142.阿呆の話は聞きたくない
今日こそダンジョンだぜ、と息巻いていたパドマに、またしても邪魔が入った。二日酔いから復活したヴァーノンが、イギーに会いに行こうと言うのである。また酒をねだりに行くのか、変な話をされるのか2択である。もしかしたら、両方かもしれない。嫌な予感しかしないのに、イギーという単語だけで、師匠は逃げてしまった。
パドマは、いろいろなことを反省したところである。テッドたちに別れの挨拶をし、静かについて行った。
いつもの紅蓮華の会議室に、いつものイギーといつものカーティスと、いつも呼び出すだけで来ないイギーの父が座っていた。扉の陰に、グラントも立っていた。
「いやー、来てくれて、ありがと! 遠慮なく、座って座って」
イギーの父は、初めて会った時は、もう少し普通のおっさんだった気がするのだけど、会う度に気さく度が上がり、今となっては、近所のおっさんのノリで話しかけてくる。とても紅蓮華の偉い人には見えない。できる人だからこそ、いつまで経っても敬語を覚えないパドマに合わせてくれてるのかもしれないが、それにしても、ゆるい。どこまでゆるく変貌を遂げるか、チャレンジしてみたくなるほどに、変わっていっている。
グラントはパドマが部屋に入ると、イスを引いてくれた。そんなことをしてくれなくても、1人で座れるんだけどなぁ、と思いつつ、パドマは座った。ヴァーノンとグラントも座ると、カーティスがお茶と茶菓子を出してくれた。
茶菓子は、花の形をした餡だった。とてもキレイで可愛い。パドマが顔を綻ばせていたら、横から皿が回ってきた。ヴァーノンの分も、グラントの分も回され、更にカーティスに増やされただけでなく、ドアの外に追加発注まで出されていた。目で見て嬉しかっただけで、食い放題をしたかったのではないのに。何もワガママは言ってないのに、みんなからの呆れた視線を浴びながら、お菓子を食べねばならなくなったのが、納得いかなかった。甘ったるいお菓子を山盛り食べるなんて、どちらかと言うと罰ゲームだと思う。少しだから、美味しいのだ。
「いいねぇ、その仏頂面。もしかして、用件は、もうバレちゃってるのかな? ただでさえ勝ち目ないのに、アレはホントにダメな子だよね」
「お招きありがとう御座います。本日は」
パドマが何も言わないようなので、ヴァーノンが挨拶をしようとして、イギー父に阻まれた。
「ああ、そう言うのはいいよ。今日は、身内しかいないし、手短にやろう。
これから早くて3ヶ月後? 4ヶ月後? くらいに、アーデルバードは攻め込まれる。戦争になりそうなんだけど、英雄様は、どうしたい?」
商家の会頭は、薄い笑みでパドマを見た。
「アーデルバードは強い人がいるから、攻め込まれないって」
以前、パドマに誰かがそう言っていた。欲しがる国はあるが、誰も攻めてこないのだと。
「そうだね。アーデルバードは、攻めにくい。どうやって作ったのかわからない立派な城壁があるし、糧食も肉だけで良ければ、ダンジョンから無限に湧いてくる。パット様みたいな人が何人かいるから、彼を単騎でうちの船に乗せとくだけで、海側の防衛もできそうじゃない? 気合いを入れれば堕とせるだろうけど、被害を計上したらわりに合わないんだよね。こちらは、この街しかないんだ。この街を壊滅させたら、得られる物は、ダンジョンだけだ。あれはあったら便利だけど、宝物は出て来ない。街を再建させるのも、一苦労だよね。
だけど、困ったことに、うちの息子以上に計算のできないおバカさんって、世の中にはいるらしいんだ」
「あんなのと一緒にするな。
あのバカ貴族が来る。新星様と、白蓮華の娘と、英雄様が同一人物だと気付いたらしい。何も隠してないからな。気付くのが遅すぎるくらいだ。コケにしやがって、と息巻いているらしいぞ。
アレは、軍を持たない。だから、早くても収穫期以降に農兵をいくらか連れてくるだけだ。綺羅星ペンギンだけで足りるだろう。きっとパット様1人でも勝てるな。お前は、どうしたい?」
イギーが、イギーらしくない目で、パドマを見ている。パドマは、返答に困った。
「どうしたいって、どうもしたくないよ。パット様1人に戦場に立てって言うなんて論外だし、綺羅星ペンギンの皆にだって、危ないことはさせたくない。できることなら、相手の兵も死なせたくない。
どうしたらいいの? 虚言じゃなくて、本当に死ねばいいの? この街を出たらいいの? あの男を殺してきたらいいの?」
「殺されたら、困っちゃうかな。バカが1人で騒いでいる状態なら問題ないけど、王子殺しで国が動いたら面倒臭いよ。正規兵に出てこられたら、こちらの被害も甚大だ。できたらアレは生かして欲しい」
今まで無言でいたグラントが、口を開いた。見るからに、パドマが話し合いを嫌がっているからだ。
「それは、どの程度、正確な情報ですか? 我らは、いつでも出陣致します。情報の精度と敵軍の詳細を求めます」
「えー? そんなの簡単だよね。わたしは、あちらの国民だからさ。王族ともズブズブの関係なんだよ。代々嫁泥棒の被害にあうくらい、近いの。調べなくても、教えられちゃうんだよ。あ、噂だけじゃなく、ちゃんとアレの領地まで人を派遣して調べてきたからね。アレは家人だけじゃ、戦争できないからさ。大々的に徴兵してる最中だよ。アーデルバードの姫を救いに行くぞ! って、言ってるらしいよ。アーデルバードには、姫なんていないんだけどねぇ。
兵数は、どうだろうね。まだ全然集まってないみたいだけど。まさか領民全部は連れて来ないと思うし、財力で考えたら、頑張って200くらいなんじゃないかな。いっそ領民全部連れて来てくれたら、ここまで着く前に崩壊するだろうから、助かるなぁ。
あちらの国が、あれをどう扱うか次第で、こちらの対応も変えなくちゃいけない。やだねぇ。
そこまでして、パドマちゃんを連れてって、何が面白いんだろうね。本当に欲しいなら、パット様みたいに、アーデルバード在住になればいいのに。アレには使い道ないから、来なくていいけどさ」
「と、いうことは、紅蓮華は、味方ではないのですね?」
「い、嫌だなぁ。グラントくん、目が怖いよ? わたしは、アーデルバード街議会議員だよ? あっちにも籍はあるけど、本拠地はこちらなんだよ。ほ、本当だってば。だから、パドマちゃんだけじゃなくて、君まで呼んだんだよ。防衛側だから!
あのね。来るのはまだ先の話だし、あちらの国の方針も今のところわからないし、今すぐ進退なんて決めなくていいから。ただ、そういう話があるんだよー、って話がしたかっただけなんだよ。準備期間は長い方がいいよね?
そんなことより、聖誕祭の方が先だから、そっちの話し合いがしたいくらいなんだけど。話す順番間違っちゃったかな。ごめんね」
「パドマさん、コウモリの話に耳を傾ける必要は御座いません。お帰り下さい。こちらは、わたしが引き受けます。ヴァーノンさん、お任せしてもよろしいですか?」
パドマは、ただでさえ白い顔が、そうとわかるほど青くなっていた。周囲の声は聞こえないようで、ぶつぶつと物騒な暗殺術が口から漏れている。完全犯罪を目指す方針のようで、隠蔽工作も凝っていた。イギー父は、それはいいと喜んだ。
ヴァーノンは、パドマの眼前に手をかざしてみたが、何の反応も得られなかったので、パドマを連れ帰ることにした。立たせてみたら、自力で歩くようなので、唄う黄熊亭方面へ軌道修正を図りながら歩かせればいいかと思った。
それなのに、ヴァーノンは、ダンジョンにいた。意識があるパドマでさえ持て余すのに、意識のないパドマなんて言うことを聞かせられなかったのだ。ヴァーノンは、剣の1本も持っていないのに、ダンジョンに入場してしまった。仕方がないので、通りすがりにいたジュールから、剣を借りて、パドマを追いかけた。パドマも剣しか持っていない。護衛の1人に支度を頼んで引き返させた。
今日のパドマは、ダンジョンに行く予定はしていたが、支度はしていない。だから、着込みは着ていなかった。その状態で、通い慣れた道をノンストップで、色んな物を斬り飛ばしながら進んでいたが、ふいに29階層の途中で足が止まった。
「あぶな」
29階層は、次々と巨大海亀の雨が降ってくる。慌ててヴァーノンがパドマを回収して、安全地帯に逃げ込んだ。
パドマは足を止めただけで、意識はあった。だから、ヴァーノンは、ダンジョン内で増えた護衛に水袋をもらい、パドマに渡すと、ぐびぐびと飲み干して、立ち上がった。また先に進むのか、と恐怖して、ヴァーノンは、パドマを羽交締めにして、止めた。ヴァーノンが手を離さない限り、パドマは動けない。
「どこへ行くんだ! ネズミ行きは、許さないからな」
「キヌちゃんに、ひどいことしないで。やだやだやだ。離せ!」
「あのネズミは、キヌちゃんなのか? 暴れるな。痛いぞ」
捕まえているのが、ヴァーノンだと気付いていないかのように、パドマは暴れた。幸いにも、水袋を飲む直前に刃物は手を離れていたが、蹴られれば痛い。
「キヌちゃん、ウチの所為で、皆殺しにされちゃったの! 酷いひどい酷い。アーデルバードも、みんな死んじゃう。隣の国も滅んじゃう!」
「滅ばない。あの話し合いに、そんな緊迫感はなかったろう。どうしたいか、念のために聞かれただけだ。恐らく、話し合いで解決されるだろう」
「話し合い?」
パドマの動きが、ぴたりと止まった。そう見せかけておいて、逃げ出したりするのがパドマなので、ヴァーノンは拘束を緩めなかったが、暴れないでくれるのは、助かる。
「お前が言ったんだろう。死者が出るのは望まない、と。ならば、会頭は話し合いで解決するしかない。お前には逆らえないからな」
「ウチは、ただの小娘だよ。そんな訳ないでしょ」
「あるんだ。英雄様にも逆らえないし、お前を通じてパット様の協力を欲しがっている。おかげさまで、俺も高待遇すぎてやめられなくて、困っている。唄う黄熊亭の仕事に専念したいから、辞職願を出したのに、出勤日ゼロで給与を払うと慰留されてな。お前へのツテを切りたくないのと、外聞が悪いらしい。英雄様の兄に見限られたと噂されると、困るとかなんとか」
「あ、ジュールが、それで婚約を取り消されてたよ」
「そうだろう。アーデルバードは、ある意味で、お前の支配下にある。ノリがよすぎる街民が、皆で悪ふざけしているだけなんだが。
急に小さい女の子が出てきて、探索者の街で探索者になったりしたから、ツボにハマったんだろうな。俺も人のことは言えないんだが。可愛すぎるんだよ、お前」
パドマが生まれた時から知っているヴァーノンは、妹だと思って必死に守り育ててきたのだが、周囲の人間は違う。あまり裕福でない人ばかりが集まる地域にいても、パドマは頻繁に餌付けをされていた。時には、食べきれなかったと、ヴァーノンに土産を持って帰ってくる日もあった。
唄う黄熊亭でも、変わらなかった。あの店の食事は決して安くはないのに、毎日食いっぱぐれることなく、皆に愛され食事を提供されていたのだ。ちょっと顔が可愛い程度じゃ、そうはならなかっただろう。なんなら、唄う黄熊亭の部屋が提供されたのもパドマの功績だし、ヴァーノンが跡取りに指名されたのもパドマの所為だと、ヴァーノンは思っている。
年をとっても然程大きくならなかったし、中身の成長も見られない。小さいままでもヴァーノンは構わなかったのだが、身体の年頃の女の子カスタマイズだけはされていって、余計な心配が更に増えた。ヴァーノンは、パドマを洗脳してでも地味な服装に落とし込もうと苦心しているのに、少し目をはなすと華やかな色をまとっている。そろそろ親の言うことや兄の言うことなど聞き入れない年齢だとはわかっているのだが、未だにまとわりついてくるくらいに懐いているので、諦めきれなかった。
「それを人は兄バカと呼ぶ。ウチも、お兄ちゃんを褒める度に、白い目で見られてるよ。気をつけた方が良い」
パドマは、真剣な顔をして、ヴァーノンの心配をしている。パドマの所業を残念に思う理由が、1種類だけではないことに気付いていないらしい。他人の目を気にしているようで気にしていないから、1種類目に気付くようになっただけで、進歩なのだが。
「俺は、ただの凡人だからな。お前とは違う」
「凡人は、武闘会で優勝しない。あのガチ肉弾戦で、体格の劣る人間が勝つなんて、正気じゃない。小さい頃から、いろいろおかしかった。前は、そういうものだと思ってたけど、なんかおかしいなって気付き始めたからね! 騙されないよ」
「お前の兄でいるための、必須技能しか習得していない。全部お前の所為だ」
ヴァーノンは、大きな大きなため息を吐いた。
パドマに全幅の信頼を得て、兄妹とは信じられないほどに仲良しなヴァーノンを羨んでいた護衛たちは、少しヴァーノンに同情した。今ならともかく、パドマが生まれた時からずっとと言われれば、大変そうだ。
「お兄ちゃんが、格好良すぎる!」
次回、オーストラリアに行く。