153.釣書フィーバー
パドマは、今日も安定の寝坊をした。昨夜は、いつの間に寝たのかも記憶にないが、夢見が悪くて寝た気になれなかったのだ。昨晩は、レッサーパンダが、やけに夢に出てきた。レッサーパンダとBBQをして、レッサーパンダとパレードをして、レッサーパンダと海水浴に行って、、、何をしていてもレッサーパンダは可愛かったのに、何故か最後に首が飛んでいってしまうのだ。レッサーパンダは、首が取れるのがダンジョン仕様だったろうか、と考えこんでしまうくらいだった。
天気は良いようだ。明るさは、既に朝のそれではなかった。よくもこんなに明るい中で寝ていたものだと、自分に呆れるくらいの時間になっているに違いない。だが、パドマにとっては、よくあることだった。しかし、ヴァーノンが、こんな時間に部屋にいるなんて、あってはならないことだ。また叱られるようなことをしてしまったようだ。何とか回避する方法を探さなければならないが、パドマはそもそも怒られるネタが思いつかず、難しかった。
起きたことを悟らせぬまま、パドマはヴァーノンを見ていたのだが、ヴァーノンは何やら難しい顔をして、板を眺めている。木工細工の趣味など聞いたことがないのに、テーブルの上も床の上もヴァーノンのベッドの上にも板が積まれて、それが崩れて、板だらけになっていた。昨日までは、絶対になかったのに。
「起きたか。具合は、どうだ?」
静かにしていたのに、起きたのがバレてしまった。むしろ静かにしているからこそヴァーノンは気付くのだが、パドマは己れの寝言癖を知らなかったから、何故だと訝しんだ。パドマは、ビクリと反応してから、もそもそと身体を起こした。
「ごめんなさい」
「まったくだ。こんなことになってしまって、どう収拾をつける気だ」
ヴァーノンは、板をひらひらと動かしている。パドマには板を何かした記憶はないのだが、部屋中の板は、パドマの仕業だと言わんばかりの態度だった。
「こんなこと?」
「この板は、全部、釣書だ」
ヴァーノンは、嫌そうな顔をして、板を見て、右に左にと仕分けをしている。
「ふーん。家具を増やすんじゃないんだね。何を釣りに行くの?」
「お前だ」
「ああ、次の磯遠足までに泳げるようになっておけって? 寒中水泳はツラいんだよ。練習は、春になってからでいいかな?」
「違う。この板は、全部お前宛の結婚申込み書だ。急に一度にこんなにくるなんて、一体何をした。お前が結婚したがっていると噂になっているらしいぞ」
ヴァーノンは、板で板をべしべしと叩いた。カンカンといい音が鳴った。音は軽快だったが、ヴァーノンはおかんむりにしか見えなかった。
「何でも、ウチの所為にしないで欲しいなぁ。そんなこと、、、言ったよ。そういえば、昨日、つるっと言った。えー、今すぐじゃないのに。そのうちって言ったんだよ。なんで?」
昨日のセンザンコウだけで、きっとヴァーノンに返す今までの生活費と、イレに返す薪代には足りるだろう。ヴァーノンの苦労という面を考えれば、いくら積んでも足りないのだが、お金で解決できない分は、お金では清算できないのだから、この場では、考えないことにする。問題なのは、先日の旅費と今までの調味料代の返却だ。生半可な額ではない。そんなに早く終わりにできない。
「結婚の前に、婚約があるからだろう。本気であるなら、少なくとも、売り切れる前に手を上げねばならない。恐ろしいことに、知り合いは、ほぼ全員来てるぞ。マスターまでくれた」
ヴァーノンの目が死んでいる。最も断りづらい相手だからだろう。
「マスターと結婚するの?」
まさかの相手すぎた。ヴァーノンを跡取りにしたら、パドマも娘扱いしてくれるのだと信じていた。マスターのことは嫌いではないが、ママさんに嫌われてしまうので、断りたい。申し込まれた時点で嫌われたなら、泣きたい。
「違う。マスターと酒場の常連客のは、推薦書だ。前に言ったろう。相手は俺だ。なんで自分の釣書を自分で吟味しないといけないんだ。内容がふざけ過ぎていて、目を通さずにはいられないんだが!」
「例えば?」
「見なくていい」
ヴァーノンの視線が、板に戻った。そう言われると、パドマも少し面白くなってきて、兄のベッドに移り、そこに転がる板を数枚取ってみた。割れている板が、牛すじのおっちゃんの推薦書だった。
「すごいね。お兄ちゃんって、紅蓮華の総売り上げより年収が上らしいよ。イギーくらいなら、ともかく」
ふざけているのがよくわかる歯が光る人相書きから、一見真面目風な切々と訴えるものなど、打ち合わせでもしたかの如く、様々なタイプがあった。面白くて、見つけた分は、全て読んだ。
「俺のスペックなんて、俺に伝える必要はないからな。大喜利大会だ。信じるなよ」
「この似顔絵は、飾ってもいいかな。ちょっと似てると思うの」
「受け入れないなら、返却しなければならない。諦めて欲しい」
「返却した後、もらってきたらいい?」
「ダメだ。お前が欲しいと言い出したら、断ったことにならない」
「わかった。お兄ちゃんに内緒にしてもらう」
「で、結局、誰と結婚したかったんだ。今なら、より取り見取りだぞ」
もう仕分けも嫌になったらしい。ヴァーノンは、板をテーブルの上に置き、パドマの横に座った。
「ウチの結婚したい人はね、お兄ちゃんを幸せにしてくれる人。その中で、ウチの正体を知っても、ウチでいいや、って言ってくれる人。英雄様じゃなくてもいい、って言ってくれる人がいい」
パドマは、ヴァーノンに心配させないように、ヴァーノン好みの笑顔を作った。ずっと兄妹だったのに、嫁に行ってしまえば、もう終わる。実の兄妹でも、他人になってしまうのだ。新しい家がパドマの家で、実家は関係ない家として扱われる。パドマは、誰にもヴァーノンの妹と認めてもらえなくなる。顔を見る機会も、ほぼない。
「なるほど。それで、釣書がこんなにふざけてるのか」
「ふざけてるの?」
「俺へのアピールが、イライラする。食材の仕入れ値を下げてやるだの、弁当屋を手伝ってやるだの、そんなものに釣られて嫁に出すと思われているのかと思った」
パドマの希望を叶えようとしているのはわかったが、ヴァーノンの話を聞くと、確かにそれで選ぶのは嫌かもしれないと思った。
「どれが一番嬉しい? ウチは、どれでもいいよ」
「良い訳がないだろう。受け入れられないくせに」
ヴァーノンの顔は、完全にスネていた。パドマの愛しい兄の顔だ。抱きついて甘えたい気持ちを堪えて、もう一度微笑んだ。
「全員は難しいけど、1人でいいなら、頑張るよ。だって、急に見たことも聞いたこともない人に嫁いだりするのも、よくあることなんでしょ? 皆にできる当たり前のことだったら、英雄様には余裕なんだよ」
「俺の一番は、嫁に出さないで、このまま置いておくことだ」
「師匠さんに押し付けようとしたくせに?」
今度は、パドマがスネた。それを聞く前から、嫁に行く決心はしていたのだが、それを知って、より気持ちを固めたのだ。ヴァーノンは、パドマなんていなくても幸せになれる。むしろ、いない方が幸せだ。それは、10年前からパドマも気付いていた。どんな相手を選んでも、パドマがいなくなるだけで、ヴァーノンの負担を減らすことができる。
「あれは、、、魔がさしただけだ。忘れて欲しい。お前の恋を成就させようと思ったんだ。血を吐く思いをした。受け入れられずに良かったと、今では思っている。パドマとの結婚を喜ばない男なんて、死ねばいい」
師匠の顔が大好きなヴァーノンが、昨日師匠に冷たかったのは、複雑な兄心があったようだ。
ヴァーノンは、釣書の吟味と仕分けをしていたが、釣書の受付自体は、パドマの護衛が請け負っているらしい。突然、部屋をノックされて何かと思ったが、護衛が新たな板を山積みにして持ってきて、ヴァーノンに渡して、外に戻って行った。
「寝る場所がなくなっちゃいそうだね」
「早急に仕分けて、紅蓮華の倉庫を借りることも検討しよう。どうでもいい釣書は預けておけば、勝手に処理してくれるかもしれない」
ヴァーノンは、ため息を吐いた。
「勝手に処理しちゃ、ダメじゃないの?」
「通常ならしないだろうが、紅蓮華からも打診がきている。ライバルを蹴落とす手伝いなら、無償でやってくれるだろう。なんと言っても、お前の要望が、俺の役に立つことだからな」
「紅蓮華が? またなの?」
パドマの脳裏に、ピンク頭と変な女の顔がチラついた。
「結婚の申し込みは来てない。まだ生まれていないが、イギーに子ができたそうだ。気が向いた時だけでいいから、その子と遊んでやって欲しい、と来ている。それ以外の時間は、好きに使えばいいというから、条件は悪くはない。愛人扱いをするつもりはないが、蓮の家に住んで、愛人みたいな顔をしていれば、求婚を断れるだろう、とある。
そういうことならば、お前の人となりも知らないで釣書を送ってくる、取り立てて見るところもないような釣書は預けておけば、イギーなりカーティスさんなりが始末してくれそうじゃないか。これだけ枚数があると、返却するのも大変だからな」
「ごめんね。返却は、ウチが行くよ」
結婚の申込みシステムは、なんとなく理解した。ヴァーノンのために離れる決断をしたのに、仕事を増やすのは、パドマとしても本意ではない。自分の失言の尻拭いは、できる限り自分でするべきだ。
「ダメだ。かどわかされたら困る」
「護衛がいるから、大丈夫だよ」
「綺羅星ペンギンからも、打診がきている。だから、協力はしてくれると思うが、最悪、綺羅星ペンギンにも攫われる可能性はある。
彼らは、お前を神として祀りたいらしい。神は神なのだから、下賎な人など相手にしない。お前の結婚は、片っ端から壊してやる、と不穏な内容だ。
連名には、テッドまで入っていた。とんでもない人数で、これだけいたら、お前が死ぬまで生きてるヤツもいっぱいいるから、最期まで神として扱うことができると、事業計画書付きで来た。本当に、これは俺の妹の話なのか。そこから疑問だ」
「そっかー。そんな変なのがあるから、枚数が多いのか。何考えてんだろう」
なんというか、最初から綺羅星ペンギンには、パドマの理解が及ぶような脳の構造をしている人間は、1人もいなかった。仕事は全てお任せして放置していたのが、良くなかったのかもしれない。
「お前は常々、嫁に行くのは嫌だ、と言っていたから、嫁に行かずに済む方法を、皆でヒネリ出してくれてるんだろう。だから、何のひねりもないものは、全て却下でいいんだろうな。
俺の妹は、皆に愛され過ぎていて、俺のもとに置いておくのも、一苦労だ」
ヴァーノンは、パドマを残す方向で考えてくれているようだ。そう言ってもらえるのは本当に嬉しいが、パドマはもう心に決めている。
「1番条件のいいところに行く。ここには残らない。残りたくない。だから、好きなところに決めて。どこにでも行くから」
パドマは、ヴァーノンの目を真っ直ぐに見つめた。いっぱいワガママを言ってきた。でも、これがきっと、最後のお願いになる。
「わかった。考える。時間をくれ」
「うん。急がなくていい。頑張らないでいい。迷惑をかけて申し訳ないと思ってる。よろしくお願いします」
パドマは、居た堪れなくなって、部屋を出た。行き先は、ダンジョンだ。護衛は、振り切れなかったが、それは諦めて、1階層の最奥の部屋で、芋虫を叩き潰して、泣いた。初めてここに来た、あの日に戻りたかった。護衛は、隣の部屋に下がっていった。
次回、泣き顔を誤魔化す方法。