないかと、静々歩いてみたが、無駄だった。チャカチャカ鳴る足音に、ミミズトカゲはすぐに反応して、こちらを向いた。今攻め寄せられると、ミミズトカゲの頭で通路が塞がって、部屋に入れなくなるだろう。やる気を出すようで、まったく気が乗らないが、一気に走って部屋に出た。
まっすぐに出てはいけない。部屋に入った瞬間、横に飛んで、剣を振る。狙った訳ではない、どちらかというと苦し紛れの適当な一撃だったが、ミミズトカゲの胴が裂けた。
どの程度の深さの傷かを確認することもなく、もう1匹の胴は、輪切方向に断ち切って、別の通路に逃げた。2匹ともに、死んではいない。とんでもない勢いで、暴れているのを見ていた。動かなければ、大した音は出ない。このままいれば、大丈夫なハズだ。
ミミズトカゲが暴れる横を擦り抜けて、師匠がパドマの方に歩いてきた。その顔からは、ふわふわとした微笑みは失われている。緑と紫のオッドアイ、蛍石の瞳が冷たい。口は弓形で、笑っているようにも見えるのに、瞳に射殺されそうな気がしている。イレの通訳兼緩衝材が欲しい、とパドマは切実に思った。ミミズトカゲが可愛く思えるほど、師匠のキレイな顔が恐ろしい。
パドマは、全身を震わせて死刑執行を待ち構えていたが、近寄ってきた師匠は、パドマの頭をペチッと軽くはたいた後は、抱きついてくるばかりである。何も言ってくれないので、何をされているのか定かではないが、
「ごめんなさい」
と言っておいた。
その後、恐ろしい物を見た。
パドマは、ヤマイタチに乗せられて、帰ることになった。ヤマイタチは、パドマが先行しないと歩かない。パドマは、歩けない訳ではないので、降りて歩いた。そこまでは、問題ない。問題は、師匠がミミズトカゲを4体持ち歩いていることだ。
ミミズトカゲは、とても重い。そして、大きい。しかも、つかむ場所もない。流石に持ち上げきれてはおらず、引きずっているが、どういうことだろう。イレは2匹が限界で、3匹目は乗せられたが潰れていた。兄たちは、3人セットで1匹がやっとだった。か弱い師匠に持たせるのは可哀想という話は、なんだったのだろうか。
手ぶらなパドマが、露払い役を引き受けてはいるものの、その状況でも、たまにナイフを飛ばしている。イレの勝てないという言葉は、誇張でもなんでもないことを理解した。
師匠は、イレの家の庭にミミズトカゲを3体放り投げると、残りは唄う黄熊亭に持って行った。
マスターは、困っているようだが、パドマにも止める術はない。間を取って、せめて少し小さく解体して欲しいという要望は、一瞬で叶えられた。
今日の唄う黄熊亭は、幸せそうな師匠を皆で愛でる宴になっていた。「シショウさんスペシャルステーキ」の売れ行きは、好調だ。師匠だけは、見たことのない新作肉料理を食べて蕩けた顔をしているが、他の人の新作料理はステーキだけだった。マスターは、もう師匠の扱いに慣れたらしい。
師匠を見に来たのか、新作料理が目当てか、今日はやけに客が多い。席が足りないので、一見のお客様は立ち飲みをお願いしたのに、どんどん数が増えて鬱陶しくなったので、時間制にして叩き出した。
次回、お買い物