156.目標到達
パドマは、調子に乗って先に進んだ。
キリンに勝てる気がしないから、護衛に適当なことを言って黙らせただけなのに、「あの言葉、格好良かったっス」「もう一生ついていきます」などと言われて、気分が悪くなったからだった。キリン戦をもう一度やりたくないならば、火蜥蜴を無駄にシバくしかない。服が焼けない以上、火蜥蜴など敵ではないのだ。多少はヤケドをするのだが、気にしなければいい。誰にも気付かれなければ、怒られない。怒られないなら、少々痛いくらいは気にしない。
八つ当たりをしている間に、下り階段を見つけたので、気安く下りてみたら、死んだ。パドマは涙が出て、動けなくなった。
「またミミズだよ! ふざけんなよ!! どんだけミミズを集めたら気が済むんだよ!」
「いやいや、あれは、ちっともミミズじゃないよね。ニシキアナゴだよ。卵見つけてペンギン館に置いたら、かなりお客さん呼べるヤツだよ。え? あの困り顔は、可愛いよね?」
イレは、護衛に同意を求めると、次々にそっぽを向かれて、悲しい気持ちになった。護衛たちは、何を言っても、イレに好意的な意見は言ってくれない。イレには全く心当たりがないのだが、何人いるとも知れないパドマの手下たち全員に、存在自体を疎まれているので、いい関係が築けないのだ。無駄に金持ちのチーズデートおじさんとして、闇リストに記載されているので、努力しても変化は見込めない。
61階層には、ニシキアナゴとチンアナゴがいた。フロアに撒かれた砂地から、頭を出して、にょろにょろと揺れている。太さは、パドマの指くらい。砂地に隠れている分を引っ張り出すと、パドマの腕くらいの長さがあるのだが、半分も見えていない。ニシキアナゴは、橙色と白色の縞模様で、チンアナゴは、白地に黒の斑点がある。2種は、ただの色違いにも見えるくらいにそっくりだった。
「もうやだ、帰る!」
と、パドマは怒るばかりで、動かなかった。帰るなら帰るでいいが、歩いてくれないとどうにもならない。おさわり厳禁で、抱っこもおんぶも嫌がるパドマは、こういう時に、お荷物になる。
イレが、どうしようかな? と悩んでいると、師匠は、パドマをかっさらって逃げて行った。パドマの悲鳴だか怒号だか、よくわからない声が聞こえる。イレと護衛は、慌てて後を追いかけた。
62階層は、いつだったか連れて来られた階だった。石のような物が、ただゴロゴロと転がっている、真珠が拾える階層だ。
「やった! 着いた!!」
引退する前に、是非ここに来て、ニナに頼まれたブレスレットを作ろう、と思っていたのだ。あれから大分経つので、もういらなくなっているかもしれないが、辿り着いて良かった。
「ありがとう。師匠さん」
パドマは、喜びのままに師匠に飛び付いたら、抱きしめ返されて、すごく気分が悪くなった。だが、今回は、どうひっくり返してもパドマが悪いので、文句は言えない。結局、文句を言ったところで何も変わらないので、離してくれたら這って逃げた。そして、這いながら貝拾いをした。
拾っている間に、イレが追いつき、護衛が追いつき、皆で貝拾いをした。
気が付くと、おサボり師匠はいなくなっていたのだが、放っておいたら、フライパンを持って帰って来た。はまぐり、ホタテ、サザエ、マテ貝、ミル貝、、、。フライパンの中には、焼き貝がゴロゴロ入っていた。さっきキリンを食べたところなのに、もうおやつを作ってきたらしい。パドマが呆れる思いで見ていたら、師匠は、パドマにフライパンを突き出した。
「何? あ、これ、もしかして、ウチの?」
よく考えたら、師匠はあまり貝は好まない生き物だった。パドマも、師匠に負けず劣らず、貝拾いと貝殻剥きは好きではないので、喜んでご相伴に預かった。
「いただきまーす」
分けて欲しいのか、サボるなと思われているのか、イレや護衛にチラチラと見られながら、パドマはのんびりと貝を食べた。
焼き貝は、海に行くと、よく食べていた。珍しく、パドマがお手伝いして捕まえられるのが、貝だった。大きいのでも、小さいのでも、1つ見つける度に持って行くと、ヴァーノンは大袈裟に褒めてくれた。あの笑顔が、大好きだった。
パドマは、一番好きだったマテ貝を吸いながら、泣いた。ただ焼いただけでも、師匠クオリティである。あの時の貝よりも、格段に濃い味がするのだが、どうしてもヴァーノンの顔が頭に浮かんで離れない。マテ貝がなくなったら、はまぐりを食べて、はまぐりがなくなったら、ホタテを食べた。それ以外は、ヴァーノンに食べさせてもらう貝だった。教えてもらっても、上手く身が取り出せないのだ。食べられないから、食べない。
「泣いたら、また家に帰れないじゃん。どうしてくれんだよー」
パドマは、師匠の袖から出てきたレッサーパンダぬいぐるみを抱きしめて、泣いて泣いて泣いて寝た。お腹がいっぱいだったから、よく眠れた。
目覚めて、びっくり。パドマは、ヴァーノンと寝ていた。ヴァーノンの布団にパドマが不法侵入するのは日常の出来事だが、ここはヴァーノンのベッドではなかった。これもよくあることだが、直前の記憶と一致しない。意味がわからない。
「おはよう」
というヴァーノンが、パドマを抱いている。おかしい。いつもなら、早く起きろと邪魔扱いする。それが、正しい兄の行動である。
「夢?」
夢にしたって、これはヴァーノンの偽物だと思う。こんなのは、兄ではない。
「誰だ! 離せ!!」
パドマが暴れると、すぐに偽兄は手を離したので、パドマは距離を取った。警戒は解かずに、睨みつける。見れば見るほど、偽兄はヴァーノンにそっくりだった。
「ひどいな。俺のことを忘れたのか」
偽兄は、しょぼくれていた。ますますヴァーノンに見える。声もヴァーノンだ。ようやく思い出したのだが、ここはイレの家の客間だった。
目の前の兄がヴァーノンか確かめるためには、パドマしか知らないようなことを聞いてみればわかる。
「お兄ちゃんの好きな食べ物は?」
「きのこの煮浸し」
偽兄は、間髪入れずに、しれっと答えた。急なフリにも、まったく動じていない。パドマが、取り留めのない話題を振るのに、慣れた様子だった。
「え? きのこなの? 煮浸しって、渋すぎない? ミートパイじゃなかったの?」
偽兄の回答に、パドマの方が動じた。ヴァーノンもパドマと同じく、嫌いな物でも笑顔で食べれるタイプなので、好き嫌いはわかりにくい。日頃の食事は、たまたま手に入ったとか安かったからとかパドマが食べないからとか、好き嫌いを度外視した選択をしているから、ますますわかりにくい。本人以外わからないのではないかと思う、超難問だった。
「知らないで聞いてきたのか。ミートパイも嫌いじゃないが、人生で何度も食べたことがないからな。あと、芋も好きだ。折角だから、覚えておけ」
「じゃあ、お兄ちゃんの偽者じゃないの?」
「偽者かと思ったのか。俺は、嫌われたのかと思ったぞ。昨夜も、散々ばかばか言われたからな」
ヴァーノンは、また脱力していた。パドマは、ヴァーノンに近付いて、そぉーっと腕を触ってみたが、何か変な気がして、すぐに手を離した。
「そんなこと言ってないし。それよりお兄ちゃん、何か変だよね。触れなくなった」
「なんでだ?」
「偽者だからだと思う」
「それはない」
よくはわからないが、いつまでも他人の家で寝てるのは良くないと、布団を片付け、家人に挨拶に行った。
「おはよー御座います。あー!」
パドマは、パタパタと駆け寄り、食卓に釘付けになっていた。焼いたメザシに、卵焼き、金平蓮根にかぼちゃの茶巾。海藻の酢の物もあった。パドマしか食べれない海藻だった。なら、きっとこれは、パドマ用の師匠特製朝ごはんに違いない。パドマのおしりにしっぽが生えていたら、きっと振りすぎて千切れてしまったに違いない。そんな風情で、見ていた。
「おはよう御座います。朝から、申し訳ありません」
「おはよう。元気になったみたいで、良かったじゃない。2人とも、座って食べていいよ。お兄さんたちは、もう食べちゃったから」
「わーい。いただきまーす」
「遅くなりまして、申し訳ありません。いただきます」
イレの座っていた対面の席に、2人で並んで座って食べ始めたら、師匠がスープを持って出てきた。エプロン姿の師匠も、可愛かった。よく考えたら、この朝ごはんは、見た目だけは愛らしい少女が用意してくれた食卓だった。自分は、これを目指さないといけないのかと思った時、パドマはちょっと目眩がした。
「嫁ぎ先に、師匠さんを連れてっちゃダメかな」
「師匠さんだけいれば、お前はいらないと言われないか?」
「パドマが、師匠を嫁にもらえばいいんじゃない?」
どこにでもついてくるのだから、と思って、パドマは安易な解決策を言ってみたのだが、2人にダメ出しをされた。まだ見ぬ旦那様に気に入ってもらえるパドマになる道は、遠そうだった。
「いい案だと思ったのに、ダメか」
パドマは、ため息を吐き、朝食との戦闘を始めた。生涯これを食べたいと思ったら、味を覚えて、再現できるようにならなければならない。これは砂糖がきっと、、、胡椒も、、、。パドマの夫が、イレ並の稼ぎがないと再現は不可能だな、という結論を得た。深階層プレイヤーか、紅蓮華のトップ並の収益があり、更に、食道楽の夫。想像してみたが、そんな人は、自分のとなりには収まらないと思った。探せば、それなりの人数がいるのではないかと思うが、そんな人は既に隣にいい人がいるに違いないのだ。まだパドマが深階層プレイヤーに育って、夫を養う方が現実的だろう。師匠並に可愛くて、師匠並に器用で、師匠並に剛腕だったら嫁入りに困らないのにな、と絶望を感じながら、パドマは朝ごはんを食べた。
次回、綺羅星ペンギンと紅蓮華に物申しに行きます。