150.トレイア
あれから3日馬車に揺られ、夕暮れ手前にトレイア領の中心街トレイアに着いた。もう遅いから、イライジャ邸には明日行こうね、という話だったのに、先触れを送っていたのが悪かったのか、宿では不自由でしょう、と招かれてしまった。宿の方が自由なので断ったのだが、断りきれなかった。流石に、主人までは出てこないようだが、家令に挨拶して、寝室に通された。それぞれ個室を与えられて、眠りについた。
ちなみに、トレイア領に入った辺りから、師匠はパットに変わっていたし、イレとヴァーノンも、それほどではないものの、きっちりとした服に着替えた。パドマはいつも通りだが、布の風合いは、上質な物に変わっている。
夜半、パドマの寝室に、来客があった。ノックをするでもなく、許可もなく入ってきた輩だ。殺してもいいだろうかと、考えた。ヴァーノンが。
「うぎゃあぁあぁあ!」
近所迷惑な叫び声が上がり、続々と灯りを持った人間が集まってきたので、侵入者の正体が割れた。家令くらいならまだしも、パットやイレの駿足を出し抜ける人間など、そうはいないのだから、捕まるのは当然だ。ヴァーノンは、自前の剣で侵入者を殴りつけただけで、一歩も動いていないのだが、無事に侵入者は捕らえられた。
灯りがなくとも、犯人の見当は付いていたのだが、やはりこういうものは、現行犯逮捕をするのが、効率がいい。
「何をなさっているのですか? 殿下」
イレの灯りに照らされた侵入者に、ヴァーノンは問いかけた。
「お、お前こそ、何をしている。ここは、姫の寝室ではないのか!」
姫の寝室にイライジャがいる方がおかしいのだが、イライジャは、気が動転していた。姫が別の人間と入れ替わって、別の部屋で寝ていたのなら、わかる。防犯対策だろう。姫がパットと寝ていたのなら、わかる。嫌だが、子持ちの夫婦だ。そういう日もあるだろう。だが、怒って剣で殴り飛ばしてきた男の首には、姫がぶら下がっていた。夫に連れられて旅行中に浮気とは、大した姫だ。それとも、可愛い顔をして、夫公認の愛人がいるのだろうか。
「わたしは、兄です。父も母も兼ねています。兄と妹は、こうして共に寝るものですよ。ご存知ないとは、殿下には、妹君が居られないのでしょうか」
ヴァーノンは、今日も真顔で狂っていた。
パドマは、初めての場所に気後れして不安がって甘えてきて、ヴァーノンは護衛を兼ねた結果だった。お貴族様のシングルベッドが、平民のダブルベッドより大きかったので、一緒に寝てしまったのだ。
旅の間、ずっとその調子で一日中ベタベタしていたので、パットとイレは慣れないながらも理解したが、イライジャ側は当主も含め、家人全員が理解しなかった。仕方がないので、イレが、
「アーデルバードの一部地域の平民の風習です」
と、こじつけて、鎮火した。そんなことよりも、こんなところにいるイライジャを締め上げなければならない。
皆で騒ぐ中でも、パドマは変わらずぐーすか眠りこけているので、パドマのことは引き続きヴァーノンに任せ、イレはイライジャを引っ立てて、部屋を出た。
朝起きたら、横にパットが転がって、パドマを見ていた。おかげで、パドマはすぐに目が覚めて、飛び起きて、逃げた。ヴァーノンが仕込んだパット目覚ましは、今日も素晴らしい働きをしてくれた。だから、先程まで、同じベッドでパットも寝ていたことは、秘密にしておこうと、ヴァーノンは思った。
パットとヴァーノンは仲良くパドマの身支度を手伝い、部屋を出た。家の主人に挨拶をして、食事になる。昨夜あったことは誰も口にせず、何ごともなかったかのようにしている。パットは、パドマをエスコートして、イレはパットの通訳をして、ヴァーノンは静かに後ろをついてくる。
挨拶の前にイライジャの家令に渡した土産は、真珠だ。かつて拾ってきた真珠をいろんなことに使って、余っていたものと、更にイレ特急便で拾ってきたものをみんなで殻むきして、キレイに箱に詰めたものである。パドマは、そんな拾った物でいいの? という感覚だが、真珠もアーデルバードから出すと、高級品になるらしい。その上、これから戦争を仕掛けてくる相手なんだから、何でもいいよ、と言われて、納得した。
パドマは、昨夜のことは何も聞いていないのだが、何かが変なことは、わかった。ヴァーノンは、失礼にも隠しもしないで、イライジャをずっと睨みつけていたし、イライジャの家人は、みんなヴァーノンを気にしていた。主賓は、パットなのにだ。ヴァーノンさえ口説き落とせば、パドマの意思とは関係なく、パドマの嫁入り先が決まるからだろうか。恐ろしいことに思い当たり、いや、もうパドマはパットの嫁になっているんだった、と考え直した。
だが、変だ。パドマがナイフを使わずに、フォークだけで食事をしていても、誰も気付いてくれないのだ。もうお行儀を悪くするにも限界があるから、ナイフも使っちゃおうかな、と思ってしまうくらいである。口うるさく言われるのも面倒臭いが、頑張って、ダメな子を演出しているのに、何も言ってもらえないのも、悲しいものだな、と思った。
「我々は、完全に諦めて頂くために参りました。イライジャ殿下には、試合をしていただきます。最低でも、3試合。相手は、奥方様と奥方様の兄と我が主人パット様です。如何ですか?」
下々の者には直答を許さない気高き貴族パット様は、イライジャ王子とも会話をしなかった。ずっと蝋板でイレに指示し、イレを通訳にしている。誰もツッコまないからいいのだろうが、パドマは気になっていた。気になっているから、話はあまり聞いていない。
「試合とは、何をするのだ」
まだイライジャは、ヴァーノンを気にしている。怒っているような、恐れているような何とも言えない顔だ。まさかついにここで、兄の魅力に気付いてしまった人が現れたのか! と、少し、ほんの少しだけパドマは親近感を覚えた。
「何を使用しても構いません。お互いに得意な武器を持って、殺し合いをしていただきます。戦争を画策して、平民を殺し合わせようとしたイライジャ殿下なら、付き合っていただけますよね? 最大でも死ぬのは3人。人的被害は少ないですよ」
イヤミ交じりな発言をしれっと言ったイレに、イライジャが噛みついた。
「お前は、阿呆か。私は、姫をその男から救い出したいのだ。殺してどうする」
「素晴らしいご覚悟ですね。奥方様を退けられる自信がおありとは、感服いたしました。
奥方様は、アーデルバードでは有名な英雄様と呼ばれる人物。腕もさることながら、きかん気も強く、少々跳ねっ返りなところもあり、惚れあっているパット様も時折、剣を振り回した奥方様に追われています。どちらかというと嫌われている殿下が相手では、昼夜問わず、暗殺を企んでも不思議ではなく、殿下の身を案じておりました。
是非、そのご覚悟を我らにお示し下さい。どうせ奥方様を娶れば、殿下の日常になるのですから」
「?」
「ただの籠の鳥にはなさらないのでしょう? 毎日、多数の護衛と共に暮らすのですか? 奥方様がこちらに移れば、配下も大勢ついてきます。拒否しても、そのうちに集まるでしょう。奥方様を神とも崇める、腕利きの男たちです。
基本的には奥方様には忠実ですから、奥方様が命じれば、この屋敷も襲うでしょうし、奥方様の危機だと思えば、奥方様が止めても、この屋敷を襲うでしょう。毎日が、殿下好みの戦争になりますね。防衛戦の準備は、されていますか? 正直、私には、奥方様を娶ろうとする殿下の気持ちはわからないのですが、希望されているのですよね?
残りは、そのついでです。父親代わりの兄にも覚悟を見せて欲しいのと、最愛の妻を奪われる我が主人も納得させて頂きたい。
既婚者を奪おうというほどのワガママは申していないつもりですが、ご不満ですか?」
これが、イレの考えてきた秘策だった。パドマが惚れてしまったなら、止められないが、それ以外の人物は、どうしたって夫にしようがないのである。最低限、パット並の、パドマを制すが殺さない程度の腕を個人的に持っていてくれないと、困るのだ。毎日、多数の護衛にねじ伏せられる生活をパドマにさせるなど、とても承服できない。
なかなかイライジャが理解してくれないので、パットとパドマで、模範演武をすることになった。パドマはいつもの武装で、パットは無手だ。パドマは全力でパットに襲いかかり、パットは、受け、かわし、時に抱きしめたり、キスしたりする。キスなんてしようものなら、パドマは、全力で怒り、模範を忘れてパットを襲う。そうすると、ヴァーノンも怒り、参戦する。それを皆が観戦し、イレは参戦しようとするヴァーノンをとめながら、解説した。
奥方様が気軽に振り回しているあの剣は、誰も斬れないダンジョンモンスターを容易に切り裂く。奥方様は、目隠しをしても、動きは寸分変わらない。あのナイフは、こっちを見てない時でも飛んでくる。奥方様のピンチを救った時すら、さわるなとナイフで刺された。イレの実感がこめられたエピソードトークとともに見せられるパドマのおかしな剣術に、皆が言葉を失った。
シャルルマーニュには、跳ねっ返りの姫もいる。武術を嗜む姫もいる。王子の数も多いが、その分だけ姫の数も多く、中には変わり種の姫もいる。イライジャは、パドマのことを自分よりも腕の太い槍を嗜む妹姫のような人物だと思い込んでいたのだが、少々違ったようだ。妹姫は、指南役に型通りの槍術を習っているだけだった。それを今知った。
庭石は粉砕されるし、パドマは手に持っていないハズのナイフを飛ばしてくるし、流れ弾がこちらにくるとパットが回収してくれるし、パットが助けに来てくれるとパドマが観戦場所に全力斬りをお見舞いしてくるし、イライジャは散々なものを見た。
「今日は、私が抑えましたが、野放しにすると、セットで兄と配下の軍も参戦します。寝る暇もないですよ」
とイレが言うと、イライジャは、にこやかに似合いの2人だと思う、と祝福の言葉を返した。
イライジャが引いてくれれば、何の用もないのだが、折角来たのだからと、数日滞在した。パットとイレは、近隣の視察をして、パドマとヴァーノンは、散策しながら美味しいもの探しをしたり、お土産探しをしたりして過ごした。
仕事をしないヴァーノンは、昔みたいに優しくて、パドマは充実した日々を過ごした。そんな姿を見ていれば、パドマとヴァーノンはやっぱり変だぞ、と皆が思った。
別れの日、パットは分厚いレポートをイライジャに渡した。ただの紙代だけでも、なかなかの物だと言える見たこともない最高品質の紙だった。不思議に思ったイライジャがその場で流し読みすると、トレイア領における所感レポートだった。数日しかいなかったのに、尋常ではないデータが並び、それに対する考察が続く。最終ページには、『腐らず、励め。もう2度とパドマに関わるな』とあった。随分と失礼な物言いだった。
イライジャが顔を上げると、レポートの上に青い拳大の石が置かれ、パットは首に下げられた勲章のような物を服の下から引っ張りだして、イライジャだけに見せた。
「それは!」
数瞬、イライジャは凍りついていたが、ひざをついてうなだれた。
「大変申し訳御座いませんでした」
そのうち王族ではなくなるけれど、今は王子様というどのくらい偉いのか今ひとつパドマには理解できないお貴族様が、パットに首を垂れていた。ヴァーノンも驚いていたから、これは一大事なのだが、どうでも良かった。きっと師匠が完璧超人だから、生まれついた家柄程度では、どうにも敵わなかったのだろう、とパドマは思った。
そんなことより、帰りの暇つぶしの方が大変だ。お土産も買いすぎてしまったので、馬車の中がいっぱいで、ヴァーノンから離れられそうにない。
次回、パドマが泣いている現場に居合わせるヴァーノン。そして、修羅場へ。
パドマ泣きすぎなのに、今更かな。